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2011/12/25

携行機材今昔 ~パソコン編~

9年前にマレーシアに持っていったパソコンに入っていたOSは「Windows XP」だった。XPの発売が2001年ということだから、当時にしてみれば最新という感じであった。

で、今、キルギスに持ってきているパソコンのOSもXP。赴任前に移動に便利な小型ノートブックを買いに行き、購入の際に家電店の店員から「VistaよりもXPのほうがサクサク動きますよ」と薦められて、XPのほうを買ったのだった。結果的に、XPにして良かったと実感している。Vistaも使っているが、XPのほうが使いやすい。

現隊員の持っているパソコンの趨勢を見ると、Vista、7が多くなっている。たまにパソコンのことで私のところに相談がくることがあるのだが、日頃使っていないせいもあって、Vista、7の設定となると覚束ないことも出てくる。動画編集に関しては、最新OSではWindowsムービーメーカーが入っておらず、Liveムービーメーカーとかいうのしか入っていないようで、これが使いづらい。

協力隊でMacを使っている人はほとんどいない。隊員は定期的に活動状況を報告することになっている。昔は紙に手書き、または刷り出した物として提出することになっていたが、今はネット通信で提出できる(というか、半強制的にそうなっている。まあ、事務処理の効率化という点では仕方が無かろう)。で、レポートの提出をするシステムがWindowsのInternet Explorer(IE)で構築されているとかで、Windows以外のOS、IE以外のブラウザではできないという状態…。Macユーザーにとっては不利なのである。よく知らないのだが、WindowsのIEでしか使えないシステムって、きょうびのネット環境で作れるものなんだな、と妙に感心したほどである。

年月が経てば当然、パソコンの基本性能もそれだけ向上している。昔のパソコンで動画編集をするとなれば大変なことであったが、今はかなり高画質な動画でも大抵は処理可能である。静止画にしたって、3MB程度のファイルを一つ開くのに数十秒かかっていた頃から考えれば、今は1秒もかからない(というか、昔、スペックの低いパソコンに無理をさせすぎていたのか?)。

拡張機能について言えば、DVビデオを取り込む際にIEEE1394という規格のコードでつないでいたが、今はなんでもUSB。デジカメのメモリーカードも、昔はコンパクトフラッシュ(CF)とか、スマートメディアとかあったが、今はほぼSDカードの一人勝ちか。CFは一眼デジカメで採用されているようだが、私は使っていないので知らぬ。

パソコンに関してはこの10年で驚くほど販売価格が下がったことも記しておこう。10年前なら、日本で使われていたパソコンの大半は日本メーカーの物だったという印象だが、今は海外の新興メーカーのパソコンのシェアが大きくなっている。かくいう私も、今、このブログを書いているパソコンは海外メーカーの物である。

パソコンに付属しているディスクドライブも、「CD読み取り→CD読み書き→DVD読み取り→DVD読み書き」と機能が向上してきた。ここ最近に赴任した隊員のノートパソコンを見たら、なんと、ついに「ブルーレイ読み取り」ドライブが付いていた。当然の成り行きだろう。

そもそも、今回、「携行機材今昔」という話題を書こうと思ったのも、同期のパラグアイ隊員のブログに、「休日に映画鑑賞をしている」とあって、見ているソフトにブルーレイディスクが含まれていたので、驚いたからであった。

私なぞはブルーレイ搭載で驚いているのだが、数年後にはそれも当たり前になっているはずで、その頃には今のパソコンにはない機能が追加されているだろう。当然、協力隊隊員が携行するパソコンもさらに高機能化していることになる。

2011/12/24

携行機材今昔 ~カメラ編~

協力隊の任期は2年である。2年間の海外生活へ旅立つにあたって、日本から携行してくる物は色々ある。その中でもカメラ、パソコンの類は、時代と共に性能がどんどん変わっている。

9年前に、一度目の協力隊参加をした時は、デジカメが概ね世に普及して、スペックの競争期に入っていた頃だったという印象がある。自分より後に赴任してくる隊員たちが持って来るカメラを見ると、画素数がどんどん上がっていっていた。私が当時使っていたデジカメは、動画は音声無しでしか撮れなかったが、もう1年後には音声付きは当たり前の世界になっていた。値段も、自分が買った時と同じ値段で、スペックは全然高い機種が変えるようになっていた。

私のマレーシア隊員時代の後半には、一眼デジカメなる物を手にしている隊員もちらほら見かけるようになっていた。某C社のe●sというシリーズが、一眼デジカメに対する消費者のハードルを一気に下げた。マレーシアは、動植物の生態調査という職種で派遣されている隊員が多く、こういう人たちの多くは写真好きであった。「写真好き」というよりも、仕事をする上で写真を撮ることは必要不可欠の側面もあるようであった。そういう訳だろうか、この連中は真っ先に一眼デジカメを使用し始めていた(例えば野鳥の観測などでは、離れた所から撮影するために、望遠レンズに交換できる一眼デジカメは便利だということだろう)。

今、周りの隊員を見ると、一眼デジカメの所有率はかなり高い。以前は、一眼デジカメは写真撮影好きの人がわざわざ買う物だったが、今や「とりあえず一眼」という感も無きしも非ずで、一眼なのにずっと「オートモード」で撮っているという人も見かけるのである。

マレーシア時代、子供たちの付き添いでプールに行き、何かの拍子にカメラに水がかぶってしまい、そのまま使えなくなってしまった。デジカメはなんて水に弱いのかと痛感したものだ。当時は防水デジカメはまだ無かったのではなかったか。あったとしても一般ユーザー用のモデルは1種くらいだったはず。今は、複数のメーカーが防水カメラを製品ラインナップに入れている。

今や、防水カメラも単に「水がかかっても大丈夫」という域ではなく、水深10m対応の機種まである。マレーシアは南国でビーチリゾートも多く、私も何度かスキューバダイビングをしたが、海中の色鮮やかな珊瑚や魚を写真に納めたいといつも思っていた。キルギスではスキューバダイビングをすることはないので、防水デジカメを購入しなかったが、もし赤道近辺で海のある国へ派遣されていたならば、10m防水のカメラを買っていたと思う。

カメラの話のついでに、ビデオカメラについても。

9年前のマレーシア時代は、ビデオはまだテープ方式だった。S●NYの8mmアナログビデオを使っている人もまだいた。私はDVフォーマットで、パソコンにデータを取り込める物を持参していたが、パソコンにデータを取り込むのも、テープを再生しながら(つまり1倍速)なので、すごい時間がかかっていた。今やハイビジョン画質の動画が、DVテープの何分の一の時間で取り込める。

ビデオカメラのほうも、当然のことながら、スペックが格段に向上しているのだが、協力隊を見渡す限り、持参率は上がっていないように思う。これはデジカメに動画撮影機能が付いているのが当たり前になっており、デジカメの他にデジビデを持ってくる必要を感じない人が多いためではないかと推察する。

2011/09/13

フィルムカメラ

写真の話のついでだが…

そういえば、フィルムカメラってほとんど見なくなった。大型電気店のデジカメコーナーを見に行った時に、たまにフィルムカメラはないかと見ることがあるが、売り場もほんの気持ち程度。今、フィルムカメラをメインで使っている人ってどれくらいいるんだろうか。

銀塩写真の風合いが好きという人はいるが、素人が撮影・加工・印刷をすることを考えると、デジカメっていうのはほんとに便利で、フィルムカメラに戻るのは難しい。

と思いきや、トイ・カメラなるものが巷では流行っていて、そこでフィルムが使われているらしい。かくいう私も、キルギスでデジカメが故障して修理・買い換えができないという不安があったので、渡航の際、トイ・カメラを1台持ってきているのである。しかし、今、このブログを書くまで忘れ去られていたかわいそうなカメラである。

なんと言っても、フィルムの場合、キルギスでは現像ができるのかどうかも分からない。首都ビシュケクでは探せばあるだろう。きちんと探したことはないが、バスとかで通り過ぎながら「あの辺の写真屋が怪しそうだな」という目星はつけている。しかし、我が村にはフィルムを現像できる店はない。

フィルムカメラのユーザーは少なくなったとはいえ、日本なら今でもフィルムの現像は扱ってくれる。当然と言えば当然なのだが、貧しい国にいってしまうとそれも当然ではないのかも知れない。デジカメは高くて買えないが、昔のフィルムカメラならあるぞ、という人がいても、フィルムも入手しづらいし、現像もする所がないとなると、無用の長物になってしまう。

インスタントカメラというのもあったが、その代表的なメーカー(ポラ●イド社)も新しいカメラは生産しなくなっているんじゃなかったかな、確か? デジカメの中には「トイ・カメラ風」という風合いで撮影できるものも出ているから、フィルムのトイ・カメラもやはり廃れてしまうのか…。

平成ひと桁あたりまでは、写真は印画紙に焼いたものを見るのが当たり前だったんだが。いつの間にか、モニターで見るのが当たり前になってる。また数十年したら、今の我々が想像もしないような形態で、映像を記録し見ることになっているんだろうか。マトリックス的な?

2011/03/24

伝統を継承するための祭

ノールズ(イスラム新年)のフェスティバルでは、村の有志グループ(?)による歌・ダンスの披露の他に、キルギスの結婚式をデモンストレーションする出し物もあった。

他の村から花嫁がやって来るという設定のようで、花嫁が風船とリボンで飾った車で連れてこられる所から始まった。車の後ろには、-遊牧民らしく-、馬が伴走して隊列を作っている。

wedding_demo (1)

おばちゃんたち(「おばあちゃん」と呼んでもよさそうな年輩のお姉様がた)が、「花嫁が来たよ~。みんな、飲んで、食べて、お祝いしましょ~」みたいな感じで呼びかける。すべてお芝居なのだが、観客の子供たちも呼びかけられていると勘違いしたのか、どんどん寄ってきて、ごちゃごちゃした感じになっていた(ほどなくして、会場整理にあたっていた警察官が「こら、下がれ!」と叱りつけていたが、そもそも子供たちが中に入れてしまう程度にしか制御していなかったんだから、会場整備係である自分たちの落ち度であろうに…)。

wedding_demo (2)(白い布をかぶっているのが、デモンストレーションのおばちゃんたち。どんどん子供が寄ってくる。)

言葉を理解しきれていないので、本当の趣旨は分からないのだが、私の理解としては、こういう大きな祭の時に、自分たちの伝統的な風習を再現して、若い世代にも「ああ、こんな感じでやるんですね」ということを伝える意味があるのではないか。

それは私の深読みで、やっている村民たちは、祭の出し物の一つとして楽しんでいるだけなのかも知れない。しかし、彼らが意図しているしていないに関わらず、こういう形で風習・習俗を再現しておくことは、大切なことだと思う。

どこの文化においても、昔は当たり前にやっていたことが、様々な事情(過疎、政治的な禁圧、価値観の変化等々)で行われなくなり、廃れてしまうものがある。その文化集団の知識・技術は進歩していくから、何百年前のやり方をいつまでも継承するのは不合理なのは当然である。古来のやり方が廃れていくのは、仕方がない面はある。

しかし、時が経てば何でも進歩するかというと、必ずしもそうではない。関西に住んでいた頃、何度か、奈良国立博物館で行われる正倉院展に行った。正倉院の宝物《ほうもつ》は天皇に献上された物だから、当時の最高級品である。当時の最高級品であるだけでなく、現在でも最高の素材・技巧として通用する物だ。

資料を読むと、どのように製作したのか分からない物も多々あるとのことだった。1300年前の人に作れた物が、現在の技術では再現できないことがある。宮大工の世界でも、そういう話がたくさんある。ある時代から、技術が継承されなくなったために、どういう技術でそれを行なったのか、今では分か風習というのも同様で、らなくなってしまったのである。

すべての技術を継承し続けるのは現実的には無理だし、意味はない。それでも、昔の技術がいつか役に立つこともあるかも知れないから、何らかの形で技術が再現できるようにしておくべきだと私は思う。結婚式などの儀式も同様で、どこかで継承が中断されると、あとの世代はそれを再現するのが難しくなる。儀式には宗教的な意味や、集落の結束を促すような機能が込められていることがあるから、細々とでも継承しておくのが望ましいと思う。

フェスティバルの出し物の一つであったが、結婚式の様子が再現されているのを見て、そんなことを考えていた。

2011/03/06

昔の映像はちょこまかと動く (2)

昔の映像は、今よりもコマ数を少なくして撮影しているので、それを再生すると人物などの動きが実際よりも速くなり、せせこましく見えてしまう。

1秒あたりのコマ数を撮影した時と同じにして再生すれば、あのようなちょこまかとした動きにはならないはずなのだが、それをやらないのは、おそらく、コマとコマの間の時間が長すぎると、人間はそれを動画として認識できないからだろう。

例えば、人間が歩いている所を6枚程度の連続写真で撮影する。それを0.5秒間隔くらいで表示すれば、何となく動いているように見える。しかし、1枚の写真を5秒ずつ表示すると、1枚ずつの写真として見えてしまう。

現在の撮影機器は、1秒ごとのコマ数が増えているから、きれいに動いているように見える。ところが面白いもので、現在でも、昔風の映像っぽく演出したい時に、あえて再生スピードを速めているものを見かけることがある。Windowsに付属して入っているMovie Makerという動画編集ソフトにも「スピードアップ」というエフェクトが入っており、これに「グレースケール」「フィルム時代」というエフェクトを合わせると、誰でも簡単に昔風の映像が作れる。

「ちょこまかとした動き」「白黒」「画面上のノイズ」というのは、昔の撮影機器にとっては制約であり、どんなに逆立ちしたところでそれ以上の映画は撮れなかったのである。しかし、現在においてはそれらが一つの“イメージ、符号”となっていて、最新の機器、ソフトを使って、あえてそういう風合《テイスト》の映像を作るのである。

これは一種の倒錯なのだが、イメージ(この場合は「ちょこまか動き」「白黒」「ノイズ」)というのは、一旦意味を持つと、それが人間の思考を縛るものだということがよく分かる。人間はイメージによる制約から逃れられない。

昔の映像はちょこまかと動く (1)

今、キルギスのテレビで、ロシアから配信されているドキュメンタリー番組を見ている。レーニンの映像がたくさん出てくるので、ソ連の草創期に関する内容ではないかと思う。スターリンも出ているが、内容についてはまったく理解できず…。

まあ、内容の理解については諦めるとして、ロシアのに限らず、昔の映像(映画記録)では、人や馬、車などの動きが、実物よりも速いのをしばしば目にする。例えば「明治40年頃の日本橋の様子」みたいな映像。路面電車も、あんなに速く走っていたら、避《よ》けきれずに轢《ひ》かれてしまうだろうという速さである。

チャップリンの映画も、確か、そんな感じではなかっただろうか。黒の山高帽とスーツに身を包み、ステッキを使った独特の歩き方(がに股?)をするのだが、その歩き方がより滑稽に見えるのは、映像が速く流れているせいもあるだろうと思う。

なんであんな不自然な速さになってしまうのだろう?

おそらく答えは簡単で、撮影機材の性能が今よりも断然低かった当時は、1秒あたりのコマの数が今よりも少なかったためである。映画のフィルムの実物を見たことがない人には説明しづらい話だが、動画というのは、一つひとつは微妙にことなる静止画であるものを、連続して見せることで、それがあたかも動いているもののように人間が錯覚することを利用したものである。1秒あたりに構成する静止画(=コマ)の数が多いほど、映像として動きはスムーズに見える(「ヤザワは4倍」と言っていた某メーカーの液晶テレビも、このことを言っていたのだと理解している)。

テレビ、ビデオは1秒に30コマだったはずである(ハイビジョンの規格は違うのかな?)。正確には知らないが、仮に昔の撮影機の性能が、今の1/3、1秒に10コマだったとすると、今のテレビ映像と3コマに2コマは飛ばして撮影していたことになる。

そうやって撮影したものであれば、1秒に10コマ(1コマ=0.1秒)となるように再生すれば、元のスピードを再現できるわけで、私たちが資料映像で見るようなせせこましい動きにはならずに済むはずなのである。なぜそれをやらないのか。

2011/02/23

ウォシュレットはなぜ日本で生まれたのだろうか?

ウォシュレット(自動洗浄式トイレ)が世の中に出回り始めた頃、私は学生だったと記憶しているが、あれで尻を洗ったことがあるかどうかみたいな話が仲間内で交わされたものである。

男同士でそういう話をしているとたいてい誰かが「”ビデ”ってボタンがあるけど、あれは何に使うの?」という疑問を呈《てい》するのであった。私もその場で回答できない自分の無知を恥じて、密かにその意味を調べた。調べてみれば、我々男子学生がなんのことか分からないのも無理はない物だとわかった。

さて、そのビデは元はヨーロッパで作られた物であったはずだ。一般庶民の家庭にまで設置されていたのかはわからないが、ずっと昔からあった物のはずである。今でも、海外のホテルに行くと、便器の横にもう一つ別の便器のような、さりとて形がちょっと違う物が並んでいる所を見ることがある。あれに付いている蛇口のような物が上向きになっている所から考察するに、あれは現代版ビデなのだろう。

ここで不思議なのは、昔からビデという器具を持っていたヨーロッパでウォシュレットの開発につながらなかったということである。だって、ビデからウォシュレットへ連想するのって、つながりやすいように思えてしまうのだもの。

これは決して、ウォシュレットを開発した日本のエンジニアを「二番煎じ」と卑下しているのではない! むしろ、ビデ文化がなかった日本人だからこそウォシュレットを連想できたのだとさえ思う。というのも、我々は今目の前にある物で暮らして不便を感じていなければ、そこから新しい利器を作ろうとは思わないものだと思うからである。

ビデで事足れりと思っている人に、細い管から一定の圧力で水を噴射して、排泄後の汚れを落とす自動機械を作ろうとは発想しづらかったはずなのだ。だからこそ、そこに新しい商品の可能性を発見し、開発した会社・エンジニアの努力に一種の感動を覚えるのである。

同時に、それを思いつかなかったヨーロッパの人々を笑うこともできない。どの道、我々だって同じようなものである。今の状況に不便を感じていなければ、それを改善しようとか、新しい道具・やり方を開発しようとは思わないのである。物事に飽き足りなくなるというのは、人類に進歩をもたらした最大の要因だったとさえ思うのである。