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2018/08/24

キルギスが紹介された番組 「笑ってコラえて!」

日本のテレビ番組で、時々、キルギスが紹介されることがある。
私がキャッチしたものを記事にしておく。

日本テレビ 「笑ってコラえて!」

2018年3月 7日放送(前半)
2018年3月14日放送(後半)
”世界一周!1年間ロケしっぱなしの旅”

番組スタッフが世界を一周しながら、「日本人未踏の地」を探して、そこで日本の文化を紹介していくという企画。

冒頭はキルギスの地理や文化を紹介。
 

市場でクルト(馬乳などを発酵・乾燥させて固めたもの、チーズに近い)や、チュチュック(馬などの腸詰め) が紹介される。


羊(番組内では「山羊」と紹介)をボールのように争奪する遊び、「コク・ボル」も紹介されていた。

 

キルギス国内の移動では、日本留学経験のある男性に助手を頼み、イシク・クル湖方面から訪問していく。

この辺りは 外国人観光客の定番ルートであるし、協力隊の派遣数も多い地域なので、案の定、村人からは「日本人が来たことがある」との返事が返ってくる。

 キルギスの南部なら、まだ日本人が行ったことのない村がありそうだとの情報をもらい、「アクムズ」という村を目指す。



 
(アクムズ村のマップ)

アクムズ村の村長に取材を申し込む。当初、いきなりのテレビ取材に慎重になっていた村長であったが、取材意図を了解し、村で取材させてもらえることになる。


キルギスでの訪問客の接待の習慣にのっとり、家で紅茶とパンを出される。これは遊牧民文化の名残りだと言われている。
(キルギスを訪問する人は、このような接待を受けたら、遠慮して断ってはいけない。パンは端っこひとかけらだけでも食し、お茶はできれば1回はお代わりをするのが現地のマナー。)

 

この村には日本人は来たことがないとのことで、企画の目的地として合格。

日本文化の紹介ということで、現地でかまくらを作ることになる。しかし、氷点下30度の地域なので、雪はサラッサラのパウダースノー。日本のべた雪のように固まってくれない。

雪に水をかけて、固まらせながら、2日かけてかまくらが 完成。


日本とは雪質が違うため、かまくらを作ることはないキルギス人にとっては新鮮ではなかったかと思う。子供たちは「中はあったかい」 との感想。


村での滞在の様子を見ていて思ったのは、キルギス人のフレンドリーさである。いきなり訪れた外国人の呼びかけに応じて、たくさんの人が公民館のようなところに集まって話を聞き、かまくら作りにも協力してくれていた。

小さな村だから、こういうことが大イベントとして盛り上がる素地があるのかもしれない。それにしても、日本の街中でこういうノリはないし、キルギスにおいても都市部ではおそらくなくなっている光景なのである。


この辺りは標高3,000m越えの地域。冬は氷点下20℃くらいの気温は日常のこと。どんな環境でも子供たちは元気だということも、感心させられる。

【番組サイト】
3月7日放送分
3月14日放送分

2012/07/05

床屋がうれしがる

髪を切りに散髪屋に行った。どのように切るかと理容師に尋ねられたが、私にとっては髪形の注文を言葉で説明するのは、日本において日本語でするのですら難しく感じる場合があることである。

別にアイドルでもファッションモデルでもないので、「見た目が変でなければなんでもいい」というのが、私の注文なのであるが、当然、それでは向こう(理容師)もやりづらい。正直なところ、「プロのあなた(理容師)がいいと思うようにやってください」とおまかせにしたいのだが、その結果、不満を言う客もいるだろうから、理容師側も客の望みを訊かずにはおれないということだろう。

そんなふうに難しいと感じる散髪の注文である。いわんや、ロシア語で、となればなおさらである。

今回、入った散髪屋は3人の理容師がいて、うち2人が男、1人が女。私の担当になったのは男であり、その人の髪の長さもだいたい私が切ってもらいたい程度の短さだったので、「どうするの?」と訊かれた時、「あなたと同じような感じで」と答えた。キルギスでも日本でも「フツー」という印象の髪形である。

で、しばらく散髪作業が進んだところで、理容師が「『オレとおんなじように』って注文した人は初めてだ」と言ってきた。実際、そうなのだろう。推察するに、キルギスの男性でそういう注文するのは一般的ではないのだろう。

いや、日本でだって、「床屋さんとおんなじ感じで」と頼む人は聞いたことがない。私も日本語ではそういう注文をしたことがない。面倒とはいいながら、「横、ちょっと刈り上げ気味で…」みたいに説明する。

「そんなふうに注文されるのは初めてだ」と言いながら、理容師の男はちょっと照れるというか、満足気というか、小さな笑いを顔に浮かべていた。間接的には自分の髪形を褒められたと受け取れなくもないから、それでうれしくなったのかもしれない。

10分強で散髪は終わった。値段は100ソム(バコンバエバ村では50ソムだったと記憶しているから、倍である)。ちなみに、こちらでは洗髪はないのが普通である(「美容室」であればあるかも。私は入ったことがないのでわからないが)。

この話にオチをつけるとしたら、その理容師の髪形が、モヒカンとかでなくてよかった、ということである。

2012/05/28

入浴頻度

村でホームステイしていた頃、風呂に入るのはだいたい1週間に一度であった。1週間に一度、サウナを焚いてくれるのであった。

サウナを焚くのは、薪や干糞(牛などの糞を固めて干した物)をくべなければならないから、それなりに金のかかる話なわけで、毎日というわけにはいかないし、できるだけ大勢の人がいる時のほうが効率がよい。だから、家族のメンバーのうち何人かが不在の時は「今週は人が少ないからやめとこ」みたいなことになる場合もある。あるいは、「明日、誰それの家でサウナを焚くから行こう」と行って、出かけることもある。

とにもかくにも、村では風呂に入れるのはよくて週に1回なのである。それ以上入るのは贅沢とさえ言える。

田舎のほうに配属されている隊員の中には、週一度でさえ贅沢という人もいるようで、私が聞き及んだ範囲では30日間風呂(サウナ)に入れなかったという女性(!)隊員もいた。まあ、そこの村では普通の生活なのであろうが、それに順応できる隊員って、かなりたくましい(というか、順応せざるを得ないのであるが)。

さて、私は村から都市(首都)に移って、風呂の環境も大きく変わった。

まず何より、自宅にシャワーがある。以前のブログにも書いたが、温水は常時供給されている。だから、浴びたければいつでもシャワーを浴びることは可能である。

だが、私にしてみると、毎日シャワーを浴びることには、どこか抵抗感みたいなものがある。いや、私が無精者で汗を流すのを面倒くさがっているからだけではない(それがあることも否定はしないけどね)。

村で世話になっていたホームステイ先の人たち、またそれ以外の村人たち、さらには30日間風呂に入らなかった隊員のことを考えると、「毎日シャワーを浴びているお前はなんなのか?」と。別に、毎日シャワーを浴びたところで、悪いことは何もしてないのだけれど、同じ国の中で、1週に一度、あるいは1ヶ月に一度という頻度でしか風呂に入れない人たちを知っている以上、なんかそこに後ろめたさみたいのがある、ということなんだろうかね? (って、誰に訊いてるの、これ?)

私が任地を変更したのと同時期に、やはり同じ村から別の町に移った隊員(女性)がいたのだが、彼女とたまに会った時のあいさつは「風呂は週1回?」である。

すまんが、私はここ最近、3日に一度は入ってしまっている。ああ、村生活経験者としては堕落したな、オレ。

ただ、面白いことに、最初から町、特に首都に配属された隊員なんかは、毎日シャワーを浴びるなんて当然のことのようで、村生活経験者が入浴頻度がどうのこうのと言う話して、1週間に二度以上風呂に入る隊員を蔑んでいるような感覚っていうのが、どうも共有されないのですな、これが。いや、別にそれが悪いわけではないのよね、当たり前だけど。

生活環境、経済的条件によって、人の価値観なんていくらでも変わる、っていう話なんだろうと思う。自分が身を置いた場所でなければ、そこで感じるであろうこと、考えるであろうことを、実感的に想像するのって、たいがいの人にとっては至難のことであるだ。

まあ、ともあれ、こんなことをブログのネタにしている私なのであるが、日本に帰るのは夏のど真ん中。一日に3回行水する日もあろうというものだ。

2012/05/15

その癖はヤバイ (5) ~流し忘れ~

前回、トイレットペーパーを流さず、ごみ箱に捨てるという話を書いたのだが、あれは日本もその昔、トイレットペーパーの紙質が粗悪だった頃は、同じようなことがあったんではないかと思った。どうなんだろうか。

さて、キルギスでも地方の村でホームステイをしている隊員は、たいていはぼっとん便所での生活で、最初は水洗トイレを懐かしんだり、ぼっとん便所を不便に思ったりしているのだが、まあこれも毎日のことだからすぐに慣れるのである。

ぼっとん便所というのは、用を足した後も水を流すことがない。ひもを引いたり、レバーをひねったりということがない。ぼっとん便所に慣れる過程は、すなわち水を流す習慣を忘れる過程でもあったりもする。

一度、何かの用事で村から首都のビシュケクへ行き(その頃はまだ村で活動していた)、宿泊先のホテルでは、これまた地方から首都へ来た別の男性隊員と相部屋になった。この時、この隊員がトイレを使った後、水を流していなかった。「水流してなかったぞぉ」と伝えると、「いつも、ぼっとん便所だから、水流すのを忘れてた」との弁。この時は彼のドジを笑ったのだが、そのすぐ後に、今度は自分が用便の後、水を流し忘れたのであった。

私はすでに、首都に引っ越し、水洗トイレでの生活を送っているので、流し忘れることはないと思うが、地方隊員は気を付けなければなるまい。これはキルギスだけの話ではないはず。ひょっとして、帰国日の1週間くらい前に首都に移動するのは、帰国までの諸手続きの他に、都市生活に順応し、地方で身についた習慣を修正させるためでもあるのかしらん?

2012/05/13

その癖はヤバイ (4) ~トイレットペーパーを流すな!~

トイレで用を足して、トイレットペーパーで拭いた後、使い終わったその紙は便器の中に落として水を流す。日本では当たり前のことだが、トイレットペーパーの扱いについては、文化や地域によってかなり異なる。

キルギスでは、村ではほとんどの家のトイレは“ぼっとん便所”であるが、町では水洗トイレ(「水洗便所」でも同じ意味だが、「水洗」と付くと「トイレ」と書くほうがよい感じか…?)が普及している。

水洗トイレでの用便に慣れている人にとっては、水洗トイレはありがたいものだが、注意しなければならないのは、キルギスの水洗便所では、トイレットペーパーは流してはいけないことである。

何故にと言えば、トイレットペーパーが水溶性でないため、下水管の中にトイレットペーパーが残ってしまい、配管詰まりを起こしてしまうからである。日本でも、ティッシュペーパーの注意書きを読むと「トイレに流さないでください」と書かれているが、あれはティッシュペーパーは水で溶けないからである。

日本ではJIS(日本工業規格)によって、「トイレットペーパー」の基準も設けられているそうである(前にテレビで観た)。確か、「××の水流で××cm3の管に流した時に、××m以内に溶けること」みたいな基準であった。そんなことまで規格があるのかと感心したのだが、それがあってこそ、我々は普段、何の心配もせずにトイレにトイレットペーパーを流せているのである。

キルギスで売られているトイレットペーパーは、―手に取ればすぐに分かるが―、硬くてごわごわしている。そして水に溶けない。何よりの証拠に、ぼっとん便所の下に落ちているトイレットペーパーに“放水”をしても、紙の形状は変わらない。

IMG_1376
(キルギスで売られているトイレットペーパー)

トイレットペーパーが流せないとなると、使用した紙はどうしたらよいのか。

キルギスの水洗トイレでは、必ずごみ箱が置かれている。使い終わった紙はそこに入れるのである。

IMG_1377
(使用済みの紙はごみ箱に入れる。男子トイレも同様)

さて、やっと本題なのだが、キルギスで生活し始めの頃は、何度かうっかりと便器に紙を流してしてしまったことがあるのだが、2年も生活していれば、紙を流さないことがすっかり身に付いている。

そういう癖が身に付いて、日本のトイレ(まずは成田か?)を使うと、「あれ、ごみ箱がない…!?」と焦ってしまうのである。いや、これは笑い話でなく、帰国した先輩隊員から聞いた実話である。

日本のトイレは個室だから、ごみ箱を探して焦ったとしても、誰に見られるという訳ではなし、「ヤバい」というほどの話ではないのだけれど。

2012/04/27

その癖ヤバイ (3)

赤信号、みんなで渡れば怖くない。

という交通標語を茶化した言葉がある(あれはビートたけしが作ったのだったか?)が、実際のところ、世界的にみれば日本の歩行者は信号を守っているんじゃないだろうか。

キルギスに来て、1年半、村で暮らしていた時は、そもそも信号機がなかった。一ヶ所だけ信号機のある交差点があったが、その信号機は作動していなかったし、交通安全上、その信号機が必要だという状況でもなかった。道を渡る時は、自分で左右を見て安全確認をして行くのである。基本的に、車のほうが「えらい」ので、車が行き過ぎるのを待つ。はねられて怪我をしようと、後遺症が残ろうと、あるいは死亡しようと、日本でと同様の補償金は得られない。

ビシュケクはさすがに、辻ごとに信号があって、基本的に歩行者は信号を守っている。というか、車の交通量が多く、スピードを出しているのが多いので、赤信号を渡るのは危険で、守らざるを得ないのである。

しかし、信号機のある横断歩道がないような道を渡りたいことも当然あるわけで、そういうときは、片側3車線の幹線道路を渡っていく人も見かける。私も必要ならばそういう道を渡る(だって、信号機のあるところまで歩くのって馬鹿らしいでしょ)。

マレーシアにいた時も同様であった。信号機はあるが、設置されている間隔が遠く、「今、ここで」渡りたい場合には、車道を横切って行くしかないのであった。私がいた町は、マレーシア国内では5番目くらいの大きさだったが、盲人も人口の規模に比例して結構いた。その町では、やはり片側3車線の大きな道を、盲人が白杖を上下に降って、ドライバーに見えるようにしながら信号機のない場所を横断して行くのを何度か見た。もちろん車は止まってその人が渡るのを待ってはくれるのだが、それにしても見ているこちらのほうが恐ろしくなるような光景であった。

東南アジアを旅行したことがある人ならば、信号機のないところ、あるいは赤信号でも渡っていく人がいるのを見たはずである。キルギスにせよ、マレーシアにせよ、また別の国々でもそうかもしれないが、これらの基本にあるのは、「安全は自分で確認して判断せよ」ということである。

考えてみれば、至極当然のことである。生物として、その感覚は必要不可欠のものだと思う。

road
(今がチャンスだ、渡れ!)

だから、(話は飛躍するように思われるかも知れないが)、何か事故が起こったような時に、例えば公園の遊具が老朽化していて誰かが怪我をしたような時に「行政は何をしている」と憤る人、学校内での事故があれば「学校の安全管理はどうなっていた」と叫ぶ人の中には、自分の安全を他人に委ね過ぎている人がいるようにも見える。

おそらくキルギス、マレーシアだけでないと思うが、2年間、途上国暮らしをしている協力隊の多くは、「自分の安全は自分で確保する」という感覚を日常的に持ち続けて過ごしている。その一つが信号機のないところでも横断する、赤信号でも安全ならば渡る、ということなのだ。

前回協力隊に参加した後、痛烈に感じたことなのだが、この感覚が日本での暮らしでは不適応を起こす。車が来ていないのに信号待ちをしていることがなんともじれったい。特に最初の1ヶ月くらいは、すごく葛藤していたのを憶えている。その時期は実際に赤信号でも渡っていた。東南アジア的に、まず道の半分まで渡って、そこで一旦車の通行がなくなるのを待って、残りの半分を渡りきるというのもやったことがある。これ、日本でやると非常に危ない。ドライバーがそういう歩行者がいることを想定せずに運転しているからだ。

安全のために交通ルールを決めて、みんなで守るのも大事であるが、一方で人間もそれなりに有している動物的な感覚は鈍くさせられているのかも知れない。

日本に帰って、赤信号を渡るのは顰蹙ものだと分かっているが、前回同様、最初の数週間1~2ヶ月くらいは渡ってしまうだろう(って、威張って書くべき話ではないのだが)。

2012/04/23

その癖はヤバイ (2)

キルギスにいると、道につばを吐いている男たちをよく見る。あるいは、つばではなく痰を吐いている場合もあるかも知れないが、とにかくペッ、ペッと吐いている。

日本から来たボランティアの中には、そういう行為に嫌悪や軽蔑を抱いて、そういうことをやっているのを民度の低さと見て、この国の発展を妨げている根本にあると話す人もいたが、そうとも言い切れないだろうと私は思う。

田舎の方へ行くと舗装されていない道がほとんどである。そういうところでは車が走るたび、あるいは風が吹くたびに土ぼこりがたつ。そういうところだとのどがいがらっぽくなって、痰がよく溜まる。それで、ペッ。(ただし、この説明では、男ばかりがつば・痰を吐くのは理屈に合わない。女がそういうことをするのは、キルギスでも「はしたない」と思われるようである)。

舗装されていない道だから、つばや痰を吐いても、汚いものではない。つばだって、痰だって自然物である。つば・痰が汚い物に見えるのは、都市化された場所だからだろう。シンガポールではつば・痰吐きは罰金の対象になるそうであるが、なるほど、シンガポールのような都市ならば、つば・痰は汚い物と見られるのは当然だと思う。

キルギスの首都ビシュケクでもつば吐きは見かけるが、村で暮らしていた時よりも少ない気もする。100万人都市で、舗装率が高くなると、人の意識も都市的なのであろうか。それでも、日本で道を歩いている時よりも、つば吐きをする人、あるいは吐かれたつばの後を見ることは多い。

さて、キルギスに来てから、私も路上へのつば・痰吐きをするようになった。「えぇ~、サイテ~」と言われても仕方ないことだが、申し開きをするならば、一つは上記に書いたように、痰がよく溜まるから吐くのである。日本にいた時は痰なんて路上に吐かずに、ティッシュに出すか、それができなければ飲み込んでいた。しかし思うに、痰というのは、体の内部に入らせないようにごみが溜まった物だろうから、飲み込むというのはよろしくないと思うのだが、どうなのだろうか。

私がキルギスでつば・痰吐きをするもう一つの理由は、ここの文化で人々がやっていることはやっておく、ということである。これは防犯のためにと考えている。

幸いなことに、キルギス人と日本人の顔つきは割と似ている。肌の色や目の色が異なって、すぐに「異人」と分かる国もあるが、キルギスではそういう面ではすぐには気づかれない。ただ、それ以外のところで、例えば服装や持っているかばんなどでキルギス人でないと気づかれる(もちろん言葉を話せばすぐに分かる)。

日本人であると分かったからどうということもないのだが、その土地の者ではないと見ると付け込もうという輩は、どんな場所にもいるのである。そういう輩のターゲットになりづらくするために、その国で買った物を着る(日本の町で見たらきたならしい印象でも)、歩き方、振る舞いもその国の人っぽくやってみる、というのが自衛策になる(と私は思っている)。

まあ、だいぶ強引な理屈をこねている感もあるが、ともかく、この国ではマナー違反には見られないつば吐きなのであるが、日本に帰ってからはそうもいくまい(キルギスのボランティアでさえ、それを嫌がる人もいたわけだしね)。痰壺でも持ち歩くか…。

2012/04/22

その癖はヤバイ (1)

任期終了、帰国まで約3ヶ月となり、帰国オリエンテーションというのを受けた。こうして事務手続きが始まると帰国の実感が次第に高まって行く。

帰国準備の話になると、必然的に帰国後の身の振り方も考えることになる。「現職参加」と言って、日本での仕事を休職して協力隊に参加している人たちは、帰国後も元の職場に戻るので職探しのことは心配しなくてよいが、そうでない者は就職が心配の種である。

ところで、就職の話とは別に、協力隊参加者には帰国後に関して別の心配もある。それは、任国での2年間で身につけた当地での習慣・生活感覚である。これは派遣された国によって違うし、国の中でも地域によっても違う。私がキルギス生活で身に付いてしまった習慣・感覚で、帰国後、日本では浮いてしまいそうなものがないか自己点検してみる。

まず思いつくのは、「食事中のゲップ」である。キルギスでは、食事中のゲップはノープロブレム。当たり前のようにゲップをする。「ゲフッ」っという感じで。

それは下品だと思う人もいるだろうが、それはあくまでも日本の、いや欧米の基準に馴染んだあとの日本人の感覚である。食事中のゲップが下品などという絶対的な基準はない。それでも、日本の中ではゲップは卑しいものという通念ができあがっているように思うから、それをすれば白眼視されるのは確実である。

今は、ゲップをした後に、「あ、これを日本でやったらヤバイな」と思うのだが、日本ではゲップをする前にそう思ってゲップを止めなければならない。これがちょっと心配なのである。

2012/04/10

村の商店

バコンバエバ村にいる時に撮影した商店の様子。

ショーケースで客と店員の間が仕切られていて、商品の陳列は客から見て向こう側にある。客は、自分のほしい商品を店員に伝えて取ってもらって購入する。「一番安いひまわり油1本」とか「上の棚にある120ソムのウォッカ」とか言う感じで伝える。

こういう配置や客と店員のやり取りは当然のようにも思うのだが、例えば日本の田舎の個人商店なんかを思い出してみると、商品の陳列はこうはなっていなかったと思うのだ。客は自分で商品を直接取ることができるのではないか。

推察するに、これは、一つには万引き防止ということがあるだろう。ただ、衣服店など直接商品を手にすることができる店もあるので、必ずしも万引き防止だけが理由ではないとも思われる。

もう一つ別の理由として思ったのは、ソ連時代からの物品配給の習慣が引き継がれているかも知れないということ。ソ連時代の商店では、買いたい物(肉、パンなど)を店員に伝えて、その商品の価格を書いた紙をもらい、それを持ってレジで支払いをすると支払い証明のレシートがもらえる。再び元の商品の売り場に戻って、そのレシートと引き替えに商品を受け渡してもらう、というシステムだったのだそうだ。ロシア語の学習テキストか何かでそういうのを読んだ記憶がある。なかなか面倒で、かつ非効率的なシステムに思えた。

キルギスの肉屋でもそのシステムを体験したことがあるから、いまだにそのシステムが残っている所があるようである。個人商店がショーケースで仕切られているのも、そういう名残の一部なのかも、と思った。

2012/03/21

Нооруз (イスラム教新年)

3月21日はイスラム教新年で祝日。キルギス語表記だとНооруз /ノールズ/。家のテレビでカザフスタンの放送を見ていたら、カザフ語ではНаурыз /ナウルズ/となっていた。

イスラム教徒人口の少ない日本では、こういう祝日があることを知っている人はほとんどいない。私もキルギスに来るまで知らなかった。

ノールズは祝日なのだが、なぜか私が新しく配属された障害児センターは仕事をしていた。そんな日なので、いつもは4~5人通ってくる子供も2人しか来なかった。ノールズのような日は、親戚や友人を招待(逆の立場なら訪問)するので、子供をセンターに連れてくるどころではないだろう。むしろ、2人も子供が来たのかと思ったほどだ。

スタッフに訊いたら、仕事が終わって帰宅後、親戚が家に来ると言っていて、やっぱり祝日としての行事はしたようである。仕事をして、なおかつ祝日行事もするなんて忙しいのに、なんでこの日を営業日にしたのか、説明を聞いたけれど、よく分からなかった。

首都ビシュケクのアラ・トー(Ала Тоо)広場という、大きなイベントがいつも開催される場所では、ノールズにちなんだイベントが開かれていたようであるが、私は出勤していたので行けなかった。というか、休みでも行ったかどうかは怪しい。夜、テレビで録画中継を見たが、歌手が歌ったりしていた様子であった。う~ん、まあ、現地で生で観られなくても悔いは残らない感じかな…

ノールズを出勤日にしたので、22日は振り替えで休業日となった。22日はキルギス21年度4次隊の帰国日で、朝に空港から出発するのだが、仕事を気にせず見送りに行けるので、結果的にノールズが出勤日になったのは良かった。

2012/02/16

カラコル冬祭り2012

2月14日、カラコルという市で冬祭りがあった。カラコル市は、東西に細長くのびるキルギス最大の湖(琵琶湖の9倍!)「イシククル湖」の東に位置する。首都ビシュケクからは車で約6時間。私の住んでいるバコンバエバ村からは車で2時間20分。

この祭りは、昨年、カラコル市のツーリスト・インフォメーション・センターで働いていた一人の隊員が中心になって企画・開催された。その隊員はすでに任期終了しており、今年は後輩が引き継いで準備を進めてきた。主催はカラコル市で、協力隊は準備段階での企画アイデアの提供や、当日の日本関連のブースの出展で手伝ったようだ。

私は当日のビデオ記録係を頼まれて、イベントの様子をメインステージ、民芸品製作の作業所が出店しているブース、協力隊が出展しているブースなどを、ビデオカメラを持って撮影して回った。

Karakol_Fes (1)
(民芸品販売のブース。各地の村の工房から出店があった。)

Karakol_Fes (3)
(協力隊員による和太鼓演奏。来場者アンケートで人気ナンバー1だったとのこと。)

協力隊は、「出前日本語講座」で本職の日本語教師の隊員が、日本語の表現やキルギス人の名前をカタカナで書いてあげるブースあり、ボディペイントで、頬や手の甲に希望の漢字を書いてあげるブースありで、これも人が途切れず大盛況。

Karakol_Fes (2)
(日本関連ブースの前も大盛況。)

Karakol_Fes(4)
(デザイン学科学生によるファッションショーなんかもアリ~の。)

昨年は、協力隊がテントの設営から、イベントの進行の調整までやっていて、協力隊なしでこのイベントが継続できるのか疑問に思うところもあったが、こうして現実に、キルギスの現地の人たちの手で開催されて行っているのは前回と今回の企画に携わってきた協力隊員たちの成果だ(準備の裏話を聞いたら、協力隊が気付かなければどうなっていたかと思うような“抜け”は多々あったようだが、そうして少しずつ現地の人に移管していければよい)。

昨年、最初にこのフェスティバルを企画した隊員は、今年の様子を見ることはなかった。すべての協力隊は2年間の任期だから、こうして自分の蒔いた種が、その後、どう花開き、実を結ぶかを見ることができないことも多い。あるいは、自分の活動が何かの成果に結びつかないという隊員も多い。それ自体は残念なことだが、皆それぞれに自分の人生の中の2年間を、派遣された国で手探りしながら活動して、そして日本に帰っていく。

達成感あり、悔恨あり、挫折感あり。それでも2年は2年。その後、現地の人や後輩隊員たちが、何かを引き継いでくれたら、協力隊員としては幸福なことではないかな、と思ったのであった。

2012/02/15

コーラは温めましょう

暑い季節、外を歩いて汗をかいたあとに飲む冷えた炭酸飲料。たまりまへんな。

コーラとかペプシといった炭酸ジュースというのは冷やして飲むものだと思っていたが、キルギス人は冷えた飲み物はあまり好まないようなのである。

キルギス人の家にお邪魔する際、手みやげに炭酸ジュースを買っていくことがある。ジュースなのだから冷えた物のほうが良かろうと思って、店で冷えたペットボトルのを買っていく。

ところが、お邪魔したお宅でその炭酸ジュースを開ける際、わざわざペチカ(ストーブ)の近くに置いて温めているのである。

その家がたまたまぬるめの炭酸ジュースが好きなのかとも思ったが、別の家でも同じ様な光景を目にしたので、結構な割合で炭酸ジュースは冷えたまま飲まない家庭があるのだろうと推測している。

確かに、冷たい飲み物は腹を下す原因にもなるから、あんまり冷え冷えのジュースは良くない。特に小さな子供にはそうだろう。冷えたジュースを飲んで体調を崩すという経験の積み重ねで、炭酸ジュースは冷やしては飲まないという文化が定着したのか…

商店でも、炭酸ジュースを頼んだら、店員がペットボトルに手のひらで触れて、冷えていない方を選んでいるような時もあったが、これもぬるめの炭酸ジュースが好まれることを前提に考えれば、店員の親切心であったのだろう(「炭酸ジュース=冷やして飲む」と考えれば、逆に意地悪に感じる)。

人間の味覚は、3歳くらいまでに食べ慣れた物で、ほとんど生涯にわたる味の嗜好が決まってしまうのだそうだ。日本人が当たり前と思っている、炭酸ジュースを冷やす飲み方も、万国共通とは限らないのである。アフリカとかで送電線が普及していない地域であれば、コーラなんてなまぬるく飲むのが当たり前で、よもや冷やして飲む人たちがいるなんてことも思いもしないのかも知れない。

ビールにだって氷を入れて飲む地域があることは前に書いたと思うが、ジュースやビールといった日常的な飲み物が、いや日常的だからこそ、それぞれの地域で飲み方が分かれていて、かつ固定化しているのだろう。そして厄介なことに、自分の慣れ親しんだ飲み方以外は、どうしても奇妙に感じてしまうのである。

2012/02/12

評論家になれるよ! って言うか、なれよ。

途上国での海賊版DVDの氾濫は、もう常識になっている。もちろん、海賊版DVDは違法であり、著作権保護の観点からもよろしくないのだが、現実として氾濫しているのは間違いない。

キルギスでも、映画、ドラマ、アニメなどの作品がDVDにコピーされて売られている。

videoshop
(DVDを売っている露店)

内容はロシアものの他に、アメリカもの、韓国もの(ここでも韓流は人気である)が多く、たまに日本の映画やドラマシリーズも見かける。キルギスの映画なんかも多くはないがある。国外のものはロシア語に吹き替えられているのが普通なので、おそらくロシア経由で入ってきている海賊版なのだろう。

パッケージを見ると、驚くことに、1枚のDVDに映画が6本とか、ディスク両面に映画が12~16本とか、ドラマシリーズが第1話から第12話までとか入っている。ジ○リのアニメ映画も、2枚組のDVDに有名どころの作品が網羅されている。

pirate
(あの日本人監督の作品らしき写真も…)

こちらの人たちは、これを買って、あるいはお互いに貸し借りして見ている。ホームステイ先の人も、ここ最近、DVDをずっと続けて見ている。

海賊版DVDに加えて、テレビ放送でも映画はよくやっている。というのも、(私の推測だが)映画を流しておけば、テレビ局は独自に番組を製作しなくても済むので、コンテンツを埋めるには都合が良いからだろう。こうしたテレビで放映される映画もよく見ているようである。

DVDにテレビ放送。トータルで言ったら、週に10本くらいは映画作品を見ているんじゃなかろうか。ここまで見ていたら、相当、鑑賞眼も養われていると思う。映画評論家になれるくらいの勢いである(実際、プロの映画評論家はもっと見ているはずだけど)。

とは言うものの、見ている映画の傾向はだいたい同じ(アクションもの、格闘もの)で、ストーリーは単純。これではなかなか鑑賞眼も高まらないだろうなぁ…

2012/02/08

「趣味は料理です」について

私は現在ホームステイをしているが、ステイ先の家族が首都に長期間行っているので、食事は自炊している。正確には家の長男は家に残っているが、彼とは一緒に食事をするわけではないので、それぞれ好きな時に台所を使って自分の分だけを作っている。
元々、料理をするのは好きであるから、別に自炊だからつらいということはない。日本で仕事から帰った後に、作り始めるとなると億劫で、牛丼とかほか弁に流れることもあったが、幸い(?)ここでは時間はたくさんある。日本の自宅であればある調理器具が同じようにあるわけではないが、私ごときの料理であれば十分足りる。そんなわけで、今は趣味の料理を楽しんでいる。
趣味を聞かれて、私のように「料理」と答える人はたくさんいる。ふと思ったのだが、キルギスに来てから、「自分の趣味は料理すること」と言っている人には会ったことがない。そういう話題にならなかったということもあるが、1年半いて、一人もいなかったのだから、そういうことを言う人は少ないのではないかと思う。
趣味というのは、いわば遊びが高じたものだ。食は生物である人間にとって、不可欠なものであるが、それを趣味と言えるのは、基本的な食の必要が満たされているからだ。
もちろん、キルギス人にとっても食べることは楽しみの一つだ。宴席などで、普段は食べられない肉料理が出てくる楽しみ。たまにカフェ(食堂)で食事をする楽しみ。これはある。そういう食べることの楽しみは、全人類共通ではないか。それは「楽しみ」というより「悦び」という言葉のほうが適当か。
だが、「料理が趣味」となるとどうなんだろう。食べる楽しみ・悦びとは、なんか質的に違うがするのだ。食べることの余裕の上に成り立っている、という感じだろうか。料理が趣味というのは作る側のことだが、食べる側での趣味となれば食い道楽となるか。いずれも、食べることにギリギリではできない遊びであり、経済的余裕があってこそのものだ。
日本で「料理が趣味」な人がたくさんいることは結構なことだと思う。「料理が趣味」ということが違和感なく受け止められていることは幸福だと思う。だが一方で、それは世界どこでも共通する価値観でもないとも思った。おそらく、「料理」と「趣味」という言葉を結びつける語法もない地域もあるんだと思う。

2012/02/02

「ギム・ボー?」の謎 ~ キルギス人の電話マナー ~

子供の頃や就職した後に、電話のマナーをいろいろ教え聞かされたものだ。夜分の電話は控える。かけたら、今、電話をしても大丈夫か相手に尋ねる。かけた方が切るまで受けた方は切らない、など。

そういう電話マナーの一つに、「電話をかけたら自分から名乗る」というのがある。携帯が普及した現在では、登録された番号ならば、誰からかかってきたのか画面に表示されるから、名前を聞かずとも誰なのかわかるが、相手方に番号が登録されていないこともあるし、やはり名乗るマナーは変わらない。

しかし、ここキルギスでは名乗らずに電話をかける人もまま見かける。面白いのは、

A(受話者):はい、もしもし。
B(発信者):もしもし、元気?
A:元気よ。そっちはどう? 体調とか仕事とか順調なの?
B:順調順調。ご心配ありがとう。今、どこにいるの?
A:今、車で○○に向かっているところ。で、あんた、誰?

というやり取りである。誰からかかってきたかわからないまま、まずは定型の挨拶をしていくのである。文字に起こしただけでは、臨場感を再現しきれないのだが、時には30秒くらい親しげに話した後、「あなた、誰?」と訊いていることもある。キルギス語では「ギム・ボー?」と言う。英語だと"Who is this?"(これ誰?)になる。この「ギム・ボー?」が出ると、私は「新婚さんいらっしゃい」の三枝ばりにいすからずっこけたくなるのだ。

賢明な読者ならすでにもう一つのオチも読めていると思うが、30秒くらいあれこれとやり取りした後、「ギム・ボー?」が飛び出し、名前を名乗った後に、間違い電話であると判明することがある…。落語とか吉本新喜劇なんかでは定番の(?)オチだが、それをギャグ抜きで現実にやっている人たちがいる。ここにいる。

そうだ。電話マナーの一つとして、「間違い電話をかけたら、きちんと謝る」と教えられたものだが、キルギスでは、間違った相手にかけたとわかったら、何も言わずに切る人が多い。間違われたほうも、そんなものだと思っているようで、別に不快という感じも見せない。

マナーの多くが、世界どこでも共通でないことの好例である。

2012/02/01

キルギス人と携帯電話

今や、携帯電話は世界中で普及している。途上国では、設備の設置費用において、有線の電話回線よりも無線(電波)のほうが安上がりで済むため、携帯電話のほうが普及しているとも聞く。まず有線電話が各家庭に普及してから、携帯電話が登場してきた日本とは電話普及の経緯が異なる。
キルギスは、旧ソ連時代にかなり地域で電話線が敷設されたようで、10戸程度の家しかない集落でも家に固定電話はある。ソ連時代の電話料金は、同じ市外局番同士であれば、通話は無料だったそうで、そのシステムは今のキルギスでも継続されている。当然、同じ市外局番の家に電話をかける時は、固定電話からかけている。
よその市外局番にかける場合に携帯電話を使っているようだ(携帯がない時代は固定電話だったはず)。
携帯電話は、通信会社ごとに発売しているSIMカードというのを携帯端末にセットして使う。事前に料金を払っておき、使った分だけ減っていくプリペイド方式である。プリペイドした分を「единица /エディニッツァ/」と呼ぶ。ロシア語で「単位」という意味。同じ通信会社間の通話は安く、異なる通信会社だと高くなる。かけた方のエディニッツァが減っていく。
と言うわけで、自分からかけるより相手にかけてもらう方が得だから、いわゆる「ワン切り」というのもある。

2012/01/27

それ、無理ですわ

日本では絶対に経験しないと思うキルギスでの出来事。

キルギス人たちに、写真の撮影を頼まれることがたびたび起こる。しかも、まったく知らない人から。

クリスマスツリーがあったのでデジカメを出して撮影をしていたところ、家族連れで来ていた男が、「俺たちを撮れ」と言ってきた(キルギス語、ロシア語ならそういう“命令形”で言うのも標準なのかも知れないが、外国語学習者にとっては、そういう高飛車な表現というのは不愉快なものである。おそらく、本人のニュアンスとしては「写真撮ってよ」程度であったろう)。

撮影したところで、データを渡すことも、現像した写真を渡すこともできないから、断っていたのだが、しつこく、酔った勢いもあって体を付けてくる、腕をつかんでくる始末。「ああ、こういうところが、俺がキルギス人の一番嫌いなところだなぁ」と思いつつ、それ以上断るのも危険そうだったので、撮影することに。

車に乗っていた家族がぞろぞろと出てきて、ツリーの前に整列。撮影終了。

IMG_1458

と、それを見ていた別のグループからも、「俺たちも撮ってくれ」と頼まれ、撮影。

IMG_1462

当然ながら、データもプリントも渡していない。最初から「無理」と説明してあることだから、気の毒だが仕方がない(そもそも、この写真を撮った場所は自分の村でさえない)。

日本人的感覚であれば、こういうことを頼んでも詮無いことだと考えるが、キルギス人はそうは考えないのだろうか? たまたまその場に居合わせた、見ず知らずのカメラを持っている人に撮影を頼んだら、現像をして届けてくれると思っているのだろうか。

インターネット利用がもはや当たり前になっている(そのために「ネット弱者」という人たちを生み出す弊害も出ている)社会ならば、「このメールアドレスに送ってちょうだい」と頼む可能性はあるかも。一方、遊牧民族の文化を基礎にしているキルギス人は、旅人に対して「またこの辺りを通ることがあったら、写真を届けてくれ」と考えるのか…。

この分析が妥当かどうかは分からないが、いずれにせよ、根本において文化的土台が違っているんだと思う。

実際、この手のエピソードはこの時以外にもしょっちゅうあるし、私以外の隊員もしばしば経験している。キルギス協力隊員のデジカメの中には、見ず知らずのキルギス人の写真が結構入っているのである。

2012/01/26

停電だから野菜も買えない

なんか、ここ最近、バコンバエバ村の電気供給が安定していない感じである。昨年の5、6月頃は、季節の変わり目のせいか午後になると風が強く吹くのであったが、その度に停電になっていた。何回目からは、風が吹く音がすると、「あ、こりゃ、停電来るな…」と予想できるようになっていた。そして、予想通りに電気が停まった。

別の村に行った時に、そこでも強風が吹き始めたので停電を予想していたが、そこでは停電は起こらなかった。そこで吹く風のほうが強かったのに。つまり、バコンバエバ村の送電設備が脆弱、ということなのか?

先日、野菜を買おうと小店に入ったが、折しも停電中。以前にも書いたかも知れないが、キルギスでは野菜も菓子も計り売りが基本。特に田舎の店ではそうである。

私が、野菜を取って、店のおばちゃんに渡そうとすると、「停電だから計れない」と言って断られてしまった。秤《はかり》が電気式なのである。だから、停電中は目方が計れず、したがって販売もできないというわけだ。

電気式の秤というのは、日本で肉屋が使ってるのと同じような物。キロあたりの単価を打ち込んで、商品を載せると値段が出る。確かに、これはアナログ(針)の秤でやるよりは簡単である。

しかし、これだけ停電が多い村なのだから、アナログ秤も常備しておくべきだと発想しないのだろうかねぇ…? 良くも悪くも、商売っ気がない。

yasai
(写真はバザールの野菜売り場。本文とは直接は関係ない。)

2012/01/23

Абак

Я писал о абаки несколько день назад. Опять я нашёл абак в другим месте.

abacus

У нас в японии тоже есть абак, который назваются “соробан” на японском. У японским абаки и кыгрызскам абаки другие их образы.

Фотография японского абаки.
http://www.craypas.com/products/fs/product_img_369.jpg

В Википедии.
http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%90%D0%B1%D0%B0%D0%BA

2012/01/22

珍しくなくなる

キルギスに渡航した直後は「え?」とか「こんなのいいの?」みたいに驚いていたことも、1年半も過ごしているうちに、そのことを意識することさえなくなるものである。

その最たるものが、「ペットボトルで売られているビール」である。

Nashe (食堂の棚に陳列されていたビール。銘柄は「НАШЕ/ナーシェ/」。
「私たちの」という意味のキルギス国産ビールである。)

まあ、最近ではビールがペットボトルに入っていることなんか、全然、珍しいとも不思議とも思わなくなっているのだが、帰国したら逆に「なんでペットボトル入りビールがないの?」となるのかも知れない。

日本でも売ればいいのに、と思ったりもするのだが、おそらく衛生上の問題でやらないのではないか? (実際、キルギスでペットボトル入りビールで当たった隊員がいた。ボトルの下に、沈殿物があったそうな…)

ペットボトル入りビール自体は気にしなくなっているが、このボトルを開ける時の開け方には、いつも気を遣っている。要は、炭酸飲料と同じで、上手く開けないと、泡が吹き出してきてしまうので、ゆっくりとガスを抜きながら開ける。

海外のビールで驚いたと言えば、マレーシアにいた時、あちらの食堂や屋台でビールを頼むと、氷の入ったコップにビールが注がれて出されていた。日本でこれをやると、「味が薄まってまずくなる」と嫌う人が多いが、私はマレーシアで慣れた。熱帯だから、ビールがすぐにぬるまってしまうわけで、氷を入れて冷たく飲むのが美味しい。

ついでに…

ベトナム隊員だった人によれば、あそこでは、一緒に飲んでいる人のコップにまだビールが残っていても(3~4口分くらい?)、新しく注ぐ前に全部、道に捨て流してしまうのだそうだ。「まだ飲んでる途中なのに…」と思うことが度々あったと聞いた。

枝豆とかから作った飲料を、ビールの代わりにして飲んでいるのも、よその国の人から見たら、随分不思議なさまに思えるかもね。