2011/09/10

2001年9月11日

人類史に残る(であろう)事件・出来事が話題になる時、「あの時、どこにいた?」という話はよく出ると思う。1945年8月15日の玉音放送、今年の3月11日の大震災など。そして2001年9月11日は世界中で記憶されている日付である。今年はあの9月11日から10年目にあたる。

その当日、夜のテレビニュース番組を見ていたら、アメリカからの速報生中継が入り、そこからすべての放送局が臨時放送体制になった。それを見ながら「このまま世界大戦になるのでは…」と不安が襲ったが、世界大戦とは違うが、現在の世界情勢を方向付けたのは明らかにあの日の出来事だった。

その年の秋募集で協力隊に合格した私は、翌2002年4月から二本松訓練所で訓練を受け、7月にマレーシアに赴任した。その後のテロ組織掃討のための軍事作戦などがあり、正直、協力隊として派遣されるのか心配であった。

マレーシアはイスラム教を国教としている国で、多国籍軍によるアフガニスタン攻撃に関しては「同胞」としての視点から関心を持っているようであった。マレーシアでの任期中は何度か「日本は今回の戦争についてどういう立場なのだ」と質問を受けた。

9・11を機に、イスラム教に対する恐怖感が非イスラム圏では強くなったし、私自身もそういう目で見ていたのだが、マレーシアで2年暮らし、そこでのイスラム教徒の暮らしを見、イスラム教とテロを同一視するような風評には体験的に「違う」と言える。イスラム教以外の所でもテロは起こされて来たし、テロリスト本人たちは宗教的な熱意だと意識してやっているのかも知れないが、何か別の動機が宗教的な集団意識と結びついてテロリストを醸成するのだと思う。

今年は2001年9月11日から10年目になり、アメリカの諜報機関では大規模テロの計画の情報をつかんだとか、容疑者を拘束したとかのニュースが出ていた。

もし、イスラム教に基づく集団が「10周年テロ」を計画しているのだとすると、私にはつくづく合点がいかないのだが、「2011年」も「9月11日」も西暦、すなわちキリスト教の暦なのである。イスラム原理主義と言われる人々が、なぜ西暦に則って「10周年」を算出するのか…。そこには矛盾はないのかと不思議なのである。

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