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2012/07/21

ラマダン

http://sky.geocities.jp/kaltimjp/ramadan.htm

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%B3

キルギスの24年度1次隊の新ボランティアの歓迎会と、ちょこっと22年度1次隊の送迎会のために、各地方で活動している隊員たちがビシュケクに集まってくれた。

歓迎会の時に誰かと話していて、「ラマダン、始まったね」と言われ、自分はまったく知らなかったのだが、どうやらそうらしいのである。

ネットで調べてみたら、今回のラマダンは西暦2012年の7月20日から8月18日までとのことである。今さら説明するまでもないと思うが、イスラム教の宗教行事である「ラマダン(断食月)」は、イスラム暦(太陰暦)に基づいて行なわれる(イスラム暦の9月)ために、西暦カレンダーだと、毎年異なる日程に行なわれる。

私はキルギスで3度のラマダンを過ごしたが、3度とも街の様子からは断食が行なわれているのかどうかが分からなかった。以前も書いたと思うが、マレーシアでのラマダンは、イスラム教徒(マレー人のほぼ全員)はかなり厳格に断食をしていた(家で軽食を取っている人を見たことがある隊員もいたが…)。マレー系の食堂は日中は営業休止になり、日没後から店を開くという感じであった。「これがイスラムの断食月か」と、間近に見て衝撃に似た感覚を覚えた。

キルギス人も宗教はイスラム教であるが、私がマレーシアで見たラマダンと比べると、「ゆるい」感じである。みんな、朝から晩まで、いつも通りに食事をしている。厳格に断食をしている人も一定数はいるようであるが、私の身近では見ない。

キルギスに来た当初、イスラム教の戒律を守っていないキルギス人たちを見て、「真面目にやらんでいいんか!」とやや批判めいた目で見ていたものだった。思えば、それは私がマレーシアで生活をした時のマレー人たちを規準にしてものを考えていたからだろう。

キルギスで暮らしているうちに、「ここの人たちがこれでいいと思うなら、こういうやり方もありなんだろうな」と思うようになった。そもそもムスリムでない部外者の私が、マレーシアのやり方が正しくて、キルギスのは間違っている、なんてことをいうのもおこがましいのだ。

他のイスラム教地域の人たちからはどう思われているのかは知らない(まあ、きっと眉をひそめる人たちが多いだろうけど)が、こんな人たちもいることで、イスラム教の中の多様性が保たれているという面もあるんじゃないか、とも思う。

【参照】

ウィキペディア 「ラマダーン」

2012年の断食月(おもにインドネシアの断食の様子)

2012/05/04

アテレコとか、字幕とか、副音声とか (2)

テレビ番組での吹き替えの話を書いていて思い出したので、マレーシアのテレビ番組について書いておく(約8年前の話だが、おそらく今も変わっていないだろうと思う)。

マレーシアの国語はマレーシア語であるが、これはつまるところマレー語である。マレー語はマレー人の母語である。マレー人以外の民族も多数いるあの国では、マレー語を母語とすると感情的な反発もあるので、マレーシア語という言い方にしているのではないか、と、これは私の推測である。

マレー人以外の民族とは、中国系、インド系、そのほかの各地の諸部族である。中国系、インド系は人口の3~4割を占めるほどであったから、決して少数ではない(地域によっても民族比率は大きく異なるのがマレーシアの特徴であった)。

そういう民族構成の中なので、テレビ番組もマレーシアで作られたものの他に、中国・台湾、インドから輸入されたものも多々流されていた。そして、それらは原語のままなのであった。というのも、原語のままでも理解できる国民が一定数いるからなのであろう。

しかし、そのままでは中国語、ヒンドゥー語を解さない人は番組を理解できないわけで、そのためにマレーシア語で字幕が表示されているのであった。これならばマレー人も内容を理解できる。

この逆の、マレーシア語(=マレー語)の番組に、中国語・ヒンドゥー語の字幕を付けていたかは、ちょっと憶えていない。あったような、なかったような気がする。

このようにマレーシア語の字幕が入っているのは、マレーシア語学習者としての自分にはとてもありがたかった。中国語・ヒンドゥー語ともに私は分からなかったので、マレーシア語の字幕を見て、それなりに内容を理解できたということと、字幕からマレーシア語の言い回しを学ぶことができた。

面白かったのは、中国語の番組に中国語の字幕が付けられていたことである。「なんで?」と思ったのだが、これは、中国は広い国で、言語も地域ごとに大別して4つくらいあるらしいのである(正確な情報ではないから数字は鵜呑みにするべからず)。いわゆる「中国語」と言っているのは北京語であって、それ以外に広東語、福建語とかあるらしいのだ。

というわけで、中国語の番組といっても、広東語で制作された番組であれば北京語の字幕を付ける、といったような配慮が必要になるというわけなのであった。

で、そのような中国語字幕の番組というのは、音声を聞くだけでは皆目分からないのであるが、字幕は漢字なので、なんとなく雰囲気が分かる(場合もある)のだった。ありがたや漢字文化(私は漢字好きなので、余計にそう思うのかも知れぬ。ただし、中国語は簡体文字といって、漢字を略式にしてしまっているのでもったいない。日本でも漢字はかなり略してしまっていて、漢字の成立が分からないようにしてしまっている。台湾は繁体文字といって、日本でいう旧字で通しているから、手で書く場合の手間はあるが、一番、漢字を大事にしているとも言える)。

キルギスでは、ロシア語の番組(いや、キルギス語の番組も含めて)にはロシア語の字幕が出ない。せめて、キルギス語の番組にはロシア語の字幕、ロシア語の番組にはキルギス語の字幕、というふうにしてくれると、ロシア語・キルギス語の学習に役立つのだが、どうもこの国ではそういうふうに字幕が役立つという感覚はないらしい。まあ、日本でも、文字放送は別にして、いちいち日本語の字幕を付けることはないのだから、同じことなのであるが…。

2012/02/24

2月22日「猫の日」とマレーシア・クチン市

2月22日は「猫の日」だったのだそうだ。猫の鳴き声の「にゃん」と「2」の語呂合わせで、2が並ぶこの日を猫の日にしたんだそうだ(ウィキペディア)。つまりは日本だけの記念日ということだ。

「猫」と聞いて思い出すのは、マレーシア時代の任地。私は2年間、ボルネオ島のサラワク州クチン市を拠点に活動していた。クチンはKuchingと書く。

クチンというのはマレー語で「猫」の意味である。正確には綴りが違って、猫のほうはkucing、市の名前はKuchingとなる。

名前自体が「猫」であるクチンには、町中のあちらこちらに猫のモニュメントがあった。

kucing1
(猫とは無関係だが、背景の建物は華人街の入り口の門である。)

kucing2
(たぶん、観光スポットの中心にある猫像。)

私が覚えているだけでも、こんな感じの像が大小5~6ヶ所あったと思う。気付かなかった場所も含めればもっとあったのだろう。

中心部からは外れるが、猫博物館もあって、そこにも配属先の遠足に同行したり、観光で来た日本の知人を案内したりで何回か行った。世界中の猫関連グッズがコレクションされていて、私の世代には懐かしの「ナメ猫」のパネルも展示されていたっけ。

そんなに猫をフィーチャーしているクチンなので、土地名の由来について、多くの人から「猫がたくさんいるからですか?」と訊かれたものだが、聞いたところでは「ロンガン」というフルーツが、現地語で「猫の眼(mata kucing)」と呼ばれるらしく、その実がたくさんなることがクチンという土地名の由来なんだとか。ただし、ロンガンは中国語だと思われ「龍眼」と書くんじゃないか? 猫の眼、龍の眼、どちらも眼に例えているのが面白い(マレーシアではポピュラーなフルーツなので、旅行する人は試すとよいだろう)。ロンガンの画像はこのあたりで。

猫と言えば、もう一つ、「猫」の芸名を持つタレントが、カンボジア国籍を取得して、カンボジア代表としてロンドンオリンピックのマラソンに出場しようとしている話題を思い出す。カンボジアのマラソン選手にしてみれば、自分たちの枠が取られるかも知れないので、気の毒なことだとは思うが、話題としては面白い。

あのタレントがなんで「猫」なのかというと…、あ、その話は協力隊ブログにはそぐわないのでやめときましょ。チャンチャン。

2012/01/22

珍しくなくなる

キルギスに渡航した直後は「え?」とか「こんなのいいの?」みたいに驚いていたことも、1年半も過ごしているうちに、そのことを意識することさえなくなるものである。

その最たるものが、「ペットボトルで売られているビール」である。

Nashe (食堂の棚に陳列されていたビール。銘柄は「НАШЕ/ナーシェ/」。
「私たちの」という意味のキルギス国産ビールである。)

まあ、最近ではビールがペットボトルに入っていることなんか、全然、珍しいとも不思議とも思わなくなっているのだが、帰国したら逆に「なんでペットボトル入りビールがないの?」となるのかも知れない。

日本でも売ればいいのに、と思ったりもするのだが、おそらく衛生上の問題でやらないのではないか? (実際、キルギスでペットボトル入りビールで当たった隊員がいた。ボトルの下に、沈殿物があったそうな…)

ペットボトル入りビール自体は気にしなくなっているが、このボトルを開ける時の開け方には、いつも気を遣っている。要は、炭酸飲料と同じで、上手く開けないと、泡が吹き出してきてしまうので、ゆっくりとガスを抜きながら開ける。

海外のビールで驚いたと言えば、マレーシアにいた時、あちらの食堂や屋台でビールを頼むと、氷の入ったコップにビールが注がれて出されていた。日本でこれをやると、「味が薄まってまずくなる」と嫌う人が多いが、私はマレーシアで慣れた。熱帯だから、ビールがすぐにぬるまってしまうわけで、氷を入れて冷たく飲むのが美味しい。

ついでに…

ベトナム隊員だった人によれば、あそこでは、一緒に飲んでいる人のコップにまだビールが残っていても(3~4口分くらい?)、新しく注ぐ前に全部、道に捨て流してしまうのだそうだ。「まだ飲んでる途中なのに…」と思うことが度々あったと聞いた。

枝豆とかから作った飲料を、ビールの代わりにして飲んでいるのも、よその国の人から見たら、随分不思議なさまに思えるかもね。

2011/11/05

滅びゆくサイ

ネットで見たニュース。

この話で思い出したが、私がマレーシアに協力隊に行った時、配属先はオランウータンの生息地として有名な「ボルネオ島」のサイのこと。

あのあたりはほぼ赤道直下で熱帯だから、動物も植物も、生物の種類はとにかく多種多様である。ただ、ご多分に漏れずというか、ボルネオでも人間が森林を伐採するなどして、生物たちの生息地がなくなり、多くの生物種が絶滅の危機に瀕している。オランウータン、象、猿(オランウータンとは別の)などと共に、サイも絶滅危惧の仲間に入っていた。

ボルネオ島がある島は、マレーシアとインドネシアに分割されていて、マレーシア側のことをボルネオ島と呼び、インドネシア側はカリマンタン島と呼ぶ(ボルネオの中にブルネイ王国という国ある)。

このボルネオ、カリマンタンを合わせた島全土でも、8年前の時点で、サイは残り数頭だと言っていた。ボルネオのジャングルでサイの保護活動をするNGOがいたのだが、この団体の人たちでさえ、実際にサイを目撃したことはないとのことだった。だから、本当のところ、8年前のその時にすでにボルネオのサイは絶滅していたのかも知れない。8年後の今は言わずもがなであろう。

2011/10/05

日本以外では食べられている物

これ、なんだかお分かり?

セーミチキ

そう、ひまわりの種。キルギスではおなじみの「おやつ」。ロシア語で「семечки(セーミチキ)」。「種」の指小語(子供語のように言う愛称)で「おたねちゃん」とか「タネ坊」みたいな感じ。

「え~、ひまわりの種なんかを食べるの?」と言う向きもあるかも知れない。なにせ、日本人にとっては「ひまわりの種 = ハムスターの餌」というイメージが強い。

しかし、海外ではひまわりの種は人間様が普通に食べる物である。マレーシアでも食べていたぞな。マレー語では「kuaci(クアチ)」。私の場合、マレーシアでひまわりの種にはまったから、クアチという名前は忘れていないのだ。

日本にいたって、子供の頃にハムスターや栗鼠《りす》にやるひまわりの種をつまんで食べてみたことがある人はそこそこの数いるんではないか。ただ、それを食べ続けている人は皆無に近い。

セーミチキにせよクアチにせよ、ひまわりの種を食べる文化圏では、みんな手際よくそれを食べている。日本人がひまわりの種を食べようとすると、まず10人中、8~9人は両手で殻を剥こうとしてしまう。これでは時間がかかる。ひまわりの種を効率的に食べるには、片手の指で種をつまんで、歯で殻を割り、舌で実を掻き取って(あるいは唾液で粘着させて)食べる。慣れれば一粒5秒もかからずにポリポリといける。

日本人も木の実・ナッツの類は好きなはず(だって美味しいから)だが、ひまわりの種は食べないのは不思議だ。手頃で安いのに。昔、某コンビニチェーンで、ひまわりの種にチョコをコーティングした菓子が期間限定で販売されていた。マレーシアでのクアチ体験をした後だったので、そのひまわりの種&チョコの菓子はよく買っていた。だが、ひまわりの種はやはり殻を割るところから食べるのが良い。

2011/09/01

Hari Raya Aidilfitri(断食明け in マレーシア)

断食明けに関して、マレーシアで体験したことを、このブログに書いておく。

私が1回目の協力隊参加〔2002~2004年)で派遣されたマレーシアは、人口の約半分を占めるマレー系国民はほぼすべてイスラム教徒で、『コーラン』で断食をしなくてもよいとされている人(妊婦、子供、病人、旅人、重労働者など)以外は、皆、断食(マレー語ではpuasa〔プアサ〕)をしていた。

それだけに(と言ってよいのか)、マレーシアでは、断食が明けるとイスラム教徒たちは大きな祝いをする。Hari Raya Aidilfitri(ハリラヤ・アイディルフィトリ)と呼ばれる祝いが1週間続く。これは日本でいうなら新年正月にあたり、親戚や職場の同僚同士が訪問して、断食明けを祝う(この時に、お年玉のように小さな封筒に少額のお金を入れて子供にあげる習慣があったと記憶している)。

私も断食明けの祝いに、職場の同僚に同伴させてもらったが、一日に7軒くらいの家を回るのである。しかも、各訪問先でカレーをはじめとした料理を出されるので、たいてい3軒目くらいにはもう食べられない体になっている。それでも次の家に行けば、またカレーが出てくる。どの家もカレーは美味しいのだが、2時間くらいの間に4~5杯のカレーともなると、もう味わう対象ではなくなっている…。

今思えば、お茶で流し込みながらも、あれだけ食べられたのは、自分がまだ若かった証でもあるな、感慨しみじみである。いや、若かったといっても、それでも何軒目かの家では、トイレで隠れてリバースをした。そうだ。それも今思い出した。

今頃、マレーシアはHari Raya Aidilfitriを祝っている真っ最中だから、マレーシア隊員のブログを探せば、現在進行形のカレー責めの話が読めるだろう。

2011/08/31

マレーシアも独立記念日

8月31日はキルギスの独立記念日であるが、この日はマレーシアでも独立記念日である。

協力隊で派遣された2つの国の独立記念日が、奇遇にも同じ日なのであった。ちなみにマレーシアの独立年は1957年なので、今年で54周年。

二本松訓練所でマレー語の語学研修の担当をしていただいた先生が、「独立の時、お父さんに肩車にしてもらって、周りの大人たちが『ムルデカ(merdeka)! ムルデカ!』と言っていたのを覚えている」と幼少時の思い出を語って下さっていた(merdekaは「独立」の意)。

そういえば、日本には独立記念日というのはない(建国記念日はあるが)。独立というからには、他国から支配を受けていた訳で、独立記念日の有無はその国がたどった歴史が反映されている。

ことのついでという訳ではないが、キルギスの隣国ウズベキスタンも8月31日が独立記念日である。ウズベキスタンも旧ソ連の一員だった国だから、独立記念日がキルギスと同日になったのは奇遇ではない。ウズベキスタンも独立20周年。

2011/06/22

派遣国の印象それぞれ

青年海外協力隊は、年に4回に時期を分けて派遣が行われる。これを「隊次」と呼んでいる。以前は、1年に3隊次だったが、現在は4隊次になっている。

3ヶ月ごとに新隊次が出発していく。3ヶ月ごとということは、日本だとほぼ春夏秋冬のそれぞれ四季にあたる。一方、派遣先の国は、緯度・標高などの関係もあって、四季がない国もあれば、ある国もある。

前回派遣されたマレーシアは、赤道近くに位置するために一年中夏のようなところで、季節といえば雨季と乾季の区別があるくらいだった。雨季はやや涼しくなる感じだった。

キルギスの場合は四季がある(春と秋は短く、夏・冬が長い印象である)。協力隊員にとっては、どの季節に赴任するかで、見る景色、感じる気温・陽射しはかなり異なる。特にキルギス(おそらく隣国のウズベキスタンも)は冬の寒さと夏の暑さのギャップが大きいので、隊次によって到着直後の印象はだいぶ異なる。

例えば、これは私が自分のホームステイ先を撮影したものだが、

winter_yard 
庭の景色(冬)

であるのに対して、同じところが夏になると

summer_yard
庭の景色(夏)

となるのである(別に冬は草刈りをしたわけではない。念のため)。これだけ見ても印象は全然異なる。

私は1次隊で夏に赴任したので、「暑ぃ~!」と毎日ぼやいていた。一方、冬に到着する3次隊の人たちは、寒さとともに、山が雪に覆われていることが印象に強く残るようなのである。

もちろん、一年を暮らせば四季が一巡するし、季節の変化は日々移ろいでいくから、生活していくうちにどの季節の風景も「こんなものかな」と、いつの間にか当たり前になって行き、到着直後の印象というのは固定的なものではなくなっていく。

2011/04/13

食事エチケット色々 (1)

外国へ行って気を遣うことの一つが食事のエチケットである。食事は必ずしなければいけないことだし、同時に最大の楽しみでもあるから、楽しく美味しくいただきたいのだが、これほど文化によってやってよいこと・悪いことが食い違う領域も他にないので大変なのである。

昔、伊丹十三監督の『タンポポ』というグルメをテーマにした映画で、イタリアンレストランで女子大生たちが淑女のエチケットみたいな講習で、スパゲティを食べる時にはスプーンとフォークをこれこれのように使って、音を立てずに食べるのですとお勉強している、その講習をしている隣のテーブルで、がさつな中年おやじがエチケット無視で音を立ててスパゲティをすすって、美味しそうに食べているのを見て、女子大生たちもズルズルと音を立てながら食べる、おまけに講師の先生までも真似をする、というシーンがあった。

日本人は、そばやうどん、ラーメンなど、麺を食べる時は音を立てて食べるのが普通だし、あの音をさせないと美味しくないとまで言う人もいる。子供の頃、「外国では食べる時に音をさせてはいけない」と教えられ、音を立てて食べる自分たち日本人は低俗なのではないかと疑ったものだが、欧米崇拝が今よりも色濃く残っていた時代でもあったのだろう。いまや、なんとかというスパゲティのチェーン店では、最初から割り箸が出されるほどである(以前、試しにフォークとスプーンを頼んだら、もちろん出してくれた)。

欧米文化圏では、スープを食べる時にスプーンが食器にカチンとあたる音もダメだと聞いたが本当だろうか。ここキルギスでは食事中の音に関してはおおらかである。来た当初は、どういうエチケットがあるのか分からず、おそるおそる手探りで静かに食べるようにしていたが、キルギス人たちが食器があたる音は気にしていない様子なので、今では気にせずに食べている(わざと音を立てるわけではない)。

音に関して、欧米ではテーブルでのげっぷは最大級のエチケット違反になるらしい。日本でもげっぷは基本的にはNGではないだろうか。まあ、居酒屋とかみたいな所では、みんな普通に「ゲフッ」とやっているが…。

キルギスではどうか? 答えは「ノー・プロブレム」。全然気にせずにやっている。一応、「げっぷは失礼」というしつけを受けてきた者としては、一緒に食事をしている目の前でげっぷをされると、なんか食事が不味くなるような感じがしてしまうが、向こうには悪意はない。

マレーシアもげっぷOKであった。「月賦」ではない。げっぷである。念のため。若い女性も平気でげっぷするのであるが、日本では考えられない光景であると思ったものだ。

2011/02/28

曜日の話あれこれ (キルギス語編)

前回はロシア語の話だったので、今回はキルギスの国語であるキルギス語である。こちらはロシア語よりも説明が簡潔に済む。

まず数詞(1,2,3…)があって、序数詞(1番目、2番目、3番目…)ができる。それに「日」を表わすкүнを合わせると曜日になる。

1 бир /ビル/ биринчи(1番目) биринчи күн(1番目の日)
2 эки /エキ/ экинчи(2番目) экинчи күн(2番目の日)
3 үч /ウチュ/ үчүнчү(3番目) үчүнчү күн(3番目の日)
4 төрт /トゥルト/ төртүнчү(4番目) төртүнчү күн(4番目の日)
5 беш /ベシ/ бешинчи(5番目) бешинчи күн(5番目の日)
6 алты /アルティ/ алтынчы(6番目) алтынчы күн(6番目の日)

以上、月曜から土曜まで順になっている。明瞭である。日曜日だけは「дем алыш(休息)күн(日)」と呼んでおり、「7番目の日」とは言わないようだ(俗語ではあるかも知れない)。

キルギス語の名誉(?)のために言っておくと、本来は正式な曜日名があるのである。私自身、意味は分からないののだが書いておくと、

月:дүйшөмбү /ドゥイショムブ/
火:шейшемби /シェイシェムビ/
水:шаршемби /シャルシェムビ/
木:бейшемби /ベイシェムビ/
金:жума  /ジュマ/
土:ишемби /イシェムビ/
日:жекшемби /ジェクシェムビ/

皆「~シェムビ」の語尾で終わっているのに、金曜日だけは「ジュマ」である。

ジュマと聞いて、私はすぐに思い出したことがある。私が前回協力隊で赴任したマレーシアの国語、マレー語でも金曜日は「hari Jumaat /ハリ ジュマアット/」と呼んでいるのである。ジュマ(キルギス語)とジュマアット(マレー語)は似ている。ちなみに、hariは「日」という意味。

これはアラビア語にルーツがある言葉であるはずだ。手元にある『イスラームの世界地図』(21世紀研究編、2002年、文春文庫)を参考にしてみると、アラビア語で金曜日は「ヤウム・アルジュムア」と呼ぶのだそうだ(28頁)。この呼称が、イスラム教の普及と共に各言語に伝わったのだろう。ちなみにアラビア語の意味は「第6曜日」だそうだ。これはユダヤ教の系統である影響か?

マレー語では、金曜以外の曜日もすべてアラビア語の音写が単語になっていた(例えば月曜のhari Ahadの「アハッド」)。キルギス語で金曜だけがアラビア語の音写で使っているのは、イスラム教では金曜日は集団礼拝の日と定められた重要な日であるからであろう。

曜日の呼称のような単純に思われることでも、その背景には宗教的な影響もあることがわかって面白い。

2011/02/16

そう言えば、バレンタイン・デーだった

一昨日はバレンタイン・デーだった。

周知の通り、日本でバレンタイン・デーに女性から意中の男性にチョコレートを送る習慣ができたのは、チョコレート会社のキャンペーンの成果であった。今では、意中でない男にも送るのも習慣になっているから、チョコレートの売り上げは相当なものになる。

バレンタインチョコがもらえるかと馬鹿な期待をした頃もあったが、一年に一度、たかがチョコでドキドキハラハラすることが馬鹿らしくなって、ここ十数年はまったく意識することもなく来た。強いて「バレンタイン」に関係すること言えば、私がファンである千葉ロッテマリーンズの前監督の名前を口にするくらいだった。

2/14、バレンタインのことなどまったく忘れて出勤したら、職場の人たちが「聖バレンタインの日」と言って、お互い握手をしていた。特に男女関係はないようだった。

日本では女性から男性にチョコレートを渡す習慣があることを伝えると、キルギスでもプレゼントや、カードを渡すことはあると言っていた。

確かマレーシアでは、男性が女性(妻、恋人)に花束を渡していたと思う。2/14は花束を持った男性を多く見たし、道ばたの花売りも出ていた。

考えてみれば、キルギスもマレーシアもイスラム教が主要な宗教であるが、キリスト教(カトリック?)の聖人の日を祝うというのは、ちょっと不思議な気がしないでもない。まあ、仏教・神道がメインの日本でもやっているのだから、同じようなものか…。

ちょっと気が向いたので、昨日(2/15)は配属先の障害児・者センターに通ってくる子供たち(成人も含む)にチョコを買って配った。残りは職場のスタッフへ。

そうそう、今年は私もチョコをもらった。キルギスの協力隊の女性隊員から。もちろん「義理チョコ」であったことは言うまでもない。

2011/01/28

こぼれ話 (お茶の話⑤)

こちらの人が飲むのは、日本語で「紅茶」と呼んでいるお茶。ロシア語だとчёрный чай(黒いお茶)である。キルギス語でもロシア語を流用して使っている。

日本人が飲む緑茶は、зелёный чай(緑のお茶)で同じ。

こちらの人はお茶に、(日本人から見ると)大量の砂糖を加えて飲むのが普通である。マレーシア人も同じだった。マレーシアでは、茶には最初から砂糖が入れられているものだったが、キルギスでは各人で好みの量をとって入れる。

とにかく砂糖は多い。小さじに山盛りで2杯は普通。3杯目を入れて、「3杯も入れるの?」と思っていると、4杯まで入れている人を見たこともある(職場の人)。話ながらやっているから、自分が何杯入れたか忘れていたのだろうか。

他の国の隊員も、お茶に関しては色々とカルチャーショックを受けるものらしい。もっとも代表的なのが、上に書いた「大量の砂糖投入」。そして、私には経験がないのだが、「砂糖以外のものを入れる」というパターンもある。モンゴルではお茶に山羊の乳と塩を入れて飲むと聞いた気がする。南アジアのほうではバター茶なるものがあるとか。

そうそう、マレーシアでは紅茶にコンデンスミルクを入れて攪拌《かくはん》して飲む「テー・タリック(teh tarik)」というのがありましたな。インド系の人から伝わって、マレーシア中で飲まれている。

日本人は緑茶に何にも入れないのが普通だから、他の文化圏の人たちの飲み方には驚かされる。緑茶って、何かを混ぜるのに合わないのだろうと思うが、どっこい、マレーシアでは緑茶にも砂糖を入れて飲んでいた。キルギスでも緑茶レモンティーが売られている(砂糖入り)。最初の頃は、結構がっかりしたものだが、慣れるとそういう味を欲するようになってくるから、人間の好みなんてものは環境によってどうとでも変わるもんなんでしょう。

(タイトル、お茶だけにこぼれるという洒落だが、分かってもらえたかどうか…。)

2011/01/19

マレーシアでの蚊との攻防戦 ④ (室内編)

「寝てる時に蚊がブゥゥンて来るの、嫌だよね」という話をマレーシア人にしたら、マレーシア人の知恵を教えてくれた。

寝ている時の蚊が嫌なら、①電灯を付けたまま寝る、②キパスを回したまま寝る、とよいという話だった。

電灯をつけておくというのは、明るい所では活動しない蚊の性質に合致する。電気代がもったいないのと、明るいと寝られないという人には不向きであるが、私は何度かこれで蚊の羽音から逃れることができた。

「キパス」とは、マレー語で「扇風機」のこと。冷房はどの家にもあるという物ではないが、キパスはどの家にも必ずあった。特に、天井に備え付けられているキパスは、日本人の私にとっては、なんか南国のゴージャス感があって好きだった(私の家にはなかったが)。

キパスを回しておくのは、風を送ることで蚊が寄って来づらくするためだ。これもよく使った手である。なにより、夜も暑い国だったから、キパスを回すのは暑さ対策にもなるのであった。

同期隊員の一人は、天井キパスが付いている部屋に住んでいたが、夜、回していたキパスが外れて、寝ている所へ落ちてきたと言っていた。ブーメランみたいな物が飛んで来るんだから、一歩間違えば大けが、あるいはそれ以上のことにもなりかねない話だった。

そういう話を茶飲み話のように話すところが、いかにも協力隊員なのであった。

(「マレーシアでの蚊との攻防戦」シリーズ、終了)

2011/01/18

マレーシアでの蚊との攻防戦 ③ (室内編)

マレーシアでは、私は家を借りて一人暮らしをしていた。マレーシア隊員のほとんどは一人暮らしだった。今もそうかどうかは分からないが、キルギス隊員は半数以上がホームステイ暮らしだから、派遣国によって隊員生活も色々であることがわかる。

私の借りた家は、窓に網戸が付いていたので、それでだいぶ蚊の侵入は防げていたが、それでもゼロというわけにはいかない。出入りの際のドアの開け閉めでも入ってくる。蠅も同様。

蚊は暗くなると活発になる性質があるので、日があるうちは飛び回ってはいない。薄暗くなり始めるとともに動き出す。

また、色が黒いっぽい物に寄っていく性質もある。これらの性質は、蚊が外敵から見つかりにくくするために獲得したものだと思う。ある時、あかるい部屋の中で黒っぽいかばんを見たら、そこに蚊が何匹もじっと止まっていたので、この性質を確認できた。

つまり、彼らは電灯を付けているうちはじっと待機していて、消灯して暗くなるとやる気を出すようにできているのだ。

そんなふうに室内に入ってしまった蚊への対策として、私が先輩隊員から聞いて実践していたのは、たとえば、朝の出勤時に、殺虫スプレーを部屋に撒いて家を出るのである。あるいは、寝室にも寝る3時間くらい前にスプレーをしておく。これで室内の蚊・蠅は駆除していた。

マレーシアにも蚊取り線香があり、寝室で焚いて寝たことがあるが、煙くて喉を痛めるのと、服に煙のにおいが染み付くので数回でやめた。

殺虫スプレーは自分が家・部屋を空けているいる時に撒かなくてはいけない。でなければ自分も殺虫剤を吸い込んでしまう。一吹き、二吹きで部屋の蚊を一掃してしまう強さだから、どれほど強い殺虫力なのかと思う。そういうのを吸ったらどうなるのか心配になって、現地の医師に「殺虫剤って吸い込んでも大丈夫なものですか?」と尋ねたら、殺虫スプレーを故意に吸って自殺する人もいるくらいだから、吸わないように気を付けなさいと言われた。この話は妙にリアルで驚きがあった。

マレーシアで覚えた殺虫スプレー作戦は、帰国後に日本でも使っていた。今年の夏はキルギスでも使うことになるだろう(スプレーは既に購入済み)。

2011/01/17

マレーシアでの蚊との攻防戦 ② (屋外編)

蚊の発生を抑えるために、地域全体に殺虫剤を撒くのはケミカルなやり方だが、もっとローテクで地道なやり方もあった。

草刈りである。

熱帯では、放っておいたらどんどん草が伸びる。「伸びる」だけでは言い足らない。「のび~る、のび~る」とストレッチマンがストレッチパワーを溜める時のかけ声のように、とにかく伸びる。

草がほうぼうから伸びて藪になると、そこが蚊の棲息場所になるので、草を刈って蚊が住めなくするわけだ。

草刈りの仕事は、おそらく低賃金労働だと思う。金属の棒の先に、ひも状のプラスチックがついていて、それがモーターで勢いよく回る。その勢いで草をバシッバシッとちぎっていく。炎天下だから、立っているだけでも体力は消耗する。そういう中で黙々と作業をしている男達をよく見かけた。

草刈りをするのは町だけである。町だってすべてをカバーできるわけではない。町から離れたら、道の両脇は熱帯の木・草が生い茂っていて、ひもプラスチックの草刈り機で太刀打ちできるものではない。当然、そういう所は人口密度も低いから、マラリヤなどが伝染する率も低い。とんとん、というところか。

jungle

2011/01/16

マレーシアでの蚊との攻防戦 ① (屋外編)

マレーシアは熱帯の国で、日本人から見れば年中夏みたいな所だった(「だった」というのは、私はかつて住んでいたが、今は住んでいないから)。

年中暑い所では、蚊も年中活動している。マレーシアに限らず、ある範囲内の緯度の地域では、蚊が媒介する病気がいくつもあって、そういう地域へ行く協力隊員は、蚊に刺されないよう特に説明と注意を受けるのである。

蚊が媒介する病気の代表はデング熱、マラリヤなどで、熱帯地域ではそれらの病気で死ぬ人が毎年必ず出ている。だから、国や自治体としても、蚊の駆除の施策をとらなければならないことになる。

マレーシアでは、急に家の外に真っ白な煙が立ちこめることがあった。その地域に殺虫剤を一斉散布していたのである。予告なく始まるので、気づくのが遅れて窓を閉め損なうと、殺虫剤の煙が屋内にも入ってきて、人間様も殺虫煙を吸わされるはめになるのであった。

この、地域一斉殺虫剤散布の光景は、シンガポールに行った時にも同じようなのを見た。赤道近辺の他の国ではどうなのだろうか? 蚊を駆除しようというのは分かるのだが、あんなに殺虫剤を撒《ま》いて、人の健康への影響はないものかと思ったものだ。

2011/01/03

キルギスの年越し③

(②から続き)

0時になると、通りでは、各家庭が事前に買い込んでいた花火を上げはじめる。ロケット花火や、打ち上げ花火、音がピィピィするものなど。打ち上げ花火なぞは、日本では一般人が店頭で買うことはできないと思われるような大きなのが上がっていた。

日本では当然、そんな花火を町中で打ち上げることはできないだろう。日本は木造建築が多い所ので、こんなふうに好き勝手に花火を上げていたら、必ず火災に発展するケースが出てくる。キルギスは基本的には土で家を建てているから、火の粉が降ってきても火災になる心配はない(そう言えば、村の中で消防局は見たことがない)。

ただ、餓鬼(あえてこう書かせてもらう!)が打ち上げ花火を人に向けて来たのは怖かった。大人は誰も注意せず。頼むよ、ホント!

筋違いの通りからも、ずっと離れた通りから花火が絶え間なく上がっていた。この光景を見て、私はマレーシアで迎えた新年を思い出した。マレーシアは華人も多くいることもあって、こういう祝祭の時には爆竹・花火の乱れうち状態となっていた。

私がいた2003年には、火災のもととなるので、爆竹・花火は禁止とのお達しが出ていたが、みんな普通にパチパチ、ドンドン鳴らしていた。

私事だが、昨年はオーストラリアいる友人に会いに行き、シドニーで年越しをした(のを思い出した)。観光船などの船着き場になっている所で仕掛け花火が上がっていた。こういうのは日本でも流行っているじゃないだろうか? カウントダウンイベントで、よく花火が上がっている映像を見る。

ひとしきり(10分ほど)花火をすると、近所の家の中に入っていき、そこで食事と酒がふるまわれた。続いてその隣の家にもお邪魔して、同様に食べ物と酒。この時点で食べ物はもう喉を通らないほど満腹になっていた。酒は注がれた分は飲まないとしつこく「飲め、飲め」と言われるので、飲まざるを得ない。

こうして自宅に戻ったのは1時。年明けと同時に近所同士が互いの家を訪問するというのは、何となく楽しかった。

その後、床についたが、0時前に1時間半ほど寝てしまったのと、中途半端に酒を飲んだせいで目が冴えてしまった(酒は微量だと覚醒作用もあるでしょ?)。電子辞書の小説を読みながら、しばらくすると眠りに落ちていたようである。

それにしてもこの日だけで相当な量を食べたので、胃腸はもたれていた。それと酒。キルギス人たちの飲酒文化については、あらためて別に書くつもりである。