2011/03/31

職場も春の準備

お隣りウズベキスタンの同期隊員(看護師)のブログを読んでいたら、暖かくなったので病院敷地内に木を植える作業を(病院スタッフ総出で)した、という記事があって、こちらと似ているなと思った。

かさぶたぶたぶ@ウズベキスタン
http://hoshinotori422.blog129.fc2.com/blog-entry-205.html

うちの職場も、先週金曜日に同じようなことをした。

オフィスの敷地にごみを溜める大きなごみ箱(日本語でなんて呼ぶのだろう?)がある。普段は、オフィスのごみはそこにどんどこと投げ入れているが、それも一杯になり、処理をしなければならなくなった。

燃えそうな紙や木くずの類は燃やしていた。当然、ペットボトル、ビニールも火にくべる。石油製品が燃えるときの独特のにおいの煙が立ち上っていた。今、日本の都会じゃこんなにおいを嗅ぐのはできないが、昔は結構道ばたで、たき火をしている人がいて、ビニールごみなんかも一緒に燃やしていたものだった。そんなことを思い出しながら、私も一所懸命にペットボトルに火が回るように火の番をした。

oosouji3

燃やせない空き缶や廃電球はどうするかというと、オフィスの敷地を出た道路の脇に大きな穴を掘り、

oosouji1

そこにごみを放り込んで、土をかぶせる。

oosouji2

「ああ、途上国はやっぱひどいね~。ごみの処分もちゃんとしてないんだから…」と思いつつ手伝っていたが、いやちょっと待てよ、日本は余所様《よそさま》のことを言えるだろうか、と思い返してみた。

日本なら、大抵の所で自治体が決まった曜日にごみを回収してくれる。我々の「意識」も高くなっているから、生ごみ、プラスチック、ペットボトル、スチール、アルミ等々を分別して回収日に出す。家に溜まった紙くずやペットボトルをたき火にくべている人や、家の前の道に穴を掘ってごみを埋めている人はいない(まあ、そういう人もいなくはないけど…)。だから、我々の住む町は、キルギスと比べたら全然ごみが少ない。

しかし、その先の、私たちが見えない所では集められたごみ達が燃やされ、そのうちの燃え切らない物などは、さらに別の場所に積み上げられていく。そうして日本人は「夢の島」を作ったではないか。

キルギスのごみ処理の問題は確固としてある。それはそれで、この国が解決しなければ課題である(ごみ処理のシステム確立、住民の意識変革)。しかし、それはキルギスや発展途上国だけの問題ではない。

海外に行ってそこの生活様式を見ると、ついついその土地独特のやり方・問題だと錯覚してしまうが、大抵は自分の所でも同じようなことをやっているし、類似した問題も抱えている。生きるために食べ、食べれば出すのは、どこの人間だって同じようにするということだ。

「隣の芝生は青い」は、マイナス面のことについても当てはまる。言うなれば「隣家の出すごみは多く見える」というところか。

さて、この大掃除で屋外の大ごみ箱はきれいさっぱりとしたが、またごみを溜めていけば数ヶ月後には一杯になる。今度はどこに穴を掘ることやら…。

2011/03/30

春の徴《しるし》

3月中旬から、加速度的に暖かさが増してきている。この春一番の蠅を発見したことを書いたのが3月19日。出現する蠅の数は確実に増えている。

さらに私が見つけられた変化としては、ミツバチも登場。いよいよ、蠅と蜂の競演が始まり、あの鬱陶しい羽音に悩まされる季節がそこまで来ている…。

一匹ではあったが、蟻も見かけた。マレーシアは一年中夏だったから、蟻は一年中活動していたし、その種類もたくさんであった。キルギスは、気温がマイナスになる場所だから、蟻たちは巣穴で越冬して、その間は姿を見ることがなかった。彼らも春を告げる生き物の代表だろう。

村内を飛んでいる鳥も、1ヶ月前には見かけなかったようなのがいるのに2~3日前に気付いた。コンパクトデジカメで鳥を撮影するのは、結構、難しいのであるが、何とか撮影できたらブログにアップしよう。鳥好きの友人もこのブログを見ている(かも知れない)ので。

さて、春の到来を告げるものの中で、一番インパクトがあったもの。

shaved_sheep

ホームステイ先の家で飼っている羊。何気なく柵の中の様子を見に行ったら、なんか、いつもと違って貧相な感じになっていた。一瞬、状況がつかめなかったが、毛を刈られていることにすぐに気付いた。

ちょっと前までは

hitsuji

こんな感じ(↑)で、モコモコとした毛皮で暖かそうだったのだが、

shaved_sheep2

大人の羊はみんな毛を刈られていた。寒い時季に毛を刈って、羊が体調を崩すことのないように、暖かくなったタイミングで毛を刈るのだろう。これを「優しい」と言っていいものなのかはわからんが…。人間でも、髪を切って風邪をひいた話はよく聞くしね。

よく見ると、毛を刈られた黒羊の右に移っている白い子羊(こちらは毛は刈られていない)も、毛皮の分のかさはあるが、大人と同じくらいの大きさになっている。年越しの前後に生まれていたはずだから、3ヶ月弱でここまで大きくなったのだ。

それと、茶色っぽい毛皮の羊も、毛の根元近くは黒っぽい色だというのも発見した。確かに、子羊は真っ黒(奥側に1頭映っている)だから、どうして茶色になるのかと思っていたが、根元は黒いままだと分かった。太陽光線の影響か何かで色が茶色になるんだろうか? (人間でも、夏場は陽を浴びて、自然に色が茶色っぽくなるという人に会ったことがある)。

刈られた羊毛は、洗った後でフェルト生地に加工されて、カーペット、壁掛けなどの原料となる(それを専門にやっている隊員が同じ村にいるから、そのうち、写真を撮らせてもらってアップしたい)。

貧相な 羊見て知る 春到来

…お粗末。

2011/03/29

【ネットニュースリンク】シリア情勢

シリアの情勢がますます緊迫しているようである。以下、ネット(Yahoo!の海外ニュースで検索)に27、28日くらいに出ていたニュースのリストと、一部抜粋。

●シリア、48年間続く非常事態令を解除か
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110327-00000439-yom-int

●シリア「鉄の支配」にほころび 「反アサド」デモ全国拡大
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110327-00000558-san-int

だが、25日にはダルアーへの連帯を訴えるデモが全国の都市に拡大。各地でバース党事務所が放火されたり、大統領父子の肖像が破壊されたりしたのは、デモが「改革要求」から「政権転覆」へシフトしていることを強く印象づけた。

 シリアは「良くも悪くも地域のキープレーヤー」(外交筋)であり、アサド政権が揺らぐ事態となれば、「力の均衡」が破れてレバノンやパレスチナ情勢の流動化につながりかねないとの見方も出ている。

●シリア、デモ先鋭化 「政権転覆」叫ぶ住民
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110327-00000086-san-int

●反政府デモ続くシリア、大統領の地盤都市に軍部隊投入
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110328-00000775-reu-int

=======================

チュニジアを発端とした、エジプト、シリアなど中東諸国での反体制運動と政権転覆の動きは、イスラム圏の政治体制が大きく変わることになり(それ自体が良いか悪いかの判断は保留するとして)、今後の国際政治に大きな影響をもたらすことになるだろう。

2001年の9・11で、世界情勢が大きく変わったのと同じように、2011年も世界史において印象深い年になりそうだ(特に日本人にとっては、1995年の阪神大震災と同様、大きな震災に襲われたとしても記憶に残っていく)。

2011/03/28

単位のマジックと錯覚 (2)

単位が変わると言えば、海外生活では必ずついて回るのが現地の通貨単位である。

キルギスの通過単位は「сом(ソム)」と言う。お隣りのウズベキスタンは「сум(スム)」だったはずで、語源的に同じなのだろうと推測できる。最近の為替レートでは、1米ドル=47KGS(キルギス・ソム)で推移している。計算してみると、1ソムは大体1.75円くらいになる。

カフェ(日本で言うレストラン)で1回食事をすると、70ソム程度だから120円ちょっとである。日本円で考えると、とても安く食事ができていると分かる。キルギスに来た当初は「安い、美味い」と言ってはしゃいで食べていたものである。

ところが、現地に来て2~3ヶ月も経つと、その120円が高く感じられるようになってくる。いや、「120円」と聞けば安く感じるのだが、「70ソム」と聞くと高く感じるのである。1食120円なら、3食とも外食でも良いくらいだが、現地の人の生活を見てると、70ソムの食事をするのも贅沢に思われてくる。

文房具やらお菓子やらを買う中で、段々とその国の物価事情が分かってくる。そうすると、どのくらいの金額までは日常的に取り交わされていて、どれくらいからは買うかどうか躊躇する額だというのが感覚的に入ってくる。逆に、そういう感覚が入ってこないと、平気で高価な買い物ばかりをして、村の中ではちょっと目立ってしまうことになる(それは防犯の観点からは危険なことだ)。

そもそも、村では金を使うような場所がそれほどない。その反動とも思わないが、所用で首都に行ったときは、村で買えないような物を買ったり、カフェでの食事も平気でしてしまう。2,000ソムくらいの金が、3日くらいで消えてしまうから信じられない話だ(酒を飲むのが一番金を食ってるな。反省……しません!)。

首都にいると市内をタクシーで移動することもままある。こちらはメータータクシーは普及していなくて、毎度値段交渉をしなければならず、正直、私にとっては気が重いのである。「○○まで70ソムで行ってくれる?」と尋ねると、「おいおい、○○まで70ソムで行ける訳がないだろう。150ソムだね」、みたいなところからスタートし、100ソムあたりで手を打つという感じである。

こういう交渉において、私のような弱腰の人間にとっては、「円で考えれば、10円、20円の違いだ。この辺りで妥協しても構わないな」という判断でもって、値段を決めることになる。ところが、同じ協力隊仲間の中には、頑として最後の10ソム、5ソムのところまで交渉し切る人もいる。

そういう人と一緒にタクシーに乗る時は、値段交渉は向こうに任せることにしているが、端から見ていても喧嘩になるんじゃないかと思うくらいのやり取りをするのである。「ああ、自分には到底ああいう値段交渉はできない」と尊敬(?)のまなざしを向けると共に、私の脳裏をかすめているのは、「でも、10円多く払うかどうかの話なんだよなぁ…」ということである。

 

それを言っちゃあ、おしめぇよ。(寅次郎)

単位のマジックと錯覚 (1)

ネットを見ていたら、ある時を基点にどれだけ時間経過したかを表示してくれるガジェットを見つけた。

早速、自分がキルギスに到着してからのカウントアップタイマーを「ガジェット集」のページに設置してみた。今、これを書いている時点では238日が経過したことになっている。

約240日。しかし、「240日」ってどうもピンと来ない。普通、それは「8ヶ月」と言うもので、日数で示されても聞き慣れていないからなのだろう。使い慣れない単位になると、人間の感じ方は変わってしまうものなのだ(時間量としては(ほぼ)同じことを指しているのに!)。

以前、航空機の輸入かなにかの会社の人の話で、1兆円くらいまでの桁を見ればすぐに分かるとのことだった(例えば、54,000,000,000を見て、すぐに「540億円」と言える)。1機数百億円の物を扱っているから、そういう数字に見慣れているということなんだろう。これは桁数の話だけれど、「億単位」「万単位」という言葉あるように、やはり単位と関係がありそうなことだ(私などは「万単位」にも行かず、「90分3,500円食べ飲み放題」という単位に馴染んでいるが…)。

2011/03/27

日本語が分からない人は大丈夫だろうか…?

震災の状況が毎日変わる中で、被災地にいる「日本語が分からない人」たちはどうなっているのか、とふと思った。日本に在留しているキルギス人の多く(関東圏に住んでいる人?)は、キルギス政府が用意したチャーター便で帰国したと聞いた。

そのように、自国政府から避難のための支援がある人はいいが、そうでない国の人もたくさんいるだろう。また、日本人であっても、日本語が分からない人も被災者の中には含まれているはずだ(例えば、日本人と結婚して日本にいるが、配偶者が震災で亡くなってしまったとか、海外で育った日本人とか)。

そういう人たちは、必要な情報が伝わっているのだろうか?

関東では計画停電が実施されて、地域ごとに何時から何時まで停電になると予告されているらしいが、言葉が分からなければ、いつ停電が実施されるかが分からないかも知れない。食料・水などの配給も、(現地がどうなっているのか知らずに書くのだが)どの時間にどの場所へ行けば良いのかなど、分かるだろうか。福島に在住の人の場合、避難勧告・指示が出たことを知る術はあるのだろうか、等々、おそらく現実にはもっと細々としたところで情報不足で困っているのではないかと心配になる。

被災生活の苦労と比べるのはナンセンスではあるが、「言葉がよく分からない」という状況に関しては、私自身も現在味わっているから、多少は想像が及ぶのである。

職場に出勤してみたら、休業日になっており、オフィスが閉まっていたことがある。前の日までに誰も知らせてくれていなかったから、私は知らずに行ってしまった。終業時間が近づいたので、帰る支度を始めていると、「今から○○の誕生日会をするから残れ」と言われたこともある。そうと知っていれば、ホームステイ先に夕食は不要だと伝えられたのに。

ある情報を知らない者にとっては、「自分がその情報を知らない」こと自体が、容易には気づけないものなのだ。

まあ、私が経験したことなどは直接命に関わることではないから、後で笑い話にすることができる。しかし、被災地で情報が不足することは、場合によっては健康を害したり、安全を損なってしまう危険もあると思う。

言葉が分からない時、私たちがするのは、周りの人の動きに合わせることだろう。もし私がそういう状況(言葉が分からず、避難生活をしている)にいたとして、多くの人が列を作って並んでいるとしたら、「あ、食料か水の配給だ」と解釈して、自分も列に並ぶと思う。しかし、列の先に進んでみたら、それはトイレの順番待ちだったとしたら、食料を期待して並んでいた時間は無駄になってしまう(その間に配給が終わってしまったら、さらに悲しいことだ)。

避難所だけに限らず、東京など都市部でも計画停電、ペットボトル水の配給などが行われているようだから、上に挙げたような例はあるんじゃないか。海外にいて何もできない自分が言うのは差し出がましいが、もし隣近所に日本語の分からない人がいたら、大事な情報は手振りや絵でもいいから伝えていただきたいとお願いしたい。
(ここでの生活でも、そうしてほしいと思うことが、ほんとに多々ある…)

安否確認ガジェット

Googleが提供している、被災者の安否を確認するサービスにつながるガジェットをブログのページ内に設置しておく。

このブログから知人の安否確認をしようというケースはまずないだろうが、ネット上でこういう情報も扱っていることを知る機会くらいにはなれば、と。

1週間程度、置いておく予定。

2011/03/26

短波放送、深夜によく入る

・短波ラジオ…夜中2時がいい
NHKが海外向けに短波放送を流している。一日の中で決まった時間に日本語の番組が流れる。

短波放送受信用のラジオを購入したことはずっと前に書いた。大震災が発生してからは、日本の状況を知りたいから、受信を試みることが多くなった。短波放送は、いつも同じ状態で聞こえる訳ではない。日によってはまったく電波が入らないこともある(天候が関係しているんじゃないかと思う)。

先日、たまたま夜2時まで起きていて、日本語放送がある時間だったのでダイヤルを合わせて見ると、今までで一番受信状態が良かった。日本でAM放送を聴く時もそうだが、ラジオ電波は夜のほうが遠くまで届くようである。

日本とキルギスの時差は3時間(キルギスのほうが後)だから、こちらで夜の2時に聴いているのは、日本では朝5時の番組である。「おはよう、朝一番」というタイトルだったか…。日本で聴いていた時と同じオープニング曲が流れていて懐かしかった。向こうは朝の番組として放送しているから、アナウンサーが「全国の皆さん、おはようございます」などと言うのを、深夜の暗闇の中で聴いていた。

なにぶん深夜2時なので、そこから1時間聴いたとすると3時になる。平日は9時から仕事があるから、毎日聴く訳にはいかないが、週末などで翌日が休みの日や、たまたまその時間まで起きているような時には聴くことが多くなりそうだ。

2011/03/25

協力隊のいる国でも色々と起こっている

3/11以降のニュースへの関心は、当然ながら東日本大震災のことである。これは私ばかりではないだろう。日本人のほとんどはそういう状態であると思う(国内にいても、国外にいても)。

大震災のニュースに関心を向けている間に、協力隊に関連した国でも動きがあった。

ひとつはシリア。40年に渡って政権を独占してきた大統領一族に対する不満のデモが起こっているようだ。

●デモ弾圧で100人超死亡か=独裁体制への抗議、全土に拡大も―シリア
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110324-00000152-jij-int

数日前、シリアでのデモに関した最初のニュースに気付いた時には、治安部隊との衝突だかで4人が死亡したとあったが、今日のニュースでは100人になっている。これはかなり大きな動きが出てきているのではないか(もちろん、死者が一人だとしても、その「一人」になった本人や家族にとっては大変なことで、「4人」だから大したことがなく、「100人」だから大変だというのは嘘になろう。しかし、全体的な動きとしては、数字で見ざるを得ないこともある)。

シリアにも協力隊が派遣されている。個人的にも、前回の協力隊の時の仲間が、現在はJICAのシリア事務所で働いているから心配である(その人は、たまたまであるが、今回の反政府デモが始まった町にいたとのこと。その時は小さな運動だったそうだが、それがこんなにまで拡大している)。

派遣先の国で危険が高まった場合、「国外退避」となるケースもあるが、今回のシリアはどうなるのであろうか…。

もう一つ、アフリカのニジェールという国で、こちらは既に国外退避となってしまったそうである。この国の場合は反政府デモではなく、テロ等の発生の危険度がかなり高くなってしまったためとのこと。何かあってからでは遅いから、国外退避という判断をしたのは仕方がなかっただろうが、それにしても、任期を残して帰国することになった協力隊の人たちにとっては残念な結果となったのではないか。

私の同期(22-1)はまだ活動任期が1年以上残っているから、それぞれの技能が活かせる別の国が見つかれば再度派遣し直されるチャンスがあるようだが、中には残り数ヶ月というところで日本へ帰国となってしまった隊次もいるはずだ。う~ん、悔しいというか、残念だろうと思う。

故郷に帰ってホッとできる反面、気持ちの切り替えは結構大変なんではないか。気持ちの面だけでなく、日本での再就職の活動も、始めなくてはならないから、スケジュール的にも慌ただしいかも知れない。現職参加の教員や民間企業の従業員も、予定より早く帰国してしまったのだから、職場に戻るタイミングをどうするのか問題になることがあるはずだ。

思えば、私たちの隊次(22-1)がキルギスへ来る際、国内情勢の問題があって、ひょっとしたら派遣が中止になるかもと危惧していたが、結果的には1ヶ月遅れで渡航できた。そうやって、日本からの出国が遅れるケースがあるかと思えば、日本への帰国が早まるケースもある。政変などは突然発生するものだから、予測はできない。

既に国外退避となっている協力隊員、これからそうなるかも知れない隊員、それぞれが次に進む道が見えるようになることを願う。

2011/03/24

今日も祝日、ですか…

キルギスは、本日、3月24日も祝日。

これは、2005年に、当時の大統領を政権から追放する抗議行動を行なった「チューリップ革命」を記念した祝日とのこと。

祝日で仕事・学校が休みになるのは、キルギスでも日本でも嬉しいことだが、革命ごとに記念日を祝日にしていたら、昨年の4月に起こった政変も祝日になるのだろうか?

職場の同僚は、「4月には、去年の革命の記念日が休みになるぞ」と笑いながら言っていたが、冗談なのか本当なのか分からぬ。

伝統を継承するための祭

ノールズ(イスラム新年)のフェスティバルでは、村の有志グループ(?)による歌・ダンスの披露の他に、キルギスの結婚式をデモンストレーションする出し物もあった。

他の村から花嫁がやって来るという設定のようで、花嫁が風船とリボンで飾った車で連れてこられる所から始まった。車の後ろには、-遊牧民らしく-、馬が伴走して隊列を作っている。

wedding_demo (1)

おばちゃんたち(「おばあちゃん」と呼んでもよさそうな年輩のお姉様がた)が、「花嫁が来たよ~。みんな、飲んで、食べて、お祝いしましょ~」みたいな感じで呼びかける。すべてお芝居なのだが、観客の子供たちも呼びかけられていると勘違いしたのか、どんどん寄ってきて、ごちゃごちゃした感じになっていた(ほどなくして、会場整理にあたっていた警察官が「こら、下がれ!」と叱りつけていたが、そもそも子供たちが中に入れてしまう程度にしか制御していなかったんだから、会場整備係である自分たちの落ち度であろうに…)。

wedding_demo (2)(白い布をかぶっているのが、デモンストレーションのおばちゃんたち。どんどん子供が寄ってくる。)

言葉を理解しきれていないので、本当の趣旨は分からないのだが、私の理解としては、こういう大きな祭の時に、自分たちの伝統的な風習を再現して、若い世代にも「ああ、こんな感じでやるんですね」ということを伝える意味があるのではないか。

それは私の深読みで、やっている村民たちは、祭の出し物の一つとして楽しんでいるだけなのかも知れない。しかし、彼らが意図しているしていないに関わらず、こういう形で風習・習俗を再現しておくことは、大切なことだと思う。

どこの文化においても、昔は当たり前にやっていたことが、様々な事情(過疎、政治的な禁圧、価値観の変化等々)で行われなくなり、廃れてしまうものがある。その文化集団の知識・技術は進歩していくから、何百年前のやり方をいつまでも継承するのは不合理なのは当然である。古来のやり方が廃れていくのは、仕方がない面はある。

しかし、時が経てば何でも進歩するかというと、必ずしもそうではない。関西に住んでいた頃、何度か、奈良国立博物館で行われる正倉院展に行った。正倉院の宝物《ほうもつ》は天皇に献上された物だから、当時の最高級品である。当時の最高級品であるだけでなく、現在でも最高の素材・技巧として通用する物だ。

資料を読むと、どのように製作したのか分からない物も多々あるとのことだった。1300年前の人に作れた物が、現在の技術では再現できないことがある。宮大工の世界でも、そういう話がたくさんある。ある時代から、技術が継承されなくなったために、どういう技術でそれを行なったのか、今では分か風習というのも同様で、らなくなってしまったのである。

すべての技術を継承し続けるのは現実的には無理だし、意味はない。それでも、昔の技術がいつか役に立つこともあるかも知れないから、何らかの形で技術が再現できるようにしておくべきだと私は思う。結婚式などの儀式も同様で、どこかで継承が中断されると、あとの世代はそれを再現するのが難しくなる。儀式には宗教的な意味や、集落の結束を促すような機能が込められていることがあるから、細々とでも継承しておくのが望ましいと思う。

フェスティバルの出し物の一つであったが、結婚式の様子が再現されているのを見て、そんなことを考えていた。

イスラム新年のフェスティバル

  昨日はイスラム教の新年で祝日だった。

村では、スタジアム(競技場)でフェスティバルがあると聞いていたので、足を運んでみた。10時からと聞いていたが、定刻に始まるとは思わなかったので、11時にスタジアムに行った。

Noryz1

結構な人手であった。1000人以上は人がいたんじゃなかろうか。人口1万2千人ほどの村にしてみれば、大イベントである。

会場は、いくつかのセクションに別れていて、店が並んでいるコーナー、伝統的な遊びをやっている所、バレーボール大会をやっている所などがあった。

Noryz2

大グラウンドがメイン会場になっていたようで、観客が見つめるその先は

Noryz3

こんな感じで、高校生からちょっと上くらいの年齢の若者たちの出し物をやっているのであった。村内の演芸会としてみれば、みんな、お上手であった。

2011/03/22

絨毯掃除用ローラー

イスラム教の新年を迎えるにあたって、家内の大掃除があったと書いたが、掃除といえば紹介しておきたいアイテムがある。

IMG_0117

 

絨毯《じゅうたん》を掃除するための道具で、裏は

IMG_0118

このようになっている。

これを絨毯にあてながら一定方向に動かすことで、毛くずの類を絡め取ってくれる。溜まったごみは蓋を開けて、ごみ袋にあければよい。

電気不要で、思った以上にごみの回収力がある(もしくは、私の部屋が汚いか…)。

キルギスはどこの家でも絨毯がある。電気掃除機は高価だからなかなか買えないが、このローラーなら安いし電気も使わなくて済む。日本でも探せばあるのだろうが、こういうローラーよりも電気掃除機でやったほうが速く効果も高く掃除ができるから、わざわざ使っている人は少ないのではないか。

こういう道具にも、その国・地域の生活環境が反映しているものだ。

2011/03/20

ノールズ(イスラム教新年)

明日3月21日はイスラム教の新年にあたるそうで、キルギスでは「ノールズ」という祝日になっている。

イスラム教の新年というのが、どうしてこの時期にあるのか、よく理解していないのだが、おそらくイスラム暦の新年なのだろう。ということは、西暦のカレンダー上では毎年変わってくるはずだ。有名なイスラム教の断食月も、西暦カレンダーでは毎年異なる時期に行われているが、それもイスラム暦と西暦で一年の数え方がずれるためだ。

新年を迎える前に、家内の大掃除をするのが習慣とのことで、ホームステイ先では普段使ってない部屋、食器などきれいにしていた。私も自分の部屋を掃除しておくように言われ、部屋の中にたまった不要な書類、ペットボトルなどを処分した(紙は薪を焚く時に使うので、捨てずにおいた)。

家の人たちが布団を干していたので、私も自分が使わせてもらっている布団を干した。そう言えば、ホームステイでお世話になってから一度も布団を干していなかった。半年以上。それでもダニ・ノミは発生していなかったのは、寒さと乾燥のおかげではないだろうか。

これからは暖かくなるので、ダニ・ノミが発生しやすいかも知れないので、布団干しの頻度は増やす必要があるかもと思う。

2011/03/19

春と言ってもいいでしょう

ブログの話題が地震のことばかりとなって、生活の様子を書いていたなったが、村はますます春めいてきている。

今週は寒さがぶり返して、真冬に逆戻りしたような日もあったが、日本でも「三寒四温」と言うように、冬から春に移るときはこんな感じなのであろう。人間は暦なんてものを考え出したから、ついつい「何月」とか「立春」とかで区切りを考えてしまうが、昨日から今日で「はい、今から春になります」なんてことはないわけで、寒さと暖かさを行ったり来たりしながら、季節は移っていく。

前にも書いたが、虫たちの活動が活発化してきている。暖かくなって羽化が進むのだろう。村で見かける鳥の種類も、1~2ヶ月前と比べると多くなったような…。それは気のせいだろうか? 種類は増えていないかも知れないが、さえずり声は確実に多く聞くようになった。

fly
(蠅ちゃん。まだ動きは鈍い…)

配属先のショーラコルでも、暖かくなったためなのか、子供たちを湖のビーチに連れて行き、半日そこで遊んできた。

lake1
(今はまだ水が冷たいが、夏は泳ぐこともできる)

lake2
(ビーチでの昼食)

地震から1週間

東北太平洋沖大地震から1週間が経過。

思えば、先週の金曜日、同じ任地の隊員から「日本で大きな地震があったらしい」と電話をもらって、おおかた「震度5の揺れで、一部交通期間が運行停止」の話だろうと高をくくってニュースサイトを開いたら、とんでもない事態が発生していたのだった。

まずは自分の家族への連絡。数時間連絡が取れず、現地の状況が分からず心配したが、私の実家のほうは停電によって連絡が取れない状態だったと後で分かった。その後は被災が伝えられた地域の友人・知人に連絡を試みた。

今考えると、ああいう緊急事態の時に、家族以外の者が安否を尋ねるというのは控えたほうが良かったのかも知れないとも思う。こちらにメールを返すだけでも貴重なバッテリーを消費してしまう。ただ、向こうから返信がなくても、とりあえず「誰かがその人のことを気にかけている」というメッセージを送ることは意味があるのかな、とも思うし・・・。

身近な人の安否が確認できると、当初の動揺した感じは治まって、今も被災の真っ只中にいる方々には申し訳ないが、海外にいる私としては震災に対して距離を置いた感じでニュースを見るようになって来た。その後も続々と入ってくる被災地の窮状や、原発の放射能流出の問題など、状況は深刻化しているのは理解しているが、肌身ではその深刻さが沁《し》みていないことに、つくづく自分の限界を感じる。他の人はどうなのだろう…?

現在、キルギスにいる隊員とのやり取り、各国で活動中の同期隊員のブログを読むと、「日本に帰って、被災者支援にあたるべきでは」と思うところから、「今、自分に与えられた使命は、派遣先でできる限りのことをすること」と考えるようになっている人が多いように思う。私自身も、今は自分の活動先・居住する村で活動を進めるのが、協力隊員としての第一義だと思うようになった(もちろん、家族が大きな被災をしていたら判断も変わったはずで、その場合は帰国することになっただろう)。

テレビでは引き続きこの震災のニュースがトップ扱いである。映像がかなり衝撃的なので、そのことも視聴者をひきつけている可能性もあると思う。津波の威力があれほど鮮明な映像で記録されたことはなかったのではないか?

今は、原発の状況に対する関心がメインになっている。こちらで見ているニュースはロシアから配信されているもので、かの国はかつてチェルノブイリで大事故を起こしているから、余計に原発事故には敏感なのかも知れない。福島・茨城で教員として働いている友人がおり、彼らは避難者受け入れのために職場に寝泊りしているようである。原発の状態悪化への不安もあるだろう中で職務に専念する友人たち、その他にも救助隊、食糧配給係等々、被災地で働く人たちに敬意を表したい。特に、福島原発の現場で爆発の恐怖と背中合わせで、大惨事を食い止めようと奮闘している作業員の方々には、私ごときがかける言葉はないが、がんばっていただきたい。

2011/03/16

ITの発展と災害(2)

ITが発展・普及することのメリットがある一方、デメリットについても考える。

今回のような災害では停電は不可避だと言える。福島原発の損壊の影響で、電気供給量が需要に対応しきれず、設備にダメージがない地域でも計画停電が行われているとのこと(余談だが、キルギスでは元々の発電能力が低いためか、時季によっては、災害でなくても計画停電が行われている)。

今、我々がもてはやしているITなるものは、そのどれをとっても電気なくしては成り立たないものばかりである。ITは「Information Technology(情報技術)」の略だが、ここでいう情報技術というのは、主にコンピュータによるものを指していて、伝書鳩や糸電話なんかは含んでいないわけで、電気がなければ何もできない技術だということになる。

これがITの最大の弱点だ。

さらに、ITに関しては、それを利用できるかどうかは個人差が大きいという問題もある。前回は「携帯は一人一台の時代」と書いたが、実際にはそんなことはない。私の周りではほぼ100%持っていたが、携帯もパソコンもないという人はいる。そういう人たちは、年齢が高くなるほど多いはず(子供も自分専用の端末は持ってないが、親・きょうだいが持っていれば、間接的に利用できる)で、よく言われることだが「情報弱者」になってしまう人たちである。

携帯・パソコンを持っていたとしても、それを使えるかは別の問題としてある。技術が高度化・多様化すれば、その操作を覚える側の負担は増える。平時であれば、それを覚えて携帯の機能を使えるようになることは、達成感もあり楽しいことだが、緊急事態の時に、パスワードがどうのとか、cookieの設定をしろだとか、いちいちつっかえるようでは使い物にならん。

災害時においては、最先端のITよりも古い技術のほうが使いやすい面がある。その代表がラジオ。ポケットラジオなら、乾電池だけで聴ける。それだって電気だから、電池が切れたら使い物にならないのだが、今は手動発電で聴ける災害用ラジオも売られている(といっても、自分が買ったことはない…)。

ラジオに関して気になるのは、ここ最近は建物の建材がラジオ電波を通しにくいとかで、都市部ではラジオ電波の難聴世帯が増えていて、それへの対策として、民放ラジオ放送局はウェブ上で同時放送するようになってきている(radikoなど)。最近見たニュースでは、NHKも近く、ウェブ放送を開始するとのこと。

ラジオ好きの一人としては、ノイズが少なくきれいな音でラジオが聴けるのは嬉しい(radikoはよく利用していた)が、ウェブラジオが普及しすぎて、電波ラジオ向けの放送というのが縮小されてしまうことなないのかが心配である。例えば、電波中継用の基地局を暫時減らしていくとかみたいなことはないのだろうか、と。

ウェブでラジオを聴くということは、パソコンを使うわけで、ラジオ受信機と比べたら消費電力も多くなる。災害とは関係ないが、これも省エネには逆行してる。今は、ラジオも聴ける(FM放送)携帯電話も出ているから、その辺がこの問題への対処となるのだろうか?

前回書いた通り、ITによって災害時の連絡が取りやすくなったというメリットはある一方で、電気が取れなければ何もできないという弱点もある。災害時の避難グッズには安価なポケットラジオを入れておくなど、ITとアナログ技術の二段構えにしておくというのも必要なのかもしれない(現在、避難生活をされている人にとっては、のん気すぎる内容で申し訳ない…)。

2011/03/15

【東日本大地震】 ITの発展と災害(1)

前回(2002年)協力隊参加時の同期で、福島在住の知人から仲間あてに無事を知らせるメールがあった。「断水・停電が余儀なくされる生活となるが、命があったことを感謝し、協力隊時代の経験を活かして、この苦境に臨んでいきたい」という内容の一文を読んで、かえってこちらが勇気づけられた。

仲間の中には神戸大震災を経験した人もいて、その当時の恐怖、避難生活での苦労の経験から、今回の被災者へ思いを寄せていた。

神戸大震災に触れたメールを読んだこともあってか、ふと思ったのだが、15年前と今回の大震災を比べると、安否確認のためのツールは増えているのではないだろうか?

15年前はまだWindows95が使われていた時代。今から見たら、マシンのスペックはとても低いし、ソフトウェアも限られていた(私は当時も今も変わらずにトランプゲームをしているが…)。インターネットをするのも、まだまだ特別なことだったし、やっていたとしても電話のモジュラージャックでの接続だった。携帯電話はぼちぼちと普及し始めていた頃だっただろうか。

今や携帯は一人一台と言ってもいいような時代。その携帯でメールもできる。今回の地震でも、おそらく携帯で安否確認を取れたケースが相当数であったと思う。

そして、もう一つ当時と違うのは、ウェブメール(あるいはフリーメール)。無料でウェブ上でメールアカウントを持てるサービスが、誰でも利用している。特に協力隊のように、海外で生活する者にとっては、世界中のどこでも共通で使えるメールアカウントは大変に重宝するのだ。私も使っているし、協力隊の利用率はほぼ100%だろう。

それまではプロバイダから提供されるアドレスしか持っていなかったものね。ほんと、便利になった。

ウェブメールのもう一つの利点は、ユーザー名とパスワードさえ入れれば、インターネットにつながっているどのパソコンからでも利用できることだ。プロバイダからアカウントの場合、大抵は特定のパソコンで送受信設定して使っていたから、そのパソコンが故障などで使えなくなると、それまでの受信データとかもすべておじゃんになる可能性が高かった(皆さん、バックアップは定期的に!)。

ウェブメールでは、パソコンがどれであろうとログインの方法さえ忘れなければ使うことができる(皆さん、ログインパスワードの控えは忘れずに!)。

ウェブメールが普及し、一般化したことで、今回のような被害の中にあっても、どこかでネット接続(携帯電話、インターネットカフェなど)さえできれば、自分宛のメールを確認できるし、自分からメールを発信することもできる。

このように、IT(情報技術)が発展・普及したことで、このような大災害時における連絡手段の選択肢は増えたのではないかと思う(この想像は間違えているかも知れない。携帯やウェブメールで連絡することの問題も指摘されている、あるいはされてくる可能性があるから、私としては注意してニュースを見ておきたい)。

ただし、ITのおかげで災害時の情報伝達も便利になった、良かった良かった、とメリットばかりでもないと思うので、問題であろうことも考えておきたい。(以下、次回)

2011/03/14

【東日本大地震】 海外でも関心は高い

日本で起きた大地震とその被害。こちらでは引き続きテレビニュースのトップ。

私はネットでニュースを日本語で読んでいるが、テレビニュースでは日本のテレビ映像を流しているので、津波の様子や、火災、原発の爆発などを映像で確認できる。

何度見てもすさまじい。

キルギスは中央アジアの国で、海はないから、津波は「ツナミ」としてそのままニュースで使われている。ロシアは海があるが、こちらも同様に「ツナミ」という単語を使っている。前から聞いていたが、津波は国際語となっているのを実感。これだけの水の威力については、ビッグウェーブとかいう言葉ではなく、新しい言葉と結びつけたほうがイメージが明確になるということだろう。

町ごと津波にのまれて行方不明者が1万人の地域があるなど、何が起きたのか想像もつかない話が次から次へと飛び込んできている…。

2011/03/13

キルギス人の気遣い

今回の東日本地震は、こちらのニュースでも引き続きトップで扱われている。

昨日の夜から今日にかけて、職場の同僚達が電話をしてきてくれた。「お前の家族は大丈夫か?」と。ニュースを見て・聞いて、すぐに「うちの職場の日本人」と連想して、連絡をくれたのだと思う。

職場でスケベ話しかせず、「こりゃダメだ」と思う所が多い人から、真っ先に電話があった。

いつも携帯電話のクレジットがギリギリで、今回も話している途中で切れてしまったスタッフもいる(こちらから「家族は無事。ご心配ありがとう」とSMSを送信しておいた)。

現在、村ではなく首都のほうで仕事をしている職場のトップも連絡をくれた。

普段は、常に円滑に仕事が進むわけはなく、仕事のパートナーとしては色々とがっかりすることもある人たちだけれど、こうしてすぐに連絡をしてくれたことはありがたかった。

ホームステイ先の家族も、ニュースの時間は優先的にチャンネルを合わせてくれ「ニュースの時間だよ!」と声をかけてくれる。

もちろん、日本から遠く離れて暮らしている彼らに、今回の地震で直接的な苦痛はない(今のところ、家族・友人の被災の知らせがない点で私も同じだ)。しかし、同じ村で身近に住んでいる日本人(私)に声をかけ、家族の心配をしてくれることで、彼らがこの地震で被害に遭っている日本人と日本を心配し、励まそうという善意を示してくれていると思う。

おそらく、今回の地震に関して、この村にいるキルギス人が今できることって、そういうことなのだ。

被災されている方が、このブログを読むとは到底思えないのだが、キルギスのこんな小さな村の人たちも、日本のことを心配してくれていることは書いておこうと思った。

2011/03/12

月の接近が関係あるのか…?

地震の被害が拡大している渦中に、場違いな記事と誹《そし》りを受けるかも知れないが、この地震の発生の2日前にたまたま読んでいたネット記事のことを思い出し、たまたまブックマークしていたのでブログに貼り付けておく。

3月19日、19年ぶりに月が地球に最接近! 「地震や火山活動を引き起こす」という説も
http://rocketnews24.com/?p=79206

この記事を読んだからといって、「月の接近で大地震が起こった」ということにはならないだろうが、一つの要素として覚えておいてもよい話だと思う。月の引力で、潮の満ち引きが起こるのだから、マグマの類も何らかの影響を受けたとしても不思議ではない。

家族・友人への安否確認

昨日は、日本の家族との連絡が取れず、eメール、スカイプで繰り返し連絡を試みていた。

まずきょうだいの一人の携帯に連絡が取れ、無事であることを確認。ただし、交通機関が全面麻痺のため、職場に取り残されている状態とのこと(いわゆる「帰宅難民」状態)。そのきょうだいも実家の電話、家族の携帯に連絡が取れないとのことだった。

実家の電話に何度かけても「この地域の電話は大変つながりにくくなっています」との自動応答メッセージが続く。そのうち、ニュースで大規模な停電が起こっていると分かり、当面は電話での連絡はあきらめて、時間をおくことにした。

その間、こちらのテレビニュース(ロシアから配信のニュース番組)を見たら、30分番組のうち前半15分は日本の地震に関するニュース。あんな津波の映像、これまで誰も見たことがなかったんじゃなかろうか。車や家が、海水浴の時の浮き輪のように浮いて流されて…。あの中にどれだけの人がいたのか…。おそらく、その衝撃もあって、映像が繰り返し流されていた。ロシアの大統領が日本への支援を送る旨、発表もしていた。

結局、私の実家と連絡が取れたのは日本時間22時過ぎ。停電自体はその2時間前に復旧していたとのこと。最初に連絡が取れたきょうだいは、あいかわらず職場に取り残されていた。

太平洋側に住んでいる友人へもメールし、こちらも生存を確認。

おそらく、被災が報じられていた地域のキルギスの他の隊員、いや全世界の派遣中の隊員も、私と同じような感じだったのではないか。確率論的な言い方で無神経かも知れないが、三千人を超える協力隊がいることを考えると、家族・友人が被災した隊員もいると予想される。国外にいてすぐに駆けつけられないもどかしさと悔しさを感じているはずだ(もちろん、協力隊だけの話ではない。日本国外で暮らしている人はたくさんいるし、日本国内でだって家族・知人と連絡が取れずに不安な気持ちが続いている人はいるのだ)。

被災地域の皆さんへのお見舞いを申し上げると共に、まだ家族・友人へ連絡が取れていない方々が一刻も早く連絡がつながることを祈っている。

2011/03/11

ニュースのトップで日本の地震

こちらではネット経由で文字情報しか入っていませんが、日本で発生した大地震について、ロシアから配信されているニュースでもトップで扱われています。

すでに死傷者、行方不明者、建物倒壊、交通機関・ライフライン停止などの被害が出ているようですね。

外国にいて、状況が分からないのが一番もどかしい。

Spring has come. - 春到来 - (2)

昨日、職場から帰る時、壁に動くものを見つけ、

spring1

よく見たらそれは、

spring2

一匹の蠅であった。

そう言えば、日本語には「啓蟄《けいちつ》」という言葉がありましたな。まさにそれを実感。

がんばって羽化したとはいえ、まだ寒いのは現実。この蠅の動きもかなり鈍かった(虫は変温動物だったよね?)。

もう一つの「春」は、村の中を流れている用水路が復活したこと。

来た頃(夏)は水が流れていたものの、おそらく冬場の凍結に備えて、いつの頃(11月下旬くらい?)か上流のほうで水が止められて、水のない状態であった。

それが、ちょうど蠅の登場とタイミングを一《いつ》にして、水門が開けられたらしく、水が流れ始めた。これも春到来の徴《しるし》だと思う。

Spring has come. - 春到来 - (1)

バコンバエバに春が来た。

春到来の話をする前に、まず、2週間前にさかのぼった話から。

2/26、この村では珍しく雪が降った。量的にも、バコンバエバでは多い方であったようだ。

snow1
(朝起きると、既に雪が積もっていた)

snow2
(犬も餌を探せない様子…)

snow3 
(村のモスクも雪化粧。勝手に風情を感じていた)

この時期に、しかも普段は雪が降らない村で雪が降るのは、大気の状態が変わってきているからではないかと、素人考えで思っていた(こちらのテレビニュースでも天気予報はやっているが、高気圧だの低気圧だのという解説はないし、あっても聞き取れない。日本のお天気お姉さんは親切だね)。

そんなことを思いながら雪の上を歩いていたのだった。実際、雪は1月にスキー場で見て触れた雪よりも水っぽかったし、午後から陽が差すとどんどんと溶けていった。

その後、1週間、首都ビシュケクに行っていて、その間、ビシュケクも寒さが和《やわ》らいでいるのが感じられた。

そして、村に戻ってから、昨日、ついに春の訪れを発見した。

2011/03/10

【国際カンファ体験記】Cell Phoneは鳴り続ける

今回の国際カンファレンスに限ったことではないが、キルギスでは我々日本人が思う所の「携帯マナー」というのは皆無である。公式行事の場であろうと、映画・演劇の鑑賞中であろうと、公共交通機関の中であろうと、とにかくどこでも携帯電話はなる。

今回のカンファレンスでも、ご多分に洩《も》れず、海外からのゲストがプレゼンテーションをしている最中でも携帯電話が頻繁に鳴っていた。

我々協力隊員は、活動期間の2年間は携帯電話が貸与されている。これは、緊急時に連絡を取ることが目的であるので、電源は常にオンにしておくことになっている。カンファレンスでも電源はオンにしていたが、私は「サイレントモード」にして、着信があればバイブで知らされるような設定にしておいた。操作で言えば、4回くらいボタンを押せばできることである。しかし、こちらの人はそのようにサイレントモードにすることはない。

着信音(これがまた派手な音楽だったりする)がジャンジャカ鳴って、慌ててかばんの中から携帯を取り出して、「電源を切るのだろう」と見ていると、迷いもなく「アロー(もしもし)」と話し始める。ここまで堂々とやられると、それがマナー違反だと思う自分の認識自体を疑ってしまうほどである。

私のブログに限らず、世界各地で書かれている協力隊員ブログで「いつでもどこでも携帯で電話をする」というのは、定番ネタになっている。ということは多くの国で、日本人とは異なる携帯マナーがあるということだろう。

日本のマナーと違うからダメだ、という論法で物事を判断しないほうがいいと思っている。ある意味では、日本の携帯マナーは神経質すぎる点もあると思う。しかし、会議の最中、劇場の上演中にも電話が鳴るというのは、マイナスのほうが多いと言えるだろう。プレゼン発表者側も聴衆側も気が散るではないか。

日本なら、開始の前に主催者側から「携帯は電源を切るか、マナーモードに設定をお願いします」とアナウンスがされると思う。でも、日本以外(少なくともキルギス)では、そういうことを気にしない文化もあるんだなと、多少イライラもしつつ、断続的に鳴る誰かの携帯の着信音を聞いていたのであった。

2011/03/09

【国際カンファ体験記】PCウィルス、ありあり

前のブログの続きで、来場者からファイルのコピーを頼まれて、USBメモリーを渡されたときの話。

USBメモリーをパソコンに挿した途端、パソコンウィルスの常駐監視ソフトが「ピコン!」とウィルスを検出。ロシア語で書かれているので詳しくは分からないが、おそらく「トロイ型のウィルスソフトが検出されました」みたいな警告が出ている。

「削除」を選んで処理をする。すると、続けざまに同じような警告が出る。それを削除しても次から次へと…。

「あなたのUSBメモリーにPCウィルスがたくさんありますよ」と伝えると、「そうなのよね~。いつも入っているのよ~」みたいなお返事が。危機感に温度差がありすぎ。協力隊の中にはコンピューター関連の職種もあって、そういう隊員たちも日本との危機管理の違いをよく話してくれる。

実際、そういうウィルスでパソコンが動作しなくなるとか、ハードディスク内のデータがすべて盗まれるとか、そいう被害を受けるまでのことはない(自分のパソコンを持っている人は少ない上、インターネットに接続する環境を持っていないのが普通である)から、ウィルス検出ソフトが「ピコン!」「ピコン!」と警告を出しても、「いつものことだ」と受け流している。

ウィルス感染したUSBメモリーをあっちこっちで使うことで、自分が他の人のパソコンにもウィルスをまき散らしているという罪悪感もない。

PCウィルス感染は、パソコンがある所では必ず起こっている。パソコン操作に詳しくない隊員の中には、もろに被害を受けて、データをダメにされた人もいる(ウィルス対策ソフトを入れていなかった、定期的なウィルスチェックをしていなかったなどが原因)。

ウィルス対策ソフトは、無料のものもあるので、ちゃんと対策をしていない方は、今すぐにでも導入をすべきである。以下はソフトを紹介をしているサイトのURL。

8 Марта - праздник

Сегодня, 8ое марта, было праздник. Это - “День Женщины”.

Я не знал, что есть такой праздник. У нас нет такого праздник в Японии.

В 3е марта, есть “Хина-Мацури”. Мы празднуем развитие девочки.

2011/03/08

3月8日は「女性の日」、知ってた?

本日、3月8日は「国際女性の日」なのだそう。キルギスでは祝日となっている。

「日本も3月8日は休みか?」と訊かれ、日本にはそういう祝日はなく、私はそういう日があることを知らなかったと答えると、相手は意外な顔をする。

この日が祝日になっている、または、祝日とまではならなくても何らかの祝い(プレゼント贈呈とか)をする国・地域はほかにもあるのだろうか? おそらく、旧ソ連圏では共通なんじゃないかと思うのだが…。

日本ではこの時期に、3月3日の「端午《たんご》の節句・雛祭り」があるが、祝日というわけではない。雛祭りは女の子の成長を祝うものだから、それに近い3月8日には注目がいかないのだろう。それに、3月14日は「ホワイトデー」なるもので、男性から女性にプレゼントを贈る日として慣例化している。3日と14日にはさまれた8日は、なおさら日本では定着しづらい。「3日と14日に女のための祝いをしているのに、さらに8日を追加すんのか!」と。

今年の3月8日は火曜日にあたっており、日曜日と祝日にはさまれた7日の月曜は、(案の定)職場は休みとなった。それを知らずに出勤したら、警備のスタッフから「今日は仕事休みだよ。明日も祝日だから、次は水曜日だよ」と教えてもらった。

日本も、祝日と祝日にはさまれた平日は「国民の休日」として祝日にするという法律が何年か前にできた。そのおかげで5月4日は毎年必ず休日になるようになった(その法律ができるまでは、5月3日が日曜日とかぶって、振替え休日にならないかと、新年のカレンダーを手にするとまずは確認したものだ)。でも、さすがに日曜日と祝日にはさまれた月曜日までは休みにはしていない。

そこまで拡大したらきりがないっちゃあ、ないのだけれど、そういうノリで仕事を休みにするのが普通の文化もあるということは、日本人も知っておいて良いだろう。別にどちらが良いとも、私は思わぬ(休みが多い方が嬉しいのは事実だけどね)。

2011/03/07

【国際カンファ体験記】プレゼンデータをコピー、…って、あり?

カンファレンス会場の最前列で、パソコン操作をせっせとやっていたせいもあって、来場者の何人かから「さっきのプレゼンのデータを私のUSBメモリーにコピーして」と頼まれることがあった。

こういうカンファで人のプレゼンデータをコピーしてもらうことを頼むことって、日本ではないんじゃないかな? 一応、プレゼンターの商売道具であるわけだし、複製をするというのはよくないことという通念があるんじゃなかろうか? もし頼んだとしても、プレゼンターからは嫌な顔をされると思う。

そんなことを考えていたので、咄嗟《とっさ》に私はお得意の「ロシア語もキルギス語もよく分かりましぇ~ん」光線を出して誤魔化した。「他の誰かに訊いてちょうだい」みたいな感じで。

相手も私に話しても埒《らち》が開かないので、別の運営スタッフに話を向ける。すると「今は忙しいから、あとでやります」と言って、USBメモリーを預かって、手が空いたときにコピーをしてあげていた。

ふ~ん、そういうの別に問題にならないんだな。ちょっと納得できない感もあったのだけど、そういうのが普通みたいなので、それ以降、別の来場者からも同様の依頼があったら対応したのであった。

【国際カンファ体験記】プレゼン機器操作

過日のブログに書いたとおり、3/1~3の三日間、首都ビシュケクで「障害児とその家族への支援」に関する国際カンファレンスが開催された。

私も運営スタッフの一人として数えてもらっており、「写真係」になっていると説明を受けていた。ところが、前日の運営会議では記録記録の他に、ビデオ撮影・パソコン等機材の管理も担当することになっていた。パソコンに関しては、日本語Windowsならばある程度は操作できるが、こちらはロシア語Windowsばかりなので、何か問題が生じた時の対処に手間がかかる。

実際に始まってみると、心配していたそれ以上にてんやわんやとなってしまった。海外(イギリス、オランダ、カザフスタン、タジキスタン、ドイツ、マケドニア、ロシア)からの講演者は、開始の5分前にフラッシュメモリを渡してきて、「この中にプレゼンのファイルがあるから、それを映して」と言ってくる。そんな人が2,3人まとめて来たら扱い切れない。

そんな感じでパワーポイントのプレゼンテーションデータをプロジェクターに映すのだが、ぶっつけ本番である上に、こちらは言葉(ロシア語)が分からないから、講演者の合図《キュー》に合わせてスライドを替えることになる。しかし中にはキューを出さずに話す人もいる。これが困る。

当日は、会場正面の左右に一つずつスクリーンを立て、プロジェクターでプレゼンファイルを映写していた。私はその一つを担当し、もう片方は現地の人(ロシア語、キルギス語、英語OK)が担当。その人は話の内容に合わせてスライドを切り替えられるので、プレゼンターからのキューがない時は、反対側のスクリーンのスライドが替わるのに合わせて自分も替えていた。

しかし、現地スタッフも事前の練習なしのぶっつけ本番で操作しているわけだから、当然、スライドの切り替えにミスもあった。向こうがミスをすれば、それに合わせて私もミスをする。スライドが行ったり来たり。あとで別のプレゼンターから「君らのスライドの操作はひどかったな。俺のプレゼンの時は、俺から『Next』と合図をするまで勝手にやるなよ」と言われ、ちょっとムッとした。こっちだってあんな操作で納得しとる訳ちゃうわ~い!

まあ、その高飛車だったドイツからのゲストプレゼンターのスライドは計4枚。1枚目はタイトル画面で、最後は「ご静聴ありがとうございます」というスライドだったから、実質2枚のスライド。う~ん、特に見せ場のないようなスライドだったけど、何をあんなに気にしていたんだろうか…?

まあ、その他の発表者からはおおむね感謝とねぎらいの言葉をもらえたし、充実感を味わいつつの担当業務であった。

それにしても、発表数分前にデータを渡してくるっていうのは、やっぱりナシだよなぁ。日本で講演とか発表をする機会がある皆さん、主催者側には事前にデータを渡してあげてくださいな。

2011/03/06

昔の映像はちょこまかと動く (2)

昔の映像は、今よりもコマ数を少なくして撮影しているので、それを再生すると人物などの動きが実際よりも速くなり、せせこましく見えてしまう。

1秒あたりのコマ数を撮影した時と同じにして再生すれば、あのようなちょこまかとした動きにはならないはずなのだが、それをやらないのは、おそらく、コマとコマの間の時間が長すぎると、人間はそれを動画として認識できないからだろう。

例えば、人間が歩いている所を6枚程度の連続写真で撮影する。それを0.5秒間隔くらいで表示すれば、何となく動いているように見える。しかし、1枚の写真を5秒ずつ表示すると、1枚ずつの写真として見えてしまう。

現在の撮影機器は、1秒ごとのコマ数が増えているから、きれいに動いているように見える。ところが面白いもので、現在でも、昔風の映像っぽく演出したい時に、あえて再生スピードを速めているものを見かけることがある。Windowsに付属して入っているMovie Makerという動画編集ソフトにも「スピードアップ」というエフェクトが入っており、これに「グレースケール」「フィルム時代」というエフェクトを合わせると、誰でも簡単に昔風の映像が作れる。

「ちょこまかとした動き」「白黒」「画面上のノイズ」というのは、昔の撮影機器にとっては制約であり、どんなに逆立ちしたところでそれ以上の映画は撮れなかったのである。しかし、現在においてはそれらが一つの“イメージ、符号”となっていて、最新の機器、ソフトを使って、あえてそういう風合《テイスト》の映像を作るのである。

これは一種の倒錯なのだが、イメージ(この場合は「ちょこまか動き」「白黒」「ノイズ」)というのは、一旦意味を持つと、それが人間の思考を縛るものだということがよく分かる。人間はイメージによる制約から逃れられない。

昔の映像はちょこまかと動く (1)

今、キルギスのテレビで、ロシアから配信されているドキュメンタリー番組を見ている。レーニンの映像がたくさん出てくるので、ソ連の草創期に関する内容ではないかと思う。スターリンも出ているが、内容についてはまったく理解できず…。

まあ、内容の理解については諦めるとして、ロシアのに限らず、昔の映像(映画記録)では、人や馬、車などの動きが、実物よりも速いのをしばしば目にする。例えば「明治40年頃の日本橋の様子」みたいな映像。路面電車も、あんなに速く走っていたら、避《よ》けきれずに轢《ひ》かれてしまうだろうという速さである。

チャップリンの映画も、確か、そんな感じではなかっただろうか。黒の山高帽とスーツに身を包み、ステッキを使った独特の歩き方(がに股?)をするのだが、その歩き方がより滑稽に見えるのは、映像が速く流れているせいもあるだろうと思う。

なんであんな不自然な速さになってしまうのだろう?

おそらく答えは簡単で、撮影機材の性能が今よりも断然低かった当時は、1秒あたりのコマの数が今よりも少なかったためである。映画のフィルムの実物を見たことがない人には説明しづらい話だが、動画というのは、一つひとつは微妙にことなる静止画であるものを、連続して見せることで、それがあたかも動いているもののように人間が錯覚することを利用したものである。1秒あたりに構成する静止画(=コマ)の数が多いほど、映像として動きはスムーズに見える(「ヤザワは4倍」と言っていた某メーカーの液晶テレビも、このことを言っていたのだと理解している)。

テレビ、ビデオは1秒に30コマだったはずである(ハイビジョンの規格は違うのかな?)。正確には知らないが、仮に昔の撮影機の性能が、今の1/3、1秒に10コマだったとすると、今のテレビ映像と3コマに2コマは飛ばして撮影していたことになる。

そうやって撮影したものであれば、1秒に10コマ(1コマ=0.1秒)となるように再生すれば、元のスピードを再現できるわけで、私たちが資料映像で見るようなせせこましい動きにはならずに済むはずなのである。なぜそれをやらないのか。

タイムスキップ映像(交差点)

手持ちのビデオカメラのタイムスキップ機能を使って、1コマ/5秒で撮影したビシュケク市内の交差点の映像。

キルギスは右側通行。手前に移っているのはバス停なので、バス待ちの人がたくさんいる。バス以外に「マルシュルトカ」と呼ばれるワゴン車(日本にはない形状)型の巡回ミニバスもたくさん来ている。

横断歩道がないので、道路を渡って、真ん中の所で待っている人がいるのがわかる。

2011/03/05

日本では見たことない「5Lビール」

ビシュケク滞在中に、ビシュケクの隊員仲間と家飲み会を開催。

家飲みなので、飲み物・食べ物を自分たちで調達する。午後にАламидин Базар(アラミディン・バザール)で食料の買い出し。この日は鍋パーティー企画だったので、豚肉、キムチ、ねぎ、春雨などを購入。

飲み物は近所のスーパーで買った。キルギスでは、ビールはペットボトルで売られているのが普通である。アルミ缶のビールもあるが、主流はペットボトル。今ではそれが普通と思っているが、最初は「え? ビールがペットボトルに入っている? 味はまずくならないの?」と思ったものだ。

さらに、最近知ったのだが、こちらでは5リットル入りのビールが売られている。

5L_beer

ラベルを拡大してみると、

5L_beer_label

「5л」と書かれている。これはキリル文字で「5リットル」ということ。

写真ではその迫力が伝わりづらいかも知れないが、とにかく日本ではこんなビールは見たことがないと思う。ウーロン茶とかで割って飲む用の焼酎で、これくらいのサイズのがあったとは思うが、ビールはアルミ缶で2リットルくらいが最大ではないか?

このサイズとなると、ビールをグラスに注ぐ時がひと苦労である。5キロのペットボトルを持ち上げなければならない。注ぐ方だけでなく、注がれる方をグラスを持つ角度に気を付けなければならない。双方の呼吸が重要である。

飲み進めるうちに容器が軽くなっていくのが実感され、眼前にそびえていた高い山を、一歩ずつ登って山頂に近づいていくような達成感を味わえる。これが5リットルビールの醍醐味である。

この日は途中でもう1本の5リットルボトルを購入。計10リットルを皆で達成した。さすがに2本目は時間がかかった。

この5リットルビール、1本の値段は250ソム。日本円で500円弱。

2011/03/04

馬がいるのは当たり前

道を歩いていたら、馬が草を食べていた。

すごく近い距離。触ろうと思えば触れる距離だが、草食動物のおウマさんといえど、間近で見ると大きいので、怖いものである。

こんな動物に蹴られたら、ひとたまりもないですな。昔のギャグ漫画で、馬に蹴られて人間がポ~ンと飛んでいくカットをよく見たように思うが、実際の所、あれくらいの勢いで吹っ飛んでいってもおかしくはないだろう。戦後になってもまだ馬は運搬用などに使われていたようだから、昭和30~40年代の漫画読者にとっては、「馬に蹴られる」というのは、結構、身近にある話だったのかも知れない。

もし、道ばたで草を食べる馬に遭遇したら、不要に馬の後ろに行かないように。これは大事なことであるから、覚えておいてほしい。

2011/03/03

国際カンファレンス開催

今週、3/1~3、首都ビシュケクで障害児とその家族への支援に関する国際カンファレンスが開催されている。私が配属されているNPOが、カンファレンスの運営メンバーの一員であるため、今週は通常業務はすべてキャンセルし、首都でカンファレンスに出ている。

ありがたいことに、主催者側のスタッフとして、私のような言語の不自由な者にも役目を与えてくれたのだが、言葉の分からない状況の中で、知っているフレーズと、英語(を話せる相手なら)でやり取りしながらの作業。とにかく疲れた。

同期で、別のNPOに配属されている隊員Sさんの職場も、このカンファレンスの共同開催者のようで、今週はSさんと行動をともにしている。

このカンファの詳細については後日のブログで。とりあえず、今は疲れてしまって… Zzz (_ _)

2011/03/02

再び詩の紹介

茨木のり子の詩、「自分の感受性くらい」に続く詩の紹介。

祝婚歌

吉野弘

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

この詩は、確か、作者の吉野弘氏が、姪御さんか誰かの結婚式に送った詩だったはずだ。だから「祝婚歌」。しかし結婚する人にも訴えるものがある。

私の好きなフレーズは、「二人のうちのどちらかが ふざけているほうがいい ずっこけているほうがいい」。

「ずっこけ」なんて言葉、最近は聞かないねぇ。こんなマジメっぽい詩の中に、このフレーズを入れているのは、前段で「立派すぎないほうがいい」と言っていることを、自ら実践している感じもある。

「正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいい」。そうそう。“正しいこと”を言っている時って、自分に陶酔するから、相手が傷ついていることなんて見えなくなりがちだ。自分が言っていることが“正しい”かどうかが重要なのではなく、“自分が正しい”と信じて疑わない所に落とし穴があるんだろう。

という訳で、私はこれまで以上に「立派さには色目を使わず」「ふざけて」「ずっこけ」ながら生きて行くよう、精進するつもりである。4649!

2011/03/01

曜日の話あれこれ (中国語、英語編)

曜日についておまけ程度の話を追加。

まず中国語。中国語でも、曜日を表わす単語は「星期一、星期二、…」と、月曜日から順に数字を付けて呼んでいる。日曜日だけは「星期日」となる。月曜日から、1,2,3…と順番に呼んでいくのはキルギス語とも共通している。

古来からの自国語の曜日名があったのだが、このような呼称に変わったのだと読んだことがあるように思う。植民地支配を受けたことの影響があったのではないかと想像する。

英語は月曜から、Monday、Tuesday、Wednesday、Thursday、Friday、Saturday、Sundayである。

英語の曜日名については、前々から疑問に思っていたことがあるので、今回、ブログを書くのを機会に辞書を引いてみた。私の疑問というのは、Sundayの"sun"は、「太陽、日」のことだから、そのまま訳せば「日の日」となり、日本語の「日曜日」と似ている点である。さらに、Mondayの"Mon"も"moon"(月)と似ている。もし"moon day"が語源だとすれば、これも「月の日」であり、日本語の「月曜日」と類似している。果たして、英語の曜日名は太陽や月と関係があるのだろうか?

手持ちの電子辞書に入っている『ジーニアス英和大辞典』でSundayを引いてみると、「sun(太陽の)+day(日)」が由来であると説明があった。やはり、「日の日」だったのだ。ついでに『オックスフォード現代英英辞典』でも調べてみると、ラテン語の「dies solis」から翻訳された単語だとある。昔住んでいた町にあったパスタ屋の店名が「Sol」だったから、それが「太陽」を意味するのを覚えている。

続いてMonday。『英和辞典』に「Mon-(月=moon)+day=月の日」とある。これも予想した通り「月の日」であった。

Tuesdayは「チュートン族の軍神Tues(ティウの)+day(日).Monday(Martis dies)のなぞり」(英和辞典)と説明されているが、これは意味がよく分からなかった。『英英辞典』では「ラテン語の"マルス神の日"の訳。ゲルマニアの神Tiwにちなむ」とある。

Wednesday:英和「ゲルマン神話の神ウォーデンの(Wode's)+day(日)」。英英「ラテン語の"メルクリウス神の日"の訳。ゲルマニアの神Odinにちなむ」。

Thursday:英和「北欧神の雷神トール(Thor)の日」。英英「古英語の"雷(thunder)の日"から。ラテン語の"ユピテウス(雷神)の日"の訳」。

Friday:英和「Fri-(北欧神話の女神Frigg)+day」。英英「ラテン語の"ビーナスの日"からの訳。ゲルマンの女神Friggaにちなむ」。英和の説明に「キリストが十字架に架けられた日なのでキリスト教では不幸の日とされる」。さらに"TGIF"についても触れている(この言葉は面白いので、ご自分で調べられたし)。

Saturday:英和「Satur(ローマ神話の農耕の神サトゥウヌスの)+day(日)」。英英「古英語"サトゥウヌスの日"から。ラテン語の"サトゥウヌスの日"の訳」。英和辞典には関連項目として、"Sabbath"という単語があり、それは「ヘブライ語shabbath(休息)」から来た言葉で「安息日」を意味するそうだ。前のブログ記事(曜日の話あれこれ ロシア語編)で書いた、ロシア語のсуббота(土曜日)と、ここでつながった! Молодец!(でかした!)

以上、英語の曜日名の由来。長々しくなったので、飽きた方もいるだろうが、調べている私にはたいそう興味深かった。

最後に、『英和辞典』のSundayの説明に驚くべきが書かれていたので、それを記しておく。

《米》では週の初日、《英》では週の最終日;正式には国際標準化機構の決定で第7日とされる(1971年より)。(『ジーニアス英和大辞典』)

国際何とかに基づけば、週の始めは月曜日と決まっているんだと。ホゲッ!