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2012/02/27

До свивания, село Боконбаева.

本日、配属先および任地変更にともなう引っ越しの日。

 

一昨日、昨日と、同じ村で活動してきた隊員たちと「バコンバエバ会」。この会は、この村に住む隊員同士の集まりに付けた名前(安直~)。私が引っ越した後、3月に、バコンバエバ村にいる最後の隊員が任期終了で引き上げるので、これでこの村には協力隊も日本人もいなくなる。一番多い時は4人の隊員がいた村であった。

バコンバエバ会の待ち合わせで私のホームステイ先に寄り、私の荷造り状況を見た同村隊員たちは「え~? これで明日出発できるんですかぁ!?」と私を非難せんばかりの質問をしてきたが、昨日の夜にすべてパッキングは終わったのだ。どうだ、「大丈夫」と言ったとおりだろう、エッヘン。

とは言え、荷物はやたらと多い。ステイ先の人にしてみたら、「1年半の生活でよくここまで物が増えたな」と内心思っているのかも知れない。療育センターで子供らの指導に使おうと思って、段ボールとか発泡スチロールとかをやたら集めて、それは変更先の職場でも使えるだろうからそのまま持って行く。それで大型のバザールバッグが1つ埋まった。

あとは本とかプリント類も増えていた。段ボール2箱。私は自分では服はほとんど購入しないが、人からはありがたくいただくので、これもいつの間にか増えていた。バザールバッグ1.5袋程度。これらに加えて、私の場合、弦楽器4兄弟(ギター、ウクレレ、コムズ、三線)があり、これが一つひとつは大したことはないのだが、兄弟が集まるとかなりかさばる。

とにかく、パッキングは終わった。あとはチャーターをした車が迎えに来るのを待つのみ。5~6時間後には新しい町、家で暮らし始めるのか…。新しい生活・職場への期待はあるが、慣れ親しんだこの村を離れるのは、やはり寂しいものである。まあ、協力隊は任期が最初から決まっているのだから、遅かれ早かれいつかはこの村を離れることには違いはなかったのだが。

では、さらばバコンバエバ村。夏頃にもう一度は訪れたいと思う。

02-27
(引っ越しの日の朝焼け)

「バザールバッグ」についてはまだブログに書いていなかったと思う。主にバザールで売られているプラスチック製(?)のバッグで、とても丈夫。サイズ・柄も様々で、あるととても重宝するのである。近いうちに写真付きで紹介しよう。

2012/02/05

他人事ではなくなった

私が住んでいるバコンバエバ村周辺は、降雪が少ないのだが、昨日(2月4日)未明から降り始めていたと思われる雪は、その後も降り続け、今朝の段階で25cmくらいの積雪。このまま降り続けば、40cmは積もるんではなかろうか。

雪の積もった朝
(8:00 干し草に積もった雪)

田舎の家なのでトイレは外にある。玄関を出てから50~60m先にある(って、なんと広い庭だ。日本ではあり得ん)トイレまでも、くるぶしより上に雪が積もっているから、とんぼ(グラウンド整備に使う道具)で雪をかいた(余談だが、北海道では雪かきのことを「雪をはねる」「雪はね」と言うのを思い出した)。

昨日も4回くらい雪はねをしたが、今日は雪のかさが増えていて重い…。今日も同じ回数くらいは雪はねをすることになると思うが、今日のほうが重労働になりそうだ。

日本では、例年よりも降雪量が多いようで、東北地方では屋根の雪下ろし作業中に、転落事故などで亡くなる高齢者が多数出ている報じられている。雪下ろしだけでなく、家の前の雪はねもある。東北の雪は水気が多くて重たいと聞くから、なおのこと重労働であろう。

昨日までは、雪国の人は大変だなと他人事としてニュースを聞いていたが、今日は我が身でその大変さを味わっている。

(追記)
昼近くに雪は止んで、陽も差してきた。気温の上昇とともに、雪がどんどん溶け始めている。雪かきをしていると、木の枝に積もった雪が落ちてきて降りかかる。雪は積もった分に加えて、溶けた水分で重くなっている。

雪の止んだ昼
(11:50 雪が止み、陽が出てきた)

2012/01/16

村の少年サッカークラブ

日曜日、村の学校の前を通りかかったら、校庭でサッカーの練習をしている子供たちの姿が目に入った。

そろいのユニフォームを来ていて、指導者と思しき男性もいる。

サッカークラブ

こういう少年サッカークラブがあることは知らなかった(ひょっとしたら最近発足したのかも)。何より驚きだったのは、子供たちがパスをつなぐ練習をしていたこと。普段見かける子供サッカーは、みんながボールに寄っていってしまうことが多いから、こうして基本からやっているのは珍しい光景なのであった。

何年かかるか分からないが、キルギスの代表チームももっと強くなり、キルギスと日本がワールドカップの予選で一緒に争う日が来るかも知れない。

2011/12/21

初雪

昨日(12月20日)、ボコンバエバ村にこの冬の初雪が降った。

snow1

首都ビシュケクなど、他の地域は1ヶ月半も前に雪が降っていたが、イシククル湖沿岸は雪が少ないのだ。ボコンバエバ村で雪が降るのも年に数回だと言う。

レーニンの胸像にも雪がかぶっていた。この写真、私のお気に入りの一枚になりそう。

snow2

2011/09/13

фото салон(フォトサロン)

デジカメで撮った写真は、パソコンやテレビで見られるから、紙に印刷しなくても楽しめるが、こちらの人に渡してあげる時には印刷しなくてはいけなくなる。

バコンバエバ村はそこそこ大きな村なので、中心部にデジカメデータを印刷してくれる店が2店ほどある。私が知らないだけで、他にも印刷する店はあるかも知れない。写真印刷の店は「フォトサロン」と看板が出ている。

そこに写真データの入ったSDカードやUSBメモリーを持っていって、店のパソコンにつなぎ、どれを印刷してもらうか指定して、店のプリンタで印刷。私がいつも使っているフォトサロンでは、A4の4分の1のサイズで1枚5ソム(7円)。紙質は一番したのやつである。上の値段の印画紙もある。

こういう商売も、パソコンとプリンタ(インク、印画紙含む)があればできるから、元手さえあれば難しい技術がなくてもできる。これがフィルムの現像、印画となったら、設備も大がかりだし、技術も必要である。ちなみに、私がいつも使っているフォトサロンは「女子供」という言葉そのまま、おばちゃんや小学生が店番をしている時がある。印刷はパソコン、プリンタがやってくれるから、小学生も簡単な操作を覚えればできてしまう訳だ。

客が私だけだったら商売は成り立たないが、結構、客は入っているように見受ける。村人にも徐々にデジカメが普及してきているということか。デジカメデータの印刷以外にも、証明写真なんかの撮影(フォトサロン所有のカメラあり)・印刷、結婚式の出張撮影なんかもやっているようである。

商売繁盛、結構結構。

…なのだが、印刷を頼んでできあがった写真を、店の人が手にとってジッと見て「これどこ?」「これ誰?」と訊くのはどうなんでしょ?

2011/05/29

停電の一夜

昨日夕方から、私が住む通り一帯は停電となった。一本、向こうの通りは普通に電気がついている。

どうしてこの通りの一帯だけ停電になったかと言うと、電信柱に車が激突して、電柱が倒れて送電ができなくなったのである。

broken_pole2
(電柱が傾いている)

broken_pole
(ポッキリと折れた根本)

この電柱が中継している地域だけが停電になったというわけである。

昨日の夕方に送電が止まり、人が集まって穴を掘ったりして復旧作業をしているようだったので、いずれ送電再開となるだろうと思っていたが、そのまま日没になり作業終了。住民は電気のない夜を迎えることになった。

最近では日が長くなっているが、夜9時ともなればここでも真っ暗である。ホストマザーは「今日はもう寝るしかない」と宣言。確かにその通りである。電気がなければテレビも見られない、新聞も読めない。私のノートパソコンも充電が切れており、使うことができず、寝るくらいしかやることがない状態であった。

日が明けて今日、傾いた電柱を見に行ったが、誰も作業をしておらず、今日は日曜だからひょっとしたら復旧作業がされないのではないかと不安であったが、11時くらいから作業員が来て作業が始まった。

restore

こうしてなんとか15時近くに送電が再開され、パソコンも使えるし、お湯も沸かせるようになった。ほとんどまるまる一日にわたって電気がなかったことになる。

普段から、3~4時間程度の停電は月に一度程度は起こるから、慣れている面もあるが、24時間となると色々と影響が出る。何よりも、協力隊で途上国の片田舎に来ているにも係わらず、自分が結構電気製品を使用して生活していることを自覚させられ、我ながら呆れたのであった。

2011/05/28

カウボーイが来た (2) ~ ロデオショー ~

カウボーイイベントの2日目はロデオショー。

村のスタジアム(стадион)であった。スタジアムへは、3/22の「ノールズ(イスラム新年)」の時のイベント以来。

キルギス人も騎馬民族として培ってきた文化がある。そこには、馬を飼育するという以外にも、馬を使って遊ぶとか、「男を見せる」とか、食べるとか、色々とある。

この日は、ポールを立てて、そこを誰が一番速いタイムで回れるかの競争や、女の人が馬で先に走り出して、少し遅れて男が馬で追いかける遊びを披露していた。女が逃げ、男が追いかけるのは、どうやらこれで男のほうはいいところを見せるという文化があるようだ。「オレ、こんなに馬乗りが上手いぜ。どうだ、オレの嫁に来いや」みたいなノリではないかと想像した。

そして、上半身裸になった筋肉質の男同士が馬上で相手を落とし合う闘い。小中学校の運動会で、3人が下で櫓《やぐら》のように組み、その上に一人が乗って、紅白帽(または鉢巻)を奪い合う「騎馬戦」という種目があり、運動会の中でもリレーに次ぐ注目種目であった。この日行われたのは、まさに本当の騎馬戦。

 kibasen

これにカウボーイも参戦。シャツを着ていると可愛い顔をしたハンサムガイという印象だったカウボーイも、シャツを脱ぐとムキムキ。こりゃ、すぐに勝負が着くかと思ったが、対するキルギス人男性も負けずに応戦。引き分けであった。きっと、この人たち、子供の頃からこういう遊びをしてきているのであろう。

キルギス人の男たちの遊びに、2つのチームに別れて、屠《ほふ》った羊を馬上で奪い合い、自分の陣地に持っていくという遊びがある。ボールを羊に換え、馬に乗りながらするラグビーみたいなゲームである(だから、「自分の陣地」と書いたが、ひょっとすると「相手の陣地」という設定でゲームをしているかも知れぬ)。

game1

こんな感じでやり合う。これだけ画角を落としてしまうと、迫力がほとんど伝わらないと思うが、近くで見ていると凄いものである。争奪戦がどちらに向かうかは誰も分からない上、男たちは羊を奪うことに夢中になっているから、客席に行ってしまうのではないか、ひょっとしたら自分のほうになだれ込んで来はしないかという緊張感がある。

この遊び、まず馬を自由に乗りこなせなければならない。それに加えて、地面にある羊を拾い上げ、それを片手で抱え、さらに敵からの奪取を防ごうというのだから、相当の腕力を要するのは容易に想像できる。羊は牛ほどの大きさではないにせよ、70~80kgはあるだろうから、それを持ち上げるだけでも大変なことである。

上の写真をクローズアップすると、羊を抱えているのが分かる(中央の白い馬に乗った人の左手)。

game2

このゲームにもカウボーイが参加。観客も大いに盛り上がっていたのだが、とんだハプニングが起こった。羊の奪い合いに夢中になっている男たちが、競技場の中に立っている柱のほうに行ってしまい、競技者の一人がそこに激突、落馬。どうしてそんなところに柱を立てるかな~、となじったところで後の祭り。落馬した人は胸骨を折ったとかで、そのまま救急車で運ばれていった。

そしてロデオショーもそのまま終了。鷹匠の人がパフォーマンスをするために控えていたようだが、そのお披露目もお流れとなってしまった。見たかったけど、残念。

takasho

(なお、今回、掲載した写真は、同じ村の隊員からいただいたものである。当日、私はカメラを持参していなかったので…)

カウボーイが来た (1)

4月の某日、アメリカ・ワイオミング州からカウボーイの一団がバコンバエバ村に来ていた。なんでも在キルギス国アメリカ大使館の企画で呼び寄せて、国内数カ所を巡回していたらしい。私はカウボーイ来村のことを全く知らなかったが、同じ村で「観光振興」分野で活動している隊員から情報をもらって知った。同じ村に仲間がいると、自分が知らない情報を他の誰かが持っていることがある。

カウボーイ一行は、男性3名と女性(カウガール)2名、その他、コーディネーターや通訳、大使館からの同行者などで総勢10名ほどだった。

イベントは2日間開催され、1日目はカウボーイ流馬の調教方法のデモンストレーション。キルギス人の多くも農業、特に羊・牛・馬を飼育する仕事をしているので、自分たちのやり方との違いを見る機会にもなっていた。

丸太を組み、半径10mくらいの円形の柵を作り、その中に馬が1頭、カウボーイが1人。カウボーイはこの馬とは初対面で、おそらく馬自体もまだ調教されていないやつだったと思う。馬は、最初、カウボーイが近づくと恐れて逃げる(カウボーイはそういう動きも見越している)。

 cowboy (1)

そのうちに、少しずつ馬に近づくことを繰り返し、まず胴体、そして頭をなでても馬が逃げない所まで手懐《てなず》けていた。

cowboy (2)

私などは、こういうのを初めて見るので、ずいぶんと感心したのだが、キルギス人にはどうであったのだろうか? キルギス人の馬の調教というのも見てみたいものである。

カウボーイが言っていたことで印象に残ったのは、「私は、馬に強制はしたくない。どうすればよいか、馬を教育する」という言葉。無理矢理やらせてもダメっていうことですな。すごく地道な作業で、馬を追いかけ回すのが始まってから終わるまで2時間近く…。しかもこの日は馬に騎乗する所まではせずに終了。最初は100人くらいいたキルギス人観客も、終わる頃には20人くらいに。

カウボーイ氏、お疲れさまでござった。

2011/04/21

キルギスの病院 (2)

どうやら彼は事前に医者の診察を受けていたらしく、医者が書いた「要レントゲン撮影」のような紙切れを持って、レントゲン撮影の建物(平屋)へ。その紙を見せてレントゲン室へ。「室」といっても、壁とかは普通の家の素材と同じではないかと思うくらい、普通の部屋で、日本の病院にあるレントゲン室と比べると2倍くらいの広さで、だだっ広く感じられた。もちろん、撮影の時は中に入れないから、チラッと見ただけである。ちなみに技師は中年の女性。

撮影後5分くらいで現像をしてもらい、それを持って診察棟のほうへ移動。患者が自分でレントゲン写真を受け取って、診察室に持っていくのって、日本ではやらないのではないか? 少なくとも私は経験したことがない。

レントゲン技師からは、「こことここが折れているみたいだ。手術になるんじゃないか」と言われ、写真を見たら、私にでもわかる感じで小さく骨が2ヶ所突き出ていた。手術はどんな感じでやるのだろうと興味よりも、恐怖感のほうが広がってきた(私は注射とか切開とかをされるのも見るのも苦手なのである)。

そしていざ診察室(らしき)ところに行き、「ドクターですか? 診察をしてもらいたいのですが」という感じで入っていく。診察券とか、診察の順番とかなし。これも日本では考えられない(実際のところ、診察棟には人気がほとんど無く、順番を云々《うんぬん》する必要はなかったが)。

部屋の中には二人の男が座っており、奥側、窓を背にしているほうが偉い感じ。二人共医者であろう。まず、手前(出入り口に近いほう)にいた医者が応対。レントゲン写真を見て、「なんで怪我をしたのか?」など聞き取りをしている。その後、「これはいかがなもんでしょう?」と訊かれて、奥の医者もレントゲンを見る。痛めているほうの手を握れるかなど尋ねていた。

せっかくの機会なので、私は途中で部屋を出て、病院内の他のところもチラチラと見て回っていたが、5分くらいして職場の同僚が診察室から出てきて、そのまま帰ることに。帰りの道すがら聞いたところでは、医者からは、しばらくすれば骨が固まるから手術はしないでよいと言われたらしい。ただし、骨が変形するので、元の通りには手を握ったりできないだろうとも言われたようだ。つまり後遺症が残ると言われた訳だが、日本でなら、そうならないために手術をするのが一般的な治療方針ではないだろうか。

手術となればさらに金がかかるので、本人の方から手術を断ったのかも知れない。あるいは、医者の方から、村民の懐《ふところ》事情を察して、手術を回避したのか…。いずれにしても、金がないために、手術をすればなんということのない怪我も、後遺症が残るのも避けられない現実があるということだ。

結局、診察で彼が得たものは薬の処方箋1枚で、病院からそのまま薬局に行ったのだが、処方された薬の値段が高いので、買うのをあきらめて帰って行ったのであった。

これに懲りて、彼が酒に酔って乱闘をする馬鹿をしないよう改まればよいが…。実は、彼、新年明けにも目を腫らせて出勤してきて、「新年で飲んだ帰り、道でからまれて喧嘩した」と言っていたのである。まあ、私もだらしない酒飲みの一人として思うが、酒癖というのは一生変わらんもので、この人は、そのうちにまた酔って乱闘をするにちがいない。そして、酒によって招いた災厄は、誰からも同情されないのも世の常なのである。

キルギスの病院 (1)

先週のことであったが、職場の男性職員が、片手を庇《かば》うようにして、痛そうな感じだったのでどうしたのか訊いてみた。本人が言うには、前夜、酒場で飲んでいた時に、彼の亡母をバカにされたので喧嘩をしたのだという。

怪我をしたほうの手は、反対の手と比べると二回りくらい腫れ上がっており、素人目にも骨折しているんじゃないかと思われた。病院に行くように進めたが、「行かない」と言い張り、私が一緒なら行くと言う。彼は診察に必要な金が無く、私を同行させて診察料を立て替えさせようとしている節があり、それは御免なので断った。

かくして週が開けても病院に行っていなかったが、さすがの痛みに本人も心配になったのか、あるいは耐えきれなくなったのか、職場の人たちを回って金を借り、診察費用を工面していた。私のところにも来たので、「これしかないよ」と断って金を貸した(実際には貸した以上の金を持ち合わせていたのだが、金の貸し借りでは何度か嫌な思いも味わっているので、出かける時は金を分けておくようにしている)。

病院に行く段になって、また「一緒に行こう」と言ってきたが、今度は持ち合わせがないことも見せてあるし、立て替えさせるつもりもないだろうと思ったのと、私自身がキルギスの、片田舎の病院での診察がどんなものか見てみたい好奇心があったので、一緒に行くことにした。バコンバエバ村は、イシククリ州の中のトン郡にあるが、トン郡の中では一番大きい村であり、郡の病院もここに建てられている。別の用事ではしょっちゅう敷地内には入るのだが、病院本来の診察のほうは受けたことも見たこともなかった。自分が病気・怪我をすることなく、診察を見るにはよい機会であった。

2011/04/19

アプリコットの花が咲く

私の住む村周辺はアプリコット(杏)の産地で有名らしい。昨年、村に赴任した9月にはすっかり収穫が終わっていたので、アプリコットの実がなっているのを見ることはできなかった。実がなっているところを見ないと、どれがアプリコットの木なのかも分からない。

ここ数日の間に、村内の家の庭にある気に、桜、あるいは梅のような感じの白い花が咲いているのが目につきだした。どうもそれがアプリコットの花らしい。直接、村の人に聞いたのではないのだが、以前、ロシア語の勉強にと思って買ったロシア語の新聞にたまたま載っていた記事に、大戦後、ソ連に抑留された元日本兵の一部がキルギスで強制労働をさせられた話があり、「彼らは、アプリコットの花に桜を思いだし、祖国へ思いを馳せた」と書いてあったのを読んだので、おそらくこの「桜っぽい花」がアプリコットであろうと思う。

まだ写真を撮れていないので、撮ってブログにアップする予定。

2011/04/18

バコンバエバ村周辺、観光スポット巡り

他の町・村にいるキルギス協力隊の仲間が、我が村・バコンバエバに遊びに来た。

村にいる観光系の隊員が準備してくれた観光ツアーで、村の周辺の観光スポットを巡った(その隊員にとっては、外国人向けの観光ツアーを組み立てるための調査も兼ねていたようだから、半分はお仕事であった)。

山の上のほうまで車で行き、「パノラマ」と呼ばれる見晴らしの良いポイントへ行った。あいにく、天候が曇りで見通しがなかったが、晴れていればイシククル湖や対岸の山脈も見えるはずである。また、私が住む村も上から全体が俯瞰できそうである。

途中、山に住んでいる老夫婦羊飼いの家に寄ったら、家の中に上げてくれ、お茶をもてなしてもらった。キルギスでは、知らない人であっても訪ねた来た人にはお茶とパンを出すのが礼儀である。その家で出されたミルクティーの牛乳は、自家で取れた新鮮なものだったようで、味が濃くとても美味しかった。

ただ、ここで食べ物を口にしたのが、私にとってはよくなかった。実は、前夜に隊員同士の飲み会で酒を飲み過ぎた上に睡眠不足でこのツアーに参加していたから、その家に暇を告げて車で移動を再開したら途端に吐き気を催してしまった。お茶とパンに胃が拒否反応を起こしてしまった。

で、その後のツアーはリタイア。一人だけ家に戻って休養。他のメンバーは「マンジュール・アタ(Манжыл Ата)」という、キルギス人の聖地になっている場所に行った。私は以前、別の機会にそこを訪れたことがあったが、ここは子を授かるように願をかける所らしく、若いキルギス人夫婦の姿を見かけた。どこの国でもそういう願をかける場所があるものらしい。

まだいくつか観光コースに入れられそうな所があるようで、それらを巡れたらと思っている。暖かくなってきて、キルギス人は活動的になってきたが、キルギスにいる我々協力隊員も同じように活発に動きだしている感じである。

2011/04/06

お~、さぶっ

「だいぶ春めいてきた」とブログに書いたのだが、一昨日(日曜)と昨日は小降りながらも雪がちらつく寒さ。「Кайра кыш келди.(カイラ クシュ ゲルディ=冬が再び来た)」と、ちょうど覚えた「再び」というキルギス語の単語を使ってみた。

ホームステイ先のお母さんが「明日は暖かくなる」と言っていた通り、本日は快晴。

暖かくなってきたとは言え、こうして寒さが戻る日もある。なんと言っても東北・北海道と同じ緯度だから、5月くらいまでは寒い日もあることを覚悟しておく必要がありそうだ。

そういえば、日没の時間はずいぶん遅くなった。20時くらいまで陽射しが薄く残っている。札幌近郊に暮らして、冬を越したこともあるが、あそこでは4月の日没はもっと早かったと思うのだが…。これは緯度だけでなく、標高も関係があるのかも知れない。

2011/03/30

春の徴《しるし》

3月中旬から、加速度的に暖かさが増してきている。この春一番の蠅を発見したことを書いたのが3月19日。出現する蠅の数は確実に増えている。

さらに私が見つけられた変化としては、ミツバチも登場。いよいよ、蠅と蜂の競演が始まり、あの鬱陶しい羽音に悩まされる季節がそこまで来ている…。

一匹ではあったが、蟻も見かけた。マレーシアは一年中夏だったから、蟻は一年中活動していたし、その種類もたくさんであった。キルギスは、気温がマイナスになる場所だから、蟻たちは巣穴で越冬して、その間は姿を見ることがなかった。彼らも春を告げる生き物の代表だろう。

村内を飛んでいる鳥も、1ヶ月前には見かけなかったようなのがいるのに2~3日前に気付いた。コンパクトデジカメで鳥を撮影するのは、結構、難しいのであるが、何とか撮影できたらブログにアップしよう。鳥好きの友人もこのブログを見ている(かも知れない)ので。

さて、春の到来を告げるものの中で、一番インパクトがあったもの。

shaved_sheep

ホームステイ先の家で飼っている羊。何気なく柵の中の様子を見に行ったら、なんか、いつもと違って貧相な感じになっていた。一瞬、状況がつかめなかったが、毛を刈られていることにすぐに気付いた。

ちょっと前までは

hitsuji

こんな感じ(↑)で、モコモコとした毛皮で暖かそうだったのだが、

shaved_sheep2

大人の羊はみんな毛を刈られていた。寒い時季に毛を刈って、羊が体調を崩すことのないように、暖かくなったタイミングで毛を刈るのだろう。これを「優しい」と言っていいものなのかはわからんが…。人間でも、髪を切って風邪をひいた話はよく聞くしね。

よく見ると、毛を刈られた黒羊の右に移っている白い子羊(こちらは毛は刈られていない)も、毛皮の分のかさはあるが、大人と同じくらいの大きさになっている。年越しの前後に生まれていたはずだから、3ヶ月弱でここまで大きくなったのだ。

それと、茶色っぽい毛皮の羊も、毛の根元近くは黒っぽい色だというのも発見した。確かに、子羊は真っ黒(奥側に1頭映っている)だから、どうして茶色になるのかと思っていたが、根元は黒いままだと分かった。太陽光線の影響か何かで色が茶色になるんだろうか? (人間でも、夏場は陽を浴びて、自然に色が茶色っぽくなるという人に会ったことがある)。

刈られた羊毛は、洗った後でフェルト生地に加工されて、カーペット、壁掛けなどの原料となる(それを専門にやっている隊員が同じ村にいるから、そのうち、写真を撮らせてもらってアップしたい)。

貧相な 羊見て知る 春到来

…お粗末。

2011/03/24

イスラム新年のフェスティバル

  昨日はイスラム教の新年で祝日だった。

村では、スタジアム(競技場)でフェスティバルがあると聞いていたので、足を運んでみた。10時からと聞いていたが、定刻に始まるとは思わなかったので、11時にスタジアムに行った。

Noryz1

結構な人手であった。1000人以上は人がいたんじゃなかろうか。人口1万2千人ほどの村にしてみれば、大イベントである。

会場は、いくつかのセクションに別れていて、店が並んでいるコーナー、伝統的な遊びをやっている所、バレーボール大会をやっている所などがあった。

Noryz2

大グラウンドがメイン会場になっていたようで、観客が見つめるその先は

Noryz3

こんな感じで、高校生からちょっと上くらいの年齢の若者たちの出し物をやっているのであった。村内の演芸会としてみれば、みんな、お上手であった。

2011/03/20

ノールズ(イスラム教新年)

明日3月21日はイスラム教の新年にあたるそうで、キルギスでは「ノールズ」という祝日になっている。

イスラム教の新年というのが、どうしてこの時期にあるのか、よく理解していないのだが、おそらくイスラム暦の新年なのだろう。ということは、西暦のカレンダー上では毎年変わってくるはずだ。有名なイスラム教の断食月も、西暦カレンダーでは毎年異なる時期に行われているが、それもイスラム暦と西暦で一年の数え方がずれるためだ。

新年を迎える前に、家内の大掃除をするのが習慣とのことで、ホームステイ先では普段使ってない部屋、食器などきれいにしていた。私も自分の部屋を掃除しておくように言われ、部屋の中にたまった不要な書類、ペットボトルなどを処分した(紙は薪を焚く時に使うので、捨てずにおいた)。

家の人たちが布団を干していたので、私も自分が使わせてもらっている布団を干した。そう言えば、ホームステイでお世話になってから一度も布団を干していなかった。半年以上。それでもダニ・ノミは発生していなかったのは、寒さと乾燥のおかげではないだろうか。

これからは暖かくなるので、ダニ・ノミが発生しやすいかも知れないので、布団干しの頻度は増やす必要があるかもと思う。

2011/03/19

春と言ってもいいでしょう

ブログの話題が地震のことばかりとなって、生活の様子を書いていたなったが、村はますます春めいてきている。

今週は寒さがぶり返して、真冬に逆戻りしたような日もあったが、日本でも「三寒四温」と言うように、冬から春に移るときはこんな感じなのであろう。人間は暦なんてものを考え出したから、ついつい「何月」とか「立春」とかで区切りを考えてしまうが、昨日から今日で「はい、今から春になります」なんてことはないわけで、寒さと暖かさを行ったり来たりしながら、季節は移っていく。

前にも書いたが、虫たちの活動が活発化してきている。暖かくなって羽化が進むのだろう。村で見かける鳥の種類も、1~2ヶ月前と比べると多くなったような…。それは気のせいだろうか? 種類は増えていないかも知れないが、さえずり声は確実に多く聞くようになった。

fly
(蠅ちゃん。まだ動きは鈍い…)

配属先のショーラコルでも、暖かくなったためなのか、子供たちを湖のビーチに連れて行き、半日そこで遊んできた。

lake1
(今はまだ水が冷たいが、夏は泳ぐこともできる)

lake2
(ビーチでの昼食)

2011/03/13

キルギス人の気遣い

今回の東日本地震は、こちらのニュースでも引き続きトップで扱われている。

昨日の夜から今日にかけて、職場の同僚達が電話をしてきてくれた。「お前の家族は大丈夫か?」と。ニュースを見て・聞いて、すぐに「うちの職場の日本人」と連想して、連絡をくれたのだと思う。

職場でスケベ話しかせず、「こりゃダメだ」と思う所が多い人から、真っ先に電話があった。

いつも携帯電話のクレジットがギリギリで、今回も話している途中で切れてしまったスタッフもいる(こちらから「家族は無事。ご心配ありがとう」とSMSを送信しておいた)。

現在、村ではなく首都のほうで仕事をしている職場のトップも連絡をくれた。

普段は、常に円滑に仕事が進むわけはなく、仕事のパートナーとしては色々とがっかりすることもある人たちだけれど、こうしてすぐに連絡をしてくれたことはありがたかった。

ホームステイ先の家族も、ニュースの時間は優先的にチャンネルを合わせてくれ「ニュースの時間だよ!」と声をかけてくれる。

もちろん、日本から遠く離れて暮らしている彼らに、今回の地震で直接的な苦痛はない(今のところ、家族・友人の被災の知らせがない点で私も同じだ)。しかし、同じ村で身近に住んでいる日本人(私)に声をかけ、家族の心配をしてくれることで、彼らがこの地震で被害に遭っている日本人と日本を心配し、励まそうという善意を示してくれていると思う。

おそらく、今回の地震に関して、この村にいるキルギス人が今できることって、そういうことなのだ。

被災されている方が、このブログを読むとは到底思えないのだが、キルギスのこんな小さな村の人たちも、日本のことを心配してくれていることは書いておこうと思った。

2011/03/11

Spring has come. - 春到来 - (2)

昨日、職場から帰る時、壁に動くものを見つけ、

spring1

よく見たらそれは、

spring2

一匹の蠅であった。

そう言えば、日本語には「啓蟄《けいちつ》」という言葉がありましたな。まさにそれを実感。

がんばって羽化したとはいえ、まだ寒いのは現実。この蠅の動きもかなり鈍かった(虫は変温動物だったよね?)。

もう一つの「春」は、村の中を流れている用水路が復活したこと。

来た頃(夏)は水が流れていたものの、おそらく冬場の凍結に備えて、いつの頃(11月下旬くらい?)か上流のほうで水が止められて、水のない状態であった。

それが、ちょうど蠅の登場とタイミングを一《いつ》にして、水門が開けられたらしく、水が流れ始めた。これも春到来の徴《しるし》だと思う。

Spring has come. - 春到来 - (1)

バコンバエバに春が来た。

春到来の話をする前に、まず、2週間前にさかのぼった話から。

2/26、この村では珍しく雪が降った。量的にも、バコンバエバでは多い方であったようだ。

snow1
(朝起きると、既に雪が積もっていた)

snow2
(犬も餌を探せない様子…)

snow3 
(村のモスクも雪化粧。勝手に風情を感じていた)

この時期に、しかも普段は雪が降らない村で雪が降るのは、大気の状態が変わってきているからではないかと、素人考えで思っていた(こちらのテレビニュースでも天気予報はやっているが、高気圧だの低気圧だのという解説はないし、あっても聞き取れない。日本のお天気お姉さんは親切だね)。

そんなことを思いながら雪の上を歩いていたのだった。実際、雪は1月にスキー場で見て触れた雪よりも水っぽかったし、午後から陽が差すとどんどんと溶けていった。

その後、1週間、首都ビシュケクに行っていて、その間、ビシュケクも寒さが和《やわ》らいでいるのが感じられた。

そして、村に戻ってから、昨日、ついに春の訪れを発見した。