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2018/08/24

キルギスが紹介された番組 「笑ってコラえて!」

日本のテレビ番組で、時々、キルギスが紹介されることがある。
私がキャッチしたものを記事にしておく。

日本テレビ 「笑ってコラえて!」

2018年3月 7日放送(前半)
2018年3月14日放送(後半)
”世界一周!1年間ロケしっぱなしの旅”

番組スタッフが世界を一周しながら、「日本人未踏の地」を探して、そこで日本の文化を紹介していくという企画。

冒頭はキルギスの地理や文化を紹介。
 

市場でクルト(馬乳などを発酵・乾燥させて固めたもの、チーズに近い)や、チュチュック(馬などの腸詰め) が紹介される。


羊(番組内では「山羊」と紹介)をボールのように争奪する遊び、「コク・ボル」も紹介されていた。

 

キルギス国内の移動では、日本留学経験のある男性に助手を頼み、イシク・クル湖方面から訪問していく。

この辺りは 外国人観光客の定番ルートであるし、協力隊の派遣数も多い地域なので、案の定、村人からは「日本人が来たことがある」との返事が返ってくる。

 キルギスの南部なら、まだ日本人が行ったことのない村がありそうだとの情報をもらい、「アクムズ」という村を目指す。



 
(アクムズ村のマップ)

アクムズ村の村長に取材を申し込む。当初、いきなりのテレビ取材に慎重になっていた村長であったが、取材意図を了解し、村で取材させてもらえることになる。


キルギスでの訪問客の接待の習慣にのっとり、家で紅茶とパンを出される。これは遊牧民文化の名残りだと言われている。
(キルギスを訪問する人は、このような接待を受けたら、遠慮して断ってはいけない。パンは端っこひとかけらだけでも食し、お茶はできれば1回はお代わりをするのが現地のマナー。)

 

この村には日本人は来たことがないとのことで、企画の目的地として合格。

日本文化の紹介ということで、現地でかまくらを作ることになる。しかし、氷点下30度の地域なので、雪はサラッサラのパウダースノー。日本のべた雪のように固まってくれない。

雪に水をかけて、固まらせながら、2日かけてかまくらが 完成。


日本とは雪質が違うため、かまくらを作ることはないキルギス人にとっては新鮮ではなかったかと思う。子供たちは「中はあったかい」 との感想。


村での滞在の様子を見ていて思ったのは、キルギス人のフレンドリーさである。いきなり訪れた外国人の呼びかけに応じて、たくさんの人が公民館のようなところに集まって話を聞き、かまくら作りにも協力してくれていた。

小さな村だから、こういうことが大イベントとして盛り上がる素地があるのかもしれない。それにしても、日本の街中でこういうノリはないし、キルギスにおいても都市部ではおそらくなくなっている光景なのである。


この辺りは標高3,000m越えの地域。冬は氷点下20℃くらいの気温は日常のこと。どんな環境でも子供たちは元気だということも、感心させられる。

【番組サイト】
3月7日放送分
3月14日放送分

2012/07/02

日本のカレー粉

カレールーではなく、カレー粉でカレーを作ったという話を書いたが、その後、日本にもカレー粉が売っていたのを思い出した。

カレールーのトップメーカーがそれぞれカレー粉も発売している。

sb
赤缶カレー

house
カレーパウダー

どちらも赤基調のデザインなのは、たぶんS●Bのほうが古くて一般的で、そのイメージをハ●スも追随しているからであろう。「パクリ」と言ってしまえば元も子もないが、このサイズの赤い缶はカレー粉だというイメージが流布していれば、陳列棚やキッチンで見つけやすいのだから便利だ。

それぞれメーカーサイトにカレー粉を使ったレシピがたくさん掲載されていた。カレーだけでなく、使い方にはいろんなアイデアがある。こういうのを見ていると、日本に帰ったら試してみたいと思わずにはいられない。

完成度の高いカレールーが幾種類も販売されているのに、いまだに古典的なカレー粉が売られているのは、単にカレーだけでなく、他の料理にもカレー風味をつけるなどの使い方で活用している人が多いからだと推測する。というか、そういう使い方はかなり広くでされていて、私が世間知らずというか、アイデア貧困でやっていなかっただけという気もする。

う~ん、ますます早く日本でもカレー粉でカレーを作ってみたくなってきたぞ。

2012/05/25

Brown Green Tea

キルギス人の生活に茶は欠かせない。食事の時は必ず茶を飲む。日本人でも、食後に茶を飲む人はいるだろうが、すべての人という訳ではない。キルギス人はほぼ100%。子供の頃から茶を飲んでる。

キルギス人が飲む茶は紅茶であるが、日本語で「紅茶」と呼んでいるお茶は、ロシア語、キルギス語では「黒茶」となる。あの色を「紅」と見るか、「黒」と見るか、文化によって異なるのが面白い。

さて、キルギスには紅茶(黒茶)のほかに緑茶もある。日本人にとって「茶」と言えば緑茶が基本だから、海外においても緑茶が飲めるのは嬉しい。

そう思って、緑茶の茶葉を買ってみたことがあったが、これに湯を注いで茶を出してみると、これが「緑茶」ではなかった。色が茶色なのである。茶色、というか褐色というか。

う~ん、なんでこれが「緑茶」なんだろうと思う。日本人的感覚ではウーロン茶のような色である。おそらく、ウーロン茶のような茶が、ここでは緑茶というカテゴリーに入れられているんではないか。

この手の「茶色い緑茶」はロシア語表記で売られているから、ロシア語文化圏では共通の現象だと思うのだが、その文化圏では、ウーロン茶も緑茶も同じカテゴリーの茶として扱われているのかも知れない。

そういえば、緑茶のことを「日本茶」とも呼ぶなぁ。「煎茶」とも。とすると、茶葉を煎じる飲み方というのは、日本独特の飲み方ということかしらん?

茶の話題を書いたついで(と言っては失礼かも知れないが)、とある茶農家の人のブログのリンクを貼っておく。

わがえん茶~鹿児島枕崎のお茶農家日記~

このブログを書いている人、実は、私が前回協力隊に参加した時の同期隊員。私はマレーシア、彼はラオスへの派遣だった。二本松訓練所で、宿泊部屋が隣だった。現在は、鹿児島県枕崎市で茶栽培をしている。

ブログから申し込めば、新茶の購入もできるみたいなので、お茶好きな人はCheck it out!

2012/05/23

マナスチュと琵琶法師

キルギスの英雄物語『マナス』を語るマナスチュについて書いていて、日本の琵琶法師のことをちょっと考えた。

日本でも琵琶法師も、マナスチュに類似したストーリーテラーであった(まだいるのか?)。口承で物語を覚え、それを語る。それが廃れてしまったのはなんとももったいない限りである。かたやキルギスではマナスチュは今も健在である。

両者の一番大きな違いは、琵琶法師の場合、琵琶という楽器が弾けなければならないので、これは大きなハードルであることは間違いない。マナスチュのほうは、今でいう“ラップ調”に語るスタイルなので、楽器演奏はしなくていい。

琵琶法師は盲人がなるものだったようだが、手元の電子辞書に所収の「ブリタニカ国際大百科事典」でその項を見てみると、当道《とうどう》という琵琶法師の自治組合があったのだが、明治にはいって当道制度がなくなり、それに伴って琵琶法師も激減したそうである。

かつては、一般の職には就けない盲人たちの自活手段として琵琶法師という道があったのだろうが、そのことが逆に「琵琶法師=盲人の仕事」という固定化につながり、盲でない者の中からは『平家物語』の語り部になろいうという者が出ない構造になったのではないか。このあたりの、なり手が絞られてしまった点も、琵琶法師とマナスチュとの違いだと思った。

ベベベン。

2012/05/06

首都にも野良犬がいる

キルギスの首都、ビシュケクの風景。

dog
(首都ビシュケクの路上で寝そべる野良犬)

発展途上国とは言っても、人口100万人の大都市である。そんな町の中にも野良犬がフラフラしている。

マレーシアでも野良犬がいた。旅行で訪れたバンコク(タイ)でもいた。

日本では、特に都市部では野良犬はゼロである。犬に咬まれる事故とか、狂犬病感染とかを予防するために、つながれていない犬は保健所が捕獲してくれる。その仕事をしてくれている役所の人たちには感謝すべきだし、なによりも我々の生活の安全が守られていることはありがたい。

でも、なんか釈然としない感じも残るのである。

キルギス、マレーシア、タイ、ほかにも野良犬がいる国はたくさんあるはずだが、なんでそういう国々では野良犬の存在が許されて、日本(の都市)では許されないのだろう? それらの国は途上国だから野良犬がいる、ということか? でも、野良犬との付き合いの熟達度で言ったら、あちらさんのほうが断然、先進国だと思うのだが…。

思い返してみると、私の幼少時には、まだわずかながら野良犬がいた。祖母に連れられて歩いている時に、腹を空かした野良犬が食べ物ほしさに我々の後をつけてきていて、祖母が追っ払っている光景が記憶にある。

狂犬病が発生するのも厭わずに野良犬を黙認すればよい、とも思わないが、野良犬がいる場所の人たちは、犬への対処も心得ている。ひとことで言えば「手荒い」扱いである。野良犬がまとわりついてくるようなら、石を投げつける。屋台で食べているところに近寄って来たら蹴飛ばす。

(ただし、タイでは事情は違った。仏教国であるせいか、野良犬も大事にしているようで、むやみに脅かしたり、蹴ったりはしていなかった。野良犬は追っ払うのが常識だと心得ていた私が、寄って来た野良犬どもを足蹴にしていたら、現地の人たちがやや遠巻きに目を丸くしている感じであったので、私も「なんか、俺のほうが悪いの?」と立場が悪くなった気がした。どこの国でも野良犬をいじめているわけではないので、タイ人の名誉のために書いておく。)

石を投げつけたり、蹴飛ばしたりするのは、もちろん残酷な行為である。動物虐待に違いない。しかし、役所が野良犬を捕獲してくれる日本では、我々の見ないところで犬たちは処分されている。いや、野良犬だけでなく、飼われていた犬も飼い主が蓄犬預かり所のようなところに持っていき、そこで殺処分されている。状況が違うから、どちらが「より残酷か」という話をするのではないが、少なくとも、日本人が野良犬に石を投げつけて追っ払っている連中を指して非難するのはあたらない。

別にキルギスでは、絶えず犬に石をぶつけているわけではない。こちらに向かってきそうな気配がする犬は追っ払うだけである。人間も己の身を自分で守るために、犬の動向に注意を向けているわけだ。危険を察知する感覚を常に持っていなければならぬわけで、身の安全を役所任せにしているのとは、道を歩いている時の神経の使い方も違う。

私は目の前で見たことがあるわけではないが、海外へ旅行に行った日本人が、現地で犬に咬まれることが結構あるのだという。「おいで、おいで」と犬に近寄って(近寄らせて)、頭をなでようとする。そこへ「ガブリ」とやられる。犬はペットとしてしか認識しない環境で暮らしている者が、野良犬にも同じ感覚で近寄っていって起こる事故である。そういうことができるのはムツゴロウさんだけなのである(ってこともないが)。

自分の身を野良犬から守ろうという感覚を持たずに暮らせる所では、人間の野性感覚も衰えていくんじゃなかろうか。

wild dogs
(職場の前の野良犬ども。別に危害を加えてくることはない。)

2012/04/06

大相撲の放送

有料チャンネルの中に、格闘技専門チャンネルがあり、ボクシング、キックボクシング、総合格闘技などを一日中放送していて、絶えず人が殴り合っているのだが、そのチャンネルで大相撲が放送されていた。

sumo

相撲も格闘技の一種だから、このチャンネルで扱うのは自然ではある。ただ、キルギスで大相撲の放送が見られるとは思いがけないことだった。

残念ながら生中継ではない。取り組みの力士に巻き込まれて行事が失神した場面が出ていた。確か春(1月)場所の出来事ではなかったか。日本では大阪(3月)場所が行われている時であったが、一つ前の場所を放送していたことになる。

ずっと以前に、キルギス人もモンゴル相撲に似た相撲をやることをブログに書いた。キルギスから日本の相撲部屋に入門し、力士になる人がいれば、キルギスに関わった者としては応援したいところである。

キルギス出身力士の四股名も勝手に考えたりしている。キルギスは天山《てんしゃん》山脈に囲まれているので、その字は入れたい。または、イシククル湖のあるイシククル州出身であれば、玄奘三蔵の記録ではイシククル湖が「熱海」と記されているらしいから、その字を入れるのもよい。キルギスという国名に漢字を当てて「吉留義守」とかどうか(吉を留め義を守る、って格好いいね。ワープロは漢字の当て字がすぐできるから便利だ)。

2012/03/29

キルギス語と沖縄方言

キルギス語で「専門職」「特殊技能保持者」「実行する人」などを表す接尾辞がある。日本語で言えば「~人」(例:料理人、案内人)、「~者」(例:司会者)、「~手」(例:運転手)、「~師(士)」(例:消防士、看護師)が対応する。

キルギス語の場合、接尾辞の前にある母音に対応して接尾辞の発音も「~チュ」とか「~チ」という感じになる。

例えば、“羊”を表すкой /コイ/にこの接尾辞が付くとкойчу /コイチュ/となり、「羊の仕事をする人」すなわち「羊飼い」を表す単語になる。

キルギスの民族楽器комуз /コムズ/にこの接尾辞を付けてкомузчу /コムズチュ/となり、「コムズを弾く人」「コムズ演奏家」となる。

沖縄の方言では、“沖縄島民“のことを「うちなんちゅ」と呼ぶようだし、“島民“は「しまんちゅ」と呼ぶようだ。“海人“と書いて「うみんちゅ」とも読むらしい。沖縄旅行の土産なのだか、そういう文字がプリントされたシャツを着ている人もたまに見かける。これらの最後に付いている「~ちゅ」という音は、「~の人」というニュアンスであろう。

キルギス語の「~チュ」というのと、沖縄方言の「~ちゅ」は音と使われ方が似ている。おそらく語源をたどれば同じ所に行き着くのではないかと、素人考えをしているのだが、そういうことを研究してくれている言語学者はいないものかしらん?

キルギスと沖縄の共通点と言うと、キルギスのコムズも、沖縄の三線《さんしん》も、共に弦が3本の楽器である。それを言うと三味線も同類であるが、調弦の仕方では三味線はちょっと独自の発展をしたのではないか? 実は三味線のことは知らないので推量でしかないのだが…。もちろん、伝来の流れで言えば、大陸のほうから日本に入って来たのは間違いない。

楽器とか、言葉の共通点から、キルギスと沖縄を結びつけるルートが検証できれば面白そうだなと思ったので記した。

2012/02/14

国会中継とラジオ放送

短波ラジオ放送、愛聴者の私である。

NHKが放送している番組で、日本時間の午前8:30~11:50に「ラジオビタミン」という生番組がある。海外では、そのうちの11:15~11:50の部分しか流れていないのだが、キルギスの現地時間だと朝8:15~8:50にあたり、起きて出勤までの身支度をする間に聴くのにちょうど良い(ちなみに、日本にいる時も、非番の日には結構聴いていた番組である)。

この番組は月~金の平日の帯で放送されているはずなのだが、時々、「エターナル・サウンド」「弾き語りフォー ユー」という番組に差し替わっていることがある。

「ラジオビタミン」は時々、ミュージシャンをゲストに招いて、スタジオで生演奏をすることがあるので、音楽著作権の関係で放送ができないのかと思っていたのだが、どうも著作権の問題ではないようだ(実際に、スターダスト・レビューの根本要さんや元オフコースの鈴木康博さんがスタジオで歌っていたのを聴いたことがある)。

「ラジオビタミン」が別の番組に差し替わるのは、衆参国会や特別委員会が開かれる時であるらしいことに最近気付いた。日本国内ではNHKが中継をするので「ラジオビタミン」自体の放送がなくなっていて、他の番組を流している(そういう意味では、正確には「差し替え」ではない)ようだ。

そうであれば、甲子園高校野球の時期も同じのはず。キルギスでも高校野球中継が聴けると待っていたが、別の番組が流れていたような記憶がある。

だから、著作権の規制で放送できないのはミュージシャンのスタジオライブではなく、国会とか高校野球のほうということになるのだろうか。それにしても、国会とか高校野球に著作権とかないだろうから、何を保護しているんだろう…?

「エターナル・サウンド」「弾き語りフォー ユー」は、日本にいた頃は知らなかった番組だが、NHK-FMの番組のようで、これはこれで面白い。これらの番組がかかっていると、「ああ、今日は国会が開かれているんだな」と思うのである。

2012/01/29

Frequent questions about Japan or Japanese

I’m now living in Kyrgyzstan as a volunteer. People in Kyrgyzstan ask me about Japan or Japanese. Some questions are frequently asked.

I have replied to those questions at each moment without preparations. But I thought that I should assume them and prepare to answer them.

So I listed up questions that I’m frequently asked by Kyrgyzes.

    1. Where do you live in Japan. / Which part of Japan are you from?
    2. Is that city far from Tokyo (the capital of Japan)?
    3. Is that city close to Fukushima? (This question has been given after March 11th 2011.)
    4. How many is the population of Japan.
    5. Are there many Kyrgyzes in Japan?
    6. Are there mountains in Japan?
    7. How high is the highest mountain in Japan? (Height of Mt. Fuji is 3,776 meters.)
    8. All roads in Japan are paved, aren’t they?
    9. Japanese eat fishes a lot?
    10. Do Japanese eat muttons (or horsemeat)?
    11. What are national or popular foods in Japan?
    12. What is the religion of Japanse?
    13. How Buddhists (or Shintoists) worship?
    14. Are there many Muslims in Japan?
    15. Which religion do you belive in? (A personal question.)
    16. Are you married? (A personal question.)
    17. What is the average age of a marriage of Japanese?
    18. How much is the monthly income of Japanese?
    19. How much does it cost to go to Japan by airplane?
    20. What is the language that people speak in Japan?
    21. Are Japanese language and Korean language the same?
    22. Do you have alphabets in Japanese? Are they original?
    23. Are Japanese, Chinese and Korean letters simular?
    24. Japanese understand Chinese or Korean language, don’t you? (or “Can you read…?”)

Possibly in other countries also they are asked; I also ask foreigner these questions. Can you immediately answer questions about your own country?

2012/01/21

骨付き肉

キルギスで肉を購入する場合、肉屋で「これちょうだい」と言って、店の人がその肉を秤《はかり》にかけて、重量に応じて値段を払う。肉が大きすぎると思えば、切って、分割してもらい、目方を少なくして買う。

私はホームステイなので、基本的に自炊する機会は少ないのだが、家人がいない時などは、自炊をするために食材を買いに行くことがある。

先日、肉を買ってみて気付いたのだが、こちらで売っている肉の中には、骨が付いた状態の物もある。部位によるのだろうが、体の組織で見れば、肉は必ず骨に付いて存在している訳だから、骨付き肉として売っていても不思議ではない。

キルギスを基準に考えれば、骨と肉を分ける処理をした物が売られている日本のほうが不思議とも言える。

私は迂闊にも今まで気付かなかったのだが、目方に応じて値段が決まるのだから、骨付き肉の場合は骨の分だけ損をしていることにはならないか? 骨って、結構重いにも関わらず、食べられない。まあ、スープの出汁《だし》を取るとかの活用法はあるが…。

別の協力隊隊員にそんな話をしたら、その人もそう思って、肉屋で「骨を外して売って」と頼んでみたことがあるそうな。そうしたら、「グラムあたりの単価は高くなるよ」と言われたのこと。つまり、肉屋にしてみれば、骨付きを前提に単価を設定しているということだろう。肉だけで1kgと、骨付きで1kgでは肉屋の採算性は変わるから、値段も変えるということだ。それに、骨と肉を切り外すならば、その分手間がかかるから、その手間賃で値上がりすると考えもよい(キルギスの肉屋の言い分が実際にそうなのかは分からないが)。

日本では肉は骨を外して売られているが、本当はその手間(人件費)も値段に含まれている。安く買って自分で処理するか、プロが処理をして値段が上がるか。同じことである。

骨付き肉に慣れていないので困ったのは、鳥の唐揚げを作ろうとした時だった。骨の付いたまま衣を付けて揚げたが、いざ食べる段になって、骨が邪魔になって食べづらかった。骨付きの鶏肉は日本でも売っているが、ももとか手羽などは、既に食べやすいようにしてあるのであって、実際の鶏には細かいのやらでかいのやら、もっと色んな骨が組み合わさっている。

今まで、食肉の骨をこんなに意識したことはなかった。日本では肉が処理されていることの便利さなんて、当たり前だと思って、処理されている事自体を意識してなかった。肉屋さん、ありがとう。

バザールの肉屋(ビシュケクのバザール内の肉屋)

2011/12/31

Japanese Red and White Song Battle

大晦日。「年末恒例」とは言われなくなってきた、NHK紅白歌合戦。

NHKは、「NHKワールド」というので、テレビ、ラジオの番組を海外に配信している。テレビは有料で、NHKの番組が見られる。受信設備があり、視聴料を払っていれば、紅白歌合戦も生中継で見られる。

日本では夜7時あたりから11:45までの放送である。紅白を見ながら年越し蕎麦を茹でてすすって、紅白の参加者が「蛍の光」を歌うのを聞き、NHKホールのひきの絵でパ~ンとキラキラしたテープが飛び出す(これこそ恒例だ!)を見たその刹那、画面が一転して、東北の雪に囲まれた寺の鐘をつく場面に切り替わる。ゴ~ン、ゴ~ン。「ゆく年、くる年」である。

ああ、一年が終わっていくんだねぇ…、としみじみしながら、0時を回った途端、各地で迎春を祝う花火の打ち上げ場面。今年は穏やかな年でありますように…。

NHKの「紅白歌合戦」から「ゆく年、くる年」に続く番組の流れは、多くの日本人の年越しの心性を形作っている。

海外でこれらの中継を見られるのは、多くの在外日本人にとって嬉しいことであろう(私は見られないが)。しかし、ここに「時差」という問題がある。場所によっては、日本の真夜中は現地での早朝、真っ昼間である。

キルギスは日本からマイナス3時間。首都ビシュケク在住の日本人たちは紅白を見る集いがあるのだそうだが、見終わった後、まだ3時間も年が替わらないというのは、なんか違和感があるのではないだろうか。キルギスに限らず、世界中のあちこちで、紅白は見られているのだが、早朝や真っ昼間に紅白を見るというのは、何か背中がムズムズするような感じがしてしまう。現地に永住、長期在住している人は、毎年そうやって紅白を見ているだろうから、それが当たり前になっているのだろうけれど。

今年、私は協力隊仲間と、とある山の温泉施設で年越しをする予定である。山に短波ラジオを持っていき、紅白歌合戦を受信し、皆に聞かせるつもりである。さて、電波は良く入るか?

2011/12/27

もうすぐ箱根

有馬記念に続いて、協力隊とは関係のないネタである。

年末の有馬記念で、年の暮れるのを確認したら、明けて正月2日は、今度は箱根駅伝である。自分の親が箱根駅伝のファンであるため、新年2日、3日の午前のテレビは箱根駅伝の中継で占められる。

自分は、第3区中継所の近くに住んでいたことがあり、2年ほど中継所近くで観戦したことがあった。

テレビ中継では、ずっとトップ集団を映しているので、その選手達を見続けているのであるが、コースの一ヶ所で見ていると、ランナーはあっと言う間に通り過ぎるのである。

大学の陸上競技では一大イベントである箱根駅伝なのだが、参加校は関東圏(山梨の大学も入っているから甲州くらいまで含まれているのか?)の大学に限られている、地方大会の一つに過ぎないのだとか。それを、ここまで全国的に注目されるスポーツイベントにしたのは、放映権を持つ某テレビ局の功績と言えるだろう。

しかし、あの演出もいい加減、止めて欲しいと思う人は少なくないと思う。OBの人気アナウンサーを沿道に立たせて、応援実況をさせるとかいうのは、相変わらずやっているんだろうか。それを見て喜ぶ視聴者が多いということか。

スポーツの番組では、試合当日に到る、或いは試合のその後の選手達の様子を扱うことが増えた。そこには、試合からだけでは知り得ない、選手や選手を取り巻くコーチ、支援者たちのドラマがあって感動する。

感動するのは確かなのだが、それは試合に勝った者だけでなく、負けた者にあるストーリーである。テレビ番組で勝者のストーリーだけを感動的に伝えるのを見ていると、「負けた側にもストーリーはあるだろ!」と、独り、突っ込みを入れたくなるのである。

【有馬記念】結果

今年の有馬記念が終わった。

一番人気オルフェーブルが快勝(したらしい。映像は見てない)。このレースで引退の決まっていた牝馬ブエナビスタは、人気の通りには順位は上がらず7着。

私の予想した馬券は、すべて当たらず…。

思い返してみると、2007年のマツリダゴッホ、2008年のアドマイヤモナークを単複(せこ~!!)で取った以降、的中からは遠ざかってますな。

仲間内では、オルフェーブルを単単(2.2倍)、トゥザグローリーを単複(7.4倍)で的中した人がいた。自分は当たりがなかったので、悔しいが、逆の立場になることもある。

さて、来年は自分は日本に帰っているわけだが、どこで、誰と有馬記念の予想をしていることだろう?(一度くらい、中山競馬場で生で見てみたいものだが)。

horses(※この写真は有馬記念の第3コーナーの模様ではありません!)

2011/12/23

【2011年有馬記念】 私の予想、決定

改めて断っておくが、このブログは青年海外協力隊・キルギス隊員のもので、競馬の予想ブログではない。ただ、個人的に、毎年、有馬記念だけは勝ち馬予想をすることにしているので、それを書いてみるだけのことである。真剣に有馬記念の予想をしたい方は、私の話など聞かず、もっと専門のサイトを探されるべし。

さて、今回、私が馬券を買うとしたら、

単勝

(3)ヒルノダムール
血統の中に、おもしろい名前があったというだけ。

(11)ジャガーメイル
昨年、テレビの取材で、ジャガー横田がキルギスに来ていた。ただ、それだけの理由。

馬連

(1)ブエナビスタ-(13)レッドデイヴィス
この2頭、 ブエナビスタは今年の有馬記念では唯一の牝馬《ひんば》。にも関わらず人気投票1番という実力。レッドデイヴィスはせん馬といって去勢されたオス馬である。言ってみればオカマ馬。この2頭を組み合わせて、“おねえ系”馬券と勝手に命名。
いや、だが実際に取る可能性も高い馬券であろう。

3連

(2) ヴィクトワールピサ
(9) オルフェーブル
(10) トーセンジョーダン

(2) ヴィクトワールピサ
(10) トーセンジョーダン
(13) レッドデイヴィス

どうなんだろう。そんなに穴狙いの予想でもないんじゃないかしらん? オッズが気になるところ。

一緒に予想をしていた隊員仲間は、「1頭1頭の戦績とか調教とかを見ていると、どの馬も来そうな気がしてしまう」とつぶやいていたが、まったく同感。2日後にはこの中の1頭が優勝となっているのだが、それまではどの馬も優勝するつもりで調教している。不思議な話だ(いや、別に競馬に限ったことではないな、これは)。

それにしても、毎日・毎週、予想を立てている人たちも大勢いるのだから、博打《ギャンブル》とは言え、それはそれで大変なエネルギーである。私は年に1回で十分である。

2011/12/20

ニュース速報と短波ラジオ

キルギス協力隊とは直接関係ないので、大袈裟に取り上げるつもりはないが、昨日はある国の国家元首の死去が大きなニュースになっていた日であった。

昨日の朝、出がけに短波ラジオで日本時間正午12時のニュースを聞いていたら、「ただいま入ったニュースです…」と臨時ニュースが入って、他のニュースがすべてぶっ飛んでそのニュースのみを伝える内容になっていた。

「北」と呼ばれるあの国に関しては、今日のニュースを短波ラジオで聞いて、個人的に思い出すことがあった。

2002年に当時の日本の首相が「北」を訪れ、かねてから疑惑のあった日本人拉致をあの国が認めた、というビッグニュースがあった。その時、私はマレーシアで一度目の協力隊生活を始めたばかりの頃であったが、たまたま買ったばかりの短波ラジオでそのニュースの速報に触れて驚いた(拉致問題はそのまま一気に解決になるのかと期待していたが、大きな進展はないまま今日にいたってしまっている)。

もう一つ、短波ラジオで驚いて聞いたニュースは今年3月11日の東日本大震災である。当日は被害状況も詳《つまびら》かには伝わってこず、家族・知人の安否を心配しながらラジオを聞いていた。

昨日のニュースは、大きなニュースだとは思うが、個人的には上記2つほどではなかった。

2011/12/09

短波放送の番組

相変わらず短波放送を聴いている。

短波放送の電波は、その時々の気象条件によって到達距離(?)が変わるらしく、昨日はっきりと聞こえていた時間帯でも、今日はよく聞こえないこともある。

また、時間帯によっては、近い周波数で別の短波放送が流れていることもあるので、混線気味になることもある。特に、キルギスは国境を接していることもあるのだろうか、中国語(と思われる。中国語の中にもいくつもの主要語があるらしいが、そこまでの聞き分けはできない)の放送が目立つ。

いやしかし、日本において短波ラジオのダイヤルを回したら、日本語の放送がたくさん入ってくるということはないから、そもそもの話、中国では短波のラジオ放送局が多いのだろうと推測される。これはキルギスでも同じで、日本では主流の中波(AM)放送帯でダイヤルを回しても、あまり放送がないようなのである。その代わり、短波放送帯だといくつもキルギス語らしき放送(「らしき」というのは、隣国カザフスタンのカザフ語がキルギス語と方言同士のような言葉であるため、私がカザフ語をキルギス語と思っている可能性もあるためである)はいくつも入ってくる。

勝手な想像だが、短波放送は伝達距離が中波放送より長いので、その分だけ電波送信所、中継所が少なくて済むので、設備投資は少なく、かつ広域に番組を届けられるので、このあたりの地域では短波放送局のほうが多いのではないか。なお、ちゃんと確かめていないが、どうもFM(超短波)放送と両方で放送している局もあるようだ。

そんなこんなで放送電波の状態は一定ではないのだが、聞き続けていれば、どの時間帯が日本語放送が聞こえやすいかの傾向が分かってくる。その時間帯は雑音、混線が少なく、ストレスがないので、必然、そういう時間にラジオを付けることが多くなっている。

それにしても、最近、NHKのラジオ番組の雰囲気はだいぶ変わったなぁ。そんなふうに感じるのは、自分が歳をとった証拠なのかも知れないが、アニメ声優の番組なんかもあって、ちょっと民放局のノリに近くなってしまっている。最後の砦はラジオ第2放送だな…

2011/11/28

数年後の日本から、今の日本はどう見えるのか?

ここ最近の、日本の政治に関することで私が関心を持っているのは、TPP参加問題と大阪府知事・市長選挙の二つであった。そのうちの一つ、大阪ダブル選挙が、27日に投開票が行われ、既に結果が報道されている。

私たちは今生きている時代、生活状況の中で、色々な思いを持って投票をし、政治の方向性を選択している。いや政治に限らず、色々なことについて大小様々の選択をしている。

その時々には、それが自分たちの望むものに近づくベターな選択だと信じて選ぶのだが、後になって、その選択が自分たちに禍《わざわい》をもたらすこともある。

思えば、7~8年前に郵政民営化などの「構造改革」を唱道する宰相に、国民が熱狂し(あれは確かに熱狂、フィーバーだったと思う)、高い内閣支持率の下で国の制度が大きく変わった。「民営化」「構造改革」というキーワードは、市場の競争原理をさまざまな領域に拡大流布させることで、行政や諸々の公共サービスが効率化され、サービス料金の値下げ、優良事業者の選別(劣悪事業者の駆逐)が進むと期待された。

私が身を置いていた福祉業界や、また医療業界も、競争原理の中で、サービスの効率化と費用の削減が要求された。その要求は、一面ではまっとうなものであったかも知れないが、結果的には費用の削減のために、サービスの質・量を下げ、あるいはサービスの提供そのものが無くなるという事態を多く招いた。

何がいけなかったのだろう…?

個人的には、市場原理に対する過剰な・無批判な信頼を置き、また常に収益増大を指向する発想に、何か大きな見落としがあるのではないかと思っている。それらは私自身がこれまで当たり前のものと、疑いもせずに受け入れていたものであったかも知れないが、それらを野放しにしていたために、私たちはゆっくりと自らを崖っぷちに追いやっていたきたのかも知れぬ、と考えたりする。

7~8年前の政治的熱狂(本当に政治的に理解していたというよりも「コ●ズミ劇場」と例えられたように、ワイドショー的な興奮だったのが実体かも知れないが)の後、今になって、あの時の自分たちの熱狂が招いた事態の深刻さに青ざめている(少なくとも私は)。

今、私たちの目の前で起こっていること、その一部には自分も関与していることが、数年後に「ああ、あの時、あの選択をしていたのが、ターニングポイントだったね」という結果を招いるかも知れない。何か、そんなことが目の前で今起こっているのではないか、と考えてしまうここ最近である。

2011/11/10

日本、日本人、日本企業のイメージ

この数週間で、日本企業の巨額(数百億円!)の不祥事が続いた。製紙会社のDと電子機器メーカーのOで、それぞれ事件の内容は異なるが、それだけの額を操作し、不正を隠そうとしていたことに呆れる。

D製紙のほうの社員は、「ティッシュを売って、100億円の収益をあげるのにどれだけの苦労が必要か…」と涙目で語ったとか読んだが、ホント、お気の毒という感じであった。それに、パルプを作るために、世界各地で森林を伐採しているわけで、住処《すみか》を追われた現地住民、動植物たちも浮かばれまい(まあ、企業の不正があろうがなかろうが浮かばれないのだが)。

電子機器のO社のカメラは好きで、これまでも何台か使って来たのに…。CMに出ているスケートの女子選手も気の毒と言えるかも知れない。

たまたまかも知れないが、こんな事件が立て続けに明るみに出れば、世界の人々の印象には「日本ではそういうことが頻繁に起こっている」と残り得るし、さらには「日本人はそういうインチキをする連中だ」と、(論理を飛躍させて)思い込む者もあるかも知れない。

そういうイメージが定着すれば、海外企業との取引きで不利になる状況も出てくるだろう。「どうせあんたたち(日本人)はずるをするんでしょ」「あんたらを信用できないから、取引きするなら保証金を倍出しぃな」とか、買い叩かれることが出てくるのではないか。

お世辞も多分にあるのは承知だが、海外での日本人の評判は結構良いと思う。国名は挙げないが、中にはどこでも概ね嫌われてしまっているような国・国民もいくつかある。嫌われる理由というのが根も葉もあるのかどうかは知らぬ。しかし、一度でも、その国の人から嫌な思いを味わわされた者は、「○○人は(全員)嫌な奴らだ」と信じるようになっても、由《よし》無しと一蹴はできまい。

逆に考えてみれば、もし、これまで海外における日本、日本人、日本企業のイメージが良いものであったとしたら、それは一朝一夕にできあがったものではなく、これまで我々の先人たちがコツコツと積み上げてきた「信用」という名の蓄えがあったからだ。

「オレは個人の力でやっていくから、日本とか日本人とかはカンケーねぇよ」と言う者も、自分の知らない何十年も前の日本人の作った信用貯蓄の恩恵を、どこかで受けていないとも限らない。また、自分が何年か何十年先の人たちのために信用貯蓄を積み重ねることもできるかも知れないし、逆に負債を作る可能性もある。

信用を得るには何年もかかるが、信用が崩れるのは一瞬、というのはどんな場合でも本当である。海外にいる身としては、自分自身が日本人代表だということを胸に、ここでの残りの暮らしをしなければと思う。

2011/11/02

TPP加盟論議と国外脱出

日本の外交・経済政策の中で、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への加盟の是否が大きな案件になっている。TPPとは何のことかもわからず、ぼんやりしていたのだが、こう連日「TPP」の文字がニュースに出てくる状況で、知らないでは済まされない。
TPPに加盟することで、日本の経済はとてつもない国際競争にさらされ、数年~十数年後にはその競争の中で破れて、日本経済は農業も工業も金融も、その他サービス業も、ほぼすべての分野で没落してしまうのではないか、という危惧を感じる。
しかし、政界・財界にはTPP加盟を推進しようという動きが強いようで、ここのあたりが私には不可解であると同時に、不気味で恐ろしい。
で、これまでにも何度かこのブログで引用したことのある内田樹(たつる)氏のブログに、腑に落ちるものを感じたので、今回も一部を引用する。
雇用と競争について (2011.10.20)
  • 当節はやりの「グローバル人材」とか「メガコンペティション」とかいうことを喃々と論じている人たちはおそらく「この一億二千万人は日本列島で生活するという運命から逃れることはできない」と言い切ることができまい。
    「競争で勝ち残らなければひどい目に遭う」という命題を彼らは国際競争についてだけでなく、実は国民間の「生き残り競争」にも適用しているからである。
    「競争で勝ち残れない日本人はひどい目に遭ってもしかたがない」と彼らは思っている。
    あれほど「競争力をつけろ」とがみがみ言い聞かせて来たのに、自己努力が足りなかった連中にはそれにふさわしい罰(列島からでられず、貧苦に苦しむという罰)が下るのは「しかたがない」と思っている。
    そういう人たちは別に何のやましさもなく、日本列島を出て、愉快に暮らせる土地に移って行くだろう。
    下村は逆に「その手」を封じて、経済について考える。
    「まずオレが食って行くためにどうするか」ではなく、「まず一億二千万が食ってゆくためにどうするか」を考える。
    話の順番が違うのである。 生産性を上げなければ国際競争力はつかない。
    生産性を上げるためには人件費を最低限まで抑制しなければならない。
    だから、「生産性が高くなればなるほど、雇用機会が減少する」というスパイラルが起こる。
    (略)
    「生産性を上げる」というのは端的に「人件費コストを減らす」ということである。
    だから、付加価値生産性の高いセクターでは、雇用はどんどん減る。
グローバリストを信じるな (2011.10.25)
    • 「生産性の低い産業セクターは淘汰されて当然」とか「選択と集中」とか「国際競争力のある分野が牽引し」とか「結果的に雇用が創出され」とか「内向きだからダメなんだ」とか言っている人間は信用しない方がいい、ということである。
      そういうことを言うやつらが、日本経済が崩壊するときにはまっさきに逃げ出すからである。
      彼らは自分のことを「国際競争に勝ち抜ける」「生産性の高い人間」だと思っているので、「いいから、オレに金と権力と情報を集めろ。オレが勝ち残って、お前らの雇用を何とかしてやるから」と言っているわけである。
      だが用心した方がいい。こういう手合いは成功しても、手にした財貨を誰にも分配しないし、失敗したら、後始末を全部「日本列島から出られない人々」に押しつけて、さっさと外国に逃げ出すに決まっているからである
      「だから『内向きはダメだ』って前から言ってただろ。オレなんかワイキキとバリに別荘あるし、ハノイとジャカルタに工場もってっから、こういうときに強いわけよ。バカだよ、お前ら。日本列島なんかにしがみつきやがってよ」。
      そういうことをいずれ言いそうなやつ(見ればわかると思うけどね)は信用しない方が良いです。
      私からの心を込めたご提言である。
是非、本文全体も読むことをお勧めしたい(私のブログを読む暇があったら、内田樹氏のブログを読まれるほうが余程よい)。
上記のブログは、TPP加盟推進の論理を理解するのに役に立つと同時に、私自身、痛いところを突かれた気がした。「日本がダメなら、外国で暮らせばいいじゃん」という発想が、自分の中のどこかに無かったと言えば、それは嘘のように思ったからである。
もちろん、私は高級外車を乗り回し、日本国外に別荘を所有するような「勝ち組」ではない(と断るまでもない)。だが、これまで日本以外、それも発展途上国という日本よりもはるかに物価の安い国で生活した経験から、「日本で生活できなくなったら、物価の安い国へ行けばなんとかなるんじゃないか」と考えたことはある。
内田氏はそういうケースについては書いていないが、国外脱出を発想している点では同じように卑怯であると、私自身は受け止めた。余談だが、このように、内田氏の著述物を通して、自分の考えをひっくり返されることが何度かある。氏の書いたものを読み続ける所以である。
TPP加盟推進派は、加盟によって発生する国益を強調するが、本当にそのシナリオ通りになるのかどうか。成功・勝利のシナリオと同時に、失敗・敗北のシナリオも想定しておくべきだろう。もちろん、反対派も同様である。加盟しなかった場合の成功シナリオと失敗シナリオの両方を提示するべきだ。加盟しなければ、そのこと自体は現状と変わらないが、他国の市場に参入できないなどの機会喪失という形の損害が考えられるからだ。
私の「国外脱出計画」にしたって、日本経済が没落した後に、他国へ移住しようとしたって、その時に日本円の価値が今と同じだとは限らない。今は発展途上国として、経済面では日本の格下にある国々が、十数年後には日本を追い越している可能性もある。
これはグローバリズムという潮流も併せて考えなければならないが、いつまでも「発展し続ける経済」を前提にしていては、我々はもうどうにも立ちゆかなくなりつつあるのではないか。今の豊かな生活よりは縮小せざるを得ないが、まあそこそこは喰っていけるというレベルで維持安定していかざるを得ないのではないか。そこの覚悟が、私も含めて日本人はまだ持てないでいる。



2011/10/29

時差3時間

日本とキルギスは時差が3時間ある。日付変更線を基準に見れば、日本が3時間早い。キルギスは夏時間はないので、一年中、3時間の時差は変わらない。

時差3時間なので、こちらで9時に職場に出勤する頃、日本で働く人たちは昼休みに入る頃である。こちらで仕事が終わって帰る夕方4~5時は、日本では風呂に入って夕食を食べている頃か。

私は相変わらず短波ラジオ受信でNHKの海外向け放送を聞くことが多いのだが、日本で放送されているものと同時に流れているものは、アナウンサーが「皆さん、おはようございます」と言う時間は、こちらはまだ未明だし、「こんにちは」という時間は、ぼちぼち職場に行きますか、と腰を上げる時間。その度に「日本はもう朝(昼、夜)なんだなぁ」と思う。

「今」という瞬間に、違う場所でそれぞれ生きているのは間違いない。それが証拠に、こちらから日本に電話をしても、3時間先の未来の人と話す訳ではない。日本から見れば、3時間後の過去の人と話している訳でもない。当然の話である。

しかし、生活場面としては、向こうは朝でこちらは未明、向こうは昼でこちらは朝、となっている。同じ瞬間に生きていながら、それぞれ生活場面は異なるのが、いつも不思議なように感じる。