2011/11/27

Каша (3)

カーシャ(粥)の話の余話。

カーシャが使われていることわざが、ロシア語のテキスト(『アンコールまいにちロシア語 2009年度10~3月』p.261)に紹介されていた。

Кашу маслом не испортишь.(カーシャをバターでダメにすることはない。)

前の記事で書いていなかったが、カーシャにはバターを溶かして食べる。こくと香り出てよりおいしくなる。このことわざは、「カーシャにはバターはいくら入れてもいい」という意味で、そこから転じて「必要なものは多ければ多いほどよい」ということわざになっているのだそうだ。

(バターは貴重品・高価な物であったのかも知れない。そうだとして、このことわざを解釈するとまたニュアンスが変わってくる気がする。)

私が配属されている障害児者センターでは、昼食を提供するサービスもある。まかないの女性が雇われていて、毎回昼食を作ってくれているが、カーシャもよく登場する。私もセンターでカーシャを作っているのを見て、作り方を覚えた(と言うほどのことではなく、いたって簡単であるが)。

私はカーシャを好物としていて、一時は毎日のように自分の部屋でカーシャを作って食していたが、センターに来ている子供の中には、カーシャが嫌いで食べないという子もいる。

カーシャは米などを水・牛乳で煮込んだ粥であることは既に紹介したが、どうも牛乳の風味が好きでないようである。日本でも「牛乳、乳製品はどうしてもだめ」という人はたまに見かけるので、カーシャ嫌い(=牛乳嫌い)の子を見て、「ああ、遊牧民の末裔のキルギス人にも牛乳嫌いは存在するのだな」と興味深かった。どうやら、牛乳嫌いというのは人口の一定数は必ず存在しているのではないかと推測するのである。

(今はどうか知らないが、学校給食で「全部食べましょう」とか言って、嫌いな牛乳を飲ませるような指導をする教員もいたが、あれはいかがなものかと思う。今はアレルギー反応のこととかあるからやっていないとは思うが。)

以前、隊員仲間の一人が体調を崩して数日入院していたことがあったが、その人から入院生活のことを聞いたら、朝と夕の食事はカーシャだったとのことだった。

釈迦が苦行の末にぶっ倒れたところに、スジャータが乳粥を運んだのも、粥は消化がよく滋養も付くからであったのだろう。日本でも病人には粥や重湯《おもゆ》を与える。古今東西、粥は病人食として共通していると言えるようだ。

しかし、先の入院経験をした隊員の話にはおまけがあって、「朝と夕はカーシャだったが、昼はがっつりとした肉料理が出ることもあった」のだそうだ。この辺は、以前、当ブログに書いたロシア語の「昼食(обед)」についての話題と関連があるように思う。こちらでは「昼にがっつり喰う」が三食の配分のようである。

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