今年(2011年)の11月6日は、イスラム教では「犠牲祭」という日にあたるそうである。
はて、どんな祭日なのかと思い、ネットで調べてみた。
イスラム教の祭日ということであれば、マレーシアにいた時もあったはずだと思うのだが、「イード・アル=アドバー」なんて言葉、聞いたことがあったかな?? と思って、マレー語のウィキペディアも開いて見ると、
「Hari Raya Haji」という別名があるそうで、この呼び名には何となく聞き覚えがあるように思う。
日本語ウィキペディアに「アブラハムが進んで息子のイシュマエルをアッラーフへの犠牲として捧げた事を世界的に記念する日」と書かれている。
この話、『旧約聖書』で読んだことがあると思い、「創世記」の中にこのエピソードを探してみた(聖書も昔の翻訳は電子テキストとしてネットで閲覧可能である。便利である)。
これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、「アブラハムよ」。彼は言った、「ここにおります」。 神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。(創世記22:1-2)
あれれ?
聖書のほうでは「イサク」を犠牲にすることになっている。イスラム教では「イシュマエル」である。これは読み方が違うとかの問題ではなく、そもそも別の人物である。聖書にも「イシマエル」という人が出てくる。両名ともアブラハムの息子であり、詳細は「創世記」を読むなり、ネットで検索するなりしてもらえばよいと思うが、イシマエルはアブラハムの妾が産んだ子、その後本妻が産んだのがイサクである。
このどちらが犠牲としてささげられるかで、ユダヤ教・キリスト教(聖書)とイスラム教(クルアーン)では違いがあるということだ。ただ、エピソードとしては共通のものであり、これらの三宗教がきょうだい関係であることが顕れている。
ちなみに、私の身の回りでは、特にこの祭日にまつわって家で祝いをしたりとかいうことはなかった。キルギス人同士が知人に会った時に、何か「○○おめでとう」(←聞き取れず)という感じの言葉を交わしていたので、それはおそらくこの犠牲祭を記念して言っていたのだと思う。
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