このブログを読んでいる方は、普段、身の回りにどれくらい筆記具を用意しているだろうか。
私は、新しいボールペン商品があると、(既に使っている分のインクは十分に残っていても)つい買ってしまうことがたまにある。そんなことだから、筆箱に、職場のデスクに、自宅のデスクに、と、それぞれ2~3本のボールペンが溜まり、ゴチャゴチャしてしまっていた。まあ、ゴチャゴチャするのは私が整理整頓を怠っているのも原因であるが。
日本で働いていた頃の周りの同僚を見ても、大抵、自分の愛用のボールペンの銘柄があって、それを使っているという具合だった。
話はキルギスになるが、こちらの人ももちろんボールペンは使うのだが、自分でボールペンを用意している人が驚くほど少ない。しょっちゅう「ボールペンを貸して」「ボールペン、どっかにない」と言っている。
仕事をしていれば毎日使う物だろうし、自分で用意しておけば事足りる話だと思うのだが、そうは考えないのが不思議である。ボールペンを買う費用ももったいないのだろうか…。安い物なら5ソム(約8円)、ただし「安物買いの銭失い」で、安物はすぐに書けなくなるから、15ソム(約25円)以上くらいの物が良いのだが、いくら途上国の村と言っても、村人に買えない金額ではないと思うのだが。
でも、ジャガイモ1kgが20ソム程度であることと比べると、ボールペン1本が15ソムというのは高いのかも知れぬ。日本人にしてみるとジャガイモが安すぎる気がしてしまうが、キルギス人にしてみればボールペンが高すぎるということかも。
そうだとしても、ボールペンは(ある程度の品質の物であれば)ずっと使える物なのだから、1本くらいは持っておけば良いと思う。
もう一つ解せないのは、ボールペンをしょっちゅうなくすことである。なくすことが多いから、「どこに行った?」と訊くことが多いし、「貸して」となる。しかも、貸した場合、返ってこないことも多い。借りた事すら忘れてしまうようなので貸した方は困る。私も何度かそういうことを経験して、多少は学習し、ボールペンに限らず物を貸したら、自分から「○○は使い終わりましたか?」と尋ねるようになった。
借りた物を返さないのは、別にその人に悪気がある感じでもない。「借りたまま、自分の物にしてしまおう」と企んで、返さずにいるのではない。ただ単に「借りた物は返さなくてはいけない」と強くは意識していないようである。
もちろん、日本社会の中にもその手の人はいるし、キルギスの中にもちゃんと返す人はいる(だろう)。ただ、そういう人の割合がある程度多ければ、私のようのよそ者から見れば、「物を返さない人が多い」と印象に残ってしまうものである。
「当たり前」と思われるようなルール、マナーも、その社会の構成員が共有して、次の世代に教えなければ、「当たり前」のものとして維持されない。もし日本人の多くが「借りたら返す」のルールを守れているとしたら、それを維持するための積み重ねがされているということである。
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