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2018/08/24

キルギスが紹介された番組 「笑ってコラえて!」

日本のテレビ番組で、時々、キルギスが紹介されることがある。
私がキャッチしたものを記事にしておく。

日本テレビ 「笑ってコラえて!」

2018年3月 7日放送(前半)
2018年3月14日放送(後半)
”世界一周!1年間ロケしっぱなしの旅”

番組スタッフが世界を一周しながら、「日本人未踏の地」を探して、そこで日本の文化を紹介していくという企画。

冒頭はキルギスの地理や文化を紹介。
 

市場でクルト(馬乳などを発酵・乾燥させて固めたもの、チーズに近い)や、チュチュック(馬などの腸詰め) が紹介される。


羊(番組内では「山羊」と紹介)をボールのように争奪する遊び、「コク・ボル」も紹介されていた。

 

キルギス国内の移動では、日本留学経験のある男性に助手を頼み、イシク・クル湖方面から訪問していく。

この辺りは 外国人観光客の定番ルートであるし、協力隊の派遣数も多い地域なので、案の定、村人からは「日本人が来たことがある」との返事が返ってくる。

 キルギスの南部なら、まだ日本人が行ったことのない村がありそうだとの情報をもらい、「アクムズ」という村を目指す。



 
(アクムズ村のマップ)

アクムズ村の村長に取材を申し込む。当初、いきなりのテレビ取材に慎重になっていた村長であったが、取材意図を了解し、村で取材させてもらえることになる。


キルギスでの訪問客の接待の習慣にのっとり、家で紅茶とパンを出される。これは遊牧民文化の名残りだと言われている。
(キルギスを訪問する人は、このような接待を受けたら、遠慮して断ってはいけない。パンは端っこひとかけらだけでも食し、お茶はできれば1回はお代わりをするのが現地のマナー。)

 

この村には日本人は来たことがないとのことで、企画の目的地として合格。

日本文化の紹介ということで、現地でかまくらを作ることになる。しかし、氷点下30度の地域なので、雪はサラッサラのパウダースノー。日本のべた雪のように固まってくれない。

雪に水をかけて、固まらせながら、2日かけてかまくらが 完成。


日本とは雪質が違うため、かまくらを作ることはないキルギス人にとっては新鮮ではなかったかと思う。子供たちは「中はあったかい」 との感想。


村での滞在の様子を見ていて思ったのは、キルギス人のフレンドリーさである。いきなり訪れた外国人の呼びかけに応じて、たくさんの人が公民館のようなところに集まって話を聞き、かまくら作りにも協力してくれていた。

小さな村だから、こういうことが大イベントとして盛り上がる素地があるのかもしれない。それにしても、日本の街中でこういうノリはないし、キルギスにおいても都市部ではおそらくなくなっている光景なのである。


この辺りは標高3,000m越えの地域。冬は氷点下20℃くらいの気温は日常のこと。どんな環境でも子供たちは元気だということも、感心させられる。

【番組サイト】
3月7日放送分
3月14日放送分

2012/07/21

ラマダン

http://sky.geocities.jp/kaltimjp/ramadan.htm

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%B3

キルギスの24年度1次隊の新ボランティアの歓迎会と、ちょこっと22年度1次隊の送迎会のために、各地方で活動している隊員たちがビシュケクに集まってくれた。

歓迎会の時に誰かと話していて、「ラマダン、始まったね」と言われ、自分はまったく知らなかったのだが、どうやらそうらしいのである。

ネットで調べてみたら、今回のラマダンは西暦2012年の7月20日から8月18日までとのことである。今さら説明するまでもないと思うが、イスラム教の宗教行事である「ラマダン(断食月)」は、イスラム暦(太陰暦)に基づいて行なわれる(イスラム暦の9月)ために、西暦カレンダーだと、毎年異なる日程に行なわれる。

私はキルギスで3度のラマダンを過ごしたが、3度とも街の様子からは断食が行なわれているのかどうかが分からなかった。以前も書いたと思うが、マレーシアでのラマダンは、イスラム教徒(マレー人のほぼ全員)はかなり厳格に断食をしていた(家で軽食を取っている人を見たことがある隊員もいたが…)。マレー系の食堂は日中は営業休止になり、日没後から店を開くという感じであった。「これがイスラムの断食月か」と、間近に見て衝撃に似た感覚を覚えた。

キルギス人も宗教はイスラム教であるが、私がマレーシアで見たラマダンと比べると、「ゆるい」感じである。みんな、朝から晩まで、いつも通りに食事をしている。厳格に断食をしている人も一定数はいるようであるが、私の身近では見ない。

キルギスに来た当初、イスラム教の戒律を守っていないキルギス人たちを見て、「真面目にやらんでいいんか!」とやや批判めいた目で見ていたものだった。思えば、それは私がマレーシアで生活をした時のマレー人たちを規準にしてものを考えていたからだろう。

キルギスで暮らしているうちに、「ここの人たちがこれでいいと思うなら、こういうやり方もありなんだろうな」と思うようになった。そもそもムスリムでない部外者の私が、マレーシアのやり方が正しくて、キルギスのは間違っている、なんてことをいうのもおこがましいのだ。

他のイスラム教地域の人たちからはどう思われているのかは知らない(まあ、きっと眉をひそめる人たちが多いだろうけど)が、こんな人たちもいることで、イスラム教の中の多様性が保たれているという面もあるんじゃないか、とも思う。

【参照】

ウィキペディア 「ラマダーン」

2012年の断食月(おもにインドネシアの断食の様子)

2012/07/04

封筒が売ってない

封筒が売っていなくて、自分で封筒を作ったわけ(というより子供たちの課題として作らせた)だが、本当にキルギスでは封筒は売っていないのだろうか?

手製の封筒(あくまでも教室内の課題に使うための物。これで郵便を出すことはたぶんできない…)を作った後だったが、キルギス人に「キルギスでは封筒は売っていないのか?」と質問してみた。

その相手によれば、「封筒は郵便局で売っている」のだという。なるほど、私が文房具店を探し回っても見つからなかったわけだ。日本で封筒を購入するとなれば、まずたいていは文房具店、もしくは今なら百均ショップへ行くだろう。日本の郵便局で封筒を買ったことなんか私はないから、そもそも郵便局で封筒が売っているのかどうかさえ知らない(文を書き込んで、それを折って封筒にするような郵便物があるのは見たことがある。配達料が普通の封筒で送るよりも安いはず)。

面白いもので、ここ(キルギス)は日本ではないのに、封筒を買おうとするとついつい日本と同じように文房具店を探してしまうのである。自分の中に「封筒=文房具店」という図式があるから、他の国でもそんなものだろうと疑わずにいるのだ。現地の人にしてみれば、「そんな所を探しても、あるわけないじゃん」ってなものに違いないのだ。

同じようなことが、別の物でもあった。

料理をするのに片栗粉がほしかったので、スーパーマーケットに行って小麦粉を売っている棚の近辺を探してみた。まあ、粉類はだいたいそのあたりで売られているはずである。簡単に見つかると思っていたので、「片栗粉」をロシア語でなんというか調べずに行ったのだが、これがなかなか見つからないのだった。

私の頭には「片栗粉=紙袋に入って販売」というイメージがあって、しかもその紙袋というのは細長い形状なのである。これは日本で売っている片栗粉の商品パッケージのイメージなのであるが、それと同じように売っているとは限らないとは思い至らずに、キルギスでも同じような紙袋で売られているに違いないと思い込んでいた。

しばらくは「キルギスでは片栗粉売ってないねぇ。コーンスターチとかで代用してるんだろう」と解釈していたのだが、片栗粉を使う料理をすることになり、あらためてロシア語でチェック(крахмал /クラフマール/ と言う)し、近くの小さな商店で尋ねてみたら、すぐそこにいくつも並んでいたのであった。

パッケージはプラスチック袋で、日本で言うならばお好み焼き粉なんかがそんな感じで売っていた気がする。さらに、その袋の中に別のビニール袋に入れてあった(二重の袋)。ハハハ、紙袋パッケージで探しても見つかるわけがない(ちなみに、кра.малは澱粉《でんぷん》の意味で、パッケージに「じゃがいもの~」とあるのが片栗粉、「とうもろこしの~」とあるのがコーンスターチになる)。

間違っていると気づくまでは、思い込み自体が自分にとっては正解だから、やっかいなものだ。

2012/05/24

そしてアリストン登場

ビシュケクでは、5月中旬からの1ヶ月間、市内への温水の供給が止まるのだが、その間、各家庭ではどう対処するのか?

もちろん、すべての家庭の状況を知っているわけではないので、私の見聞する範囲の話になるが、ビシュケクで温水供給が休止になる時期は、それぞれの家庭では備え付けの電気湯沸かし器で湯を沸かしている。

ちなみに、我が家(借家)ではトイレ内にその湯沸かし器が設定されている。

IMG_1472
(トイレの天井近くに設置されている湯沸かし器)

温水供給が止まるまでは作動させていなかったが、温水が止まる日に大家さんが来てくれ、湯沸かし器の電源を入れ、配管を開けるのをやってくれた。

そのおかげで湯が使えるのはありがたいが、なにせ湯を沸かすわけだから、この機械自体が熱を持ち、トイレ内の温度がこれまでよりも高くなってムシムシする。温度が高くなって、コバエの繁殖スピードが速まるのか、羽がハート形をした、日本でもおなじみのコバエがたくさん発生するようになっているように思う…。「ムシムシする」は「蒸し蒸し」と「虫虫」の両方に係っているのか…

この電気湯沸かし器、一番有名かつ人気があるのが「アリストン」という会社のものらしく、キルギスの人たちはその商品名で湯沸かし器のことを指して使ってる。「アリストンの電源、切っといて」みたいな感じ。

固有の商品名が、その商品全体を表わすものとして使われる例はほかにもたくさんある。「パンパース=おむつ」「ピンポン=卓球」「エレクトーン=電子オルガン」「オセロ=白黒陣取りゲーム(リバーシ)」「マジック=油性マーカー」などなど。昔はテレビゲームと「ファミコン」も同義語だったような気がする。ここに挙げた商品名以外にも、私が気づかずに「○○」と言っている物が、実は商品の固有名詞だということはあるのである。

私、こういうのはなぜか好きなのである。その商品を開発した人、会社にしてみれば、そこまでその商品がビッグネームになるとは思っていなかったはずのものが、いつの間にか商品群の代名詞になっている。開発者・社にしてみれば、ちょっと感動ものの話ではないだろうか。

NHKは、特定の商品名を出してはいけないのが原則らしく、視聴者参加の生放送なんかで、一般の人が何の気なしに「最近、○○に凝ってましてぇ…」なんてことを言って、アナウンサーが慌てて言い換えているのを見たり聞いたりするのが、なんとも言えないスリルを感じてしまうのである。

特に、ラジオ第一で平日の午後にやっているラジオ電話相談では、DIY(Do It Yourself、日曜大工)や園芸の相談の日は、相談者が呑気にも商品名を口走りはしないかと、ハラハラしながら聴くのがちょっとした楽しみであった。

だいぶ話がそれたが、そんなわけで、今は我が家のアリストン(本当の製品名は“thermex”と書いてあるが…)が活躍中であり、トイレは熱がこもらないように扉を半開き、という状況である。

2012/05/22

5月21日、マナスの日

キルギスのテレビ局の放送を見ていたら、昨日(5月21日)は「マナスの日」だと言っていた。

「マナス(Манас)」はキルギスの英雄的人物で、また彼の生涯を描いた物語の名称でもある。キルギス人にとっては国民的なヒーローであり、日本でいえば記紀神話に出てくる神々みたいな存在なのではないかと思う。話はかなり神話化されているようだが、マナス自体は実在した人物だとのこと。彼の出身地タラス(Талас)には彼の生誕地だか、歿歯《ボッシ》地だかにマナス廟が建てられている。

マナスの物語は詩の形式で書かれており、その長さでは人類史上最も長いものなのだとか。キルギスの書店、図書館に行けば必ず『マナス』本は置かれているが、なにせ広辞苑くらいの厚さで2冊とか、百科事典サイズで3冊とか、―文字のサイズ、段の組み方なんかによっても違いは出るが―、とにかくそういうすごい分量の内容量の物語である。

日本語でも平凡社の東洋文庫で3分冊で翻訳されている。ただし、もちろん、この分量で翻訳して収まりきるわけはなく、抜粋訳になっている。

(Amazonのブックレビューに「キルギスという土地は、今は自治州であり」と書かれているのだが、キルギスは1991年に独立したので、参考にしたデータが古かったのではないかと思われる。)

本の厚みに思わず後ずさりしてしまう『マナス』なのであるが、さらにすごいのは、元々『マナス』物語は歌うように語るものとして成立したもので、それは口承で伝えられてきたという点である。

『マナス』物語を語る人を「マナスチュ(манасчы)」と呼ぶ。この人たちは『マナス』物語を憶えていて、それを何日もかけて物語るのである。聞いた話では、全編を語り終えるのに昼夜語り続けて1週間程度かかるそうな。前述の通り、元々『マナス』は口承文学であるから、マナスチュは先代から教わるか、聞き覚えるかしてマスターしていくのだろう。

いや、そうではなくて、マナスチュは教えられる、習わずして、ある日突然語れるようになるのだ、という話も聞いたことがあるが、それh民間信仰的な要素の混じったエピソードではないかと思う。ただ、口承による文化伝承というのは、文字による伝承に馴染んでしまっている私のような者には想像も及ばない世界があるようなので、一概にすべてを否定できるとも限らない。日本でもかつては琵琶法師による『平家物語』の語り伝えがあったし、アイヌ民族の神話伝承も口承であった。ちょっとタイプは異なるが、落語も師匠・先輩から弟子・後輩への口伝えが基本だと聞く(今はボイスレコーダーに手本を録音してもらって、家で練習するそうだが)。

突然話し始めるというエピソードの真偽は別にしても、あれだけの分量のストーリーを空《そら》で語れるというそれ自体がすごいことである。マナスというキルギス人の英雄、その物語を語る、しかも尋常でない分量を暗記しているのだから、マナスチュは人々から尊敬を受ける存在である。キルギスの500ソム紙幣にプリントされている人物も、有名なマナスチュの人である。

で、昨日は「ЭЛТР」という、キルギスの民族文化の放送に力を入れているチャンネルで、何時間も「マナスの日」を記念した番組が放送されており、マナスチュが『マナス』を語っていた。当然、すべてを語りきることはできないから、部分部分に区切っての語りだろうが(キルギス人にとっては、『マナス』の中の定番のシーンがあるのではないか。『平家物語』なんかでも歌舞伎になっているような人気のある物語があるように)。

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(『マナス』物語を語るマナスチュ)

    manaschu2
    (何人かのマナスチュが交代で語っていた)

    いつかマナスチュの語りを動画でもアップできればと願っているが、その様はまさに現代のラップに通じるようなリズミカルで、独特の抑揚をつけた語り方である。キルギス人の子供たちの中には、そのリズム感に憧れて口真似をしているのを見かける。

    こういう芸能(こういうものこそ本当の「芸能」だ。今のテレビに出ているのははしゃぐだけのお調子者が多くて、芸を持った「芸能」人ではない)が、今も人々に愛されて敬われて伝えられているのは、キルギスの魅力の一つだと思う。

    2012/05/19

    買うなら今だ (2)

    協力隊員が、任国で買い物をするなら、使用機会は多くなって「元が取れる」から、買うのは早ければ早いほどよいと書いたのだが、もう一つ、キルギスでは(おそらく協力隊が派遣されている他の多くの国でも)、別の側面でも「買うなら今だ」がある。

    たとえばミッキー●ウスのTシャツがほしいとしよう。

    で、それをある店の店頭で見つけたとする。その時に、「ちょっと高いから、別の店を見てからにしよう」とか「別の色がほしい」とかで買わなかったとする。

    不思議なことに、そうやって一度スルーしてしまった商品には、再び出会えないことがある。

    後日、同じ店に戻ってみても、すでに売れてしまっていれば、それきっりである。再入荷するのかどうかは店の人さえもわからない。

    あと、バザール(市場)なんかで言えば、ある店で気になる商品を見つけても「他の店を見て、比較してから買おう」と思って、

    他の店をぶらぶらしていた後、「やっぱり、あの店で買うことにしよう」と決めて、その店に戻ろうと思っても、バザールの中の土地勘が働かず、その店に戻れないこともある。自分が行き慣れたバザールであれば、だいぶ店の並びも覚えてきたとは思うが、それでも「あの店、どこだったかねぇ、婆さんや」と日本昔話風に心の中でつぶやいていることがある。

    そういう経験を何度かしているうちに、また他の隊員からもやはり同じような経験をしている話を聞いているうちに、買おうかどうか迷ったら、「今買う」という判断をするようにしている。

    もちろん、そのあと、同じ商品を別のところで、しかも値段が安い物を見つけるという場合もあるのだが、二度と見つからないケースよりは数十円の差なら買っておいたほうが後悔は少ない。

    私の記憶では、百円均一ショップのダ●ソーに、「同じ商品を仕入れできるとは限りません」旨の注意書きがされていたはずだ。これは、客の中に「前に来た時に見た××がないんだけど」みたいなことを訊いてくる人がいるからなんだろう(他のケースもあるだろうし)と想像したのだが、そうは言ってもダ●ソーはかなり商品の供給は安定しているんじゃないのか?

    今、私は首都の隊員になったので、途上国とは言えど、首都にいるとたいていの物は「探せばある」という感じである。だから、「買うなら今だ」感覚は、村にいた時よりも弱くなっている。

    2012/05/17

    ビシュケクだから買えた物 (2)

    キルギスにおいて、首都のビシュケクだから買えた物、ほかにも思い出した。

    ボックスティッシュ

    村では、ティッシュペーパー自体が珍しかった。売っていたとしても、ポケットティッシュばかりで、ボックスに入ったティッシュペーパーは売っていなかった。そういう物で洟《はな》をかむのは、贅沢というか、金を払ってまですることではないという感覚なんだろう。村の人たちは手鼻をかんでいた。女性でもそう。中にはハンカチでかんでいる人もいた。

    ビシュケクでは、チェーンのスーパーマーケットで普通に売られている。ボックスティッシュはカラコルという町でも買えたので、村隊員だった時は、ビシュケクやカラコルへ行った際にボックスティッシュを買って使っていた。

    2012/05/12

    報道の自由ランキング

    ネットのニュースから。

    Kyrgyzstan ranks 155th place in Press Freedom Index

    記事によれば、「フリーダムハウス」というアメリカ政府が出資している団体が、世界の国々の「報道の自由」の度合いを点数化して、ランキングを発表したとのこと。その中で、キルギスは全197ヶ国のうち、155位にランクされているのだという。

    197のうちの155位は、かなり下のほうという気がするのだが、それでも中央アジアの国の中では一番ランキングが上と書かれている。じゃあ、他の中央アジアの国はどうなのかというと、タジキスタン(171位)、カザフスタン(175位)、ウズベキスタン(195位)というランキング結果。

    ウズベキスタンにもJICAボランティアが派遣されているが、報道の自由度では全体の下から3番目の国である。彼の地で暮らし、活動している仲間たちは苦労していないのかと心配になる(当然、そこの国民にとっても改善されるべき状況は多いはず)。

    記事の最後は、197ヶ国中の197位になった国について書いてあるが、やはりあの国であった。

    2012/05/10

    ビシュケクだから買えた物

    地方の村から、首都へ引っ越しをして、地方と都市の生活の違いをさまざまな場面で感じるのであるが、購入できる物品にもそれが顕われている。私が生活の中で買い物をしていて、「あ、これは村ではなかったな」という物を記録しておく。

    豚肉

    豚肉に関しては、当ブログでも何度か触れたことがあるが、キルギス系住民のほとんどはイスラム教徒であり、戒律によって豚肉食は禁じられている。私がいた村では人口の9割以上(97~98%?)がキルギス系の人が占めていたので、村のどこを探しても豚肉は販売されていなかった。

    ビシュケクではロシア系住民の比率がグッと上がり、大きなバザールの肉売り場では豚のコーナーがある。ただし、牛、羊、牛、鶏といったイスラム教徒が購入する肉とは売り場は分けられている。

    地方の村でも、ロシア系住民が大半を占める村もあるので、そういう地域では豚肉が販売されているのではないかと思う。ただし、自分では直接見たことはない。カラコルという市のバザール(市場)では豚が売られていると聞いたが、これも自分が見たことはない。

    きのこ類

    先日、バザールできのこが売られていたので思わず買ってしまった。詳しくないので、種類はわからないのだが、ヒラタケとかマイタケとか、そんな感じだろうと思う(いや、ほんとテキトーに書いていてお恥ずかしい)。

    きのこも村では一度も見たことがなかったなぁ。いや、そういえば缶詰のマッシュルームは買ったことがあった。だが、生のきのこはなかった。私がビシュケクのバザールで購入した時、キルギス系の人も買っていたから、きのこに関しては宗教上のタブーはないのだと思う。

    きのこと言えば、干し椎茸もビシュケクで買えた。村では見たことがなかったが、ビシュケクの人は干し椎茸をどんな料理に使っているのだろう? 干し椎茸はカラコル市では売られているのを見たことがあり、カフェの料理でも見た。その料理は、ペリメニという小さな餃子にホワイトソース、椎茸、チーズを載せてオーブンで焼いた料理だった。結構おいしかった。というか、その時は椎茸が珍しく貴重に思えたので、椎茸が食べられたことに感動したので、おいしく感じたのかもしれない。

    2012/05/06

    憲法記念日

    5月5日は、キルギスの祝日だが、何の日だか分からないと前のブログに書いたが、この日は「憲法記念日」だということがわかった。キルギス人の友人に教えてもらって分かった。

    日本の憲法記念日は5月3日だから、たまたまだが、キルギスの憲法記念日と近い。別にどうという話ではないが…。

    2012/05/03

    キルギスも5月は黄金週?

    海外にいると、現地のカレンダーに沿って生活するわけで、日本が祝日であることとかを忘れてしまいがちなのだが、今、日本はゴールデンウィークの最中である。

    このゴールデンウィークを利用してビシュケクを訪問したキルギスのJICAボランティアの先輩がいたので、「ああ、日本は連休なのだ」と思い出せた。あとは、プロ野球の試合結果が気になるので、ネットで野球のサイトを見ると、試合時間が昼になっているので「おや?」と思うと、その日は祝日ということもある。そんなことでもなければ、日本の祝日は意識することはなかなかないものだ。

    ところで、キルギスもこの5月は祝日が多い。1日が「メーデー」。社会主義国だった時の名残だろう。

    9日は「対ドイツ戦勝記念日」。これに関しては昨年も書いた気がするが、現地の人から「日本も5月9日は休みなの?」と訊かれて、苦笑することがあったのだが、今年もやはり訊かれた。日本はドイツと同盟国だったわけで、この日が「戦勝記念」であることはない。

    私の配属先に、アメリカ人の女性ボランティアがいるのだが、彼女はドイツ生まれで、アメリカ人と結婚して国籍がアメリカになっている。だから、ドイツ出身者としての彼女にとっては「5月9日は休み?」という質問はナンセンスになる。その点で共通の話題となった。

    で、私は知らなかった(昨年はどうだったかな?)のだが、5月5日も祝日なのだそうだ。何の祝日か説明をしてもらったが理解できず。まあ、多分、キルギス協力隊の誰かがブログに書くんじゃないかと思うので、そちらを探していただければよかろう。

    そんなこんなで、5月前半は祝日が多い。キルギス人が「キルギスは5月は休みが多いのよ」と言っていたが、この時季に限って言えば日本のほうが休みは多いだろう。しかも連休である。「いや、日本も5月は休みがたくさんありますよ。『黄金の週(золотая неделя)』と呼んでます」と話したら、「黄金の週」という言葉がウケていた。

    5月1日、9日が祝日のせいで、私のほうは、それぞれの曜日に指導教室に来る予定だった子供を別の日に振り分けねばならず、一日に来る子供の数が多くなるので、忙しくなってしまうので、祝日も手放しで楽しめないのであった。

    2012/04/08

    キルギス、民衆革命から2年

    4月7日は、キルギスで民衆革命が起こった記念日。今から2年前、2010年のことであった。

    2010年の4月7日は、私にとっても忘れられない日で、キルギス協力隊に参加するにあたって、長野県駒ヶ根市にある協力隊の訓練所に入所した訓練初日であった。二度目の協力隊参加とは言え、一緒に行くメンバーとは初対面だから緊張や不安はあった。

    その日の夜にネットニュースを見たら「キルギスで民衆暴動」みたいなニュースが出ていた。キルギスに行く予定の他の訓練生と「俺たちどうなるんだろう」と話していたのを思い出す。

    4月7日から始まった暴動は、その後、当時の大統領が国外逃亡し、暫定政権が成立。“暴動”は“革命”となった。死者80余名出た。政権が変わると、日本の外務省と当該国で交わされた国交契約(?)は一度白紙になるということで、キルギスへの協力隊派遣も、その手続きを待たねばならぬということだった(その後、日本政府が暫定政権を正式な後継政権として認め、協力隊の派遣も実施された)。

    6月末にもオシュ州という所で、民族間暴動が起こり、死者数が確定されていないが、1千人とも3千人ともいわれる犠牲者が出た。そのこともあって、当初の予定だった6月下旬の赴任は延期となった。

    当初、私たちの隊次のキルギス派遣予定者は7名いた。このうち特別現職参加で来ていた学校教員の人が2名いて、この2名は訓練の序盤で別の派遣国に振り替えとなった。この2名は、先月、任期を終了して帰国、4月から学校に戻って仕事を再開しているそうである。

    もし自分がキルギス協力隊員でなかったら、4月7日の暴動(革命)に興味を持つことも一生なかったかも知れない。いや、そんなニュースに関心を持つことはなかった。それが、今はそのキルギスに住みながら革命2周年の特番をテレビで見ている。

    2012/04/03

    キルギスでテレビを見る

    ビシュケクの団地で独り暮らしをしているが、大家が有料チャンネルを入れてくれて(ん? 支払いはあとで自分がするのかな?)、地上波以外にも衛星チャンネルを見ることができる。

    衛星チャンネルの会社はいくつかあるようだが、私の家で見られるのは「ala-tv」というもの。全部で65チャンネルくらいか。

    番組のほとんどはロシア語放送。おそらく、ロシアの番組を買ってきて、キルギスで配信しているのではないか。番組を見ていて、1年半以上ロシア語圏の国に住んでいて、自分がほとんどロシア語の会話を理解できないことを痛感されられ撃沈気分を味わうこともしばしば。

    ロシア語が分からなくても楽しめるのがスポーツ番組である。ルールを知っている競技であれば、ロシア語実況が何を言っているか分からなくとも、見ていることの意味は分かる。例えば「○○選手は、この試合で引退です」とか「○○チームは、この試合に勝てば今季の優勝が決まります」とか言っていたら、それは分からないことになるが…。

    それにしてもサッカー放送は多い。常にやってる。スペイン、イタリア、イングランド、ドイツ、ロシアの各リーグの試合を放送しているから、それだけで1週間なんて時間が足りないくらいである。ワールドカップの地区予選で、日本の試合も放送されたことがあったらしい。

    私のお気に入りの番組となっているのは、「マッチ棒クイズ」の番組。

    match_quiz1

     

    「マッチを一本だけ動かして数式が正しくなるようにせよ」という問題。右辺は変えられない。生放送で、番組に電話をかけて解答を言って、正解ならば12000ルーブルとか13000ルーブルといった賞金がもらえる。どんな問題でも、5分以内には答えが見つかる簡単なものなのだが、1時間くらい誰も正解者が出ない。というかそもそも電話がかかってこない。この番組、本当に生放送? いつも、番組終了1分前になると正解者が現れる。って、それ怪しくない? と疑惑だらけの番組なのであるが、その疑惑の真偽を確かめたくて見てしまうのである…。

    match_quiz2
    (なぜ、正解が出ない? 司会の女性はずっとしゃべり続けているが、誰がこの番組を見ているのか? 私だけ?)

    もう一つは、「Animal Channel」という動物専門チャンネルでやっている、おそらくアメリカの番組をロシア語吹き替えしたもので、「DOG Whisperer」という番組。視聴者から寄せられた、飼い犬に関するお悩み相談に、ドッグトレーナーの男の人(歯がやたらに白い!)が実際に家に訪問して、トレーニングをしてくれる番組である。

    「噛み癖のある犬」とかは、日本でもよく見る困ったワンちゃんのパターンであるが、この前は「臆病で散歩に行けない犬」という回があった。家の敷地から出るのを断固拒否。飼い主が紐を引っ張っても、犬が足を踏ん張って動かない。大きなサイズの犬なので、飼い主もヘトヘト。トレーナーも4週間くらいかけて、少しずつ犬の行動を変えていった。感動した、と言いたいくらいの内容であった。

    このトレーナーのやっているのはおそらく“行動療法”をベースにしたもので、それは私の仕事でもおおいに参考になる(いちおう書いておくが、動物と障害児を一緒に扱うという意味ではないよ。「行動」というものをどう捉えるか、というアプローチの話である)。

    このトレーナーは犬の特性についてよく知っており、犬の立場から状況がどう把握されるかを考えている。それに基づいて犬の行動が変わるようなアプローチをしている。さらに、ねばり強い。犬に対して、一度ですぐに結果を求めない。なんだこれ、自分の仕事にもそのままあてはまるじゃん! と思いながら見ている。

    日本では放送されていないのだろうか?

    2012/03/31

    プレス発表とソ連の名残り

    3/30の活動記録。

    現在の配属先АРДИ《アルディ》が、ビシュケク市内の大学で何かの発表をするというので、その手伝いに行く。障害児者支援全般に関わる話だったようだが、新たに始める自閉症児支援についても話をしていたので、それは私にも直接関わりのある話であった。

    IMG_2124
    (大学のステージみたいな部屋を借りて行われた)

    この発表会、前日に「明日、○○大学でやるから来なさい」と通知されたもので、「ひょっとしたらお前にも何かを言ってもらうかも」と付け足されていたから、私としては人前で何を言おうかと、それなりに身構えていたのだが、結局、そのような出番はなく終わった。やれやれ。

     IMG_2120
    (国営放送局のテレビカメラも入っていた)

    今回、会場として借りたのが、アメリカの支援で運営されている「中央アジアアメリカ大学」という大学だったのだが、元々はソ連時代に作られた大学で、ソ連が終焉し、キルギスが独立国家になってしばらくしてからアメリカが大学の運営を引き継いでいるところである。

    そんな歴史があるところなので、この会場で面白いものがあった。前出一枚目の写真の壁にある肖像画が、

    Marx_Lenin

    このお二人さんなのであった。壁の反対には、エンゲルスさんの絵も掛かっていた。「アメリカ大学」と称する建物にこういう絵があるのが、いかにもキルギスらしくて、私は大好きである! それを無理に剥がそうとしない大学運営者も、「アッパレだ、こりゃ~(大沢親分風)」とシールを貼りたい。

    ちなみに、大学の前にある公園にもソ連時代の名残に違いない銅像があった。

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    (もう一つアッパレだ、こりゃ!)

    旧ソ連圏のほとんどで撤去されてしまったというマルクス、エンゲルス、レーニン関係の肖像画、銅像であるが、キルギスはそれらを残している。こういうソ連時代の名残りが見たい方は、是非、キルギスへどうぞ。

    (バコンバエバ村にはスターリンのも残っていたぞ~!)

    2012/03/21

    Нооруз (イスラム教新年)

    3月21日はイスラム教新年で祝日。キルギス語表記だとНооруз /ノールズ/。家のテレビでカザフスタンの放送を見ていたら、カザフ語ではНаурыз /ナウルズ/となっていた。

    イスラム教徒人口の少ない日本では、こういう祝日があることを知っている人はほとんどいない。私もキルギスに来るまで知らなかった。

    ノールズは祝日なのだが、なぜか私が新しく配属された障害児センターは仕事をしていた。そんな日なので、いつもは4~5人通ってくる子供も2人しか来なかった。ノールズのような日は、親戚や友人を招待(逆の立場なら訪問)するので、子供をセンターに連れてくるどころではないだろう。むしろ、2人も子供が来たのかと思ったほどだ。

    スタッフに訊いたら、仕事が終わって帰宅後、親戚が家に来ると言っていて、やっぱり祝日としての行事はしたようである。仕事をして、なおかつ祝日行事もするなんて忙しいのに、なんでこの日を営業日にしたのか、説明を聞いたけれど、よく分からなかった。

    首都ビシュケクのアラ・トー(Ала Тоо)広場という、大きなイベントがいつも開催される場所では、ノールズにちなんだイベントが開かれていたようであるが、私は出勤していたので行けなかった。というか、休みでも行ったかどうかは怪しい。夜、テレビで録画中継を見たが、歌手が歌ったりしていた様子であった。う~ん、まあ、現地で生で観られなくても悔いは残らない感じかな…

    ノールズを出勤日にしたので、22日は振り替えで休業日となった。22日はキルギス21年度4次隊の帰国日で、朝に空港から出発するのだが、仕事を気にせず見送りに行けるので、結果的にノールズが出勤日になったのは良かった。

    2012/03/08

    サギに遭った

    キルギス、イシククル湖の西端にバルクチという町がある。キルギス語で「балык /バルック/」が“魚”の意味で、それに“職業者、専門家”を表す接尾辞「чы /チ/」を付けた言葉で、魚の仕事をする人、つまり“漁師”という意味の単語である。

    町の名前から分かるように、ここはかつてイシククル湖の漁師町として栄えていたのだそうだ。今は漁業禁止となっているそうで、確かにイシククル湖で漁をしている船は見たことはない(釣り人はいるけれど)。そういう背景があってだろうか、バルクチという町はうらさびれた感じの町になっている。

    私がバコンバエバ村を離れる前に、同じ村の隊員たちとバルクチに遠出。バコンバエバからはタクシーで1時間。いつもは首都への移動の通過点であるので、大通りの一本裏の筋がどういう雰囲気なのかさえも知らなかった。

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    裏通りであるが、道幅はかなり広い。大型トラックが対面通行してもなお余裕がある。おそらく昔はこっちがメイン道路だったのではないか。

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    バルクチは、キルギスで唯一の鉄道路線の終着地点でもある。ソ連時代にはロシア圏との物資輸送として大いに活用されていたようだが、今は需要が減って本数も少ない。旅客車両は夏場にしか運行しないそうである。ちなみに、ビシュケクで新しく住み始めた家のすぐ近くが鉄道の駅である。

    そんな感じでバルクチ内をうろうろと散歩をしていたのであるが、線路に沿って流れる小川にあれを発見。

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    この白い鳥はサギである(詳しい種類は分からないが、“シロサギ”ってことでよいのだろうか)。これまで、ビシュケクへ移動するマルシュルトカ(乗り合いワゴン)で、何度かサギを見かけたことがあったのだが、いかんせん乗り合いの車であるから、停めてもらうこともできず写真を撮れずにいた。そのサギをこの日は撮影することに成功。キルギスでのサギ撮影は半ばあきらめていたので嬉しかった。

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    ちょっと見つけづらいが、別の一羽も撮影。光学3倍ズームのコンパクトデジカメではこのくらいが限界の距離であった。

    私がサギを身近に見たのは、マレーシアにいた時で、その後、日本でも大阪の川で見たりもしたので、この鳥は暖かい所に棲むものだと思っていたが、マイナス気温になる場所でも生息していることになる。

    2012/02/23

    男性の日

    本日、2月23日は「男性の日」で祝日なんだとか。

    へぇ~、そうなんだ。と思いつつ、昨年もキルギスにいたのだから、一度経験しているはずなのだが、余り記憶がない。自分のブログの過去記事を探してみたが、2月23日前後でこのことに触れてはいなかった。

    思い返しているうちに、そういえば、昨年の今くらいの時期に、日本語を教えていた女学生(古い言い方だなぁ)からカードをもらったのを思い出した。あれが昨年の男性の日だったのだな、今思えば。

    ちなみに「女性の日」もあり、これは3月8日。この日については自分のブログに書いていた。男性・女性どちらの日も祝日。5月5日子供の日(は男子の祝いだよね?)だけが祝日で、3月3日雛祭りの日(女子の祝い)は休みでない日本とは違う。

    2012/02/20

    Skiing with a view of the Tenshang-Mountains

    This is a skiing ground in Karakol, Kyrgyzstan. It places in about 3000 meters above sea level. Maybe it’s the highest skiing ground in the Central Asia, I’m not sure though…

    The following movie is a view of slope that I took by skiing. Please see how beautiful the mountains of Tenshang which can be seen ahead.

    前回紹介したカラコルスキー場のゲレンデを滑降する動画。正面遠くに天山山脈が見えている。こんな景色の中を滑ることは、生涯でもうないだろうと思いつつ、自分のスキーテクニックでは、これでもギリギリのスピードを出しており、景色を眺める余裕もない滑りだった。

    ほとんど他にスキーヤーがいないのも最高。日本でも、町営・村営のスキー場にはこういう所はあると聞く。みんな、リゾート化したスキー場ばかり行かずに、空いている所に行ったほうが気持ちよく滑れるんじゃないかと思うんだが、人がたくさんいるところに行きたいという人もいるようで、私にはその心理はよく分からないのである。

    うん、帰国してからスキーに行くなら、絶対に“シケた”田舎のスキー場で遊ぶぞ。

    中央アジア最高(?)のスキー場

    カラコル冬祭りに行った際、せっかくということでカラコルスキー場へ行った。

    ゲレンデの最高地点は標高3000mちょっと。晴れていれば、すんげぇ~見晴らしが良い。

    gelende(標高2800mくらいのところ、と思う)

    上の写真で、正面、遠くのほうに山脈が見えているが、これが天山(テンシャン)山脈の北側の山々。5000mとか6000m級の山々である。そういうのが普通に目の前にあるっていうのが、日本とはまた異なるスケール感である。

    このスキー場へは前にも来たことがあるが、ゲレンデの一番上(上級者コース)までリフトで行く場合、20分弱かかる。今回は快晴で、ほぼ無風だったので、リフトに乗るのものんびりとしたものだったが、以前、雪が降り風もやや強めに吹いている日に同じリフトに乗った時は、寒かったのなんの。

    mountain_top
    (ゲレンデ頂上の景色。背後に見えるのは南側の天山山脈。)

    今回のスキーでは、レンタルで借りられると思っていたゴーグルが販売用しかないとのことで諦め、サングラスも持参していなかったので、一日裸眼でスキーをしていた。これはすごく目によろしくなかった。途中で目が傷んでいるな、という実感もあった。スキー場に行く時は最低でもサングラスは忘れずにしなければならない。

    といっても、私がキルギスでスキーをするのは、おそらく今回が最後だと思う。キルギスの前に滑ったのは、およそ20年前(!)。やってみれば楽しいのは間違いないのだが、日本ではなかなかスキー場へ足が向かない。次にスキーをするのはいつになることやら。

    あ、ちなみに、キルギス協力隊仲間には「60歳になったらスノボ始める」と宣言をした。ウケ狙い以外に意味はないんだけど、まあそのくらいの年齢に新しいスポーツを始めるというのも良かろうと思う。

    次回、カラコルスキー場でのゲレンデ滑走の動画を張り付ける。

    2012/02/13

    Площадь <Ала-Тоо>

    1月に撮影したアラ・トー広場の動画。アラ・トー広場は首都ビシュケクにある。

    この日のビシュケクは雪が積もっていた。