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2012/02/26

職場・任地、変わります

唐突な話と受け止められるかも知れないが、これまでの配属先を辞め、首都の障害児療育センターへ移動する。明日27日に引っ越し。1年半ちょっとのバコンバエバ村での生活にもお別れということになる。

任期の残りも5ヶ月で、夏休みシーズンや帰国準備の日程も考えると、実際には活動期間は5ヶ月もないのではあるが、今の配属先で過ごすよりも、別の所でやれることがあるならばと思い選択したことである。

年が明けてから、これまでやっていた障害児者の通所センターを突如閉鎖。もちろん、私にだけ言っていなかったことで、配属先のトップや現場スタッフはそのつもりで予定していたのかも知れないが。

その後、何かやる様子も見えず、私も以前から家庭訪問に行っていた子の所へ行くくらいが活動らしい活動で1ヶ月半を過ごしていた。担当の調整員が相談にのってくれ、その中で、残り任期が数ヶ月であっても、自分がこれまで得てきた知識・経験を多少でも必要としてくれる団体が他にあるならば、そちらでやらせてもらおうと思った。

いざ、私が「ここは辞めます」と伝えたら、今の配属先の人たちは不快感を示しており、まあ色々と言われた。言い争っても、向こうもこちらも納得することはできぬだろう。そもそも、ここの団体・スタッフたちに、障害児者の支援をするというモチベーションがどこまであったのか、私はずっと疑問であった。

協力隊のブログを開設するにあたっては、「任国、配属先、JICA等について、業務上知り得た個別の情報は書かない」「ネガティブな話題は控える」というのが、ルールとして確認されている。協力隊という立場でその国、その団体に赴任している以上、当然のルールだと思う(実際には、結構、書いている隊員のブログもある。ただ、その隊員にとっては書かざるを得ない事情というのもあるので、私自身はそれを糾弾するとかいう気持ちはない)。

で、これまでいた配属先についても、まあ色々と見たこと、思うことはあったのだが、それは協力隊ブログには適さない(ルールから逸脱する)と思うので書かずに来ている。個人的には、もっと活動先のことについて書きたいと願っていたが、月日が経つにつれ、「ありゃりゃ?」ということが重なってしまっていた。

その「ありゃりゃ」なことも、読者には関心のあることかも知れないし、私も自分の体験談としては伝えたい思いもなくはないのだが、当面はブログには書くことはしない。それに、新しい配属先の団体も、(これまでに何度かやり取りをしており、スタッフのモチベーションが高いことは感じてはいるものの)、実際に内側から見たらこれまでの配属先と大差ないという可能性も無くはないわけで、今、これまでの配属先への不満をここで吐き出すことは、後々、天に唾を吐くというのか、また同じ問題が自分に降りかかるかも知れない、と思うのである。

バコンバエバという村での生活自体は、気に入っていた。私を助けてくれた多くの人に感謝、感謝。

思い出の村を離れるにあたり、何十年ぶりかで雪が降り積もった村で、雪の帽子をかぶったレーニンさんの写真を載せておこう(昨日たまたま撮影したから載せるだけなんだけどね…)。

Lenin
(この帽子が溶ける頃には、私は村にはいない)

移動先はどこかというと、首都ビシュケクである。これまで田舎村暮らしをしていた私にとっては、いきなりの都会暮らしとなる。

村生活と都会生活の比較も、ブログで書ければと思っているので、まあ少しは期待していただこう。

2011/08/28

やむを得ず(?)のごみ処理方法

以前のブログで、ごみの収集車を見たことがないと書いたが、それは村での話で、首都のビシュケクでは見たことがある。このあたり、都市と地方の生活格差みたいなものがある。というより、都市部では団地も多いし、ごみを各家庭で処分するには限界がある。必然的にどこかに移動させて処理せざるを得ないのであろう。

anahori

ごみ収集が行われない村では、溜まったごみをどうするか。

うちの職場の敷地には、大きなコンテナがあって、オフィスのごみ箱に溜まった紙くずなどはそこにぶち込んでいる。しかし、コンテナも半年くらいすると一杯になるので、今度はコンテナに溜まったごみを何とかしなければならない。

私が職場に配属されてから一度だけ見たのだが、男スタッフ衆がオフィスの前の通り端を掘り、大きな穴を作った。そしてそこにコンテナのごみを流し込んで、土をかぶせて終わり。これでコンテナもまた半年は使えるということか…。

それにしても、道路を掘り返すのにも特に役所の許可を受けているという感じでもなく、「この辺を掘りまひょか」的な感じで半日作業で、掘って→ごみを流し込んで→埋め直す、をやってしまうのを目の当たりにして、環境保護とかとは別の視点で、彼らのたくましさを感じたものだ。

環境保護の視点で見れば…、電池とかビニール、ペットボトルを埋めているので、もちろんアウトである。

2011/08/10

病院への合いのり

私の配属先は、障害児者の訓練センター(のようなもの)で、週のうち三日、センターを開く。

村と言っても、端から端までで考えたら結構広く、毎回、子供たちが歩いてくるのは大変なので、センターのミニバスで送迎を行なっている。

このミニバスというのが、一般に走っている乗合いバスと同じような見かけなので、走っているとしばしば道にいる人が手を挙げて「停まって~、乗せて~」と合図を送ってくる。これは子供たちの送迎用のバスなので、通常は運転手は手を振って断る。

先日、道を歩いている夫婦と思しき男女の老人がバスを呼び止めた。結構高齢に見えたせいか、運転手もこの時はバスを停めてその老夫婦を乗せてあげていた。

どこまで行くのかと尋ねると、村の中心部にある病院までとのことである。センターのバスに乗せた所から、病院まで1.5kmくらいであろうか。その二人がどこから歩いてきたかは分からないが、仮に2kmかけて病院まで行くとする。行って帰って1時間半の道のりである。

いや、日本でも、好むと好まざるとそういう状況で通院することを余儀なくされている地域があるのだと思うが、この老夫婦を見た時に、そんな距離を歩くつもりでいる人たちが病院に行くとことがしっくりこない感じだった。

歩くことができても、内臓疾患とか眼病とか、医者にかかる要素はいくらでもあるから、おかしなことではないのである。考えようによっては、わざわざ1時間半かけて行かなければいけないほど、どこか悪いということかも知れない(こちらでは金のかかることをわざわざすることはないと思う)。こちらの人は、1時間くらいで行ける所ならば歩くのは仕方ないという生活を送っているから、老人といえでも4km程度の道は対して苦にもしていないのか。

それにしても、こんな感じで、知り合いではない老人を病院まで送っていくというのは、村ならでは光景だったかも。

2011/03/31

職場も春の準備

お隣りウズベキスタンの同期隊員(看護師)のブログを読んでいたら、暖かくなったので病院敷地内に木を植える作業を(病院スタッフ総出で)した、という記事があって、こちらと似ているなと思った。

かさぶたぶたぶ@ウズベキスタン
http://hoshinotori422.blog129.fc2.com/blog-entry-205.html

うちの職場も、先週金曜日に同じようなことをした。

オフィスの敷地にごみを溜める大きなごみ箱(日本語でなんて呼ぶのだろう?)がある。普段は、オフィスのごみはそこにどんどこと投げ入れているが、それも一杯になり、処理をしなければならなくなった。

燃えそうな紙や木くずの類は燃やしていた。当然、ペットボトル、ビニールも火にくべる。石油製品が燃えるときの独特のにおいの煙が立ち上っていた。今、日本の都会じゃこんなにおいを嗅ぐのはできないが、昔は結構道ばたで、たき火をしている人がいて、ビニールごみなんかも一緒に燃やしていたものだった。そんなことを思い出しながら、私も一所懸命にペットボトルに火が回るように火の番をした。

oosouji3

燃やせない空き缶や廃電球はどうするかというと、オフィスの敷地を出た道路の脇に大きな穴を掘り、

oosouji1

そこにごみを放り込んで、土をかぶせる。

oosouji2

「ああ、途上国はやっぱひどいね~。ごみの処分もちゃんとしてないんだから…」と思いつつ手伝っていたが、いやちょっと待てよ、日本は余所様《よそさま》のことを言えるだろうか、と思い返してみた。

日本なら、大抵の所で自治体が決まった曜日にごみを回収してくれる。我々の「意識」も高くなっているから、生ごみ、プラスチック、ペットボトル、スチール、アルミ等々を分別して回収日に出す。家に溜まった紙くずやペットボトルをたき火にくべている人や、家の前の道に穴を掘ってごみを埋めている人はいない(まあ、そういう人もいなくはないけど…)。だから、我々の住む町は、キルギスと比べたら全然ごみが少ない。

しかし、その先の、私たちが見えない所では集められたごみ達が燃やされ、そのうちの燃え切らない物などは、さらに別の場所に積み上げられていく。そうして日本人は「夢の島」を作ったではないか。

キルギスのごみ処理の問題は確固としてある。それはそれで、この国が解決しなければ課題である(ごみ処理のシステム確立、住民の意識変革)。しかし、それはキルギスや発展途上国だけの問題ではない。

海外に行ってそこの生活様式を見ると、ついついその土地独特のやり方・問題だと錯覚してしまうが、大抵は自分の所でも同じようなことをやっているし、類似した問題も抱えている。生きるために食べ、食べれば出すのは、どこの人間だって同じようにするということだ。

「隣の芝生は青い」は、マイナス面のことについても当てはまる。言うなれば「隣家の出すごみは多く見える」というところか。

さて、この大掃除で屋外の大ごみ箱はきれいさっぱりとしたが、またごみを溜めていけば数ヶ月後には一杯になる。今度はどこに穴を掘ることやら…。

2011/03/19

春と言ってもいいでしょう

ブログの話題が地震のことばかりとなって、生活の様子を書いていたなったが、村はますます春めいてきている。

今週は寒さがぶり返して、真冬に逆戻りしたような日もあったが、日本でも「三寒四温」と言うように、冬から春に移るときはこんな感じなのであろう。人間は暦なんてものを考え出したから、ついつい「何月」とか「立春」とかで区切りを考えてしまうが、昨日から今日で「はい、今から春になります」なんてことはないわけで、寒さと暖かさを行ったり来たりしながら、季節は移っていく。

前にも書いたが、虫たちの活動が活発化してきている。暖かくなって羽化が進むのだろう。村で見かける鳥の種類も、1~2ヶ月前と比べると多くなったような…。それは気のせいだろうか? 種類は増えていないかも知れないが、さえずり声は確実に多く聞くようになった。

fly
(蠅ちゃん。まだ動きは鈍い…)

配属先のショーラコルでも、暖かくなったためなのか、子供たちを湖のビーチに連れて行き、半日そこで遊んできた。

lake1
(今はまだ水が冷たいが、夏は泳ぐこともできる)

lake2
(ビーチでの昼食)

2011/03/07

【国際カンファ体験記】プレゼンデータをコピー、…って、あり?

カンファレンス会場の最前列で、パソコン操作をせっせとやっていたせいもあって、来場者の何人かから「さっきのプレゼンのデータを私のUSBメモリーにコピーして」と頼まれることがあった。

こういうカンファで人のプレゼンデータをコピーしてもらうことを頼むことって、日本ではないんじゃないかな? 一応、プレゼンターの商売道具であるわけだし、複製をするというのはよくないことという通念があるんじゃなかろうか? もし頼んだとしても、プレゼンターからは嫌な顔をされると思う。

そんなことを考えていたので、咄嗟《とっさ》に私はお得意の「ロシア語もキルギス語もよく分かりましぇ~ん」光線を出して誤魔化した。「他の誰かに訊いてちょうだい」みたいな感じで。

相手も私に話しても埒《らち》が開かないので、別の運営スタッフに話を向ける。すると「今は忙しいから、あとでやります」と言って、USBメモリーを預かって、手が空いたときにコピーをしてあげていた。

ふ~ん、そういうの別に問題にならないんだな。ちょっと納得できない感もあったのだけど、そういうのが普通みたいなので、それ以降、別の来場者からも同様の依頼があったら対応したのであった。

【国際カンファ体験記】プレゼン機器操作

過日のブログに書いたとおり、3/1~3の三日間、首都ビシュケクで「障害児とその家族への支援」に関する国際カンファレンスが開催された。

私も運営スタッフの一人として数えてもらっており、「写真係」になっていると説明を受けていた。ところが、前日の運営会議では記録記録の他に、ビデオ撮影・パソコン等機材の管理も担当することになっていた。パソコンに関しては、日本語Windowsならばある程度は操作できるが、こちらはロシア語Windowsばかりなので、何か問題が生じた時の対処に手間がかかる。

実際に始まってみると、心配していたそれ以上にてんやわんやとなってしまった。海外(イギリス、オランダ、カザフスタン、タジキスタン、ドイツ、マケドニア、ロシア)からの講演者は、開始の5分前にフラッシュメモリを渡してきて、「この中にプレゼンのファイルがあるから、それを映して」と言ってくる。そんな人が2,3人まとめて来たら扱い切れない。

そんな感じでパワーポイントのプレゼンテーションデータをプロジェクターに映すのだが、ぶっつけ本番である上に、こちらは言葉(ロシア語)が分からないから、講演者の合図《キュー》に合わせてスライドを替えることになる。しかし中にはキューを出さずに話す人もいる。これが困る。

当日は、会場正面の左右に一つずつスクリーンを立て、プロジェクターでプレゼンファイルを映写していた。私はその一つを担当し、もう片方は現地の人(ロシア語、キルギス語、英語OK)が担当。その人は話の内容に合わせてスライドを切り替えられるので、プレゼンターからのキューがない時は、反対側のスクリーンのスライドが替わるのに合わせて自分も替えていた。

しかし、現地スタッフも事前の練習なしのぶっつけ本番で操作しているわけだから、当然、スライドの切り替えにミスもあった。向こうがミスをすれば、それに合わせて私もミスをする。スライドが行ったり来たり。あとで別のプレゼンターから「君らのスライドの操作はひどかったな。俺のプレゼンの時は、俺から『Next』と合図をするまで勝手にやるなよ」と言われ、ちょっとムッとした。こっちだってあんな操作で納得しとる訳ちゃうわ~い!

まあ、その高飛車だったドイツからのゲストプレゼンターのスライドは計4枚。1枚目はタイトル画面で、最後は「ご静聴ありがとうございます」というスライドだったから、実質2枚のスライド。う~ん、特に見せ場のないようなスライドだったけど、何をあんなに気にしていたんだろうか…?

まあ、その他の発表者からはおおむね感謝とねぎらいの言葉をもらえたし、充実感を味わいつつの担当業務であった。

それにしても、発表数分前にデータを渡してくるっていうのは、やっぱりナシだよなぁ。日本で講演とか発表をする機会がある皆さん、主催者側には事前にデータを渡してあげてくださいな。

2011/03/03

国際カンファレンス開催

今週、3/1~3、首都ビシュケクで障害児とその家族への支援に関する国際カンファレンスが開催されている。私が配属されているNPOが、カンファレンスの運営メンバーの一員であるため、今週は通常業務はすべてキャンセルし、首都でカンファレンスに出ている。

ありがたいことに、主催者側のスタッフとして、私のような言語の不自由な者にも役目を与えてくれたのだが、言葉の分からない状況の中で、知っているフレーズと、英語(を話せる相手なら)でやり取りしながらの作業。とにかく疲れた。

同期で、別のNPOに配属されている隊員Sさんの職場も、このカンファレンスの共同開催者のようで、今週はSさんと行動をともにしている。

このカンファの詳細については後日のブログで。とりあえず、今は疲れてしまって… Zzz (_ _)

2010/12/27

С Новым Годом!

В последном пятнице, 24е декабря, у нас был вечеринка в нашем центре. Много дети и их семья приняли участие. Это праздник для "Рождества" и "Нового Года".

На вечеринке были рождественская ёлка, Санта Клаус, подароки, угощении, игры и так далее. Нам было очень весело!!

Xmas

В японском культуре мы обмениваемся приветствиями "Омедето" за нового года, когда число сделается 1ое января. А здесь уже обмениваются приветствиями в декабре. Мне интересно это.

Угощении готовили матери детей Шоола-Кола. Кыргызы хорошо знают как сам делают вечеринку. Это был ручная вечеринка.

party

Детям были рады, потому что Санта Клаус их дали подароки, и ещё они могли одеться специальные платья.

dress

Я думаю, что каждый участник развлеклись.

Вас Наилучшие Пожелания в Новом Году!!!!!!

【ネット翻訳 / Перевод по интернету】
http://translate.google.co.jp/
http://www.worldlingo.com/products_services/worldlingo_translator.html
http://www.online-translator.com/Default.aspx/
http://babelfish.yahoo.com/  (英語のみ)

2010/12/06

障害者の日イベント

12月3日は「国際障害者の日」ということで、私の配属先のNPOではイベントを実施した。

村の中にあるカフェ(…カフェっていうのは、日本でいうとレストランくらいの感じ。こちらでレストランと言うと、ちょっと高級な店になる)を貸し切りにして、普段はセンターに来ていないが登録されている子ども、その家族を招いてのお食事会。

20101203_shokujikai

100名超の参加者があったそうで、ホールもご覧のとおりぎっしり。

音楽の先生をしてい る人を呼んで、YAMAHAキーボードの生演奏でカラオケなんかもしていた。

sing_song

食事が終わったら、子どもたちはダンスパーティー。

20101203_dance

4時間くらいのイベントだったが、初めて会う子ども・親とも多くて気を遣ったのと、ずっと「わたくし、悪い人じゃありませんよ~」的な笑顔を作り続けていたので、皆さん帰ったあとは後はどっと疲れがきた。

このイベントの準備から実施までに関しては、ところどころに「そういうやり方って、いかがなモンでしょう?」という思いを抱いたのだが、また別のエントリー(=ブログの記事)にて。

2010/11/19

自己紹介がサイトに掲載された

一ヶ月以上前だったか、職場で「うちのホームページに載せるので、自己紹介を書いてほしい」と頼まれ、半日がかりで英文の自己紹介を書いて、担当者にメールで送った。

その後すっかり忘れていたが、今日、ふときっかけでそのことを思い出して、本部(なのかな?)のホームページを開いて、探してみた。

http://www.kelechek.kg/

このページの中の「Новости」(ニュース)という所に、お知らせがリストになっている。その一番下にある「Всё Новости」(すべてのニュース)でリンクを開いて、04.10.2010(日本とは日付の表示が逆。つまり2010年10月4日)のニュースに「Заметки японского волонтера с с.Боконбаево」というのがある。

訳せば「バコンバエバ村の日本人ボランティアの手記」という感じ。

「ロシア語の文字(キリル文字)なんてわからん!」という方は、以下のリンクで直接、該当ページへどうぞ。
http://www.kelechek.kg/ru/news/848/

すべてロシア語だ。かっこいい! ウットリ…。

しかし、これは私が書いたロシア語ではない、残念ながら。私が英文で出したのを、先方でロシア語に訳してくれたもの。ロシア語の言い回しだとこういうふうになるのかと参考になる。

障害児者の教育・福祉業界で働いている人は、「ABA」「TEACCH」という単語は分かると思う。

内容を知りたい方は、翻訳サイトで日本語にして、どうぞ。
リンク:google翻訳 http://translate.google.co.jp/

2010/11/18

Дети понимут моё имя.

В 9-10е ноября, я с другими волонтёрами поехали в Караколе. У нас там было презетаця. Около 100 человек собралися.

Когда я шёл на работе в 11е, коллега скажила, что дети Шоола-Кола спросили “где Чихиро?”. Дети Шоола-Кола постепенно стали помнить моё имя. Мне было рад.

2010/11/07

職場の紹介

自分の活動先のことをブログでまだ書いていなかった。

拙い語学力で、同僚たちが言っていることも十分理解できず、自分の所属している職場の全体像というのもいまいちつかめていないので、不正確な情報になってしまうかもしれないが…(ま、それは追々修正させてもらうことにして。)

私の配属先は「ショーラ・コル」というNPO団体。ロシア語で書くと「Шоола-Кол」だが、元はキルギス語で「Шоола-Көл」(キルギス語にはロシア語にはない音・文字が3つある。日本語環境のPCだと、文字化けする可能性あり)。
(шоолаは「曙光」、көлは「湖」。近くにイシククル湖という有名な湖があるから、それに因んだのか。)

私は障害児・者支援の分野での要請を受けて、協力隊のカテゴリーでは「養護」という職種で赴任している。協力隊的には「養護隊員」とか、その上位カテゴリーの「福祉隊員」と呼ばれる(あと、勝手に「ウクレレ隊員」も自称している)。

対象にしているのは障害全般だが、実際には知的障害が多い。その他に構音障害、肢体不自由など。日本でいったら「軽度」と呼ばれる障害程度だと思う。年齢は就学前の小さな子から、20歳を超えた大人までいる。

公立の学校内に2つ教室を借りていて、月曜~水曜はそこで授業(のようなこと)をしている。shoolakol1
shoolakol2

都市部のように人口 が密集している訳ではないから、利用児の中には遠方に住んでいて、自力で通ってくるのは不可能な子どもいる。ショーラコルにはミニバスがあり、それで送迎サービスを行なっている。

minibus

ドイツ製(メルセデスのエンブレム)、おそらく中古を輸入(寄付?)した車両だと思われる。日本にはこういうカテゴリーの車はないのではないか? キャンピングカーくらいの大きさで、中は4列シート。定員は前から2・3・3・4で大人12名くらいの見当だが、時と場合によっては18人くらいまでは乗り込む(こういう時は「運転手っていいな」と思う。必ず一人分の座席が確保されてるから)。
車内の雰囲気については以前のブログ(リンク)に写真がある。

木曜はこのミニバスで家庭訪問。近隣の村に住んでいる障害児・者のいる家庭を訪問する。訪問先で療育・指導みたいなことをしているわけではなく、生育歴や身辺自立のことを親に訊いているだけのように見受ける(私は言葉が分からず、ただ同行しているだけという状態)。とりあえず、どこに誰が住んでいるか、どういう障害で、障害の程度などを把握するための訪問のように思う。

金曜はオフィスワーク。仕事のレポートを作成したりしている。

何か「一週間の歌」みたいな感じになってしまった(「♪月曜日に市場へ出かけ~」っていうあの歌。ちなみにこれはロシア民謡だそうだが、今のロシア人はほとんど知らない歌らしい。日本で聞いていたNHKラジオのロシア語講座の話題で言っていた)。

仕事のことは追々書くつもりだが、勤務先について、以上。