2011/11/30

潤む星影

夏より冬のほうが星がよく見えるのだと習ったと思う。多分、大気の温度の違いによって、光の透過度が変わるとか、そういうことなんじゃないかと素人考えで理解している。

キルギスでは、こちらにしてみればまだ冬本番と呼ぶにはあたらないとはいえ、関東出身の私にしてみれば十分に冬になっている(ちなみに、北海道にも在住経験がある。あの寒さと比べれば私がいる地域は、暖かいということになるが…)。

そんな寒さの到来したキルギス、ボコンバエバ村なので、星空はさぞきれいだろうから、天体観測も楽しいだろうと思っていたが、さにあらず。

一つには、以前にも書いたが、あまりの寒さに、家の外に出て5分も空を見上げているというのがしんどいのである。天体観測ファンは、そういうことも見越して、防寒の態勢も整えて観測に望むのだろうが、私にはそこまでの真剣さはないので、この時期の天体観測は億劫だと感じてしまう。

もう一つ、天体観測が楽しくない理由は、寒さが増して星がよく見えるようになると思っていたのに、むしろ夏場よりも星が見えづらくなっているのである。

ここ最近の天候は、雲がかかっている日が多く、日中でもどんよりしている。夜、そのまま雲が晴れなければ、当然、星は見えない。

だが、雲が晴れている夜でも、夏の時季よりも見える星が少ない。これ如何に? 星座の配置が変わって、今の時季は見える星が少ないのか? そんなことはあるまい。

夏場よりも星が見えないことを不思議に思っていたのだが、夜、トイレに行く際、隣家の家の煙突から煙が上がっているのを見て気付いた。

冬場は各家庭で石炭・薪を焚く煙が出て、大気が霞んでいる、のだ。

これなら冬場に星が見えづらいことが説明がつく。夏場も、炊事や風呂で薪を焚くことはあるが、冬場はそれに加えて暖房用にも焚く。しかもこの場合は石炭を使う家もある。現在は電気ストーブ、電気ヒーターを使っている家もしばしば見かけるが、それでも全家庭がそういうのを使っている訳ではない。ペチカ(ロシア語で「暖炉」)で石炭・薪を焚いている家もたくさんある。

と、勝手な観察と解釈で、新たな発見をしたのである。だが、それにしたって、日本の町で見るよりは全然たくさんの星が見えているだけれどね。

2011/11/29

本職の料理隊員

現在、キルギスの協力隊の中にはいないが、マレーシアに派遣されていた頃、先輩の中に職種「料理」という隊員がいた。
どんな活動をしているのかと不思議に思って尋ねると、現地の調理師専門学校に配属されて、そこで調理に関する授業を行っていると言っていた。
どんな授業をしているのか詳しく聞いたと思うのだが、多くは忘れてしまった。記憶に残っている話として、ホテルのパーティーなどに供される料理の盛りつけなんかも教えると言っていたこと。
何かの式典でテーブルに並べられた料理皿を見て、私が「あ、サーモンがありますね」と言ったら、「ああ、あれはね、サーモンのように見えるけど、多分にんじんですよ」と料理隊員が話したので、それをつまみ上げて見ると、果たしてそれはそれらしく切って盛りつけたられたにんじんであった。
こちらは趣味の料理隊員ではなく、本職の料理隊員なのであった。協力隊というのは、さまざまな職種の連中が集まってくるので、自分の知らぬ業界の裏話や、仕事の工夫点などを聞けるというのも魅力の一つだと私は思っている。

「料理隊員」なる存在

青年海外協力隊の隊員は、それぞれ活動にあたっての職種がある。仕組みとしては、途上国の側からの「これこれこういう仕事ができる人、何々についての知識・経験がある人にボランティアで来てほしい」という要請が出され、その要請に関する職種に対して、JICAが日本でボランティアの募集・採用を行った後、当該国にボランティアが派遣される。
私の職種は「養護」となる。JICAが募集している協力隊の職種については、ネットで確認できるので、関心があれば一度ご覧になってみると良い。
隊員一人ひとりは、それぞれに職種があるのだが、その中に「料理」隊員と呼ばれる隊員が存在する。協力隊の職種の中に「料理」というのがあるのだが、ここで言う料理隊員とは公式な職種ではなく、非公式な職種である。単純に言えば「料理が得意な人」のことである。
私の協力隊での経験、また見聞した所では、協力隊あるところに料理隊員は必ずいる。
料理隊員の中には、日本で本当にプロとして料理屋で働いていた人もいるが、そうでない人でも趣味の延長で料理を得意とする人は多数存在する。これらの料理隊員が、隊員仲間での家飲み会で大活躍するのである。どこの派遣国においても、料理隊員は貴重な存在であると断言できる。
私もたまに隊員同士の集まりで台所に立つことがあるが、私の場合は「料理隊員」ではなく「料理好き隊員」であって、味や出来ばえの保証は何もない。ままごとの延長みたいなものである。だが、真の料理隊員の作る物は皆を本当に満足させる。料理隊員には本当に感謝感謝である。
料理が得意な隊員がいるということは、当然ながら料理を得意としない隊員もいる。そういう人は料理を避ける傾向にあるようだが、それはそれで仕方がない。誰にでも向き不向きがある。
料理苦手隊員は飲み会の時どうするか。飲み会には料理を作る他にも仕事があり、料理をしない人は「皿洗い隊員」となる。皿洗いも苦手な場合、「買い出し隊員」として活躍する道が残っている。動くのも苦手(億劫なだけか…)な人は、最後は「飲み食べ隊員」として、料理隊員が出してくれたものをおいしく食べるのみである。
食べるだけの人はちょっとずるいようにも思われるかも知れないが、出された料理をおいしくいただくというのも芸のひとつである。おいしく食べる人がいるからこそ、料理隊員がまた次回にも頑張ろうという気になるところもある。
katsudon
(料理隊員が作ったカツ丼。キルギスにある食材で
おいしい日本食を作るのも料理隊員の腕の見せ所。)

2011/11/28

数年後の日本から、今の日本はどう見えるのか?

ここ最近の、日本の政治に関することで私が関心を持っているのは、TPP参加問題と大阪府知事・市長選挙の二つであった。そのうちの一つ、大阪ダブル選挙が、27日に投開票が行われ、既に結果が報道されている。

私たちは今生きている時代、生活状況の中で、色々な思いを持って投票をし、政治の方向性を選択している。いや政治に限らず、色々なことについて大小様々の選択をしている。

その時々には、それが自分たちの望むものに近づくベターな選択だと信じて選ぶのだが、後になって、その選択が自分たちに禍《わざわい》をもたらすこともある。

思えば、7~8年前に郵政民営化などの「構造改革」を唱道する宰相に、国民が熱狂し(あれは確かに熱狂、フィーバーだったと思う)、高い内閣支持率の下で国の制度が大きく変わった。「民営化」「構造改革」というキーワードは、市場の競争原理をさまざまな領域に拡大流布させることで、行政や諸々の公共サービスが効率化され、サービス料金の値下げ、優良事業者の選別(劣悪事業者の駆逐)が進むと期待された。

私が身を置いていた福祉業界や、また医療業界も、競争原理の中で、サービスの効率化と費用の削減が要求された。その要求は、一面ではまっとうなものであったかも知れないが、結果的には費用の削減のために、サービスの質・量を下げ、あるいはサービスの提供そのものが無くなるという事態を多く招いた。

何がいけなかったのだろう…?

個人的には、市場原理に対する過剰な・無批判な信頼を置き、また常に収益増大を指向する発想に、何か大きな見落としがあるのではないかと思っている。それらは私自身がこれまで当たり前のものと、疑いもせずに受け入れていたものであったかも知れないが、それらを野放しにしていたために、私たちはゆっくりと自らを崖っぷちに追いやっていたきたのかも知れぬ、と考えたりする。

7~8年前の政治的熱狂(本当に政治的に理解していたというよりも「コ●ズミ劇場」と例えられたように、ワイドショー的な興奮だったのが実体かも知れないが)の後、今になって、あの時の自分たちの熱狂が招いた事態の深刻さに青ざめている(少なくとも私は)。

今、私たちの目の前で起こっていること、その一部には自分も関与していることが、数年後に「ああ、あの時、あの選択をしていたのが、ターニングポイントだったね」という結果を招いるかも知れない。何か、そんなことが目の前で今起こっているのではないか、と考えてしまうここ最近である。

2011/11/27

【映画紹介】自閉症の妹と家族を記録した「ちずる」

自閉症の妹と、母、自分を撮ったドキュメンタリー映画が公開されているそうである。タイトルは『ちずる』。

キルギスとは関係のない話題だが、私、一応、福祉(知的障害者支援)業界に従事してしていたので、個人的には関心のある映画なのである。

ネット上のニュースを読むと、観た人の評判は良いようで、満足度では三谷幸喜の映画を抑えたりもしているようである。

Каша (3)

カーシャ(粥)の話の余話。

カーシャが使われていることわざが、ロシア語のテキスト(『アンコールまいにちロシア語 2009年度10~3月』p.261)に紹介されていた。

Кашу маслом не испортишь.(カーシャをバターでダメにすることはない。)

前の記事で書いていなかったが、カーシャにはバターを溶かして食べる。こくと香り出てよりおいしくなる。このことわざは、「カーシャにはバターはいくら入れてもいい」という意味で、そこから転じて「必要なものは多ければ多いほどよい」ということわざになっているのだそうだ。

(バターは貴重品・高価な物であったのかも知れない。そうだとして、このことわざを解釈するとまたニュアンスが変わってくる気がする。)

私が配属されている障害児者センターでは、昼食を提供するサービスもある。まかないの女性が雇われていて、毎回昼食を作ってくれているが、カーシャもよく登場する。私もセンターでカーシャを作っているのを見て、作り方を覚えた(と言うほどのことではなく、いたって簡単であるが)。

私はカーシャを好物としていて、一時は毎日のように自分の部屋でカーシャを作って食していたが、センターに来ている子供の中には、カーシャが嫌いで食べないという子もいる。

カーシャは米などを水・牛乳で煮込んだ粥であることは既に紹介したが、どうも牛乳の風味が好きでないようである。日本でも「牛乳、乳製品はどうしてもだめ」という人はたまに見かけるので、カーシャ嫌い(=牛乳嫌い)の子を見て、「ああ、遊牧民の末裔のキルギス人にも牛乳嫌いは存在するのだな」と興味深かった。どうやら、牛乳嫌いというのは人口の一定数は必ず存在しているのではないかと推測するのである。

(今はどうか知らないが、学校給食で「全部食べましょう」とか言って、嫌いな牛乳を飲ませるような指導をする教員もいたが、あれはいかがなものかと思う。今はアレルギー反応のこととかあるからやっていないとは思うが。)

以前、隊員仲間の一人が体調を崩して数日入院していたことがあったが、その人から入院生活のことを聞いたら、朝と夕の食事はカーシャだったとのことだった。

釈迦が苦行の末にぶっ倒れたところに、スジャータが乳粥を運んだのも、粥は消化がよく滋養も付くからであったのだろう。日本でも病人には粥や重湯《おもゆ》を与える。古今東西、粥は病人食として共通していると言えるようだ。

しかし、先の入院経験をした隊員の話にはおまけがあって、「朝と夕はカーシャだったが、昼はがっつりとした肉料理が出ることもあった」のだそうだ。この辺は、以前、当ブログに書いたロシア語の「昼食(обед)」についての話題と関連があるように思う。こちらでは「昼にがっつり喰う」が三食の配分のようである。

Каша (2)

キルギス人が「каша /カーシャ/」と呼ばれる乳粥を食べるのを紹介したが、カーシャは元々はロシア語のようなので、ひょっとしたらキルギスがソ連に編入される以前には、このような食べ物はキルギス人は食べていなかった可能性もある。

しかし、カーシャの伝播には別の可能性を考えても良いかも知れない。

乳粥と言えば、仏教とも深い縁のある食べ物である。釈迦が覚《さと》りを開こうとして苦行を重ねた末に倒れたところ、スジャータと呼ばれる娘が釈迦に乳粥を与え、それを食べて元気を取り戻した釈迦が、その後瞑想の末に菩提樹の元で覚りに到った、という逸話がある。

これに関する話は、「釈迦 スジャータ 乳粥」などで検索すれば、詳しく書かれたサイトがたくさんあるので、そちらを参照されたし。

「スジャータ」と言えば、民放ラジオで正時の時報の前にスポンサーになっているあの商品と同じであるが、これはあの商品が釈迦に乳粥を運んだスジャータから名を取っているのである。この話は中学生の頃に聞いたと思うが、それ以来私の中で忘れることのない話である。

さて、インドでも乳粥が食べられていたのだから、乳粥の起源もあの辺である可能性もある。玄奘三蔵も辿ったシルクロードでの人・物・文化の交流の中で、乳粥が南方から伝わった可能性もある。

ということで、キルギス語固有の乳粥を指す言葉があるのか調べてみると、「ботко /ボコ/」という単語があるようなのだ。キルギス語固有の単語は、ソ連編入以前からあったと見てよろしいので、すなわち乳粥もソ連以前からあったと考えてよい(ひょっとしたら、村のキルギス人も「ボコ」と言っているのかも知れないが、私のキルギス語聴取力が弱いために聞き逃していることも考えられる)。

まあ、これだけの情報では、南方経由で粥が伝わったことの根拠には何にもならんが…

2011/11/26

Каша (1)

каша。「カーシャ」と発音する。「粥《かゆ》」のことである。

キルギスの人も粥を食べるのにはいささか驚いた。いや、正確には、キルギスに派遣される前の日本国内での訓練中に、食べ物に関するロシア語を学習する中に「カーシャ」、すなわち粥があるのを知った時に、ロシア人も粥を食べるのだと知って新鮮であった。

こちらの粥が日本のと決定的に違うのは、煮込む際に牛乳を加えていることである。いわゆる「乳粥《ちちがゆ》」である。牛乳で煮込んだ粥を、砂糖と塩で味を調《ととの》えて出来上がりである。

米を牛乳で煮込む(※100%牛乳ではなく、水と牛乳で煮込む)なんて、日本人の中には「ちょっと…」と敬遠する人もいるかも知れないが、食べてみると、私には美味しい物であった。隊員仲間に「米を牛乳で煮込むなんて、日本人には馴染まないよねぇ」と言ったら、「いや、リゾットみたいなもんでしょ」と返され、なるほど、確かにリゾットとかドリアとか、米と牛乳の組み合わせで調理する料理があると気付いた。

リゾットやドリアと同系統の物と考えれば、乳粥も日本人にとっては大して違和のある物ではないはずである。粥に砂糖で甘く味付けするのを嫌がる人もいるかも知れぬが、おしるこ、きんとんのように、穀物を甘く味付けするのはむしろ日本では伝統的な調理法だとも言えるのではないか。

日本で粥と言えば、たいていは米粥のことを指す。こちらでも米粥はあるが、米以外の穀物も粥にして食している。正確には分からないのだが、粟《あわ》や稗《ひえ》と思われる粥もある。粟、稗というと、極貧生活者の食べ物というイメージが私にはあるのだが(昔話とかではそういう物として登場していたと思う)、こちらではそういうことではないらしい。

日本で、中規模以上のスーパーマーケットならば、コーンフレークなどを売っている棚に「オートミール」というのが売っていて、あれは麦(oat カラスムギ)が主になっている食べ物であるが、昔、好奇心で買ってみて箱の調理方法には、牛乳で煮込む(あるいはホットミルクをかけて混ぜる)みたいなことが書いてあったと記憶している。あれも穀物の乳粥の一種なのであろう。

2011/11/25

うんこくさい

11月23日に落語家の立川談志が亡くなった。

談志は若い頃から天才だとか落語会の風雲児だとか言われていて、その才能を認められていてファンも多かった。ただ、個人的には、テレビで談志の噺を聞いてみても、ファンになるということはなかった。まあ、これは好みの問題である。談志が旋風を巻き起こしていた時代を共有していれば、また違った受け止め方をしたかも知れない。

(ちなみに、私は談志一門を破門になった快楽亭ブラックという落語家の大ファンである。ただし、世間的には快楽亭ブラックのファンであることは、声に出しては言えないような噺をする落語家である…)

談志死去のニュースの中に、談志が生前から自分の戒名を決めていたというニュースがあった。

戒名決めていた・声帯摘出手術を拒否…談志さん

立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)

大物落語家らしいオチをつけたな、という感じである。

NHKのニュースで戒名について触れるかと思って、雑音まじりの短波ラジオを聞いていたが、残念、戒名についてはノータッチだった。民放のワイドショーなんかでは扱っているだろうか…? アナウンサーが「談志さんの戒名は立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)です」と読み上げるを聞いてみたい。

上記のニュースでもう一つ新鮮だったのは、戒名は自分で付けてもよいらしい、ということであった。快楽亭ブラックによれば、師匠の談志は大の吝嗇家だと、しょっちゅうネタにしていたから、戒名代もケチったか? これもまた“心温まる”エピソードである。

2011/11/24

まな板

女性に向かって「まな板」と言うと、蔑称にあたるのだとかなんとか(何のことか私には皆目分からないが)。そういう話ではなく、キルギスの調理の話である。
キルギス人が調理で、野菜を切る時、基本的にまな板を使わない。まな板を使わずにどうするか。すべて手の中で作業を済ます。
じゃがいもの皮を剥くような時は日本人もまな板の上ではなく、手で持って作業するが、野菜を刻む際にはまな板の上に置いてやる。
下に受け皿を置いておき、手の中で野菜の向きを変えながら、ナイフを入れていき、下に落としていく。傍らで見ていると、だんだんと野菜が刻まれて小さくなっていく様が面白い。
この時、ナイフの刃は持っている人自身のほうに向けて使う。手前手前に刃を入れていくのである。日本では調理をしている場面で、あまりこういうナイフの使い方は見ないような気がするが、結構日本以外の地域ではやっているのかも知れないし、日本でも、プロはこういう作業をしているのかも知れない。
さすがに、みじん切りくらい細かく切る場合はまな板を出して作業をしているが、玉ねぎなんかは、玉ねぎ自体の層になっているのを利用して、うまいことナイフを入れ、まな板を使わずに細かく切っている(サラダに入れる時など)。
私もこちらに来て、見よう見真似でやっているうちに、まな板を使わずに野菜を切るテクニックが身に付いた。西瓜《すいか》一つをまな板を使わずに切るのもできるようになった(ただし、西瓜は汁がしたたるので、作業場所は選ばなければならない。私がやったのは湖のビーチであったから、汁が垂れても大丈夫なのであった)。

2011/11/23

焚き火、焼き芋 (2)

子供たちに見られぬようにと場所を探して始めた焚き火であったが、焚き火を始めれば当然のことながら煙が上り、それを見つけてか、向こうで遊んでいたはずの子供たちがたちまちに寄ってきてしまった。

「何してるの?」から始まり、「なに人? 中国人? 韓国人?」などの質問の連続である。それくらいのこと相手をしてやれよ、と思われるかも知れないが、これが際限なく続くのである。なにより、こちらは“焼き芋”という調理をしている最中であるから、焚き火の中に芋を入れていることが分かると、ますます彼らの注意を引いてしまうかもしれないと恐れ、子供たちの質問に答えながら、芋が包まれたアルミホイルが外に見えないよう落ち葉や灰をかぶせていた。

焚き火

こちらから「もう向こうで遊んできな」と何度か言って、やっと子供たちが去ったと思ったのだが、すぐにまた戻ってきてしまった。今度は、その辺から枝や枯れ草を拾って、それを抱えて持ってきた。我々が枝や草をくべているのを見て、手伝うというか、自分たちも混ざりたいということか。

持ってきたのはいいが、まだ枯れ草になりきっていないあおい草まで持ってきて、それをくべた途端に白い煙がもうもうと立ち上り、さすがにキルギスの村でも近所から苦情が来るかも知れぬというほどであった。

その頃合いでちょうど芋にも火が通ったので、その場を退散。ちなみに、こちらでは焚き火の火の始末はしないで、そのまま放置しているようなので、我々も消火はあえてせずにその場を去った。

その後、焼いたさつまいもをカフェに持ち込んで、買ってきたバターをつけて食した。日本でも焚き火で焼いた芋なんて食べる機会は少なくなっているから、本当に久しぶりの食味であった。日本で売られているさつまいもよりも甘みは少なかったが、それでも十分満足できる出来上がりだった。

なお、焚き火の煙を浴びて、全員、髪の毛からジャケットまで煙くさくなったのは言うまでもない。

2011/11/22

焚き火、焼き芋 (1)

寒くなって木々の葉が落ち始めると、村のあちこちで、家の前に落ち積もった葉をまとめて、焚き火をしているのを見かける。昨年から自分も焚き火をしたいと思っていてできなかったが、今年は隊員仲間で焚き火をした。

我々の焚き火の最大の目的は焼き芋であった。ところが、ここキルギスではじゃがいもは冬場の野菜の主人公として豊富にあるのだが、さつまいもとなるとまったく見たことがない。昨年は、さつまいもが入手できなかったのと、焚き火ができそうな場所を見つけられないままシーズンが終わってしまった。

ところが、今年、隊員仲間の一人が、首都の中華系食材店でさつまいもが売られているのを発見したということで、さつまいも入手の目処がついた。じゃがいもは1kg=20ソム(約45円)くらいだが、さつまいもは1kg=80ソム(約150円)くらいだから、4倍程度の値段である。さつまいもを使う料理を見たことがないし、4倍もの値段となると、現地のキルギス人がわざわざ買って食べることはないと思われる(中華食材店に置いているということは、キルギス在住の中国系住民には需要があるはずである)。

そうそう、昨冬は、焼き芋の際に芋を包むアルミホイルもなかったのだが、それも首都のスーパーで売っているのを仲間の一人が買っていたので、こちらも解決。さつまいももアルミホイルも村では入手できない。首都は物資が豊富ということである。

必要な物がそろって、さてどこで焚き火をしようかと考え、村の学校の校庭の隅でやることにした。日曜日なら生徒はおらず、目立たずにやれるだろうとふんだのである。なにせ、何かしていれば必ず子供が寄ってきて「何してんの?」と訊かれ、まとわりつかれることは必至であるから、できるだけ目立たずにやりたいのであった。

校庭に行ってみると、数名の子供たちが遊んでいて、どうしようかと迷ったが、我々も焚き火&焼き芋をやる気満々になっていたので、中止にするつもりもなく、遊んでいる子供たちから陰になる場所を見つけて、そこに落ち葉、薪《たきぎ》を集めて焚き火を開始した。

冬の星座観察

「冬の星座」という歌があったが、あの中では確かオリオン座が歌詞に出てきたように記憶している。

そんなことがあってか、冬の星座と言えばオリオン座が筆頭に思い浮かぶ。オリオン座は見つけやすいというのもある。冬の星座の代表格と言えるだろう。

10月の半ばには、夜1時頃にトイレに行くことがあれば、東のほうの空にオリオン座の姿を認めるようになっていた。「ああ、オリオン座が出てきたな」と思っていたのだが、そのオリオン座の出現時間は日に日に早くなってきている。

夏場、日本から持ってきた星座観察の入門書を片手に、夜、外に出て星座を眺めていた。街明かりがほとんどないので、観察条件はすこぶるよろしい。おかげで、この歳にして夏の大三角、はくちょう座、こぐま座などが、どの天体を指すのかを知った。

その調子で、秋・冬の星座も観察したいと思ってはいたが、いかんせんこの寒さ…。屋外にあるトイレに行く往復に空を見上げるが、とてもとても、本を片手に10分はおろか5分程度でさえ外にいるのは嫌になる。

冬のほうが気温が下がって、空気の透明度が上がるのだとか。だから、星座観察には冬のほうが条件はよいのだろうが、寒さという点では、冬のほうが条件は悪いのである。

2011/11/18

タイガン

キルギスには「タイガン」と呼ばれる、狩猟犬の固有種がいる。

細身で全長80~100cmくらい。見ればすぐにタイガンだと分かる特徴を備えている。毛は長いものもいれば、短いものもいる。色・模様も数種類ある。

taigan3
(クリーム、黒、茶などの色がある。まだら模様もある。)

taigan2
(白と黒のまだら)

taigan1
(顔と足先だけ短毛、あとはモジャモジャタイプ)

タイガンは狩猟犬として優秀で、キルギス人は珍重している。タイガンに獲物を追わせる競技も各地で開かれる。

このタイガン、イシククル湖周辺が産地として有名だと聞いた。

私が住んでいるボコンバエバ村の中でも、綱もつけられず、自由気ままに歩き回っているタイガンを見かけることがあるが、そんな状態で飼っていて、他の犬種・野良犬と交配してしまわないのか、と心配になる。繁殖期だけは管理するとか、やり方があるのかも知れない。

2011/11/17

「小水力発電」というのを知った

ネットで見つけた記事。灌漑用水を引き上げるなどのために、地域に小規模の発電施設を作って運営している農村が多いそうである。日本では古くから歴史があるのだそうだ。

一部コピペ。

農文協の主張:原発から農発へ──いまこそ農家・農村力発電を

原発の寿命は当初30年で設計されていた。しかし経済性を重視した延命を重ねるうち福島第一原発の事故は起きた。また、事故が起きなくても、すべての原発は廃棄物、使用済み核燃料、廃炉の問題など、ことごとく問題の解決を先送りにして運転されており、たかだか1、2世代の経済的繁栄のツケは、未来永劫子々孫々に回される。

 一方、土地改良区や農協の発電所の多くは、江戸末期から昭和初期にかけての先駆者たちがひたすら地域と子孫の繁栄を願って開削した用水路を生かしたもので、開削に私財を投じた先駆者のなかには困窮して故郷を離れた一族も少なくないという。しかし、その水路を生かした発電事業のおかげで、冒頭で紹介した歌碑のように、現代を、そして未来を生きる子孫が恩恵を享受する。

「大規模集中型電力システムは、中越沖地震の柏崎刈羽原発や東日本大震災の福島第一原発の例をみるまでもなく、災害に対してきわめてもろく、リスクが桁違いに大きい。また、福島第一原発の処理に地元がまったく関与できないという事実が示すように、地域の技術・人材や意思決定を排除して、集権的になりやすい。さらに、これがもっとも大きな罪かもしれないが、資源が生み出される環境や生産の現場を壁の向こうに追いやることで私たちを無知にさせている」(小林久:茨城大学農学部教授)

福島原発事故、その後の電力供給問題を通じて、発電事業について注意が向くようになった。電気の作り方、買い方には色々な方法があるのだと、今さら知ることも多い。

2011/11/16

キルギスのボールペン

ボールペンの話題のついでだが、こちらで使われるボールペンは青(濃紺)が多い。

日本でも青・紺のペンを使う人はいるが、それでも黒が主流ではないか? 黒を使うか、青・紺を使うか、それぞれの国の歴史が関係しているような気もするが、どうなのだろう…。

私が驚いたのは、学校の生徒も、ノートを取る時にボールペンを使っていることである。多くの生徒、クラスを見た訳ではないが、ボールペンでノートに書いている子供は多いようである。書き損じた場合とか、消しゴムで消せないから困るだろうと思うのだが、ペンでゴチャゴチャっと線で塗りつぶして済ましている。

職場のクリスマス会か何かで、ゲームの景品にいかにも安物といった感じのボールペンを受け取ったが、これは端《はな》から書けなかった。思えば、日本でもそういうボールペンにあたってしまうことは、昔はよくあった。今は百均ショップの10本で100円というような製品でも、かなり書き味は良いし、インクが出ないことも少ない。

だいたい生産国・地域は同じようなものだと思うのだが、こちらで買うボールペンにはハズレの率がやや高い気がする。

ボールペンがない

このブログを読んでいる方は、普段、身の回りにどれくらい筆記具を用意しているだろうか。

私は、新しいボールペン商品があると、(既に使っている分のインクは十分に残っていても)つい買ってしまうことがたまにある。そんなことだから、筆箱に、職場のデスクに、自宅のデスクに、と、それぞれ2~3本のボールペンが溜まり、ゴチャゴチャしてしまっていた。まあ、ゴチャゴチャするのは私が整理整頓を怠っているのも原因であるが。

日本で働いていた頃の周りの同僚を見ても、大抵、自分の愛用のボールペンの銘柄があって、それを使っているという具合だった。

話はキルギスになるが、こちらの人ももちろんボールペンは使うのだが、自分でボールペンを用意している人が驚くほど少ない。しょっちゅう「ボールペンを貸して」「ボールペン、どっかにない」と言っている。

仕事をしていれば毎日使う物だろうし、自分で用意しておけば事足りる話だと思うのだが、そうは考えないのが不思議である。ボールペンを買う費用ももったいないのだろうか…。安い物なら5ソム(約8円)、ただし「安物買いの銭失い」で、安物はすぐに書けなくなるから、15ソム(約25円)以上くらいの物が良いのだが、いくら途上国の村と言っても、村人に買えない金額ではないと思うのだが。

でも、ジャガイモ1kgが20ソム程度であることと比べると、ボールペン1本が15ソムというのは高いのかも知れぬ。日本人にしてみるとジャガイモが安すぎる気がしてしまうが、キルギス人にしてみればボールペンが高すぎるということかも。

そうだとしても、ボールペンは(ある程度の品質の物であれば)ずっと使える物なのだから、1本くらいは持っておけば良いと思う。

もう一つ解せないのは、ボールペンをしょっちゅうなくすことである。なくすことが多いから、「どこに行った?」と訊くことが多いし、「貸して」となる。しかも、貸した場合、返ってこないことも多い。借りた事すら忘れてしまうようなので貸した方は困る。私も何度かそういうことを経験して、多少は学習し、ボールペンに限らず物を貸したら、自分から「○○は使い終わりましたか?」と尋ねるようになった。

借りた物を返さないのは、別にその人に悪気がある感じでもない。「借りたまま、自分の物にしてしまおう」と企んで、返さずにいるのではない。ただ単に「借りた物は返さなくてはいけない」と強くは意識していないようである。

もちろん、日本社会の中にもその手の人はいるし、キルギスの中にもちゃんと返す人はいる(だろう)。ただ、そういう人の割合がある程度多ければ、私のようのよそ者から見れば、「物を返さない人が多い」と印象に残ってしまうものである。

「当たり前」と思われるようなルール、マナーも、その社会の構成員が共有して、次の世代に教えなければ、「当たり前」のものとして維持されない。もし日本人の多くが「借りたら返す」のルールを守れているとしたら、それを維持するための積み重ねがされているということである。

2011/11/15

ポプラギター

小高い山から村を俯瞰すると、集落には樹木が多いことが見て取れる。村内を歩くと道沿いに木が並んでおり、これらの多くはポプラである。

沿道のポプラ

こんな風に木が直線的に生えるということは自然には起こらない。「三本以上の木が直線で並んで生えていたら、人が植えたもの」と聞いたことがあるが、確かに、キルギスの沿道に植わっているポプラは人がそこに植えたものに違いない。

キルギスの人たちが、なんでこのようにポプラを植えているのか、よく分からない。並木を作って景観を良くするためだろうか? たまに、切り倒していることもあるようだが、あれは薪を作るためだろうか? あるいは、防風林とかの役割があるとか…?

話は飛ぶようだが、ギター製作工房の人(アメリカ人?)のインタービューを読んでいたら、ギターの材としてポプラも使うようなことが書かれているのを見つけて驚いた。

http://www.gakki.me/c/?p=TCON004102

(※中段あたりの「異なる木材の音の違いは?」という質問への回答の中でpoplarという言葉がある。)

ポプラがギター材として使われているというのは、私には初耳だったが、このインタビューでは「すごく鳴りがいい」と書かれている。

ポプラと一口に言っても、実際にはいくつもの種類があるそうである。ここキルギスに何種類くらいあるのか知らないが、ここで植わっているポプラと、ギター材に使われるポプラが一緒なのかも分からない。どちらにせよ、ポプラ材のギターを、一度は手にとって試してみたいものである。

2011/11/14

右側通行と右ハンドル車

キルギスではソ連時代を除けば、国産車がない。ソ連時代の国産車と言っても、それはキルギス以外で生産されたものである。

現在走っている車両は、旧ソ連の車、また日本、ドイツからの輸入車である(ごくたまにフランス車も)。職場の同僚が言っていたが、「日本で中古になった車も、ここでは新車」という感じである。

随分前になるが、ロシアが、右ハンドル車を禁止する法律の施行開始を延期したというニュースがあった。この法律は、実質的には日本からの中古車輸入を制限し、締め出すためのものであったらしいが、日本製中古車の輸入業者や、日本車を求める消費者からの反発が強いことから、実施を見送ることになったと伝えられていた。

「日本車締め出し」と聞くと、感情的な部分ですぐに「なんだと!」と反応してしまう。しかし、単に経済的な締め出しという以外にも、交通事故を減らすためにロシア政府が右ハンドル車を減らしたいというのも一理ある。

ここキルギスもロシアと同様、車は右側通行である。右側通行の国では車の運転席は左側にあるのが基本である(逆に日本のように左側通行であれば、運転席は右側だ)。何でそうなのかとあんまり考えることはなかったが、キルギスに来て分かった。

片側一車線道路で、前の車を追い抜くために対向車線に出なければならないが、その時、対向車が来ているか確認するために、右ハンドル車は左ハンドル車よりも大きく左にずれなければならない。

oinuki01
右ハンドル車は、左前方の視野が狭くなる。

oinuki02
先を見るためには中央線よりにずれなければならない。

私が住んでいるバコンバエバ村から首都まで移動するのは、乗り合いワゴンかタクシーである。約4時間。首都のビシュケク市近郊に行くまで、3時間ほど信号機はひとつもない。

当然のことながら、ドライバーは飛ばす。舗装が傷んで凸凹した道でも、カーブでも、100km/hを超えて走ることも当たり前である。進行方向に遅い車があれば、どんどん抜いて行く。

この時、乗った車が右ハンドルの日本車だと、ヒヤヒヤさせられる場面が何度か訪れる。追い抜こうと左に寄ったら、対向車がすぐそこまで来ているというようなことである。この点において、キルギスでは私は右ハン日本車は乗るのを避けたいと思ってしまうのである。

2011/11/13

キルギス語とマレー語の共通語

キルギス語を勉強していると、どこかで見覚え・聞き覚えのある単語に出くわすことがある。覚えがあるのは、マレー語で見聞きしたことがあるからである。

これまで気付いたものを一覧にしてみる(//内は発音をできるだけ原語っぽく表した)。

キルギス語

マレー語

日本語(訳)

убакты /ウバクトゥ/ waktu /ワクトゥ/ 時間
аскар /アスカール/ askar /アスカー/ 軍隊
ду’йно’ /ドゥイヌォ/ dunia /ドゥニア/ 世界
кабар /カバール/ khabar /クバール/ ニュース、知らせ
жума /ジュマ/ jumaat /ジュマアット/ (共)金曜日/(キル)週
кызмат /クズマット/ khidmat /クドマット/ サービス、奉仕
о'му'р /ゥオムォール/ umur /ウムール/ (キ)命/(マ)年齢
заман /ザマン/ zaman /ザマン/ 世紀、時代
мечеть /メチェーチ/ masjid /マスジッド/ モスク
※キルギス語欄の「о'」「у'」は、キルギス語固有の文字を表す。これらの文字はフォントの制限で記述できない(また、使用するとすべてが文字化けする可能性がある)ので代替して表した。

これらはアラビア語を語源にする同じ言葉だと言って間違いない(ただし、「モスク」を表すメチェーチについてはいまいち確信がない)。

キルギス、マレーシアともにイスラム教の国であり、かつて、イスラム教の伝播して来た時に、これらの単語も入り、定着したのだ。

だいたいどれも同じ意味で使われているが、永い年月の中で、微妙にニュアンスが変わったものもあるようだ。「ジュマ」「ジュマアット」は、イスラム教の集団礼拝をする日を指し、それがすなわち「金曜日」である。キルギスではその集団礼拝を基準に一週間を区切ったのだろうか、「週、一週間」という意味でも使われている。ちなみに、キルギス語教科書にはジュマは「金曜日」だと載っているが、実際には、金曜日は「5番目の日(月曜から数えて)」という言い方が一般的なようである。

キルギス人、マレーシア人の中でも、それぞれ使っているのがアラビア語語源だと意識もしていないような言葉もあるだろう。日本人が「ミシン(はた織り機)」が元は英語のmachine /マシーン/に由来しているとか、「イクラ(鮭の卵)」がロシア語で「魚の卵」を表すикра /イクラー/ から来ているとか知らずに使っているようなものである。

もちろん、上記以外にも両言語に共通の単語はまだある。「テレビジョン」「ラジオ」「テレフォン」「チョコレート」「パスタ」などである。これらは、近現代に外部から生活に入り込んで来た品々であり、西洋語を通じてそれぞれの国に定着した物である。

かつてはイスラム教を通じて共通の単語が入り、今はまた別の形で共通の単語が入っている。共通語は外来語である可能性が高く、外来語はその国・文化の歴史を映している。

2011/11/12

TPP参加論議

今、日本のニュースでトップ扱いになっているTPP(環太平洋経済協定)への参加問題。
以下のサイトに、TPP参加論議に関する分析、コメントが載っていて、色々と勉強になった。日本でテレビからしか情報を得ていない人は、(ちょっと長いが)一読すると良いだろう。
田中宇の国際ニュース解説 2011年11月1日
TPPが日本の政界再再編につながる?
この中からいくつかコピペ。
TPP参加によって日本経済は10年間で2・7兆円の利得があるという。年間2700億円だ。約500兆円ある日本の経済全体(GDP)の0・05%の効果しかない。
オバマがTPPに力を入れるのは、米国製品を日本市場で売りやすくして、米国の輸出産業を復活させ、再選に向けた自らの政治的得点にしたいからだ。
日本の財界はTPPへの参加を支持している。米国からの圧力で、日本市場での規制が緩和されていくと、日本企業にとってもプラスだとの思惑からだろう。だが実際には、米国企業がロビイ活動によって米国政府を牛耳ってやらせている米政府の産業政策が、TPPを通じて強制的に日本に導入されると、得をするのは米企業であり、損をするのは日本企業だ。
日本の官僚機構はこれまで、官僚の権限を維持するために、各業界に対して厳しい規制を敷き、日本企業はその規制を満たす努力をすることで、環境や安全の面で技術を磨いてきた。規制を満たせない外国企業は入ってこれなかった。今後、日本の規制が崩されて米国型に変質していくと、この点での日本市場における日本企業の優位性が失われてしまう。
かつて一世を風靡した「規制緩和」は、実際、それが進むと弱者はさらに不利になり、格差は拡がるという現実を目の当たりにし、そこに出てきたTPP参加問題である。日本人がこれからの国の行く末をどうするかを考えるには、よい材料だと思う。
協力隊とは関係ない話と思われるかも知れないが、発展途上国の、さらに首都から離れた片田舎にいて、世界の大きな潮流であるグローバリズムとは何であるのか、本当に人々の生活を向上させるのか、という疑問が常にある。
「市場原理」や「規制緩和」といった題目は、ある段階までは経済・技術の発展にとって有効で社会にとって有益のようであるが、どこの段階からは行きすぎたものになってしまうのではないか。
平均寿命で考えれば、自分もあと数十年は生きるし、その後にも日本に日本人は暮らしていく。1日単位の株価変動や、1年程度の企業の利益に目を奪われていて良いのだろうかと思う。

2011/11/11

黒いあれこれ

前に「赤(色)」に関する単語の比較をした。今回は黒。

ロシア語で「黒い」はчёрный /チョールニー/。ここから派生したчернила /チルニーラ/という単語があるが、これは何だか想像が付くだろうか?

答えは「インク」である。日本語なら「墨」と訳す場合もあるだろう。

ならば、英語のinkも黒に関係のある単語から派生したものかと思って辞書を見たら、こちらは「焼き付ける」という意のギリシア語(?)が元らしい。インクを作るために炭を焼いたことによるのだろう。

キルギス語の「黒/黒い」はкара /カラ/。英語アルファベットならKARAになるが、日本でそんな名前のアイドルグループの人気があると聞いて、キルギスと関係があるのかと思ったら、こちらは韓国のグループであった。

ちなみにキルギス語で「雪」はкар /カル/。「黒」と「雪(=白いもの)」を表す単語が似ているのが、私には不思議な感じがする。

いまいち確信が持てないが、кара(黒い)から派生したらしい単語にкарагай /カラガイ/ というのを見つけた。これは「樅《もみ》の木」。常緑樹で、一年中濃い色をしているからか?

さて日本語で黒にまつわる単語と言えば「黒子」。歌舞伎で黒い衣装を着て、演技の補助する人を指す場合は「くろご」と呼ぶらしい(いつも「くろこ」と言ってしまっていた)。これは「黒衣」とも書く。

「黒子」の別の読みは「ほくろ」で、これは読めない人も結構いる。黒子《ほくろ》に対応する各語はこんな感じ。

ロシア語 - родинка /ローディンカ/
род(=生まれ、氏族、親戚など)、родина(=故郷、祖国)から派生した単語。「生まれつきの痣《あざ》」だからか?

英語 - mole
この単語は黒子以外にも意味がたくさん載っていた。モグラ、防波堤、モル(単位)など。モグラは地中の暗闇で生活するから、「黒」というイメージはかぶるような…

キルギス語 ー кал /カル/、мењ /メン/ の二つ載っていた。
калは日本語で読みを当てるとкар(雪)と同じカルになってしまうが、LとRの発音の違いがある。

日本語以外では、「黒」から連想された気配はない(英語のモグラは怪しい?)。

以上、黒にまつわるあれこれを書いてみた。

だから何?

というのは言わない約束ということで…

2011/11/10

【訂正】 O製紙 → D製紙

本日アップした弊ブログの記事「日本、日本人、日本企業のイメージ」で、不祥事を起こした2つの会社のイニシャルは共に「O」と書いたが、製紙会社のほうのイニシャルは「D」であった。



O製紙という別の有名企業があるので、そっちと思いこんでしまっていた。お詫びして訂正します(既にブログ本文は訂正)。

日本、日本人、日本企業のイメージ

この数週間で、日本企業の巨額(数百億円!)の不祥事が続いた。製紙会社のDと電子機器メーカーのOで、それぞれ事件の内容は異なるが、それだけの額を操作し、不正を隠そうとしていたことに呆れる。

D製紙のほうの社員は、「ティッシュを売って、100億円の収益をあげるのにどれだけの苦労が必要か…」と涙目で語ったとか読んだが、ホント、お気の毒という感じであった。それに、パルプを作るために、世界各地で森林を伐採しているわけで、住処《すみか》を追われた現地住民、動植物たちも浮かばれまい(まあ、企業の不正があろうがなかろうが浮かばれないのだが)。

電子機器のO社のカメラは好きで、これまでも何台か使って来たのに…。CMに出ているスケートの女子選手も気の毒と言えるかも知れない。

たまたまかも知れないが、こんな事件が立て続けに明るみに出れば、世界の人々の印象には「日本ではそういうことが頻繁に起こっている」と残り得るし、さらには「日本人はそういうインチキをする連中だ」と、(論理を飛躍させて)思い込む者もあるかも知れない。

そういうイメージが定着すれば、海外企業との取引きで不利になる状況も出てくるだろう。「どうせあんたたち(日本人)はずるをするんでしょ」「あんたらを信用できないから、取引きするなら保証金を倍出しぃな」とか、買い叩かれることが出てくるのではないか。

お世辞も多分にあるのは承知だが、海外での日本人の評判は結構良いと思う。国名は挙げないが、中にはどこでも概ね嫌われてしまっているような国・国民もいくつかある。嫌われる理由というのが根も葉もあるのかどうかは知らぬ。しかし、一度でも、その国の人から嫌な思いを味わわされた者は、「○○人は(全員)嫌な奴らだ」と信じるようになっても、由《よし》無しと一蹴はできまい。

逆に考えてみれば、もし、これまで海外における日本、日本人、日本企業のイメージが良いものであったとしたら、それは一朝一夕にできあがったものではなく、これまで我々の先人たちがコツコツと積み上げてきた「信用」という名の蓄えがあったからだ。

「オレは個人の力でやっていくから、日本とか日本人とかはカンケーねぇよ」と言う者も、自分の知らない何十年も前の日本人の作った信用貯蓄の恩恵を、どこかで受けていないとも限らない。また、自分が何年か何十年先の人たちのために信用貯蓄を積み重ねることもできるかも知れないし、逆に負債を作る可能性もある。

信用を得るには何年もかかるが、信用が崩れるのは一瞬、というのはどんな場合でも本当である。海外にいる身としては、自分自身が日本人代表だということを胸に、ここでの残りの暮らしをしなければと思う。

2011/11/09

押しがけ応援隊

「押しがけ」なんて言っても、ピンと来ない人も多いのだろうか? バイクや車のバッテリーが上がって、セルモーターでエンジンがかからない時、バイク・車を押して勢いをつけたところでギアを入れて、エンジンを始動させる方法である。これはマニュアル車でできる方法で、詳しくは分からないのだが、オートマ車ではできないはずである。

※ネット検索をしたら、やはりオートマ車では押しがけはできなかった(以下のサイトなど参照)。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q138184598
http://oshiete.sponichi.co.jp/qa5107734.html

日本で乗っていたバイクが、たまにセルモーターでエンジンがかかりづらいことがあり、押しがけでエンジンをかけたことがよくあった。車(マニュアル車)でも下り坂を利用してやったことがあったが、今の日本なら、ほとんどそういうトラブルは起こらないだろう。

キルギスで、特に田舎で走っている車の多くは、ソ連時代の「(ソ連の)国産車」で、私はキルギスに来るまで見たことも聞いたこともない車種・車名の物である。ソ連時代の車ということは、一番新しくても1990年製、実際にはそれ以前の物だろうから、30~40年くらい使われている車両もあるはずである(外車マニアとかなら、車両モデルを見れば「19xx年製だ」と分かるのだろうが)。

車両の古さ、当時の生産技術、使用環境(ほこりっぽい、寒いなど)があって、エンジンがかからない車はしょっちゅう見かける。村内を歩いていると、エンジンがかからない車を2~3人の人たちで押している光景にしばしば出くわす。

 押しがけ
(バッテリーあがり、ガス欠などで車を押している人はよく見かける)

私は、押しがけを手伝うのが好きで、押しがけをしている車を見ると、駆け寄っていって一緒に押してしまうのである。小さな達成感がある。車の所有者にしてみれば毎度のことだから、押しがけで始動するのは当たり前。手伝っても礼を言わない人もいるが、礼の言葉があるなしに関わらず、私は押しがけが好きなのである。

2011/11/08

『南極料理人』と青年海外協力隊

映画『南極料理人』(監督:沖田修一、出演:堺雅人、生瀬勝久、きたろう、他)のDVDがあったので観た。

南極にある日本の観測基地には、天文や地質などの調査、また基地の機械の保守などの人が派遣される。その彼らの健康管理をする医師や、毎日の食事を提供する調理師も必要ということで、この映画のタイトルは、南極観測基地で調理師として派遣された男を主人公とした物語である。

青年海外協力隊と重なるところが色々あるように思いながらこの映画を見ていた。

まず、青年海外協力隊も南極観測隊もともに、派遣される人は「隊員」と呼ばれる。「○○隊」というと、ウルトラ警備隊のように、何らかの使命を負って任務にあたるという勇ましいイメージである。協力隊も、途上国に赴いて、「その国・地域の抱える問題の解決や、諸分野の発展に寄与する」という使命を負っているが、現地での生活を通して、現地の文化を味わい楽しむということもあるので、私自身が協力隊に持つイメージはのんびりしたものである。

一方、同じ「隊員」であっても、南極観測隊のほうは、現地には人はおろか、どんな生物も住めないというマイナス70度の世界での暮らしである。生活環境はとても厳しい。協力隊は派遣期間が2年間であるが、南極観測隊は1年のようである。10人程度の固定した面子で、長期に渡って暮らし続けるのは結構ストレスが溜まるはずだ。協力隊は、なんだかんだと言って、夏休みなどにその国の中を旅行したり、現地に友達ができたりと、人間関係に変化がある。

人間、なんだかんだ言っても、人間関係の問題は精神状態に大きく影響する。映画『南極料理人』の中にも、協調性のない隊員がいて、他の隊員と摩擦が起こる場面があるが、固定メンバーの中で軋轢を抱えたまま、かつ途中で「もう辞めた、日本に帰る!」ということもできない。これはきつい。

一方、協力隊のほうは、異国へ行って、そこの言語を使って、そこで暮らす。たまに自分で和食を作ることはあるが、基本的には現地の物を食べる。日本とはまったく異なる食文化(米がないのが一番堪える)の地域に行く隊員は食生活では苦労すると聞く。南極観測基地は、映画で見る限り、日本からの食料が潤沢に貯蔵されているようで、この点は羨ましかった(まあ、現地調達は不可能だから、そうせざるを得ないのだが)。

「隊員」同士とは言え、まったく異なる青年海外協力隊と南極観測隊だが、映画を見ながら比較をしていた。

ひょっとして、この二つの「隊」に、両方とも参加したことがある人もいるのだろうか? 南極観測隊は主に自然科学分野の研究員か技術屋だと思うが、協力隊にもそれに重なる職種はある。だから「ひょっとしたら」と思うのだが…。

2011/11/07

今年は蜂が少なかった

あくまでも主観的な印象だが、今年の夏は村で見かける蜂が少なかったように思う。

3~4年前だったか、全世界的に蜂が大量死して、農業で果樹の受粉作業ができず、収穫量が減ると騒ぎが起こっていた。日本のミツバチが足りないので、海外から輸入するとかいう話もあったが、あの騒動はその後どう収束したのだろうか。

今夏、蜂が実際に減っていたのかは分からない。単に私のホームステイする家で、今年は蜂蜜を卓上に出していなかったから、蜂たちが寄ってこなかっただけかも知れない。

ソ連時代、キルギスは連邦内では蜂蜜生産の上位だったそうである。生産者はロシア系住民が主で、ソ連崩壊後、ロシア系住民が彼らにとっての本国であるロシア、またはキルギス以外の旧ソ連圏の国に「流出」したため、キルギス国内での蜂蜜生産量は、以前の20分の1にまでなってしまっている、と新聞で読んだことがある(最盛期の生産量がどれくらいだったか失念してしまった。2000t/年だったか…?)。

キルギスで民族の自治が高まること自体は喜ばしいことなのかも知れないが、一方で、ソ連時代に技術を支えていたロシア系住民の流出を招いており、蜂蜜生産に限らず、諸分野で技術力の低下という事態も起きているようである。

キルギスの蜂

外出の際には冬の格好をしている今の時季に、ちょっと季節を戻って蜂の話を書く。

昨年、村に赴任した当初、蝿と蜂がやたらと飛び回っていることが印象に残った。食事をしていると、テーブルの上にあるパンやサラダに蝿が留まるので、いちいち手で追い払っていた。村にいた先輩隊員は「すぐに慣れますよ」と言っていたが、確かにじきに慣れていった。

蜂もテーブルの回りをブンブン飛び回っていて、彼らの狙いはジャムや蜂蜜などであった。蜂と聞くと刺されると思って怖がってしまうのだが、当地の蜂は攻撃的ではなく、向こうから襲ってくる(刺してくる)ことはない。私は一度だけ指を刺されたことがあるが、それもたまたま蜂と私の手が鉢合わせ(ダジャレじゃないよ)してしまって、蜂が刺してきたのだろう。

honey_bee2(キルギスの蜂。日本のミツバチとは違う種類のようだ)

キルギス人はパンを毎食必ず食べるから、どの家の食卓にもジャムがある。蜂蜜はちょっと値段がはるので、いつもとは限らないが、これも紅茶に溶いたり、パンに付けたりするために食卓にある。蜂はそのジャムや蜂蜜をあつめに来るのであるが、そもそも蜂蜜は彼らが集めた物を、人間様が奪ったのだから、彼らにしてみれば奪い返しに来たと言いたいかも知れぬ。

家では茶碗・小鉢のような入れ物に蜂蜜が入っているのだが、蜂は「それ、ごちそうだ」と飛び込んで来る。花からちまちまと集めるのに比べたら、山盛りの蜜があるのだから、蜂にしてみればこれ以上ない宝である。

ところが、蜂たちが蜜集めに精を出す夏場は、温度が高いから、蜜は溶けて粘液状になっている。宝の山と喜び勇んで蜜に飛び込んだ蜂たちは、哀れ、蜜の池の中で羽や足がからめ取られ、身動きできなくなってしまうのであった。

honey_bee 
(蜜地獄にはまった蜂たち)

たまに、蜜地獄から這い出す蜂も見かけるが、羽が蜜まみれになって、もう飛び立つことはできず、テーブルの上に蜜の痕を残しながら、ずるずると這いずっている。「蜜地獄」と書いたが、蜜にまみれて息絶えていくのは、彼らにとってはむしろ本望だろうか…

イスラム教 犠牲祭

今年(2011年)の11月6日は、イスラム教では「犠牲祭」という日にあたるそうである。

はて、どんな祭日なのかと思い、ネットで調べてみた。

イスラム教の祭日ということであれば、マレーシアにいた時もあったはずだと思うのだが、「イード・アル=アドバー」なんて言葉、聞いたことがあったかな?? と思って、マレー語のウィキペディアも開いて見ると、

「Hari Raya Haji」という別名があるそうで、この呼び名には何となく聞き覚えがあるように思う。

日本語ウィキペディアに「アブラハムが進んで息子のイシュマエルをアッラーフへの犠牲として捧げた事を世界的に記念する日」と書かれている。

この話、『旧約聖書』で読んだことがあると思い、「創世記」の中にこのエピソードを探してみた(聖書も昔の翻訳は電子テキストとしてネットで閲覧可能である。便利である)。

これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、「アブラハムよ」。彼は言った、「ここにおります」。 神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。(創世記22:1-2)

あれれ?

聖書のほうでは「イサク」を犠牲にすることになっている。イスラム教では「イシュマエル」である。これは読み方が違うとかの問題ではなく、そもそも別の人物である。聖書にも「イシマエル」という人が出てくる。両名ともアブラハムの息子であり、詳細は「創世記」を読むなり、ネットで検索するなりしてもらえばよいと思うが、イシマエルはアブラハムの妾が産んだ子、その後本妻が産んだのがイサクである。

このどちらが犠牲としてささげられるかで、ユダヤ教・キリスト教(聖書)とイスラム教(クルアーン)では違いがあるということだ。ただ、エピソードとしては共通のものであり、これらの三宗教がきょうだい関係であることが顕れている。

ちなみに、私の身の回りでは、特にこの祭日にまつわって家で祝いをしたりとかいうことはなかった。キルギス人同士が知人に会った時に、何か「○○おめでとう」(←聞き取れず)という感じの言葉を交わしていたので、それはおそらくこの犠牲祭を記念して言っていたのだと思う。

2011/11/05

滅びゆくサイ

ネットで見たニュース。

この話で思い出したが、私がマレーシアに協力隊に行った時、配属先はオランウータンの生息地として有名な「ボルネオ島」のサイのこと。

あのあたりはほぼ赤道直下で熱帯だから、動物も植物も、生物の種類はとにかく多種多様である。ただ、ご多分に漏れずというか、ボルネオでも人間が森林を伐採するなどして、生物たちの生息地がなくなり、多くの生物種が絶滅の危機に瀕している。オランウータン、象、猿(オランウータンとは別の)などと共に、サイも絶滅危惧の仲間に入っていた。

ボルネオ島がある島は、マレーシアとインドネシアに分割されていて、マレーシア側のことをボルネオ島と呼び、インドネシア側はカリマンタン島と呼ぶ(ボルネオの中にブルネイ王国という国ある)。

このボルネオ、カリマンタンを合わせた島全土でも、8年前の時点で、サイは残り数頭だと言っていた。ボルネオのジャングルでサイの保護活動をするNGOがいたのだが、この団体の人たちでさえ、実際にサイを目撃したことはないとのことだった。だから、本当のところ、8年前のその時にすでにボルネオのサイは絶滅していたのかも知れない。8年後の今は言わずもがなであろう。

2011/11/04

судとсад

ロシア語のсуд(スート)は「法廷」、сад(サート)は「庭」の意。ロシア語を知らない人でも、この二つの単語は綴りが1字違いで、似ていることが分かるだろう。

似ている綴り、発音の単語というのは、学習者にとってはやっかいな代物で、私は結構使いまちがいをしてしまう(「ちょっと、法廷(=庭のつもり)へ行って来る」とか、「この庭(=裁判所のつもり)で裁判が行われる」とか)。話し相手が「??」という顔をするから、何かを言い間違えたことはすぐ気付くが…。

судとсадはロシア語の綴りが似ているだけでなく、対応する日本語(というか漢字)においても似ている。両方とも「廷」の字が含まれている。ムム! これはひょっとして、漢語の「法廷」「庭」とロシア語のсуд、садの語源には共通のルーツがあるのか?

漢字の「廷」の字義は、えんにょうが「階段」を表し、「階段の前につきでたにわ」のことで、政事や裁判を行う場所を意味する(→朝廷、法廷)そうだ。

「庭」もほぼ同じ字義。まだれは「建物」を表すもので、「門から表座敷の階段までの空き地」ということらしい。

一方、судの語源は「契約、結合」を表すサンスクリット語にあるそうだ。「契約」「結合」は二つのものが結びつく感じが共通していると思うが、そこからロシア語の「法廷」という意味に到るには、どういう変遷があったのか…。私の手持ちの辞書では分からず。

садについては語源が記述されておらず、分からなかった。が、たぶんсудとは関係はなさそう。

という訳で、日本語(漢語)の「法廷-庭」とロシア語の「суд-сад」がそれぞれ似ているのは、たまたまということだろう。

っていうか、こんな話題、あんまり関心は集めないと思いつつ。

2011/11/03

赤ちゃんは人間か大根か、はたまたペンキか?

日本語では、生まれて間もない動物の子供を「赤ちゃん」と言う。「赤ちゃん、赤ん坊、赤子」などの言葉は、生まれて間もない人間の子供の体が赤みを帯びているところに由来する。

さて、キルギス語で「赤色/赤い」はкызыл(クズル)という言葉である。これに派生語を形成する接尾語ча(チャ)を付けるとкызылча(クズルチャ)となり、あるものを指す単語になる。クズルチャとはどんなものか?

ロシア語では「赤い」はкрасный(クラースニー)。ちなみにロシア語では「赤、赤色」を名詞一つで表す単語は存在しないようで、「赤い(形容詞)+色(名詞)」と言うことになる。ロシア語の「赤い」は、形容詞の「美しい」красивый(クラシーヴィー)に派生する。赤いものは美しいということだったのかしらん?

ロシア語の「赤い」が派生してできたと思われる名詞がкраска(クラースカ)。これもどんなものか想像していただきたい。

キルギス語の「クズルチャ」、ロシア語の「クラースカ」。それぞれ「赤」から派生した単語である。その示すものは「クズルチャ→ビーツ、甜菜《てんさい》」「クラースカ→ペンキ、塗料」である。

ビーツは名前だけしか知らない野菜だったが、日本でロシア語を教えていただいた先生にボルシチ(ロシアのスープ料理)を作っていただいた時に初めて見た(そして味わった)。ビーツは赤というよりは赤紫という感じの色の野菜で、これで作るためにボルシチはその独特の赤紫のスープになる。砂糖大根という別称もある。

ロシア語では、「赤っぽいもの」が塗料の代名詞的な単語になっているのが面白い。

ついでなので、英語にも同じ様なのがないかと調べてみたが、redから派生したらしき単語は見つけられなかった(知っている方、教えてください)。ただ、「深紅(色)」を意味するcrimsonという単語を調べたら、crimson lakeというのがあって、これは「赤の顔料」を意味するのだそうな。lakeは「湖」ではなく「顔料」のことで、lakeだけで「深紅色」として使えるらしい。「顔料(塗色材)=赤、紅」という図式で考えると、ロシア語のクラースカと似ている。やっぱ、こいう点で言語的な発想が近いんだろうか?

2011/11/02

TPP加盟論議と国外脱出

日本の外交・経済政策の中で、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への加盟の是否が大きな案件になっている。TPPとは何のことかもわからず、ぼんやりしていたのだが、こう連日「TPP」の文字がニュースに出てくる状況で、知らないでは済まされない。
TPPに加盟することで、日本の経済はとてつもない国際競争にさらされ、数年~十数年後にはその競争の中で破れて、日本経済は農業も工業も金融も、その他サービス業も、ほぼすべての分野で没落してしまうのではないか、という危惧を感じる。
しかし、政界・財界にはTPP加盟を推進しようという動きが強いようで、ここのあたりが私には不可解であると同時に、不気味で恐ろしい。
で、これまでにも何度かこのブログで引用したことのある内田樹(たつる)氏のブログに、腑に落ちるものを感じたので、今回も一部を引用する。
雇用と競争について (2011.10.20)
  • 当節はやりの「グローバル人材」とか「メガコンペティション」とかいうことを喃々と論じている人たちはおそらく「この一億二千万人は日本列島で生活するという運命から逃れることはできない」と言い切ることができまい。
    「競争で勝ち残らなければひどい目に遭う」という命題を彼らは国際競争についてだけでなく、実は国民間の「生き残り競争」にも適用しているからである。
    「競争で勝ち残れない日本人はひどい目に遭ってもしかたがない」と彼らは思っている。
    あれほど「競争力をつけろ」とがみがみ言い聞かせて来たのに、自己努力が足りなかった連中にはそれにふさわしい罰(列島からでられず、貧苦に苦しむという罰)が下るのは「しかたがない」と思っている。
    そういう人たちは別に何のやましさもなく、日本列島を出て、愉快に暮らせる土地に移って行くだろう。
    下村は逆に「その手」を封じて、経済について考える。
    「まずオレが食って行くためにどうするか」ではなく、「まず一億二千万が食ってゆくためにどうするか」を考える。
    話の順番が違うのである。 生産性を上げなければ国際競争力はつかない。
    生産性を上げるためには人件費を最低限まで抑制しなければならない。
    だから、「生産性が高くなればなるほど、雇用機会が減少する」というスパイラルが起こる。
    (略)
    「生産性を上げる」というのは端的に「人件費コストを減らす」ということである。
    だから、付加価値生産性の高いセクターでは、雇用はどんどん減る。
グローバリストを信じるな (2011.10.25)
    • 「生産性の低い産業セクターは淘汰されて当然」とか「選択と集中」とか「国際競争力のある分野が牽引し」とか「結果的に雇用が創出され」とか「内向きだからダメなんだ」とか言っている人間は信用しない方がいい、ということである。
      そういうことを言うやつらが、日本経済が崩壊するときにはまっさきに逃げ出すからである。
      彼らは自分のことを「国際競争に勝ち抜ける」「生産性の高い人間」だと思っているので、「いいから、オレに金と権力と情報を集めろ。オレが勝ち残って、お前らの雇用を何とかしてやるから」と言っているわけである。
      だが用心した方がいい。こういう手合いは成功しても、手にした財貨を誰にも分配しないし、失敗したら、後始末を全部「日本列島から出られない人々」に押しつけて、さっさと外国に逃げ出すに決まっているからである
      「だから『内向きはダメだ』って前から言ってただろ。オレなんかワイキキとバリに別荘あるし、ハノイとジャカルタに工場もってっから、こういうときに強いわけよ。バカだよ、お前ら。日本列島なんかにしがみつきやがってよ」。
      そういうことをいずれ言いそうなやつ(見ればわかると思うけどね)は信用しない方が良いです。
      私からの心を込めたご提言である。
是非、本文全体も読むことをお勧めしたい(私のブログを読む暇があったら、内田樹氏のブログを読まれるほうが余程よい)。
上記のブログは、TPP加盟推進の論理を理解するのに役に立つと同時に、私自身、痛いところを突かれた気がした。「日本がダメなら、外国で暮らせばいいじゃん」という発想が、自分の中のどこかに無かったと言えば、それは嘘のように思ったからである。
もちろん、私は高級外車を乗り回し、日本国外に別荘を所有するような「勝ち組」ではない(と断るまでもない)。だが、これまで日本以外、それも発展途上国という日本よりもはるかに物価の安い国で生活した経験から、「日本で生活できなくなったら、物価の安い国へ行けばなんとかなるんじゃないか」と考えたことはある。
内田氏はそういうケースについては書いていないが、国外脱出を発想している点では同じように卑怯であると、私自身は受け止めた。余談だが、このように、内田氏の著述物を通して、自分の考えをひっくり返されることが何度かある。氏の書いたものを読み続ける所以である。
TPP加盟推進派は、加盟によって発生する国益を強調するが、本当にそのシナリオ通りになるのかどうか。成功・勝利のシナリオと同時に、失敗・敗北のシナリオも想定しておくべきだろう。もちろん、反対派も同様である。加盟しなかった場合の成功シナリオと失敗シナリオの両方を提示するべきだ。加盟しなければ、そのこと自体は現状と変わらないが、他国の市場に参入できないなどの機会喪失という形の損害が考えられるからだ。
私の「国外脱出計画」にしたって、日本経済が没落した後に、他国へ移住しようとしたって、その時に日本円の価値が今と同じだとは限らない。今は発展途上国として、経済面では日本の格下にある国々が、十数年後には日本を追い越している可能性もある。
これはグローバリズムという潮流も併せて考えなければならないが、いつまでも「発展し続ける経済」を前提にしていては、我々はもうどうにも立ちゆかなくなりつつあるのではないか。今の豊かな生活よりは縮小せざるを得ないが、まあそこそこは喰っていけるというレベルで維持安定していかざるを得ないのではないか。そこの覚悟が、私も含めて日本人はまだ持てないでいる。



2011/11/01

世界人口70億人

2011年10月31日、全世界の人口は70億人を突破したと推計されるとのこと。

今世紀末には100億人を突破すると予測されているのだとか。もちろん、私は世界最高齢の記録を20年くらい更新しない限り、その時に居合わせることはないはずだが、80~85億人あたりなら居合わせる可能性はありそうだ(2035年頃?)。90億人も2050年頃の予測だから、ギリギリいるかも。その頃には当然、40年前にこんなブログを書いていたことは忘れているに違いないが。

人口の増加は、食料、水、エネルギーなど、すべての物資の不足をもたらすと言われている。いや既に起きていることなのだが、日本では私も含めて、まだ自分の身に迫った危機として実感がない人がほとんどなのではないだろうか。

日本は人口減少の傾向が続いているから、相対的に世界の中での日本人の比率は下がっていく。個人的には、1億人ぐらいのところで維持していれば、国内経済は回っていくのではないかと漠然と思う。もちろん、経済指標での世界上位にいることは困難になっていくだろうが。

「少子化対策」とここ20年以上も言い続けている日本がある一方で、人口の増加が止まらずにいる国々がある。不思議というか、皮肉というか…。

100億人もの人間が生息する地球は、一体どんな様相を呈しているのだろうか? 自分は見ることはないが、興味はある。いや、実際にその時に居合わせる人間たちにとっては笑い事ではない問題が山積しているのかも知れない。100億人の人々が「こんな時代に生まれなければよかった」と嘆いているような不幸で悲しい時代になっているのだろうか…。

そうそう、こんなニュースもあった。

ツケは将来世代に回しているということ、か…