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2012/07/21

ラマダン

http://sky.geocities.jp/kaltimjp/ramadan.htm

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%B3

キルギスの24年度1次隊の新ボランティアの歓迎会と、ちょこっと22年度1次隊の送迎会のために、各地方で活動している隊員たちがビシュケクに集まってくれた。

歓迎会の時に誰かと話していて、「ラマダン、始まったね」と言われ、自分はまったく知らなかったのだが、どうやらそうらしいのである。

ネットで調べてみたら、今回のラマダンは西暦2012年の7月20日から8月18日までとのことである。今さら説明するまでもないと思うが、イスラム教の宗教行事である「ラマダン(断食月)」は、イスラム暦(太陰暦)に基づいて行なわれる(イスラム暦の9月)ために、西暦カレンダーだと、毎年異なる日程に行なわれる。

私はキルギスで3度のラマダンを過ごしたが、3度とも街の様子からは断食が行なわれているのかどうかが分からなかった。以前も書いたと思うが、マレーシアでのラマダンは、イスラム教徒(マレー人のほぼ全員)はかなり厳格に断食をしていた(家で軽食を取っている人を見たことがある隊員もいたが…)。マレー系の食堂は日中は営業休止になり、日没後から店を開くという感じであった。「これがイスラムの断食月か」と、間近に見て衝撃に似た感覚を覚えた。

キルギス人も宗教はイスラム教であるが、私がマレーシアで見たラマダンと比べると、「ゆるい」感じである。みんな、朝から晩まで、いつも通りに食事をしている。厳格に断食をしている人も一定数はいるようであるが、私の身近では見ない。

キルギスに来た当初、イスラム教の戒律を守っていないキルギス人たちを見て、「真面目にやらんでいいんか!」とやや批判めいた目で見ていたものだった。思えば、それは私がマレーシアで生活をした時のマレー人たちを規準にしてものを考えていたからだろう。

キルギスで暮らしているうちに、「ここの人たちがこれでいいと思うなら、こういうやり方もありなんだろうな」と思うようになった。そもそもムスリムでない部外者の私が、マレーシアのやり方が正しくて、キルギスのは間違っている、なんてことをいうのもおこがましいのだ。

他のイスラム教地域の人たちからはどう思われているのかは知らない(まあ、きっと眉をひそめる人たちが多いだろうけど)が、こんな人たちもいることで、イスラム教の中の多様性が保たれているという面もあるんじゃないか、とも思う。

【参照】

ウィキペディア 「ラマダーン」

2012年の断食月(おもにインドネシアの断食の様子)

2012/06/29

身近にあるブッダ・デザイン

キルギスと玄奘三蔵ついてブログに書いたことがあった。現在はイスラム教が主流となっているキルギスであるが、玄奘が唐からインドへと旅をした頃は、キルギスでは仏教寺院が数多くあったそうである。

イシククル湖の脇を玄奘は通った(シルクロードである)はずなのであるが、かつてイシククル湖の北側には仏教寺院が存在したそうで、玄奘も訪れたであろうということだ。湖の水位が上がったり、湖の位置がずれたりしたことで、それらの寺院は現在、湖底に沈んでいる。

湖底に沈んでいないものも含めて、キルギス国内にはまだまだ仏教関連の遺跡がたくさん眠っているはずなのであるが、限られた国家予算の中で、現在の自分たちの信仰とは別の宗教の遺跡を発掘するところまでは手が回らないのか、放置されてしまっている。日本の考古学調査隊とか、来てくれないものか…

さて、話は変わるが、(確か)昨年から売り出された「ISSYK ATA(イシック・アタ)」というガス入りのミネラルウォーターがある。イシック・アタというのはキルギス語で、直訳すれば「温かいお父さん」という地名である。たぶん、そこの水の質が良いので、それを銘柄にして売り出したのであろう。

このミネラルウォーターはペットボトルで売っているが、ボトルの色がエメラルドグリーンで爽やかな感じがする。そして、ラベルを見てみると、

issyk-ata

こんな絵がプリントされている。どう見ても仏(いや、詳しくないのだが、菩薩とかなのかも知れない)の絵である。このミネラルウォーター、よく売れているということも書き加えておく。

こういうものが許容されるキルギスって、不思議な感じがするのである。赤道に近いほうのイスラム教国で、こういう製品って売り出されることは私にはイメージしづらいのだ(勝手な思い込みなんだけどね)。

そういえば、ビシュケクには「Buddhist Cafe」というカフェもある(高級店らしいので、まだ行ったことがないが)。この辺もキルギスらしさと言えるかもしれない。

2012/06/24

般若心経を覚える…

そういえば、同期の隊員と「協力隊にいる間に『般若心経』を暗記しようじゃないか」と言って、「よ~し、言ったな、こいつぅ。じゃあ、来月までにどこまで覚えたか競争しようぜぇ」みたいなのりであったのだが、その後、一行たりとも覚えていない。

なんか、我々二人のそのいい加減さ自体が、ありがたいお経からは縁遠いことの象徴のような気もする…。アーメン(って、ひどいね、ホント)。

2012/03/21

Нооруз (イスラム教新年)

3月21日はイスラム教新年で祝日。キルギス語表記だとНооруз /ノールズ/。家のテレビでカザフスタンの放送を見ていたら、カザフ語ではНаурыз /ナウルズ/となっていた。

イスラム教徒人口の少ない日本では、こういう祝日があることを知っている人はほとんどいない。私もキルギスに来るまで知らなかった。

ノールズは祝日なのだが、なぜか私が新しく配属された障害児センターは仕事をしていた。そんな日なので、いつもは4~5人通ってくる子供も2人しか来なかった。ノールズのような日は、親戚や友人を招待(逆の立場なら訪問)するので、子供をセンターに連れてくるどころではないだろう。むしろ、2人も子供が来たのかと思ったほどだ。

スタッフに訊いたら、仕事が終わって帰宅後、親戚が家に来ると言っていて、やっぱり祝日としての行事はしたようである。仕事をして、なおかつ祝日行事もするなんて忙しいのに、なんでこの日を営業日にしたのか、説明を聞いたけれど、よく分からなかった。

首都ビシュケクのアラ・トー(Ала Тоо)広場という、大きなイベントがいつも開催される場所では、ノールズにちなんだイベントが開かれていたようであるが、私は出勤していたので行けなかった。というか、休みでも行ったかどうかは怪しい。夜、テレビで録画中継を見たが、歌手が歌ったりしていた様子であった。う~ん、まあ、現地で生で観られなくても悔いは残らない感じかな…

ノールズを出勤日にしたので、22日は振り替えで休業日となった。22日はキルギス21年度4次隊の帰国日で、朝に空港から出発するのだが、仕事を気にせず見送りに行けるので、結果的にノールズが出勤日になったのは良かった。

2012/03/09

バルクチのロシア正教寺院

バルクチ散策の時、鐘の鳴る音が聞こえ、その音のもとを探して見るとロシア正教寺院があった。

前回のブログにも書いたように、ソ連時代はロシアとの物資のやり取りの拠点にもなっていたようだから、その名残でロシア系の住民もたくさんこの町に住んでいる。キルギス系の村であればロシア正教の寺院はないから、こういう寺院があること自体が、その町・村の履歴を顕している。

церковь

私たちが聞いた鐘の音は、建物の上にあるこの鐘であったのだろう。

司祭(と呼ぶのか?)と思われる男性がいたので、中に入って良いかと尋ねると「どうぞ、ご自由に」という感じの手振りをされたので、礼拝堂に入ってみた。

以前、カラコルという町のロシア正教寺院に入った時には、女性は髪を隠すように求められたので、同行していた女性隊員はスカーフなどで髪を隠した。男の私は特に何も必要ないだろうと思っていたら、かぶっていたニット帽を脱ぐように言われた。男は髪を出さなければいけないということか? 多くの宗教において、何らかの頭髪に関する決まりがあるのは興味深いところである。

会堂の中には「イコン」として知られる、聖書の中のキリストにまつわる話の一場面を表す絵が壁や天上にいくつも描かれていた。会堂の中は撮影ができないので、建物の外にあったイコンしかお見せできないが。

icon

我々日本人は、見た目はキルギス人に近いから、そういう連中がロシア正教の会堂に入っていくことは、ロシア人、キルギス人それぞれにとってどのように見えるのだろうか、などと考えながらの見学であった。

2012/01/01

ロシア正教寺院

ビシュケクにあるロシア正教の寺院。

jiin

ロシア正教の場合、「寺院」で良いのかな? キリスト教だからやはり「教会」か? 「会堂」とはユダヤ教的な呼び方になってしまうか…? 「礼拝堂」もあり得る。

中にも入って、礼拝に参列したが、儀礼が分からず、周囲の人に合わせて頭を下げていただけ。

ロシア正教の寺院の中は、参列者が座るためのベンチがなく(脇の方にわずかに置かれていた)、全員、ずっと立ったままでの礼拝。高齢の参列者は、疲れると脇のベンチに腰掛けて礼拝していた。

私は人との約束があったので、礼拝の途中で中座したが、最後まで参列していた別の人によれば2時間半以上の礼拝だったそうである。

聞いたことのないロシア語の賛美歌(と呼ぶのかは不明)を聞けた。日本人が聞き馴染んでいる賛美歌はアメリカのプロテスタントのものが多いのではないかと思うが、ロシア正教には別の歌があるようだ(一つも聞いたことのある歌がなかった)。

礼拝の儀礼中、火を灯《とも》した蝋燭が使われることが多く、何か重要な意味が付けられているのだと推察した。礼拝堂内の脇に、信者が蝋燭を立てる場所があり、そこに小さな蝋燭を立てていた。蝋燭は寺院の敷地内に売り場があった。ちょうど、日本の仏教寺院でもそんな感じであるから想像しやすいだろう。蝋燭を立てる台も似たような物である。

火は宗教儀礼では特別な物として用いられることが多い。多くの宗教で火の使用がある。そう書いていて思ったのだが、イスラム教では火は使わないようだ。これは新たな発見!

2011/12/18

ドゥンガン・モスク

キルギスのイシククル州の州都カラコルという町に、「ドゥンガン・モスク」と呼ばれるイスラム教のモスクがある。「ドゥンガン」とは、中華系のイスラム教徒のことで、キルギス国内にも在住している(ウィキペディア「ドンガン人」の項)。私なども、ロシア語もキルギス語もたどたどしく話しているのを聞いて、「お前、ドゥンガンか?」と尋ねられたことが何度かある。

カラコルにあるドゥンガン・モスクは、中華系の人が建てた物なので、キルギス人の一般的なモスクと建築様式が大きく異なる。

キルギス人モスクは下の写真のような感じである。

kyrgyz_mosque

キルギス人モスクについても、私がマレーシア隊員時代に現地で見たモスクと様式が違うので、別に取り上げたいとかねてから思っているが、とりあえず今回は対比のための参考として写真を載せておく。

さて、ドゥンガン・モスクのほうはというと、

Dungan_Mosque

こんな感じである。キルギス人モスクが土壁であるのに対し、こちらは木造建築。

Dungan_Mosque4

全体の景観、細部にわたる彫刻の施し方などを見ると、仏教寺院のようにも見えてくる。このあたりは、ドゥンガン人が漢族などの影響を受けているためではないかと思われる。

しかし、この建物がやはりイスラム教のモスクであることを示す物もあった。

Dungan_Mosque3 
(信者に礼拝を呼びかけるアザーンを放送するための塔「ミナレット」)

Dungan_Mosque5
(礼拝堂入り口に掲げられた、一日5回の礼拝の時刻を示す時計)

私たちがこのモスクを見学させてもらったのは13:15頃で、上の時計を見ればわかるように、13:30からの礼拝の間際だったため、礼拝のためにムスリムの男達がモスクに集まりはじめていた時間であった。

一番興味深かったのは、礼拝堂を案内してくれた年輩の男性が話すのを聞いて、一緒に行った協力隊隊員の一人がウズベク語なまりがあると気付いて、「どこから来たのですか?」と聞いたら、バトケン州というウズベキスタンとの国境付近のほうから来た人であったことだ。ドゥンガン人が建てたモスクであるが、今はドゥンガン人以外のムスリムも礼拝する場になっている(もちろん、他の地域のモスクでも、現地出身以外のムスリムは礼拝できるし、イスラム教以外の宗教でも基本的には同じだと思う)。

2011/11/07

イスラム教 犠牲祭

今年(2011年)の11月6日は、イスラム教では「犠牲祭」という日にあたるそうである。

はて、どんな祭日なのかと思い、ネットで調べてみた。

イスラム教の祭日ということであれば、マレーシアにいた時もあったはずだと思うのだが、「イード・アル=アドバー」なんて言葉、聞いたことがあったかな?? と思って、マレー語のウィキペディアも開いて見ると、

「Hari Raya Haji」という別名があるそうで、この呼び名には何となく聞き覚えがあるように思う。

日本語ウィキペディアに「アブラハムが進んで息子のイシュマエルをアッラーフへの犠牲として捧げた事を世界的に記念する日」と書かれている。

この話、『旧約聖書』で読んだことがあると思い、「創世記」の中にこのエピソードを探してみた(聖書も昔の翻訳は電子テキストとしてネットで閲覧可能である。便利である)。

これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、「アブラハムよ」。彼は言った、「ここにおります」。 神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。(創世記22:1-2)

あれれ?

聖書のほうでは「イサク」を犠牲にすることになっている。イスラム教では「イシュマエル」である。これは読み方が違うとかの問題ではなく、そもそも別の人物である。聖書にも「イシマエル」という人が出てくる。両名ともアブラハムの息子であり、詳細は「創世記」を読むなり、ネットで検索するなりしてもらえばよいと思うが、イシマエルはアブラハムの妾が産んだ子、その後本妻が産んだのがイサクである。

このどちらが犠牲としてささげられるかで、ユダヤ教・キリスト教(聖書)とイスラム教(クルアーン)では違いがあるということだ。ただ、エピソードとしては共通のものであり、これらの三宗教がきょうだい関係であることが顕れている。

ちなみに、私の身の回りでは、特にこの祭日にまつわって家で祝いをしたりとかいうことはなかった。キルギス人同士が知人に会った時に、何か「○○おめでとう」(←聞き取れず)という感じの言葉を交わしていたので、それはおそらくこの犠牲祭を記念して言っていたのだと思う。

2011/09/10

2001年9月11日

人類史に残る(であろう)事件・出来事が話題になる時、「あの時、どこにいた?」という話はよく出ると思う。1945年8月15日の玉音放送、今年の3月11日の大震災など。そして2001年9月11日は世界中で記憶されている日付である。今年はあの9月11日から10年目にあたる。

その当日、夜のテレビニュース番組を見ていたら、アメリカからの速報生中継が入り、そこからすべての放送局が臨時放送体制になった。それを見ながら「このまま世界大戦になるのでは…」と不安が襲ったが、世界大戦とは違うが、現在の世界情勢を方向付けたのは明らかにあの日の出来事だった。

その年の秋募集で協力隊に合格した私は、翌2002年4月から二本松訓練所で訓練を受け、7月にマレーシアに赴任した。その後のテロ組織掃討のための軍事作戦などがあり、正直、協力隊として派遣されるのか心配であった。

マレーシアはイスラム教を国教としている国で、多国籍軍によるアフガニスタン攻撃に関しては「同胞」としての視点から関心を持っているようであった。マレーシアでの任期中は何度か「日本は今回の戦争についてどういう立場なのだ」と質問を受けた。

9・11を機に、イスラム教に対する恐怖感が非イスラム圏では強くなったし、私自身もそういう目で見ていたのだが、マレーシアで2年暮らし、そこでのイスラム教徒の暮らしを見、イスラム教とテロを同一視するような風評には体験的に「違う」と言える。イスラム教以外の所でもテロは起こされて来たし、テロリスト本人たちは宗教的な熱意だと意識してやっているのかも知れないが、何か別の動機が宗教的な集団意識と結びついてテロリストを醸成するのだと思う。

今年は2001年9月11日から10年目になり、アメリカの諜報機関では大規模テロの計画の情報をつかんだとか、容疑者を拘束したとかのニュースが出ていた。

もし、イスラム教に基づく集団が「10周年テロ」を計画しているのだとすると、私にはつくづく合点がいかないのだが、「2011年」も「9月11日」も西暦、すなわちキリスト教の暦なのである。イスラム原理主義と言われる人々が、なぜ西暦に則って「10周年」を算出するのか…。そこには矛盾はないのかと不思議なのである。

2011/09/01

Hari Raya Aidilfitri(断食明け in マレーシア)

断食明けに関して、マレーシアで体験したことを、このブログに書いておく。

私が1回目の協力隊参加〔2002~2004年)で派遣されたマレーシアは、人口の約半分を占めるマレー系国民はほぼすべてイスラム教徒で、『コーラン』で断食をしなくてもよいとされている人(妊婦、子供、病人、旅人、重労働者など)以外は、皆、断食(マレー語ではpuasa〔プアサ〕)をしていた。

それだけに(と言ってよいのか)、マレーシアでは、断食が明けるとイスラム教徒たちは大きな祝いをする。Hari Raya Aidilfitri(ハリラヤ・アイディルフィトリ)と呼ばれる祝いが1週間続く。これは日本でいうなら新年正月にあたり、親戚や職場の同僚同士が訪問して、断食明けを祝う(この時に、お年玉のように小さな封筒に少額のお金を入れて子供にあげる習慣があったと記憶している)。

私も断食明けの祝いに、職場の同僚に同伴させてもらったが、一日に7軒くらいの家を回るのである。しかも、各訪問先でカレーをはじめとした料理を出されるので、たいてい3軒目くらいにはもう食べられない体になっている。それでも次の家に行けば、またカレーが出てくる。どの家もカレーは美味しいのだが、2時間くらいの間に4~5杯のカレーともなると、もう味わう対象ではなくなっている…。

今思えば、お茶で流し込みながらも、あれだけ食べられたのは、自分がまだ若かった証でもあるな、感慨しみじみである。いや、若かったといっても、それでも何軒目かの家では、トイレで隠れてリバースをした。そうだ。それも今思い出した。

今頃、マレーシアはHari Raya Aidilfitriを祝っている真っ最中だから、マレーシア隊員のブログを探せば、現在進行形のカレー責めの話が読めるだろう。

2011/08/30

オロゾー・アイト

どうやら今日あたりが新月にあたるようで、陰暦では月が変わる。前の新月からの月齢の1ヶ月が経ち、イスラム教の断食月も今日の新月を以て終了する。

キルギス語では断食は「орозо(オロゾー)」で、断食が明けることは「орозо айт(オロゾー・アイト)」。職場やホームステイ先などでは、オロゾー・アイトの祝いが行われた。といっても、この1ヶ月の間、イスラム教で定められた方法で断食をしていた人はどれだけいたか…。「断食が明けた」と言っても、これまでも食べていたので、特に断食月が終わった達成感というか、実感はないようである。

前回派遣先だったマレーシアでも断食明けは経験したので、それはあらためて別の記事として書くが、マレーシアの断食明けの祝いは大きかった。

私にはその印象があるので、昨年、キルギスで断食明けを迎えた折には、「あれ、断食は本当に明けたんだろうか?」と思うくらい、日常生活に別段の変化は見られなかった。昨年は、キルギスに来た直後ということもあったから、十分に状況が把握できなかったのもあると思う。

今年は、周囲の人たちが「今日はオロゾー・アイトだ」と言っているのを聞くので、キルギス人も断食明けを意識していることは分かった。

ホームステイ先では、近所に人や親しい友人を招いての食事会。料理はプロフであった。つつましやかな、という感じの食事会であったが、それがかえって伝統的な行事という雰囲気でよかった。

2011/08/12

現在、ラマダン(断食月)

8月1日からイスラム暦のラマダンに入ったそうである。

「ラマダン」という言葉は、日本人にも耳慣れてきたように思う。「今日からラマダンなんだって」「へぇ、そうなんだ」みたいに、いちいちラマダンが何かを説明しなくても会話が成り立つことが増えてきた。

ラマダンとは、そもそもイスラム暦の月の一つである。「ラマダン=断食」ではない。ラマダンの一ヶ月は、日の出から日の入りまで断食をするという決まりがあるのである。イスラム暦は太陰暦なので、太陽暦で見るとラマダンの時期は毎年異なる。ちなみに、ラマダンはイスラム暦の第9の月だそうだ。

ラマダンという言葉に日本人が多く耳にするようになったのは、湾岸戦争とか、9・11後のアフガニスタンでの軍事作戦の時だったのではないか。軍事作戦に影響するとかで、ニュースの解説にラマダンという言葉が出てきていた。

ラマダンに入ったとは言え、キルギスにおいてはあまり断食ムードを感じることはできない。そういえば、昨年この国に来た頃もラマダンだったが、人々が日中も普通に食事をしているので驚いた。

以前協力隊生活を送ったマレーシアは、断食月はかなり厳格にしていた(そのことは改めて書くことにする)ので、イスラム教徒はどこでもそのようなものかと思っていたが、この国に来てイスラム教徒も多様であることを目の当たりにした。

当初は「戒律に対してこんないい加減ではいかんだろう」と責めるような気持ちがあったが、イスラム教徒でない私が憤るのも筋が違うし、この問題についてはキルギス人、あるいはイスラム教徒の間で是非を問うなら問うだろうし、あるいは触れずにおくということなのかも知れない。

日本人も多くは仏教徒だけれど、肉・魚は普通に食うしね。その辺、どうなんだろう。本当にそういう戒律があるんだろうか? それすら曖昧である。肉・魚を食べているという現実があるから、そういう戒律があったとしても、あえてそれを引っ張り出してきて、「俺たちは仏教徒なんだから、肉食は慎もうぜ」という声は挙げないようにしているのか? 人間というのは、一度美味い物を味わってしまうと、堕落してしまうと言うが…。

2011/05/15

聖地巡礼のビザ枠 (2)

書いていて気になったので、駐日サウジアラビア大使館サイトを覗いてみた。

ありましたぞ、巡礼ビザに関する情報(http://www.saudiembassy.or.jp/Jp/Visa/Visa.htm#1)。

サウジアラビア政府の認可を受けた旅行代理店を通してのみ申請可能
サウジアラビア大使館・領事部へお電話でお問い合わせください
(代表03-35xx-xxxx)

認可を与えた旅行代理店を通じて、駐日大使館でビザの発給数を管理している感じである(まあ、当然そうだよね)。

それはそうと、このページの一番上に、

サウジアラビア王国を訪問する人は、イスラムに基づく諸法律・規則を順守し、サウジアラビア社会の価値観と伝統を尊重しなければなりません。

と、注意が書かれている。巡礼に行く人は、もとよりイスラム教徒だからイスラム諸法・戒律を守り、サウジアラビアの文化に従うはずだから、この注意書きはイスラム教徒ではない旅行者に向けて書かれていると思われる。

確かに、我々日本人の多くにとっては「イスラムに基づく諸法律・規則」なんて馴染みが薄いもんなぁ。旅行するとなれば、それなりに下調べはするだろうけど。私もサウジアラビアの文化・風俗は知らんけど、日本人旅行者がやりそうな「ルール違反」としては、飲酒と女性の服装かな。

おそらく、ホテルなどのバーなら酒は飲めるだろうけど、どこでも酒が飲めるという訳にはいかないだろうから、イスラム教徒が行くような店にビールを持ち込んじゃうとか、そういうトラブルはあり得るのでは。女性旅行者が、肌の露出の多い服装で出歩くのも御法度であろう。

ところで、キルギス人は「イスラム教徒」と言う割には酒を飲むし、しかも酒にだらしない人が多い。日本人も仏教徒でありながら飲酒する人が多いから、他文化の人のことを悪く言えた義理ではないが、しかしそんなキルギス人が、全世界からイスラム教徒が集まる巡礼に行って大丈夫なんかいな? と心配になるのである。

イスラムの戒律遵守が緩いキルギス人の中にも、きちんとイスラム的な生活を貫いている人はいる。(別にイスラム教の肩を持つわけではないが)残念ながらそういうきちんとしたイスラム教徒は、キルギスの中では少数派な感じである。ただ、メッカ巡礼に行くのは、そういうきちんとしたイスラム教徒の人たちであろうと思う。だから、メッカに行って、「ああ、メッカに来たぞ。みんな、乾杯だ」という間違いは絶対にないだろうと、他人事《ひとごと》ながら心配したり安堵したりするのであった。

2011/05/14

聖地巡礼のビザ枠

キルギスのニュースサイトにあった記事。

◆Кыргызстану на хадж-2011 выделено 4 тысячи 500 виз(聖地巡礼ビザ、キルギスは4千500人分)
http://www.24.kg/community/99870-kyrgyzstanu-na-xadzh-2011-vydeleno-4-tysyachi-500.html

イスラム教徒にとっては、生涯に一度、聖地メッカ(サウジアラビア)へ巡礼いくことが宗教生活上の柱の一つであるそうだ。巡礼月というのがあって、その期間中に合わせて、多くのイスラム教徒たちがメッカを目指す。巡礼月の巡礼を「大巡礼(ハッジ)」と言う。

もちろん、全世界のイスラム教徒がメッカへ旅することができるわけではない。サウジアラビア国外に住むイスラム教徒にとっては、旅費がそれなりにかかるわけで、大変なことである。

大変なのは、行く人だけでなく、全世界からのイスラム教徒を迎えるサウジアラビアも、である。何しろ、数週間の間に、何百万という人が一箇所に集中するのだから、宿泊施設等含めて、受け入れるのは大変なんだろうと思う。

で、巡礼月に入国できる人を制限せざるを得ず、イスラム教国それぞれに、ビザ発給の制限枠を設けているのである(以上、すべてどこかで聞いたり読んだりした話)。

今年(厳密には、イスラム暦と西暦は一致しないので、西暦に基づいて「今年」というのは間違いであるが)、キルギスに割り当てられたのは4千500人分とのこと。

この人数が、毎年こんなものなのか、多いのか少ないのか、分からない(記事中に書いてあるのかも知れないと思い、google翻訳にかけて読んでみたが書かれていなかった)。

ところで、日本にも日本国籍のイスラム教徒がいるはずだが、そういう方々は大巡礼に行こうとした場合、ビザの問題はないのであろうか? 日本のイスラム教徒は少ないから、人数制限を設けるまでもなく、普通に参加できるのだろうか。それとも、どこかに代表事務局みたいのがあって、そこがサウジアラビア政府にビザの枠を申請しているのだろうか。駐日サウジアラビア大使館はあるだろうから、そこでビザの管理はできるはずだから、そこでやってるのかな?