先に書いた「写真撮って」というタイトルの記事のくり返しになる話だが、こちらでは、カメラを持っている人が少ないから、私がカメラを持っていると「写真撮って」と頼まれることがよくある。
「さあ撮りましょう」となれば、必然的に“記念撮影“的にポーズでの撮影、つまりみんなが横に並び、あるいは前後2~3列になって「1,2,3、カシャ」という感じになる。
誰かのお宅にお邪魔させてもらうと、そのうちの家族の写真を見せてくれることがある。その家族の歴史を語る貴重な写真で、すでに亡くなった人や、遠くに出稼ぎに行った人も写っていて、「この人は今はどこどこにいるんだよ」みたいな話を聞かせてもらえる。
ただ、写真のほとんどが記念撮影ポーズで撮られているので、20枚くらい見ているうちに、どれも同じ写真に見えてきてしまう。
思えば、日本でもフィルムカメラが主流だった頃は、写真というのは大体そんなものだった。撮影する時は、カメラマンが「撮るよ~。レンズ見て~」と言って、(私は嫌いな)ピースサインを作るというのが定番だった。
フィルムカメラは、撮ったその場では写真を確認できず、現像を待たなければいけなかったから、あとでピンぼけとか、レンズキャップの外し忘れなんていうことが発覚するのであった。フィルムは撮影可能な枚数が決まっていて、失敗写真であっても、一度撮ったものはフィルムに焼かれたものは消せず、一枚一枚は慎重に撮らざるを得なかった。
それが、デジカメの普及によって、撮影したその場で確認できる、失敗作は削除できるように変わった。さらにメモリが高容量になって撮影できる枚数が何千枚にもなっているから、バシバシ、カシャカシャと気兼ねなく撮影できる。フィルムカメラを使っていた頃には、道端の草を何枚も撮影するなんてことは考えられなかった。便利になったというか、写真の持つ意味が大きく変わったんだなと感じる。
カメラの前で真面目な顔でポーズを撮る人たい、あるいはそういう写真を見せてもらうたびに、そんなことがふと頭に浮かぶ。
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