2011/11/27

Каша (2)

キルギス人が「каша /カーシャ/」と呼ばれる乳粥を食べるのを紹介したが、カーシャは元々はロシア語のようなので、ひょっとしたらキルギスがソ連に編入される以前には、このような食べ物はキルギス人は食べていなかった可能性もある。

しかし、カーシャの伝播には別の可能性を考えても良いかも知れない。

乳粥と言えば、仏教とも深い縁のある食べ物である。釈迦が覚《さと》りを開こうとして苦行を重ねた末に倒れたところ、スジャータと呼ばれる娘が釈迦に乳粥を与え、それを食べて元気を取り戻した釈迦が、その後瞑想の末に菩提樹の元で覚りに到った、という逸話がある。

これに関する話は、「釈迦 スジャータ 乳粥」などで検索すれば、詳しく書かれたサイトがたくさんあるので、そちらを参照されたし。

「スジャータ」と言えば、民放ラジオで正時の時報の前にスポンサーになっているあの商品と同じであるが、これはあの商品が釈迦に乳粥を運んだスジャータから名を取っているのである。この話は中学生の頃に聞いたと思うが、それ以来私の中で忘れることのない話である。

さて、インドでも乳粥が食べられていたのだから、乳粥の起源もあの辺である可能性もある。玄奘三蔵も辿ったシルクロードでの人・物・文化の交流の中で、乳粥が南方から伝わった可能性もある。

ということで、キルギス語固有の乳粥を指す言葉があるのか調べてみると、「ботко /ボコ/」という単語があるようなのだ。キルギス語固有の単語は、ソ連編入以前からあったと見てよろしいので、すなわち乳粥もソ連以前からあったと考えてよい(ひょっとしたら、村のキルギス人も「ボコ」と言っているのかも知れないが、私のキルギス語聴取力が弱いために聞き逃していることも考えられる)。

まあ、これだけの情報では、南方経由で粥が伝わったことの根拠には何にもならんが…

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