(現地の人が年上に見える話の3回目)
現地の人が、私よりも若いのに年上に見えることのもう一つの理由として、お肌の問題があるように思う。
こちらの人の手を見ると、がさついていて、皺《しわ》が多い。私よりも年下の女性でも手肌を見ると、私よりも歳を取っているような手をしている。
これはスキンケア用品がない、あっても高価なので一般的には使われない、という背景があるのかも知れない。その辺については、私は男であるし、男の中でも無頓着なほうに入るようだから、なおのことよく分からない。
スキンケア用品以外にも、ここは一年中気候が乾燥していることも大きいような気がする。一ト月も雨が降らないような所だ。そういう所で何十年も暮らしているのだから、肌の傷みも速いのではないだろうか。
ちなみに、マレーシアにいた時にも、現地の人の肌は日本人よりも皺が多いと感じた。その時に思ったのは、彼の地は赤道上にあって、陽射し年がら年中強いので、紫外線による影響であろう、と。
彼らの手肌ががさついているのは、おそらく上記の理由だけではない。彼らの日常生活に必要な所作をする結果として、どうしても手が荒れるのである。羊の世話をする、薪を割る、ペチカを炊く、野菜を栽培する、などは「手が荒れるからやらな~い」と言えない生活で必要欠くべからず所作なのである。そいう意味で、彼らの手が荒れているのは、自分たちの生活に必要なものを自分で作っているという証とも言える。
そういえば、トルストイの『イワンの馬鹿』(原題:Сказка О Иван-Дураке)にこんな一節があった。
唖娘は今までに、たびたびなまけ者にだまされていました。そんな者に限って、ろくすっぽ受持の仕事はしないで、誰よりも食事に早くやって来て、おまけに人の分まで平らげてしまうのでした。そこで娘は手を見て、なまけ者を見分けることにしました。ごつごつした硬い手の人はすぐテイブルにつかせましたが、そうでない人は、食べ残しのものしかくれてやりませんでした。(菊池寛訳)
私の手では、食事の順番が後《あと》になってしまいそうだ…。
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