ラベル ARDI(配属先) の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ARDI(配属先) の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012/07/03

楽して課題作り ~「援助」と「手抜き」~

封筒がほしいと思って、文房具店を探したのだが見つからない。どうも、キルギスでは封筒はあまり一般に使われていないようである。

封筒がほしかったのは、別に誰かに郵便を送りたかったわけではなく、自閉症児の指導教室で課題として使いたかったのだ。日本で障害者の作業所で勤めていたとき、ダイレクトメールの発送の下請けみたいな仕事で、封筒に広告チラシなんかを入れる作業があった。そういうのの練習と思って、今教えている子供たちにもやらせてみようと思った次第。

ところが封筒が手に入らないということがわかったので、さてどうしようかと思案し、手製の封筒を作ってしまおうと考えた。製図して、切り取り線、折り線、糊付け部分を示して、封筒を作ること自体を子供の課題にした。結構、手順・工程が多い作業だし、線に沿って切る・折るとかは連合した運動機能が身についてないとできないので、すべての子供にさせられはしなかったが、何人かの子供には工作課題になった。

こうして、私は封筒を自分で作る手間を省くことができて、子供たちも新しい課題を経験することができた(かつ、それは次の課題の材料として使われている)。

対象者が子供、障害児・者だという思いがまずあるので、こちらでお膳立てしておいて何かをやらせるという発想になりやすいのだが、過度にお膳立てをすることは、相手のできる(はずの)ことをこちらが奪ってしまっている危険もある。

福祉サービスの従事者は「援助者」という立場だから、「他者を援助する者」として自己規定するわけだが、「私」が他者を助けるばかりが援助とは限らない。時には「私」はあまり手伝わずに本人にやらせることも、その本人にとっては自立度・自律度を高めるための援助になる。

いわば、援助者が意図的に「手抜き」をすることになる。「手抜き」という日本語はイメージがよろしくないが、とにかくあんまり手を出さないということである。援助者である「私」なんていなくても、その子供、障害児・者はなんとかやっていけるようになるのであれば、それこそ援助者としては目的達成である。対象者がいつまでも「私」なくしては生活できないような援助は、相手に依存されるという点では、相対的な「私」の自己存在感を感じることはできるが、援助者としてはいかがなものか、と思う。

IMG_2724
(本文とは直接関係はないかも。いや、やっぱ、ある。)

2012/06/12

改修で職場が埃っぽい

キルギスの学校は9月始まりで、5月に学年度が終了。6~8月は夏休みとなる。3ヶ月の夏休みって、うらやましいけど、3ヶ月も学校教育をしない期間を作って大丈夫なのかと、お節介的に心配をしたりしている(そもそも、初等教育の入学も7歳だから、日本と比べたら、高校を卒業するまでに2年分くらいの授業時間の差があることになる)。

療育センターは学校ではないから、学年度に合わせる必要はないと思うのだが、学校の夏休みに合わせて1ヶ月程度は休むようである。以前、村にいたときに配属されていたセンターも、今のセンターも休みを取っている。スタッフもそれを楽しみしているんだろうなぁ。

私個人は、任期の残り数ヶ月で職場を変わったことがあるので、自分が担当している自閉症クラスは夏休みにはせずに、仕事を継続している。現在、このあたりは自分の裁量で決められる部分が大きいのでやりやすい。一緒に指導をして、ノウハウを引き継ぐキルギス国の人(キルギス人またはロシア人)がいないのが課題であるが、現時点では自閉症児の親・家族へ家庭でできる療育方法を伝えることでよしとしている。

さて、療育センターのほうは、この夏休み期間を利用して、建物内の大がかりな改修を行っている。

まず、窓が、窓枠ごと新しいものに替わった。私が担当している自閉症クラスの、昼休みの間に「1時間で終わるから」と言って、業者が来て取り替え作業をしてくれた。

window
(新しくなった窓)

窓の後 は、トイレやキッチンを作り直しているようである。今まであったトイレの壁を、ガンガンと槌《つち》で叩き崩していた。やっているのは、センターの所持している送迎車の運転手である。そういう人が、内装工事をやれるところが、こういう国のすごいところである。

 remont

私が子供に指導をしている間も、別の部屋から大きな音が聞こえてくるのだが、子供たちは案外と平然と課題に取り組んでいる。頼もしいもんである。

こんな感じで改修工事をしているため、建物内がすごく埃っぽくなっている。職場にいると髪の毛もごわごわの手触りになっている。

それでちょっと心配になったのだが、これだけ埃っぽい中で過ごしているのは、体に悪いんじゃないだろうか。前の記事で、埃に対してアレルギー反応でくしゃみが出ると書いたが、職場で時折、鼻がムズムズするので困っている。

療育センターが間借りをしている建物は、おそらくソ連時代に建てられた物だと思う。埃を吸い込むだけでも体に悪いと思うのだが、ひょっとして、アスベスト(石綿)が使われているということはないんだろうか、とも心配になってくる。

いやいや、私なぞは別室で埃を気にしているだけなのだが、改修工事をやっているスタッフは直接埃を吸い込んでいる。マスクを着けているわけでもなく、このあたりの対策は何もしていないように思う(さらに、暑いから扇風機を回しながら作業している。埃が余計舞っていると思う)。

「途上国」と呼ばれるところでは、日本ではすでに当たり前になっている安全対策・健康対策が、まだまだ整っていないことが多い。人々の認識もまだそういうところに向いていないのが現実である。

2012/04/09

「海洋天堂」上映会

私の配属先である障害児親の会の中の自閉症児の親たちが、自閉症のことを知ってもらおうということで、映画館を借りて自閉症の人とその家族をテーマにした映画の上映会を開催した。

映画は「海洋天堂」。主演はジェット・リーで、昨年あたりに日本でも公開されていたはず。

自閉症に関する映画ということで名前は知っていたが、キルギスにいたので見ることはできないでいた。帰国したらDVDをレンタルして見ようと思っていた映画だったが、図らずもキルギスにいる間に見ることになった。

movie
(上映前の映画館前)

父子家庭で父親は末期の癌。自分の死後、自閉症の息子の面倒を誰が見てくれるのか、というのがテーマ。内容の詳細は、ネットで調べればすぐにみつかると思うので省略。

映画の終盤、会場のあちらこちらから鼻をすする音が聞こえた。今日は、自閉症児の親たちもかなり来ていた。もちろん、親でない人も感動していただろう。

映画の舞台は香港だと思うが、自閉症の人や家族が利用できる福祉サービスはまだ少ないように見受けた。キルギスはそこよりもさらに少ない。親たちが不安や心配を抱えるのも当然であろう。これから5年後、10年後、この国の福祉サービスはどう変わっていくのだろうか…。

映画の上映後、会を主催したグループのメンバーが、自閉症についてのアピール、また相談をしたい人のために連絡先を案内するなどをしていた。障害児者の家族が連携することで、また新たな動きができていくと良いと思う。

movie2
(会場は7~8割程度埋まっていた)

ところで、こんな真面目な上映会の話をしていてなんなんだが、映画の中で、主人公が荷物を入れるのに使っていた袋が、キルギスでもよく見かける“バザールバッグ”であった。「へぇ、香港にもバザールバッグがあるんだ」と私の目を引いたのであった。

2012/04/07

掃除の土曜日

ロシア語で土曜日はсуббота /スボータ/。

で、субботник /スボートニク/というのがあって、土曜日に職場や学校で大掃除をする日がある。

今日、私の配属先がそのスボートニクで、建物の内外を掃除・整理整頓した。

療育センターのスタッフだけでなく、色々な団体からボランティアも呼んでいて、そういう人たちも掃除を手伝ってくれていた。来ていたのは通所している児童の親、大学生のボランティアグループ、石油会社の社員グループであった。どういうルートでこういう団体から協力に来てもらったのかは知らないが、こういうのはいいなと思った。

saturday1

saturday2

村にいた時も、月に一度くらい、土曜日に学校の生徒たちが道路掃除をしているのを見た。日本でもやれば良いのに。日本の子供は、公共のために仕事をする機会がなさ過ぎるのではないか。

掃除が終わると、センターのほうで用意したランチをみんなで食べた。

saturday3

当たり前のことのようだが、こういうことができるのはキルギス人の良い所だと思う。日本人も真似できないものかね?

この日、私にとっての収穫(?)は、石油会社から来ていたボランティアたちがかぶっていた、その会社のロゴが入った帽子がかっこうよかったので、「それって、どこかで売っているの?」と質問したら、そのうちの一人がかぶっていた帽子を私にくれたことであった。コレクターというほどではないが、結構、帽子を集めているので、こういう帽子がもらえたのは嬉しい。日本でかぶっても良い感じの帽子である。

2012/03/31

プレス発表とソ連の名残り

3/30の活動記録。

現在の配属先АРДИ《アルディ》が、ビシュケク市内の大学で何かの発表をするというので、その手伝いに行く。障害児者支援全般に関わる話だったようだが、新たに始める自閉症児支援についても話をしていたので、それは私にも直接関わりのある話であった。

IMG_2124
(大学のステージみたいな部屋を借りて行われた)

この発表会、前日に「明日、○○大学でやるから来なさい」と通知されたもので、「ひょっとしたらお前にも何かを言ってもらうかも」と付け足されていたから、私としては人前で何を言おうかと、それなりに身構えていたのだが、結局、そのような出番はなく終わった。やれやれ。

 IMG_2120
(国営放送局のテレビカメラも入っていた)

今回、会場として借りたのが、アメリカの支援で運営されている「中央アジアアメリカ大学」という大学だったのだが、元々はソ連時代に作られた大学で、ソ連が終焉し、キルギスが独立国家になってしばらくしてからアメリカが大学の運営を引き継いでいるところである。

そんな歴史があるところなので、この会場で面白いものがあった。前出一枚目の写真の壁にある肖像画が、

Marx_Lenin

このお二人さんなのであった。壁の反対には、エンゲルスさんの絵も掛かっていた。「アメリカ大学」と称する建物にこういう絵があるのが、いかにもキルギスらしくて、私は大好きである! それを無理に剥がそうとしない大学運営者も、「アッパレだ、こりゃ~(大沢親分風)」とシールを貼りたい。

ちなみに、大学の前にある公園にもソ連時代の名残に違いない銅像があった。

IMG_2101
(もう一つアッパレだ、こりゃ!)

旧ソ連圏のほとんどで撤去されてしまったというマルクス、エンゲルス、レーニン関係の肖像画、銅像であるが、キルギスはそれらを残している。こういうソ連時代の名残りが見たい方は、是非、キルギスへどうぞ。

(バコンバエバ村にはスターリンのも残っていたぞ~!)

2012/03/28

自閉症児の指導教室、開始

ビシュケクに引っ越したのが2月27日。日付でいえばちょうど1ヶ月目。

新しい配属先には、自閉症児の指導教室を開くので、ノウハウを伝えてほしいということで呼ばれた。

この1ヶ月、自閉症児の母親で、将来的にはこの教室の先生になる予定の人と一緒に準備をしてきて、今日、その彼女の息子を教室に連れてきてもらって、初めての指導を行った。

何事も初めてというのは緊張するものである。事前にその子の情報も取っていたし、セオリー通りに準備をしてきたつもりであるが、本番では何が起こるか分からない。もし、今日、上手くいかなければ、センターのスタッフや保護者たちからは、「こいつはあてにならんな」と思われる可能性もある。

そう考えると前日は寝ることもできなかった。ということは全くなく、私の場合、こういうプレッシャーの時はかえって現実逃避で寝てしまうのだ、ハ、ハ、ハ(って、笑い事ではないけどね)。

で、結果から言えば、まあ上々のできだったんじゃないか、と。

自閉症児者って、何をすべきかが明示されていれば、自閉症でない人たちよりも余程集中してそのことをやり遂げようとする、と私は思う。時には気の毒なくらい、実直にやる。私にもその10分の1でも集中力があれば、と思うこともしばしばなのだが…。

今回の子供についても、彼が何をすればよいかが分かるように環境を作ることがメインのテーマであった。もちろん、初めて入る教室だから、ポイントごとに誘導・指示は必要であったけれど、全体的には拒否的になることもなく、ほんと健気なほどに学習課題に取り組んでくれた。

っていうか、そもそも、ここのお母さんが家でも相当頑張って教えているという下地があるのだ。私の力ではないので、偉そうに言えることは何もない。でも、誰の業績かということ以前に、キルギスでこのような取り組みが始まったことの意義を記しておきたい。

もちろん、既に運営されている指導教室はあると聞いているし、首都には今の日本で言うなら特別支援学校・学級(昔の養護学校・特殊学級)もあるから、私の配属先が「初」というわけではない。でも、多分、ここはやっている運営の仕方も、指導の方法も他とは異なる、自閉症児たちとその家族たちのための教室になると思う。そうなってほしい。

IMG_2050
(日本で同僚だった皆さん、キルギスでも同じようなことをやってまっせ~)

2012/03/10

新しい配属先で2週間経過

2月末に職場・任地変更をし、新しい配属先で活動し始めてから2週間が経過。残り5ヶ月だし、大したこともできないだろうから、今さら焦ってバタバタとしなくても良いだろうと、自分の中で算段を決めていたが、配属先のほうから自閉症の子供の指導クラスを開く予定なので、そのための準備をしてくれと言われ、予定外の忙しさになった。

新しい配属先は障害児の親たちの組織した療育センターで、スタッフの中には自分も障害児の母親という人もいる。「だから」と言ってしまうと、それで飯を食ってきた職業人としては無責任ではあるが、やはり障害のある子を持つ親のモチベーションは高いと感じる。前の配属先では、スタッフが勝手にセンターを休みにしたりしてたもんなぁ…。

親の会が運営しているこのセンターは、現時点では肢体不自由児やダウン症の子らが通ってきているので、その子達の療育クラスが行われている時間はそちらを手伝い、それが終わってから、あるいはクラスがない曜日に、新たな自閉症クラスの開始の準備をしている。

一緒に組むことになる予定の人は、自身も自閉症児の母親で、この国では珍しい英語が話せる人(夫の仕事の都合でアメリカに在住していたのだとか)。自分で英語、ロシア語の文献を取り寄せて、あるいはロシアの療育講座を受けに行って、本当によく勉強している。仕事において私にとってのメンター(指導者、助言者)的な人からは、「専門家は親が勉強する以上に勉強してなきゃね」と言われていたのを思い出す。う~ん、正直、自分の知識をどれだけアップデートできていたかと問われれば、忸怩《じくじ》たるものがある。

今は、そのパートナーとなるスタッフと、お互いの自閉症という障害に対する認識や、指導・援助の方法論の部分のすり合わせをしている。実際問題、世の中にはあまたの療育の考え方があり、方法論もある。私自身がその中のどのあたりの立場にいるのか、自閉症をどのように捉えていて、どういうアプローチが有効だと考えているか、またどのあたりが私の限界かも示しておかないと、相手は自分の期待値で解釈をしてしまうだろうし、この先話が噛み合わなくことも考えられる。だから、ここの部分はちょっと丁寧に説明をしておきたいし、相手の考えも聞いておきたいのである。

それにしても、その人が英語を話せるということが、どれだけ私を助けてくれていることか。自分のロシア語・キルギス語のレベルでは、ここまでの話はできなかったということもやり取りできる。この内容をすべてロシア語で伝えるとしたら、資料の作成とかも5倍くらいは時間がかかる。いや、5倍じゃ済まないな、きっと…。

久しぶりに英語を使いはじめて、いろいろと思うこともあるので、ブログにも近いうちに書きたいとは思っている。