2011/09/30

暖房と肉じゃが

10日くらい前から自室の暖房を点け始めた。

昨年はもっと遅くに点けていたと思う。北海道なんかも地域によっては8月でも弱めに暖房を使っているのを見たことがあるから、この辺も同じ感覚である。

あと、私が借りている部屋が北向きの部屋で、陽が入らないために余計に寒いというのもある。

使っている暖房は、先輩隊員からもらい受けた電熱調理器。これで10畳ほどの部屋を暖めるのは、冬が本格化してきたら間に合わんだろう、さすがに。

電熱調理器があるので、ついでにという訳でもないが、部屋で料理もしちゃっている。

nikujaga

肉じゃがの作り途中の写真。和風だしと、村で入手した醤油(日本の醤油と風味が異なる。やや酸味がある感じ)、調理酒にはウォッカを使って煮込む。一度は羊肉でもやってみたが、これもまた美味しかった。

2011/09/29

じゃがいも収穫

当ブログに書いていなかったと思うが、ホームステイしているキルギス人家庭が、5月中旬に山のほうの畑にじゃがいもを植え付けた。私も一緒に植え付けを手伝った。

uetuke
(5月中旬、山の親戚の畑にじゃがいもを植えた)

ぼちぼち収穫の時期だろうと思っていたし、ステイ先の家族と「収穫の時にまた手伝ってくれ」みたいな話をしていたので、じゃがいもを掘るのを楽しみにしていた。

ところが1週間前に、すでにいもを掘り出して収穫してしまったとのこと。残念。家の息子が行って、作業してきたとのこと。私が仕事から帰ったら、庭に収穫したてのいもが置かれていた。

shukaku(収穫されたじゃがいも)

ちなみに、こちらでの植え付け・収穫は一族総出(というのは大袈裟だが)の作業。親戚の若い男を呼んで、みんなで土を耕し、畝を作って、苗を植える。収穫のほうは見ていないが、おそらく同じようにやっていたのだろう。

じゃがいもが運ばれてきたその日、早速、茹でたじゃがいもが食卓に出た。塩を付けて食べる。私はバターも付けて食べたが、キルギス人家族はバターを付けていなかった。そういう食べ方はしないのか?

他の家でもじゃがいもは収穫し終わったようだし、これから市場には新じゃがが売られるようになる。

2011/09/28

走るロバを撮影成功

村の中を歩いていたら、ロバが道路を走っていくところに遭遇。急いでカメラを出して撮影した。
ロバって、普段はジッとしているのを見かけるのが多い気がする。人間がまたがって、ピシピシとたたいて進ませていることはあるが、小走り程度のスピードである。
こうして、本当に走っているロバの姿というのは貴重なんではないか?

大統領選キャンペーン、村でも始まる

配属先の障害児者センターの送迎バスに乗っていて、通りすがりに見たのだが、村の中心街で大統領選挙の応援キャンペーンをやっていた。

日本の応援団が持つようなサイズのキルギス国旗を持った青年が横一列に並び、少し高くなった場所をステージに見立てて、そこで歌手が歌っていた。去年行われた議会選挙の時もこんな感じであった。この国の選挙キャンペーンはこういうスタイルのようだ。

これから10月30日の投票日まで、各陣営が入れ替わり立ち替わりでキャンペーンイベントを開催すると思われる。今日はカメラを持っていなかったので、週末に何かやっていれば撮影に行ってみよう。

そういえば、昨年(2010年)の議会選挙の時は、4月の前政権追放デモ、6月の民族衝突の後だったこともあって、選挙の前後に政情が不安定になる可能性も踏まえて、JICAボランティアは首都に集結して数日過ごしたと記憶しているが、今回もそういう可能性が出てくるのであろうか?

首都に集まると、普段ばらばらに活動している他隊員と会えるので、楽しいのであるが、村在住隊員としてはせっかくの大統領選挙を、村でどのように行われるのかを見て、ブログに書きたいと思うのだが…。

2011/09/27

【キルギスツアー】来訪感謝

友人が日本から旅行に来ていた間、私は彼らのガイド兼通訳として同行していた。なにせ、メンバーのうち一人もキルギス語はおろかロシア語も話すことはできない(日本人でキルギス語を話せる人は、100%近くが協力隊OB/OGではないか?)。

乗り合いバス・タクシーに乗る時、カフェで食事をする時、ホテルのチェックイン、もろもろ、現地で生活している者にしてみれば、慣れていて、当たり前のようにやっていることも、旅行者にとってはすべてが戸惑いの場面であり、通訳が必要になる。そんなふうにして数日を通訳して過ごしたのだが、これは良い経験であった。

意外だったのは、普段の自分よりも現地語での会話量が豊富だったことだ。旅行者と現地の人との間を通訳することで、必然的に話すことが増えた。自分独りだと、ある程度自分で判断して、あるいはいちいち人に訊くのが面倒なので省くから、会話をせずに済ませていることが多いのだと気付かされた。

もう一つ意外だったのは、結構、私の語学力でも何とかなったということである。普段、職場の書類とかを見ると、一つひとつが分からない単語で、「ロシア語を始めて1年以上経つのに、まだこんなに分からんのか、オレは…」と意気消沈、自信喪失していたのであるが、そんな私でも旅行者のガイド、通訳は何とか勤めることができた。もちろん、仕事と遊びでは使用する語彙の数がまったく異なるが、要は伝えようとすれば、手振りなりを交えて何とか伝えようとするもの、ということだ。これまで、語彙力の乏しさに引け目を感じて、話す機会を減らそうとしていた自分もいたから、ちょっと視点を変えさせられた。

旅行のガイドをすることで、私自身もあらためてキルギスの文化に触れることができ、それも良かった。それに、1年以上住む中で、キルギスの嫌なところも多々感じるようにはなっていたのだが、旅行者から「キルギス、良い所だね~」と言われれば、それは嬉しく感じたのであった。私なりに、キルギスの良いところを紹介したりもしていたし、自分でも「あ、キルギスにはそんな良い所があったのか」と再発見する機会にもなった。

それに、今回は、日本から色々な物資を運搬してくれ、おかげで私の生活はにわかに日本食バブル期に入っている。ガイド兼通訳の経験で得たものより、やはり現物の功利か…。いずれにせよ、日本から遙々《はるばる》訪ねてきてくれた友人達に感謝である。

このブログを読んでいる方で、もし友人・知人に青年海外協力隊に参加している、あるいはこれからするという人がいるなら、是非、その友人が派遣されている間に旅行することをお勧めしたい。協力隊員は現地語も話せるし、ガイドブックには絶対載らないような地元の名所をたくさん知っている。普通の旅行とはまったく異なる旅行ができる。それに、私も含めて協力隊員は、結構、自分の住んでいる国あるいは町、村を多くの人に見てもらいたいと思っているものだ。

協力隊員はあなたの訪問をきっと喜んで迎えることだろう(ただし、訪問する際には日本食を手みやげにすることを忘れずに)。

2011/09/26

香りという名のハードル

キルギスでよく食べられる羊肉を、日本人の中には苦手に感じる人がいると書いたが、もう一つというかもう一ジャンル、異文化の食事でハードルとなりやすいのが香辛料・香菜の類である。これはキルギス料理だけでなく、一般的にそうである。

何で香辛料とか香菜って、あんなに好き嫌いがはっきりしてしまうのか不思議だが、「香」の字が入っている通り、香りに関係した食材であるから、香り・匂いが人間の食事の好みに関係しているんではないかな? ある種の匂いは、遺伝子レベルで好悪が識別されている。それは危険を察知するための人体の機能として備わっている。

もう一つは、幼少時の味覚経験によって形成される香りへの親和性。これは後天的にできあがる好き嫌いである。日本の市販のルーで作ったカレーは大好きという人が、スパイス王国、本家インドのカレーはちょっと、ということもある。これは慣れの問題が大きいような気がする。

私自身、始めてパクチー(英語名「コリアンダー」)を最初に食べた時、その香りに強烈な違和感を覚えたものだが、食べ続けてみると、ある種の料理についてはパクチーなしでは考えられないほど好物&必須の香菜となった。

キルギスにも「укроп(ウクロップ)」と呼ばれる香菜があって、これを細かく刻んで様々な料理にパラパラと振って香りを付ける。ウクロップはロシア語名で、英語だとdill(ディル)。日本から旅行に来たメンバーの一人が「これディルじゃない?」と言っていて、その時は調べる間がなかったが、今回調べてみたら確かにディルであっていた。ちなみに和名は「茴香(ウイキョウ)」で、これは果実部分を指すらしい。

私にとっては、ウクロップも羊肉同様、キルギスに来てから好物になった食材で、日本に帰ったらこれが食べられなくなるのかと寂しくなり、種をこっそり持ち込んで自家栽培しちゃおう(←いけませんよ~!)かとさえ思い悩んでいたのだが、ディルという形で普通に家庭菜園で扱えるらしいからひと安心である。

あらためて考えれば、香り以外にも異なる食文化を受け入れる際にハードルとなる要素は色々ある。辛さ、酸味、食感(ババロア、プリン的な食感が嫌いな人は一定数いるようだ)、見た目(虫を食べるのとか)など。また、宗教的な禁忌の類は、基本的には生理的な好き嫌いとは関係ないはずだが、それを幼少時から生活習慣として教えられ守っているうちに、生理的にも嫌いな物になってしまうようだ。日本人が狗肉を食べるのに抵抗を感じるのだって、そういうものであろう。

2011/09/25

【キルギスツアー】食文化適応力

旅行の最大の楽しみは、旅先ならではの食べ物を味わうことである。日本国内での旅行でも、海外への旅行でもその点は変わりないが、国内だとおおよそ自分の味覚経験の範疇に収まる食事が多いのに対し、異国の食事ではまったく予期しない味覚に出くわすことがある(ちなみに、調べてみたら「出くわす」の表記は「出喰わす」ではなく「出会す」が正しい)。

日本人にとって、キルギスの料理でもっともネックになるのは羊肉料理だと思う。日本では羊肉料理の筆頭に来るのはジンギスカン。あとはフレンチとかの食材で使われるくらいか? 北海道ではジンギスカンは焼き肉の定番で親しまれているが、それ以外の地域ではあんまり食されていないのではなかろうか? 関東出身の私は、羊肉料理というのは馴染みがない。大阪に暮らしていた時期に、ジンギスカンの焼肉店を見つけて一度行ったが、客は私のグループのみで、次に行った時には潰れていた。

対して、キルギスでは肉と言えば羊肉である。村の肉屋でも、牛・鶏は置いてなくても羊は絶対にある(もちろん豚は最初からない)。麺、米、野菜蒸し煮、饅頭、等々、どんな料理でも羊肉は使われる。

キルギスではお馴染みの羊肉であるが、独特の香りと風味があり、日本人の中には「くさい」と感じてしまう人がいる。現に、キルギスに派遣されている協力隊の中にも羊肉料理が苦手な人が数名いる。羊肉料理を食べないとなると、この国での食事メニューのチョイスはすごく減ってしまう。羊肉苦手隊員が食堂でオーダーする時に、羊肉以外の料理がないかと店員に訊いているのを見ると、大変だなと思う。

そんなことが念頭にあったので、日本からの旅行者一行が羊肉料理を食べられるか心配していた。もし羊肉がダメな人がいたら、旅行中の食事のアレンジもやり直さなければならなくなる。

果たして、到着後、最初の食事。ラグマン(トマトスープのうどん)、ボソ・ラグマン(焼きうどん)、マントゥ(饅頭)など、キルギスの定番料理を注文。旅行者にとっては、キルギス料理とのファーストコンタクト、未知との遭遇。どうであったか…。

皆、「美味い、これ美味いよ」と言って、パクパク、ガツガツと平らげてくれた。羊肉の風味十分の皿だったが、問題なく、というよりむしろ大感激で食べていた。今回の旅行メンバーにはキルギス料理はドンピシャで好みのツボにはまったようだ。招待・案内する側としても、食事を美味しく食べてくれるのが一番嬉しい。

さて、羊肉のハードルを難なく越え、キルギス料理が大好きになった彼らであったが、別の落とし穴が待っていた。料理の食べ過ぎ(?)による胃腸の疲れ。旅行中に体調を崩した人、帰国後にPとなった人と、結局、旅行メンバー全員がPPとなったそうだ。

旅先での食べ過ぎ。これもついついやってしまう失敗である。「そこでしか食べられない物は食べてみたい」という好奇心が強い人はなおさらである。案内役の私があれこれと紹介し過ぎたのも食べ過ぎの原因となったかも、と少し反省した…

2011/09/24

世界を変える発見か?

協力隊とまったく関係ない話題だが、報道を見て驚いたのでリンクを貼る。

子供の頃からずっと、光より速く移動するものはないと覚えてきた(←物理学的にそれで正しいのかしらん?)から、光より速い物質が発見となると、これはすごいことなんではないか、と…。

まだ、実験グループ以外の研究者から検証・確認されていないようだから、覆る可能性はあるが、この結果に間違いがないと確認されたら、これからの宇宙物理学は大きく変わっていくことになる。

いや~、これはすごいことだゾ!

旅する十円玉

日本から旅行に来てくれた一行の帰国日、タクシーをチャーターして空港まで行った。
ホンダのオデッセイだったと思う。右ハンドル。車内の所々に日本語表示のものがある(「シートベルトを締めましょう」とか)。
移動中、運転手とも打ち解けてきて、一行が日本から来て、キルギス国内のどのあたりを旅行したかとか、本日帰国することなどを話していた。
すると、運転手が車の小物入れの所からやおらコインを出してきて、「これは日本のお金だろう?」と訊いてきた。見ると十円玉。なんでこんな物をキルギスのタクシー運転手が持っているんだろうか?
不思議に思ったので尋ねると、「車内にあった」とのこと。
なるほど! 日本から中古車を輸入する際、日本のオーナーが車内に置き忘れた十円玉が、車と一緒にキルギスまで運ばれてきたというわけだ。そんなこともあるんだねぇ…。
まあ、麻薬だの武器だのは、それなりに検査が行われていると思うが、十円玉くらいだと誰にも気付かれることなく、スルーされたんだろう。
運転手が、少し期待を込めたような口調で「このコインでどんな物が買えるの?」と訊いてきた。10円かぁ。残念だが、飴玉1個くらいだ。その答えを聞いて、運転手も失笑していた。
穴の空いたコイン(五円玉、五十円玉)というのは、日本以外の国だと結構珍しい物だと聞いたことがある。十円玉で盛り上がったので、旅行メンバーの一人がたまたま持っていた五円玉を、そのタクシー運転手にプレゼントした。5円だけでは、ますます何も買えないのだけれど。

2011/09/23

【キルギスツアー】空港の風景

旅行者の出迎えと見送りで、キルギス第一の空港「マナス国際空港」へ行った。

日本からのルートは成田→モスクワ→ビシュケク(キルギス)という順で、ビシュケクへの到着は朝の5:10という時間。朝4時にビシュケクを出て、約30分で空港へ。

(入国手続き、荷物受け取りで20~30分はかかるから、今思えば、そんなに早くに着いていなくても良かったのだが…)

早朝であったが、空港には出迎えの人が相当来ていた。ここの空港は24時間運用で、深夜発着便もあり、その時も出迎え・見送りの人達は来ているのだろう。「お疲れさま」という感じもするが、遠路はるばる到着した、あるいはこれから旅立つ家族・友人の姿を見ようというのは、人情というものだ。

出迎えの人の中には、到着口から出てきた人と抱き合って泣いている人もいた。私が日本からの客人を見送りに行った時にも、家族の見送りに来て泣いている人達がいた。

それぞれどういう事情があるかは分からないが、空港や駅というのは別れと再会の場所なんだな、と。

別のテーマでブログに書こうと思っていたことだが、キルギスでは、国内では仕事がないため、あるいはより高い収入を求めて、国外に出稼ぎに行く人が多い。私の住んでいる村には帰国した隊員も含めて、4人の協力隊々員が住んでいる(いた)が、どの家庭も、息子、娘の夫、あるいは息子(娘)夫婦の誰かしらがロシアに出稼ぎに行っている。家族の出稼ぎ率100%。

全国レベルで家族の出稼ぎ率が100%とは思わないが、私の身近でもこれだけいるのだから、相当な数が出稼ぎに行っていると思われる。

私のホームステイ先の家の娘夫婦は8月にロシアに行ったが、期間は5年だそうである。途中で一時帰国することもあるだろうが、移動費のことを考えれば、2年に1回が現実的か…。大家族で育って、家族は一緒にいることが当たり前のキルギスの人達にとっては、長い別れになるのかも知れない。それだけに、見送りは惜別の涙、出迎えは再会の喜びの涙が自然と溢れる(みんな出稼ぎに行っている人なのかは分からないけどね)。

日本人旅行者を出迎え・見送りに行った空港は、色んな人生が交錯する場所であった。

2011/09/22

【キルギスツアー】乗馬トレッキング

今回、来てくれた旅行者のツアーで、一番のイベントは乗馬トレッキングだったと、個人的には思っている(参加者それぞれにとっては、別のところがメインだったかも知れないが)。

我々一行は、村の近くの山にある「ボズ・ウイ」に泊まった。ボズ・ウイはキルギス語で「灰色の家」で、遊牧民の天幕のこと。羊毛で作ったフェルト(灰色)で天幕を張るのでこう呼ぶ。ロシア語だと「ユルタ」。モンゴル語だと「ゲル」かな?

さて、ボズ・ウイに泊まった翌日、次の宿泊地まで馬を借りて移動。この時の行程が4時間かかった。休憩時間を除けば、3時間、馬に乗っていた。

horse_ride 

参加者は、これまで馬で通勤・通学・買い物をした経験はなし。馬はおろか、ロバでも通勤なんかしたことのない軟弱者ばかりであった。が、当日、「はい、あなた、この馬に乗ってぇ。次の人はこっちの馬に乗ってぇ」という感じで、注意事項の説明を受けることもなく、いきなり鞍にまたがされた(説明をせずに乗せるのは、ガイドの側も接客に慣れていないから、乗馬初心者に対するノウハウがないせいである)。

子供の頃から馬と共に生活して、馬の顔つき・息づかい・仕草・糞などを見れば、馬がどういう状態であるか、何を欲しているか、どうやって人間様の言うことを聞かせればよいか熟知しているガイド達とは違うのだぞ! 馬が暴れたらどうしてくれる? とあまりにも素っ気ないガイドの応対に不安と不満を抱きつつ(とは言うのは嘘で、実はこんな感じになることは大体予想できていたのだ)、乗馬開始。

一番最初だけは、発進・方向転換・停止の手綱さばきだけは教えてもらった。これも、こちらから頼まなければ、ガイドから自発的に教えるということはなかったと思う。

いや~、楽しかった。と同時に、おケツが痛かった。歩くだけでも結構な振動があった。キルギス人たちはパッカパッカと馬を走らせているが、おそらく腰は浮かしているんではなかろうか。でなければ、男の場合、急所がかなり痛いことになりそうなのだが、さてどうだろう。

(と書いた後に、馬を走らせている男性を目撃。腰は浮かせず、鞍に座っているように見えたが、衝撃を受けないためのコツがあるんだろう。)

この時季、雌馬は6月頃に出産した子馬についているので、乗馬に使った馬はすべて雄。そのせいなのか、時々、馬同士で小競り合いが起きて、乗っている側としてはヒヤッとした。それに急に小走りに駆け出したり、草を食べ始めたりで、こちらの思うように動かないこともしばしば。そういうことを含めても楽しい体験であった。

キルギス大統領選挙 立候補者31名!

10月30日にキルギスの大統領選挙が行われる予定。当ブログでも、ニュースサイトからの情報や、村での選挙応援の様子などを載せておくことにする。

キルギスのwww.24.kgというニュースサイトの英語ページから。

31 people run for the presidency in Kyrgyzstan

なんと、現段階で31人が立候補しているそうな。2週間くらい前に、は80人以上が立候補しているという話を聞いたから、そこからだいぶ減ったということか?

それにしてもまだ31人は多い。このまま選挙をしても、絶対、だれも過半数の得票には到らないだろう。

記事の最後に、「9月24日までに、デポジット(供託金)を10万ソム払わなければ、大統領選挙から外される」と書いてある。1ソムを1.75円とすると、17万5千円。これを支払えずに、さらに候補者は絞られていくことになりそうだ。

ちなみに、今回のキルギス大統領選挙に関して、日本も支援を行っている(外務省のサイトから)。

キルギス共和国の大統領選挙に対する緊急無償資金協力

「我が国政府は,10月30日(日曜日)に予定されているキルギス共和国大統領選挙の公平かつ円滑な実施を支援するため,国連開発計画(UNDP)を通じ35万93ドル(約3100万円)の緊急無償資金協力を行うことを決定しました。」

とのこと。

2011/09/21

【キルギスツアー】ポリスチェック体験

キルギスへの旅行者を、首都ビシュケク市内のバザール(市場)に案内していた所、我々一行は警察官に呼び止められ、身分証の提示を求められるという一幕があった。日本人の間で「ポリスチェック」と呼んでいるもので、日本だと「職務質問」にあたるのだろうか。

といっても、キルギス、特に首都ビシュケクでは割とポリスチェックに引っかかることがあり、我々が不審な行動をしたからという訳では必ずしもない(バザール内で、5人が5人ともデジカメやデジビデを出して撮影しまくっていれば、それはそれで不審者と思われたのかもしれないが…)。

パスポートを提示したところ、その警察官は「ビザがないぞ。ビザはどうした?」と言ってきた。知らない方がほとんどだろうが、日本人がキルギスへ入国する際、60日以内の滞在であればビザの取得は不要である。中央アジア諸国の中では唯一の、日本人が旅行しやすい国なのである(だから皆さん、もっとキルギスへ旅行してくださいな)。ただ、現地の警察官もそのことを知らない人は結構いるので、「ビザはどうした?」ということになるのである。

ポリスチェック自体は、先方(警察官)も職務としてやっていることだし、こちらもやましい所はないから、何も臆することなく対応すればよいのだが、気をつけなければならないのは、ビザがどうの、○○に不備があるなどと言いがかりをつけて、罰金を取ろうとする不埒な輩がいることだ。そういうことをする偽警官(警官に扮して外国人旅行者から金を取る)がいると聞くし、正規の警察官の中にも小遣い稼ぎとしてそういうことをする者がいるとも聞く(その場合、「罰金」として支払った金も、そやつの懐に入る)。

正規の身分確認としてきちんと対応しつつ(ここで変な反抗をすれば話はややこしくなる)、不審警官かも知れないということも念頭に置いて、日本人はビザが不要であることを説明。その警官は、同僚か本署かに電話をして、ビザに関して確認していた模様。私を含め旅行メンバーの身分証を確認し、5分ほどでポリスチェックは終了。「無罪放免」となった(当然だけどね)。

今後、キルギスに旅行される方のために、簡単に書き加えておく。

  • ポリスチェックは、日常的に、現地人にも旅行者にもなされる。自分に特別な容疑がかけられている訳ではないので、焦らず、淡々と対応すればよろしい。
  • ただし、上述の通り、偽警官・不正警官が近づいてくることもあるので、それには注意が必要。具体的には、
    • 人気《ひとけ》のない所に連れて行こうとする(→付いていったらかなり危険)
    • 「かばんの中を見せろ」など、所持品を見ようとする(→検査のふりをして金品を抜かれる)
    • 言いがかりをつけて「罰金」を取ろうする(→正規警官も小遣い稼ぎにやっているという噂あり)

いずれも自分にやましい点がない限り(ある人は無理でしょ)、相手の言いなりになる必要はなし。所持品検査も、ポリスチェックではそこまでの権限はないそうだから、どうしてもやる必要があるというならば、警察署などに行ってやるとかで、リスクを減らすべきだろう(ただし、相手の車に同乗するのは危険。歩いて行くとかが良いか?)。

なお、どうしても話がこじれてしまったら、駐在大使館に電話をして救いを求めるのが確実だろう。大使館の仕事を増やすのは申し訳ないが、現地の言葉も法律も分からない者にとっては、すがらせてもらわざるを得ない。大使館は「パソリストヴァ」だから、「テレフォン、パソリストヴァ」と連呼して電話をし、大使館員に事情を話して事態の解決策を教えてもらう、或いは直接話してもらうのが良いだろう。

短い滞在期間中に、ポリスチェックも体験できたのは、旅行に来たメンバーには貴重だったと思う(みやげ話になるでしょ?)。

2011/09/20

【キルギスツアー】日本からの訪問者

先日、日本から友人とその家族4名が、キルギスに来てくれた。かつて勤めていた職場の上司と同期で、その職場を辞めて約10年経つが、こういう形でお付き合いが続いているのは、縁というものの不思議さを感じさせられる。

キルギスの滞在は6日間だけで、迎えるこちらとしては「あと1日あればあそこも行けるし、こんな所も見てもらえるのに」と思っていたが、日本からの移動に1日かかるので、往復で2日間、合計で8日間の旅行となっている訳で、日本で働く人にしてみれば、1週間まとめて休むというのは、職場に気を遣ったりでなかなか大変なことだと思い直した。

それに、終わってみれば、6日間というのは短かすぎず、長すぎず、結構いい感じの日程だった。6日間で私のいる村まで行って1泊、そこから近くの山・湖で1泊ずつ、首都に移動して2泊。最終日は実質的には観光はほとんどできず、空港までの移動・出発となったが、それでもその道中でこういう旅ならではの体験もあり、楽しかった。

ただ、こういう限られた日程であれこれ見てもらおうと思って、旅程を組んだので、イベントとイベントの間が詰まって、一つのことが終わると次ぎに移動となる点は、参加メンバーにとっては疲れたかもしれない。

食べ物にあたったか、あるいは食べ過ぎたかで、胃腸の調子を崩す人もいたが、無事に皆が帰国できたので、この旅行は良かった良かったで終わることができた。

クリップボードの負荷を減らす

パソコンの「コピー」「切り取り」機能は、指定されたデータをパソコン内のメモリーに一時的に保存している。その場所はクリップボードと呼ばれている。
当然、保存した分だけメモリーを喰っているので、サイズの大きなデータ(例えば、長い文章とか、写真・音声・動画ファイルなど)をコピーすると、メモリーをそれだけ使うことになる。
「コピー」(または「切り取り」)したデータは、次の「コピー」(「切り取り」)をするまでメモリーに残されている。見た目には分からないのだが、大きなデータをコピーしてしまうと、パソコンはそれをずっとクリップボードに保持したままとなり、処理速度が遅くなってしまう。
昔は、メモリー容量が少なかったから、クリップボードに大きなデータを残すことは、操作上の障害となってしまった。そこで、クリップボードのデータを減らすために、とりあえず何でもよいから、何かの文字を一文字コピーしたものである。これは、クリップボードが一つのデータしか保持しないことを逆手に取った(?)方法で、大きなデータを文字一つ分という最小サイズのデータに置き換えてしまうのである。
今のパソコンはメモリーが大きくなっているから、クリップボードに入っているデータのことは気にせずとも、操作上はさほど問題にならないが、動画ファイルのコピーなどをしたまま作業を続けると、メモリーの活用としては損をしていることになる。
なんでこんなことを書いたかといえば、最近のパソコンではさほど気にならないことなのに、「一文字コピー」でクリップボードのデータを置き換えている自分にふと気が付いたからである。パソコンが高性能化しても、こういう昔覚えたことは、ついついやってしまうものなのである。

2011/09/19

思い出のラジオ第2放送

2年くらい前までは、「原書で読む名作」みたいな番組があって、英語に限られていたが、英語を母語とする俳優・声優が原書で朗読し、日本人の専門家が日本語訳の解説をするというものだった。これは正直「こういう番組は、誰が聴くだろか?」と思っていたのだが、ついに終わってしまった。かなり歴史はあった番組のようだから、英語の朗読を聞く機会が少なかった昔には需要があった番組だったのだろう。時代が変わって役割を終えたということか。

私が高校生くらいまでは、「そろばん教室」という番組もあったが、それも気付けば放送がなくなっていた。今はそろばんを習う子供自体が相当少ないだろうから、番組がなくなるのも仕方がない。

あと、今もやっている(はずの)番組であるが、「お話出てこい」。子供向け、しかもかなり低学年向けか就学前児を対象にしているような番組だと思うが、私は今でも(日本にいる時)は聴くのが好きな番組であった。童話の朗読番組なのであるが、テレビやDVDがいくらでもある現在、どういう子供・人がこの番組を聴いているのだろう…。

「お話出てこい」の後に、昔は道徳科目の教材用と思われるラジオドラマの枠があった。それに学年に合わせた国語表現の番組もあり、これは大人が聴いても役に立つと思う内容だった。表現技法といえば、タイトルは忘れたが話すことのプロであるNHKのアナウンサーが、結婚式やプレゼンでの話し方についてレクチャーする番組もあり、これはたまたまダイヤルが合ったら聴くという感じであった。

今、キルギスで、短波ラジオのダイヤルを合わせて、NHKの海外向け放送を聴いているが、これは基本的にラジオ第1放送の番組であり、第2放送の番組で聴けるのは「みんなのうた」くらいか。NHK発信の諸外国語ニュースも聴けるが、こちらは私は聴いていない。

ああ、せめて「お話出てこい」くらい、海外発信してくれんもんかなぁ。

(NHKラジオの話はひとまずお終い。思いつくままにくどくどとラジオねたを続けてしまった。)

NHK語学講座に物申す

NHKの語学講座の話がつづいて、くどくて申し訳ない。

4月、9月が新規講座のスタートだと書いたが、9月からの講座は、4月からの分の再放送である。4月から見ていた、あるいは聴いていた人にとっては、同じ内容のくり返しになってしまう。

もちろん、言葉の学習はくり返しが大切だが、今日日《きょうび》、多くの人は録画・録音をしているだろうから、再放送の意味は少ない。

新しく番組を撮るのはコストがかかるから、再放送になるのは仕方ないとしても、前年度のシリーズを流すとかできないものかと思う。それができない理由として、(勝手な推測だが)、テレビ講座に限って言えば、出演者との契約の問題があるのではないだろうか。

もう何年にもなるが、NHK教育テレビの語学番組には、タレントが生徒として出演するようになっている。昔は、出演者は大学の先生と発音のお手本となるネイティブスピーカーだけであったが、これまでに藤●紀香や井●遥という人気タレントも「生徒」として出ていた。

ただ、これらのタレントを起用すると、放送の契約が色々と制限されるのではないか。そのタレントの映像を使えるのは年度内(1年)のみとなっているのでは。

いや、あくまでも推測。そもそも、タレントを起用する以前の語学番組のことはよく覚えていない(その頃は見てなかったし)。でも、もう少し効率的な再放送の仕方があると思うんだが…

2011/09/18

9月は外国語学習スタートの月

NHKのラジオ第2放送には諸外国語の講座番組がある。そのことは、多くの人が知っていると思うのだが、実際にこれらの番組を活用している人はどれくらいいるのだろうか。

通勤電車の中で、ヘッドホンをして、NHKの語学番組のテキストを手にした人を見ると、番組を聴いているのだろうと思う。ラジオ番組を録音して、メディアプレーヤーで聴いているのだろう。通勤時間が放送時間と合わないこともあるのと、電車内だと電波状況が悪い(トンネル通過時、駅停車時など)ことなどから、家で録音しておいたものを聴くほうがよいのである。

大抵の人は英語の講座を聴いているのだが、たまに英語以外のテキストを手にしている人を見かけると、どんな仕事の人なのかとか、どんな必要があってその言語を学んでいるんだろうかなど、横目でチラ見しながら想像していたものだ。

かく言う私も、協力隊参加が決まって、ロシア語圏の国(キルギス)へ派遣されると分かったので、派遣前の半年間は、通勤電車の中でNHKラジオのロシア語講座を利用していた一人である。

NHKの語学番組は、英語以外の言語は半年タームで構成されている。つまり、4月と9月に新規スタートとなっている。今月は新規スタートの月で、既に半分が過ぎてしまったが、ちょっと頑張れば追いつける範囲であるから、この機会(どんな機会かわからんが…)に、何か一つ外国語を勉強し始めてみるのも面白いかも知れない、とお勧めする。

英語に対しては、長年やってきてものにならなかったという苦手意識を潜在的に持っている人が多いと思うので、「外国語=英語」という観念を捨てて、別の言語に手をつけてみるのもよいではないか。個人的な経験だが、英語以外の言語をやると、英語の文法と比較したりするので、英語についての理解が進むことがある。

また、新しい言語をやってみて、英語のほうが楽だという感想を持つこともある。何だかんだ言っても、英語に関しては覚えた(覚えさせられた?)単語数がそれなりに蓄積しているから、単語をつなぎ合わせれば、何とかなることもある。新言語だと、ほとんどすべてが新単語(中国語は文字の上では理解できる単語がある)だから、それに比べると英語のほうが楽に思える。英語が楽に思えるとすれば(実際には言語学習で「楽」して覚えられることはないのだが)、英語以外の言語に手を出してみるのも効用がありと言えるのではないだろうか。

という訳で、日本にいる人限定だが、外国語講座での勉強を始めてみることをお勧めする次第である。

(テレビ、ラジオ共に9月から新講座スタートしている)

睡眠学習? 入眠導入?

メディアプレーヤーにロシア語やキルギス語のテキストの音声ファイルを入れて、就床後、布団の中で聴くことにしている。電気を消した後はテキストは読めないが、メディアプレーヤーで音声を聴いて学習をしようという、立派な心がけなのである。

いや~、しかしこれをやると、ほんとに寝付きがいいですわ。10分以上聴けたためしがない。立派な心がけはどこへやら…。

だが、最近は開き直って、これを入眠導入ツールとして使っている。たまにスリーピングタイマーをかけ忘れて、夢の中でロシア語やキルギス語の会話に巻き込まれ、言葉が出てこずにオロオロするという“悪夢”も見る。いや、これこそが睡眠学習の真の姿かも知れないのだ、悪夢に感謝。

それにしても、なんでこんなにも眠くなってしまうのだろう。言葉を意味の分からない音声として聞いているから、退屈して段々眠くなるのであろう。

昔、どこかの店だったか家だったかで有線放送の線を引いていて、有線放送の番組表があったので見てみたら、日本の流行歌、アメリカンヒットチャート、オールディーズ、クラシック、ジャズ、等々、色々なジャンルの音楽がチャンネルごとに提供されていた。

その中で「安眠」とかいうカテゴリーがあり、その中には「哲学」「お経」というのも入っていた。聴いてみると、「18世紀の哲学者●●は、実在について▲▲と述べ…」という感じで、なるほど確かにこれは眠くなるだろうと納得した。お経のチャンネルもまた然り。ありがた~い話も、ただの無意味な音声にしか聞こえてこないから眠くなる(これらのチャンネルで哲学の話をしている人、あるいは読経している人は虚しくはならないのだろうかとということを考えると、ちょっと眠気が覚めたが…。これを「安眠」というカテゴリーに入れた企画者はこういうのを聞きながら寝ている人であったのか…?)。

ちょっと待てよ。無意味な音声として聞こえるから眠くなるのだとしたら、ロシア語・キルギス語をそういうふうに耳に入れるのはよくないんじゃないかしらん? 脳に「これらの音声は無意味ですよ~、聞き流しなさ~い」と刷り込んでいる可能性はないか?! 逆睡眠学習の恐れあり…。

2011/09/17

爪の切り方

先日、ふと同僚を見たら、事務所の鋏《はさみ》で爪を切っていた。危なくないのかと思いながら見ていたが、おそらくいつもそうしているのであろう、造作なくやっていた。ただし、かなり大雑把な仕上がりになっていたようだ。

爪は爪切りで切るものと思っているが、要は伸びた爪を短くできればよいわけで、普通の鋏を使っても用は足りる。日本でもそういうことをやっているおやっさんを見たことがあったような気がする。

ギタリスト、特にクラシックギターの演奏者は、爪の手入れには神経を使っている。特に右手の爪は弦を爪《つま》弾くもので、音への影響が大きい。私が習っていた先生は爪切りは使わず、やすりで爪を整えていた。爪切りだと切断面がザラザラして、音が悪くなるからである。

私もやすりの使用を薦められてやってみたが、確かに音は違くなった。弦を爪弾いた時の感触もなめらかになった。使っていたのは、確か「#1000」とか「#2000」とかの細かい目の紙やすりであったと思う。

爪の強度は個人差があるようで、野球でも爪が割れやすい投手がいる。プロのギタリストとなれば、練習だけで一日何時間も弾き続ける訳で、爪が弱い人はハンデを負っている。爪が弱い人は、マニキュアのコーティング剤を塗って爪の強度を補うそうである。

私はといえば、爪が割れるほどギターを弾き込んだことはなく、ギターで爪が割れたことは一度もない。残念ながら…。

NHK教育放送礼賛

悲しいことに、日本人のほとんどが気付いていないだろうから書かせてもらうが、NHKの教育テレビ(今はETVが正式名称かな?)、ラジオ第2放送はすごいのである。教育・教養のためのチャンネルがテレビ、ラジオで常時放送されているなんていうのは、おそらく世界中でもほんのわずかな国だけだろう。

外国語番組は英語を筆頭に、フランス語、ドイツ語、中国語、韓国語、ロシア語、イタリア語などがある。年度によって違うようだが、アラビア語講座もあるし、旅行会話程度でベトナム語、マレーシア語、タイ語などをやっていたこともある。

「きょうの料理」は料理番組界の最大・最強の存在である。女性用(別に男性が見てもいいが)のおしゃれ指南番組もある。教育テレビで私が好きなのは趣味の講座で、ギター、ピアノ、水彩画、水墨画、彫刻、写真撮影、パソコン操作等々、3ヶ月サイクルで色んなのをやっている。

ラジオのほうでは、文化講演会と称する番組で、色んな分野の専門家が、市民講座で話しているのを録音したものを12回シリーズくらいでやっている。市民講座の聴講料を払わずに聴けるのであるから、自分の興味にはまったのがあればお得である。

テレビのほうは受信料を払っているから無料とは言い切れないが、ラジオは完全に無料である。これだけの知識・情報を提供してくれているNHKの教育番組は、もっと視聴されてよいと思う。日本でこのブログを読んでいる皆さん、一度試しに、ずっと教育テレビだけ、あるいはラジオ第2放送だけを流しっぱなしにしてみてはいかが?

(吉田戦車の『汚染るんです』に、チャンネルを教育テレビに固定しているラーメン屋の親父キャラがいた。客が「巨人戦どうなってる?」とチャンネルを換えようとすると、中華鍋で頭をどつくいう設定であった。)

2011/09/16

キルギスの相撲

大相撲秋場所の最中だからというわけではないが、キルギスにも相撲があるので紹介する。

先日8月31日の独立記念日などの村全体でのイベントの時に、相撲をやっているのを2回見た。イベント会場である運動競技場にマットを敷き、競技者(力士)2名と審判1名が上がる。観客はマットのギリギリまで詰め寄っている。

sumo1

力士は上半身裸になり、腰に柔道の帯のようなものを巻いている。取り組みは両者が組み合って、互いの帯をつかんだ態勢から始める。このあたり、(私は詳しく知らないのだが)モンゴル相撲と同じなのではないか。ともに遊牧民族として民族的・文化的にルーツが共通しているところが多いようなので、不思議なことではない。

sumo2

審判のかけ声で取り組みが始まると、互いに相手を倒そうと足をかけたり、帯を頼りに揺すぶったりする。もつれて両者、あるいはどちらかが倒れることもあるが、技によって倒れたと認められない場合は勝敗は付かず、両者再び中央に戻されて組み合いの態勢からやり直しである。また、マットから出ても取り組みを中断し、中央からやり直す。バランスを保つために手をついても、負けにはならない。

sumo3

日本の相撲との違いは、

  • 取り組みは、両者が組んだ態勢から始まる(「立ち合い」がない)
  • 頭・手・腕・膝を付いても負けにはならない(技によって倒された時に負けになる)
  • 「押し出し」による勝敗はない(マットは単に安全のためにあるようである)
  • 神事として行われている感じではない(あくまでも私の観察)

というところであろうか。

膝を付いても勝敗には関係はないが、膝をついた状態で組み合うことはない。この点、レスリングとは異なる。技によって勝敗を決める点は柔道に近いように思う(本来のルールとは違うと思うが、マットから出たら「場外」となる点も)。

日本のプロ相撲界はモンゴル人力士が隆盛を誇っているが、モンゴル相撲出身者が日本の相撲で活躍できるなら、どうであろう、相撲部屋の関係者の皆さん、キルギスにもいい素材はいるかも知れないから、スカウトに来てみては?

2011/09/15

デジカメが変えたもの

先に書いた「写真撮って」というタイトルの記事のくり返しになる話だが、こちらでは、カメラを持っている人が少ないから、私がカメラを持っていると「写真撮って」と頼まれることがよくある。

「さあ撮りましょう」となれば、必然的に“記念撮影“的にポーズでの撮影、つまりみんなが横に並び、あるいは前後2~3列になって「1,2,3、カシャ」という感じになる。

shashin
(家族の記念写真を頼まれることも多い)

誰かのお宅にお邪魔させてもらうと、そのうちの家族の写真を見せてくれることがある。その家族の歴史を語る貴重な写真で、すでに亡くなった人や、遠くに出稼ぎに行った人も写っていて、「この人は今はどこどこにいるんだよ」みたいな話を聞かせてもらえる。

ただ、写真のほとんどが記念撮影ポーズで撮られているので、20枚くらい見ているうちに、どれも同じ写真に見えてきてしまう。

思えば、日本でもフィルムカメラが主流だった頃は、写真というのは大体そんなものだった。撮影する時は、カメラマンが「撮るよ~。レンズ見て~」と言って、(私は嫌いな)ピースサインを作るというのが定番だった。

フィルムカメラは、撮ったその場では写真を確認できず、現像を待たなければいけなかったから、あとでピンぼけとか、レンズキャップの外し忘れなんていうことが発覚するのであった。フィルムは撮影可能な枚数が決まっていて、失敗写真であっても、一度撮ったものはフィルムに焼かれたものは消せず、一枚一枚は慎重に撮らざるを得なかった。

それが、デジカメの普及によって、撮影したその場で確認できる、失敗作は削除できるように変わった。さらにメモリが高容量になって撮影できる枚数が何千枚にもなっているから、バシバシ、カシャカシャと気兼ねなく撮影できる。フィルムカメラを使っていた頃には、道端の草を何枚も撮影するなんてことは考えられなかった。便利になったというか、写真の持つ意味が大きく変わったんだなと感じる。

カメラの前で真面目な顔でポーズを撮る人たい、あるいはそういう写真を見せてもらうたびに、そんなことがふと頭に浮かぶ。

【キルギスの食べ物】レピョーシカ、ボルソック

lepioshka 
レピョーシカ(中央)とボルソック(右)

写真の中央に写っている丸いのは「レピョーシカ(лепёшка)」と呼ばれるパン。キルギスのではなく、ロシアから入ってきたパンだと思う。

レピョーシカは、中央部がくぼんでいて平たく、ふちに厚みがある。窯で焼く時に使う型のせいでこういう形になるのだろう(実際に焼くところを見たことはないので、推測である)。

写真の右側に写っているは「ボルソック(борсок)」という揚げパン。祝いの席には必ず用意される。パンと同じ生地を平たく延ばして、三角、平行四辺形などにカットして油で揚げる。2.5cm×4cmくらいの大きさ。

2011/09/14

文字数の不思議

外国語を勉強していて、昔から不思議に思うことがあったのが、文字数のことである。

例えば、英語とかロシア語をノートに書いて、その下に和訳を書くと、ほとんどの場合、和訳した日本語文のほうが幅が短い。

これは、西洋言語だと単語と単言の間にスペースを入れるから、その分、幅を取るのだろうかとか、日本語は漢字を使うから、文字が少なくてすむからだろうかとか、理由を考えてみるのだが、実際のところなのだろう。

「実際のところどうなのだろう」と書いたのは、そもそも、私が感じている日本語文字のほうが幅が短い(文字数が少ない?)ということ自体が、実際のところどうなのか、という疑問も含んでいるからである。

仮に、日本語のほうが短いとして、私が不思議に思うのは、日本語に翻訳された本と元の言語の本とを比べる機会がある場合、両者の厚さはだいたい同じくらいであることだ。これも、あくまでも個人的な印象の話に過ぎないのだが…。

日本語のほうが文字数が少ないのだとしたら、翻訳したら日本語の本のほうが薄くなるんじゃないかと思うのに、そうはなっていない感じがするのである。どぼちて?

印刷の場合、英語アルファベットなどは、日本語文字よりも小さいから、それだけ1ページあたりの文字数は多くなっていて、ページの総量は変わらないのか。薄々思っていることだが、手書きでは、漢字に対してアルファベットをだいぶ大きく書いている。だから自分のノート上では、日本語の文のほうが見かけ上、短くなってしまうようだ(漢字だけを使う中国語の場合、どうなんだろう?)。

そもそも、私が不思議だと言っているこの話自体、根も葉もない思い込みの可能性が大ではある。

2011/09/13

フィルムカメラ

写真の話のついでだが…

そういえば、フィルムカメラってほとんど見なくなった。大型電気店のデジカメコーナーを見に行った時に、たまにフィルムカメラはないかと見ることがあるが、売り場もほんの気持ち程度。今、フィルムカメラをメインで使っている人ってどれくらいいるんだろうか。

銀塩写真の風合いが好きという人はいるが、素人が撮影・加工・印刷をすることを考えると、デジカメっていうのはほんとに便利で、フィルムカメラに戻るのは難しい。

と思いきや、トイ・カメラなるものが巷では流行っていて、そこでフィルムが使われているらしい。かくいう私も、キルギスでデジカメが故障して修理・買い換えができないという不安があったので、渡航の際、トイ・カメラを1台持ってきているのである。しかし、今、このブログを書くまで忘れ去られていたかわいそうなカメラである。

なんと言っても、フィルムの場合、キルギスでは現像ができるのかどうかも分からない。首都ビシュケクでは探せばあるだろう。きちんと探したことはないが、バスとかで通り過ぎながら「あの辺の写真屋が怪しそうだな」という目星はつけている。しかし、我が村にはフィルムを現像できる店はない。

フィルムカメラのユーザーは少なくなったとはいえ、日本なら今でもフィルムの現像は扱ってくれる。当然と言えば当然なのだが、貧しい国にいってしまうとそれも当然ではないのかも知れない。デジカメは高くて買えないが、昔のフィルムカメラならあるぞ、という人がいても、フィルムも入手しづらいし、現像もする所がないとなると、無用の長物になってしまう。

インスタントカメラというのもあったが、その代表的なメーカー(ポラ●イド社)も新しいカメラは生産しなくなっているんじゃなかったかな、確か? デジカメの中には「トイ・カメラ風」という風合いで撮影できるものも出ているから、フィルムのトイ・カメラもやはり廃れてしまうのか…。

平成ひと桁あたりまでは、写真は印画紙に焼いたものを見るのが当たり前だったんだが。いつの間にか、モニターで見るのが当たり前になってる。また数十年したら、今の我々が想像もしないような形態で、映像を記録し見ることになっているんだろうか。マトリックス的な?

фото салон(フォトサロン)

デジカメで撮った写真は、パソコンやテレビで見られるから、紙に印刷しなくても楽しめるが、こちらの人に渡してあげる時には印刷しなくてはいけなくなる。

バコンバエバ村はそこそこ大きな村なので、中心部にデジカメデータを印刷してくれる店が2店ほどある。私が知らないだけで、他にも印刷する店はあるかも知れない。写真印刷の店は「フォトサロン」と看板が出ている。

そこに写真データの入ったSDカードやUSBメモリーを持っていって、店のパソコンにつなぎ、どれを印刷してもらうか指定して、店のプリンタで印刷。私がいつも使っているフォトサロンでは、A4の4分の1のサイズで1枚5ソム(7円)。紙質は一番したのやつである。上の値段の印画紙もある。

こういう商売も、パソコンとプリンタ(インク、印画紙含む)があればできるから、元手さえあれば難しい技術がなくてもできる。これがフィルムの現像、印画となったら、設備も大がかりだし、技術も必要である。ちなみに、私がいつも使っているフォトサロンは「女子供」という言葉そのまま、おばちゃんや小学生が店番をしている時がある。印刷はパソコン、プリンタがやってくれるから、小学生も簡単な操作を覚えればできてしまう訳だ。

客が私だけだったら商売は成り立たないが、結構、客は入っているように見受ける。村人にも徐々にデジカメが普及してきているということか。デジカメデータの印刷以外にも、証明写真なんかの撮影(フォトサロン所有のカメラあり)・印刷、結婚式の出張撮影なんかもやっているようである。

商売繁盛、結構結構。

…なのだが、印刷を頼んでできあがった写真を、店の人が手にとってジッと見て「これどこ?」「これ誰?」と訊くのはどうなんでしょ?

2011/09/12

「写真撮って」

村で行われるフェスティバルなどには、カメラを忘れずに持っていって写真を撮るようにしている。日本ではないようなもの、珍しいもの、廃れたものに出会えば、ブログのネタにもなると思い、シャッターを切る。自分がこの国、この村で暮らした思い出としても撮影をする。

さて、そんな風にカメラを持って会場内をブラブラしていると、小さな村のことだから、当然、何人かの知り合いに出くわす。その時に結構言われるのが、「写真撮って」という依頼である。本人の写真、あるいは子供、家族の写真の撮影を頼まれるのである。

村の人たちのカメラ所有率は低い。日本ではほとんどの家庭にコンパクトデジカメは普及しているし、数年おきに買え換えするのも珍しいことではない。いまや一眼デジカメやミラーレス一眼の高性能カメラのシェアも増えているとか。それに比べると、こちらの人にとってはカメラは簡単には手の届く代物ではない。そこで、カメラを持っている人を見ると「撮って」となる訳である。

撮影するだけなら、大した面倒ではないから構わないのだが、こちらがイベント(例えば乗馬競技とか)の写真を撮ろうとカメラを構えているところに、「ちょっと、写真撮って」と横から・後ろから声をかけられると、「今、写真を撮ろうとしているのがわかりまへんか?」と問い質《ただ》したくなってしまうのである。

ちなみに、記念撮影をしようとしているカメラマンと被写体の間を、人が横切っていくのもよくある。こういうのは、自分が写真を撮ることがない、あるいは少ないから、カメラマンの側に立って何が邪魔になるか想像が働きにくいのかも知れない。

そんなこんなで撮影をした後、いつも不思議なのであるが、撮ったデジカメデータ(SDカード)は私の元にあるので、撮影を頼んできた人にとっては意味がないのである。もちろん、職場の人とかであれば、後日職場でUSBメモリーにコピーするとか、現像して渡すとかできるのだが、中には“知り合いの知り合い”とか“通りすがりの人”とかに頼まれて撮った写真もあり、これは一体どうすればよいだろうと、あとでいつも悩む。頼むほうもどういうつもりで頼んだのか…。

先日、そんな話を仲間内でしていたら、「撮られるのが好きなんじゃないか」説が出てきた。

確かに、日本でも子供の集団とかにカメラを向けると、「撮って、撮って」とカメラに群がっている情景が浮かぶ(自分もやっていたかも知れない)。テレビカメラとかでも子供がカメラに映ろうとして、押し合いへし合いしながらピースしている映像が目に浮かんでくる。すると、こちらで写真撮影を頼まれるのもそれに似たことなんだろうか?

たまに、以前(数週間前、数ヶ月前)に撮影してあげた人とばったり会って、「あの写真は?」と訊かれることがある。あのぅ、どこまで私めに期待していたんでしょうか…?(現像もしておけってこと?)

2011/09/11

動画縦撮り

最近、他の人がデジカメで撮った動画を見ると、よく遭遇するのであるが、動画を縦撮りする人が増えているようだ。

動画の縦撮り、カメラを基本ポジション(横長)から90度回転させて、縦長で撮影することである(映像業界の専門用語かどうかは知らん)。

もちろん、どのように撮ろうが「正しい」「間違い」はないと言えばないのだが、縦撮りすると困るのは、テレビやパソコンのモニターで見る時に被写体が横に映ってしまうため、とても見づらいことである。

他の人が撮ったデータを集めて、動画編集をしようとした時、縦撮り映像があると、結構扱いに困る。Windowsに標準で入っているムービーメーカーでは動画も回転させる編集エフェクトが入っているが、これで横長の映像を縦長にすると、画面の左右に黒い余白ができてしまい、その前後の画像とのつながりが悪くなってしまうのである。

今のテレビは横縦比率が16:9が基本で、以前の4:3よりも横長になっているから、16:9で撮影した動画(これは静止画でも同じだが)を90度回転させると、モニター画面に大してすごく細くなってしまう。だから、私は静止画でも16:9では縦撮りを避けている(プリントするなら問題はない)。

どうも、動画を縦撮りする人というのは、自分で動画の編集をすることがない(あるいは稀《まれ》な)人ではないかと思うのである。撮った動画をテレビやパソコンモニターで確認すれば、それが見づらいことはすぐに気付く。

動画の縦撮りが、編集段階で不都合になることに気付かない理由の一つは、縦撮りをする人は自分のカメラのモニターで映像を確認する(見る)からであろう。カメラであれば、自分の見たい向きにカメラ本体の向きを回転させるので、違和感なく見られる。

携帯電話に動画撮影機能がついたあたりからは、ますます縦撮りが増えたのではないか。携帯電話のモニターはそもそもが縦長になっており、縦長で撮ることが基本の感さえある。スマートフォンが流行っているらしいが、こちらではどうだろうか。おそらく縦撮りしている人が多いと予想するのだが…。デジカメ、携帯、スマートフォンのモニターで見る限りは、縦撮りでも問題はない。

縦撮りも一つの効果としては面白い時もあるが、テレビ・パソコンモニターが横長であることを前提にすれば、やはり動画は横長に撮影するのが基本だと、私は意固地になって主張してしまうのである。

2011/09/10

計り売り、バラ売り雑考

店の人とやりとりするのは、面倒だと感じていたが、慣れればそれはそれで楽しいものでもある。

日本のスーパーでも、肉は目方で売られているが、あれは既に計ってパックされている。店員とやりとりすることはない(私はやったことも、見聞きしたこともないのだが、スーパーで「牛肉を○○グラムにパックして」と頼んだら、その場でやってくれるものなのだろうか?)。

個人商店の肉屋では今も計り売りが基本である。馴染みの店で、店員に顔を覚えてもらうのも楽しみの一つである。ただし、いつも安いのを買ってるとか、閉店前の値引きの時間帯に行くことも覚えられているだろうから、それはちょっと恥ずかしい…。

昔、駄菓子屋にはイカの酢漬けを串に刺したものが20本くらい入った箱があって、そこから1本何円という形でバラ売りしてもらった。飴玉とかガムもそういうのがあったと思う。

ちなみに、外国に行くとタバコのバラ売りを路上で見かける。マレーシアでも見たし、キルギスでも見る。

これは、1本あたりの利ざやを箱売りするよりも少し多くして、利益を積み上げようという知恵である。また、買う側も、箱でまとめて買った方が若干安くなるのだが、それだけのまとまった金はないから、1本ずつチビチビと買わざるを得ない。日本でこういう販売方法をしたら取り締まられるのではないだろうか。

tamago (卵もバラ売り)

spice (スパイスも計り売り)

思い出しついでだが、京都(だったと思う)のコンビニで、空のペットボトルを持参して、お茶をそれに注いで売ってもらうのが試験的に行われると聞いたが、あれはその後どうなったのだろう? 今の日本人はそういうのを潔癖がって嫌うか、わずかな価格差だったら新しいペットボトルのお茶を買うか…。

計り売りが基本

キルギスの商店に入ると菓子が写真のように陳列されている。

hakariuri

この中から買いたい商品を指して、何グラム買うかを指定する。写真に写っている「215」とかいう数字は1kgあたりの値段。キャンディであれば100gも買えばそこそこの量なので、20ソム(35円)程度である。グラムで指定するのではなく、値段で指定することもできる。「これを50ソム分ちょうだい」という感じ。

計り売りしているのはキャンディだけでなく、チョコレート、ビスケット、米、小麦、麺、マカロニ、砂糖などもある。バザールや露店の八百屋でも、野菜・果物は計り売りである。

計り売りは、自分に必要な量だけ変えるから便利である。じゃがいも1~2個でも買える。首都の大手スーパーマーケットチェーン店に行くと、野菜がネットに詰められて売っていて、使い切れない量で困る(じゃがいも、玉ねぎならだいぶ保つが)。

じゃがいもを1~2個でも買えるとは言ったものの、実際に店で少量だけ買おうとすると、店のおばちゃんから「?」という顔をされるのも事実である。現地の人は大体「キロ買い」をするから、何十グラム単位で買うのは珍しいのだろう(向こうは面倒くさいのもあるかも)。

スーパーで店員とやりとりせずに、自分でパックを買い物かごに入れるだけの買い物は「楽」でよいが、計り売りを介しての店員とのやりとりも「楽」しい(どちらも「楽」である)。

2001年9月11日

人類史に残る(であろう)事件・出来事が話題になる時、「あの時、どこにいた?」という話はよく出ると思う。1945年8月15日の玉音放送、今年の3月11日の大震災など。そして2001年9月11日は世界中で記憶されている日付である。今年はあの9月11日から10年目にあたる。

その当日、夜のテレビニュース番組を見ていたら、アメリカからの速報生中継が入り、そこからすべての放送局が臨時放送体制になった。それを見ながら「このまま世界大戦になるのでは…」と不安が襲ったが、世界大戦とは違うが、現在の世界情勢を方向付けたのは明らかにあの日の出来事だった。

その年の秋募集で協力隊に合格した私は、翌2002年4月から二本松訓練所で訓練を受け、7月にマレーシアに赴任した。その後のテロ組織掃討のための軍事作戦などがあり、正直、協力隊として派遣されるのか心配であった。

マレーシアはイスラム教を国教としている国で、多国籍軍によるアフガニスタン攻撃に関しては「同胞」としての視点から関心を持っているようであった。マレーシアでの任期中は何度か「日本は今回の戦争についてどういう立場なのだ」と質問を受けた。

9・11を機に、イスラム教に対する恐怖感が非イスラム圏では強くなったし、私自身もそういう目で見ていたのだが、マレーシアで2年暮らし、そこでのイスラム教徒の暮らしを見、イスラム教とテロを同一視するような風評には体験的に「違う」と言える。イスラム教以外の所でもテロは起こされて来たし、テロリスト本人たちは宗教的な熱意だと意識してやっているのかも知れないが、何か別の動機が宗教的な集団意識と結びついてテロリストを醸成するのだと思う。

今年は2001年9月11日から10年目になり、アメリカの諜報機関では大規模テロの計画の情報をつかんだとか、容疑者を拘束したとかのニュースが出ていた。

もし、イスラム教に基づく集団が「10周年テロ」を計画しているのだとすると、私にはつくづく合点がいかないのだが、「2011年」も「9月11日」も西暦、すなわちキリスト教の暦なのである。イスラム原理主義と言われる人々が、なぜ西暦に則って「10周年」を算出するのか…。そこには矛盾はないのかと不思議なのである。

2011/09/08

日本対ウズベキスタン ワールドカップ3次予選

9月6日にウズベキスタンで行われたワールドカップ3次予選「日本対ウズベキスタン」に関する記事が、同期のウズベキスタン隊員hoshinotoriさんのブログにアップされた。

かさぶたぶたぶ@ウズベキスタン
http://hoshinotori422.blog129.fc2.com/tb.php/279-5f5b848f

みんなで応援に行ったようですな。羨ますぃ。同期の懐かしい顔ぶれもチラホラ。日本のテレビニュースでも1秒くらい映ったとのこと。

結果は1対1。日本は先制されて追いつくという展開。いや~、ウズベキスタンって結構強いんですなぁ。格下相手だと思っていたけど、この引き分けは日本にとっては誤算なのかな? (サッカー好きの人に訊いたら、「アウェーだったから引き分けで良しじゃない」と言っていたが)

全世界で、日本代表のワールドカップ予選試合を任地で見られるのはウズベキスタンだけのはず。ウズベク隊員の皆さん、応援ご苦労さんでございました。

2011/09/07

サモワール(移動式湯沸かし器)

ロシアの移動式湯沸かし器「サモワール(самовар)」の動画。

銅の容器の中央に筒が通っており、その中に枯れ枝をくべて火を焚く。その熱で容器の中に入れた水を沸騰させる。構造はしゃぶしゃぶ用の鍋みたいな感じをイメージしてもらえばよいか…。

サモワールで湯を沸かすと、湯の味がまろやかになると聞いたが、確かに電気ポットで沸かした湯とは違うという気がする。サモワールのほうが美味しい。

キルギス語では「サモール(самор)」と呼ぶ。

帰国の際には、これを一つ持って帰りたいと願っているのだが、大きさもあるので結構難しそうであり、私にとっての悩みどころである。

キルギス料理「シャシリク」

シャシリク(шашлык)は肉を串に刺して炭火で焼く料理。元々はウズベキスタンの料理だと聞いたような気がする。ロシア語でもシャシリクはある。ロシア語辞書で「串焼き羊肉」と訳があるが、実際には羊以外にも鶏もあるし、ロシア人系のカフェならば豚もある(キルギス人カフェでは宗教上の理由で豚は扱わない)。
shashlik
鶏のシャシリクは、もうそのまま焼き鳥という感じで味わう。さすがに醤油の甘だれはないが、塩こしょうで味がついている。これとビールを組み合わせると、束の間、日本の焼鳥屋にいる気分である。
こちらでは、好みによっては酢をかけて食べる。日本の焼鳥屋で酢は見ないが、そういう食べ方をする人もいるのだろうか。
羊のシャシリクには、串の中に脂身の部分も入っていて、羊肉が好きな人にはたまらない部位なのである。独特のにおいと甘みがあり、これがどうしてもダメという「不幸」な人もいる。私はキルギスに来て「羊肉にはまった派」なので、脂身もご馳走としていただく。ジューシーな脂がポタポタと落ちるのを見ると「これ、体には悪いんだろうなぁ」と思うのではあるが…。
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2011/09/06

コムズ、ちょっと加工

我が家の弦楽器4兄弟の話題に関連するが、今、私の部屋にあるコムズ(キルギスの民族楽器)は、私にとって2本目のものである。2本目は、日本に持って帰り、そのまま自宅に置いてきた。元々、複数本は持っておきたいと思っていたのだが、来年、任期を終えて帰国する時に、それをまとめて運ぶのは難儀すると予想されるので、分散して持って帰った。

村にいるコムズ制作者に注文をして、先日、納品をしてもらった。

最初、糸巻き部の調子が悪い(きちんと固定されない)ので困っていたのだが、3日目くらいには良い状態に収まっていた。生楽器だから、使っているうちに状態が変わるということなのか…? ギターとかも、弾けば弾くほど鳴りが良くなるというが、コムズもそういう性質を持っていると思う。材料の板が、音の振動で変化するとかいう話である。

2本目のコムズの胴体部に、ちょっとした加工を施した。日本で購入してきたゴルペ版を貼り付けた。ゴルペ版とは薄い透明シートで、激しくストロークをするフラメンコギターで、爪によるボディへの傷を防ぐためのもの。1本目のコムズは結構こすって板が削れていたので、気になっていた。それに、手垢・爪垢も着いて汚れてもいたので、それも防ぎたかった。

komuz_gorpe

元々ギター用の物なので、形状をコムズに合わせてカッティング。サウンドホールも作って、いざ貼り付け。思いの外、よい仕上がりだったと自己満足していている。演奏していても気にならない。音も悪くはなっていないと思う。

キルギスのコムズチュ(コムズ奏者)から見たら邪道と言われるかも知れないが、まあ自分の趣味の世界の話だ、これで良しとする。

2011/09/05

兄弟が増えた(4兄弟に)

兄弟、と言っても人間ではない。
私がホームステイで借りている部屋に同居(?)している「弦楽器兄弟」のことである。かなり前に「我が部屋の弦楽器3兄弟」として当ブログに書いた。その時は3兄弟で、ウクレレギターコムズ(キルギスの楽器)。
このうち、コムズは3弦の楽器で、三味線や沖縄|三線《さんしん》の先祖にあたると思われる。ということで、日本に一時帰国した際に、「ならば、三線とかをキルギスの人に見せたらウケるかも」と思って、入門者用のセットを購入し、キルギスに持ってきたのである。
strings_brothers
昔、人が持っていた三線を試奏させてもらってが、その時はギターとの違い(チューニングの違いや、フレットがないこと)に対応しきれず、あまり手に馴染む感じがなかったのだが、今回、三線を購入して弾いてみると、これが弾きやすい!
おそらく、この約1年間、3弦でネックの形状なども三線と似ているコムズを弾いてきたので、指が動きやすくなっていたようである。よし、よし。
既に何度かキルギス人にお披露目の機会を得た我が沖縄三線であるが、キルギス人の興味を惹くようである。特にコムズを演奏できる人にしてみると、一見コムズに似ているこの楽器は、コムズと同じように弾けるものかと手にしたくなるようである。実際には、両者には違う所がいくつかあって、同じ様な弾き方はできない。
コムズと三線(私は持っていないし弾けないが三味線も)。これらの比較を通して、中央アジアと日本の文化的なつながりに話題が向けば、三線を持ってきた甲斐があったというものである。

2011/09/04

独立20周年式典

入学式の話をはさんで、時間的には前後するが、2011年8月31日、キルギスの独立20周年ということで、私の住むボコンバエバ村でも式典が行われた。

場所は村のスタジアム(といっても、日本の野球場のようなものではなく、陸上トラックがある運動場くらいのイメージ)。午前10時開始予定であるが、お決まりの開始時間ずれ込みで10時20分開始。20分くらいのずれであれば、まあ良い方である。

郡の長、村長などの挨拶のあと、予科練兵、婦人会、青年団、学校ごとの生徒、など30団体ぐらいが20~50人くらいのチームを作って、スタジアムを行進。

march

この行進に大して、審査員みたいな人がいて、どのチームの行進が良かったかを後で表彰していた。そういえば、8月31日前の一週間は、学校の校庭などで生徒達が行進の練習をさせられていたが、このコンテストのためだったのね、多分。

当初、あいにくの小雨で観客の出足も悪かったが、最終的には、行進の参加チームも含め、1200~1300人くらいは集まっていたのではないか(目測)。村にしてみれば、大きな集会である(夕方、テレビで首都で行われたイベントを見たら、さすがに規模が違っていて、「やっぱここは田舎村なんだな」とは思ったが)。

こういう村のイベントで、舞台の音響セッティングとかで必ず見かける男性がいて、その男性が我々協力隊員が共通で知っているある人に似ているため、「ボコンバエバの○○さん」と呼んでいるのだが、その彼はやはり今回のイベントでもいた。

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イベントのトリで歌っていたので、村の人気者なのかも知れないが、イベントのメインパート(行進のコンテスト)は終わっているので、客もほとんどが帰りはじめており、実際に聞いていたのは50人くらいか。人気があるのかどうか。でも、歌は結構うまいのだ。

みんな、聴いてあげましょうよ!

2011/09/03

キルギスの学校の制服

こちらの学校にも制服があるようである。

女子は黒のワンピースに、白いレースのエプロンみたいなのを来ている。頭にリボンを付けている子も多い。

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男子は上下のスーツ。色調はグレーだが、濃さは差がある。

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子供たちの中には、兄姉のお下がりを着ているのも多いので、寸法が見た目にも明らかに「でかすぎるだろ、それ」ということもよく見かける。どちらかというと男子に多いような。

「おさがり」以外にもうひとつ考えられるのは、制服を仕立てる時に、予め今の背丈よりも大きめに採寸しておくこと。小学生の年代だと、毎年数センチずつ背丈が変わるから、ピッタリの採寸では間に合わないし、費用もかかってしまう(大人だと腹部が横に「成長」している人もいるようだが…)。

制服といっても、色とかが決まっているだけで、よく見るとそれぞれの服はデザインが異なる。授業が始まるようになると、制服で通い続ける子供たちもいれば、私服で来るようになる子供たちもいる。その辺も、特に強く校則で決まっていないようである。

2011/09/02

新学期、入学式。

こちらは9月が年度の始まり。学校は9月1日に始業式を迎える。新一年生にとっては、この日が入学式である。

学齢前は、私の配属先の障害児者センターに通っていた子供のうち、何人かが新一年生として入学式を迎えた。その式に出るため、ショーラコル(配属先の名称)のスタッフも学校を回っていた。私は写真撮影を頼まれ、随行。

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こちらの入学式は校庭で行われる。日本だと、(私の学校時代の経験では)、体育館に椅子を並べて式をしていたと思う。今日見た学校では校庭でやっており、来賓以外は子供も付き添いの保護者も立ったままでの参加であった。雨だったらどうするのだろうかとは思う。

もう一つ、日本の入学式と違うと思ったのは、全校生徒が入学式に参加していること。というよりは、始業式と入学式が同時に行われている。私は都市部の学校であったせいもあり、入学式は一年生と保護者だけ(ひょっとしたら最上級生も列席していたかも)であった。日本でも生徒数が少ない地域であれば、全校生徒参列で新入生を迎えているのかも知れない。

こちらの学制は、日本でいう小学校から高校までが一貫しており、同じ校舎で学ぶため、この日の始業式でも、新入生の7歳の子供たちから最上級の17歳の生徒までが並んでおり、下の子は「小さぁ~」という感じだし、上の子は「でっかいのがいるなぁ~」という感じで、微笑ましかった。

だいたいが、自分の成長の過程なんて、毎日の中で意識することはないものであるが、こうして新学年に新入生を迎えると、昨年度まで一年生だった子らも、「あ、俺たち/私たち、上級生になったんだ」という気持ちから、自分が一つ歳をとったことを自覚する。今年度、最上級生になった子らも、昨年度までは自分たちの隣にならんでいた上級生がいなくなり、自分たちが一番端に並んでいる事実から、自分たちが最年長学年であり、下の生徒たちの面倒を見、手本とならなくては、という自覚が生まれる。

最上級生たちの堂々とした雰囲気に、なにやら勝手に頼もしさを感じながら見ていた。

2011/09/01

Hari Raya Aidilfitri(断食明け in マレーシア)

断食明けに関して、マレーシアで体験したことを、このブログに書いておく。

私が1回目の協力隊参加〔2002~2004年)で派遣されたマレーシアは、人口の約半分を占めるマレー系国民はほぼすべてイスラム教徒で、『コーラン』で断食をしなくてもよいとされている人(妊婦、子供、病人、旅人、重労働者など)以外は、皆、断食(マレー語ではpuasa〔プアサ〕)をしていた。

それだけに(と言ってよいのか)、マレーシアでは、断食が明けるとイスラム教徒たちは大きな祝いをする。Hari Raya Aidilfitri(ハリラヤ・アイディルフィトリ)と呼ばれる祝いが1週間続く。これは日本でいうなら新年正月にあたり、親戚や職場の同僚同士が訪問して、断食明けを祝う(この時に、お年玉のように小さな封筒に少額のお金を入れて子供にあげる習慣があったと記憶している)。

私も断食明けの祝いに、職場の同僚に同伴させてもらったが、一日に7軒くらいの家を回るのである。しかも、各訪問先でカレーをはじめとした料理を出されるので、たいてい3軒目くらいにはもう食べられない体になっている。それでも次の家に行けば、またカレーが出てくる。どの家もカレーは美味しいのだが、2時間くらいの間に4~5杯のカレーともなると、もう味わう対象ではなくなっている…。

今思えば、お茶で流し込みながらも、あれだけ食べられたのは、自分がまだ若かった証でもあるな、感慨しみじみである。いや、若かったといっても、それでも何軒目かの家では、トイレで隠れてリバースをした。そうだ。それも今思い出した。

今頃、マレーシアはHari Raya Aidilfitriを祝っている真っ最中だから、マレーシア隊員のブログを探せば、現在進行形のカレー責めの話が読めるだろう。