「月明かり」という日本語がある。月光が差して、夜の地上を明るく照らす様を表わす言葉である。都会ではそんな言葉は使われることはないだろう。なにせ電灯で照らされているから、月の明かりなんか意識する機会がない。
前回のブログにも書いたが、私が今いるキルギスのバコンバエバ村では、夜中は街路灯がない。こういう環境だと、日没後に月があたりを本当によく照らしてくれているのが実感される。もちろん月が出ている夜に限ってである。
半月に近づいたあたりからは、月光によって影ができるのがよく分かる。月のない夜は、夜半にトイレ通いには懐中電灯が必携品だが、月夜であればそれも不要だ(と言ってもトイレの中は暗いので懐中電灯は持っていくが)。
日本の町に住んでいては知ることのなかった「月明かり」という言葉の意味が、ここでは実感として分かる。
さて、月というのは28日周期で新月→満月→新月と変化しているはずだが、三日月、半月、満月となっていくにつれ、あたりがより明るく照らされる。そして、空を見上げると、月が明るくなるにつれ、星々が見えなくなっていく。つまり、日本で街灯りによって星が見えないのと同じ現象が起こる。
「ああ、月明かりが強くて、いつものように星が見えないなぁ」と思うのであるが、そういう中でもはっきりと輝いて見える星々がある。そう、それが星座の星たちなのである。
前回のブログにあげた疑問の答えはここにあった。古代、電灯のない時代でも、月によって光度の弱い星たちは見えなかったはずで、月明かりがマックスになる時でさえもはっきりと見える星たちを、古代人たちは星座として結んだのであろう。
神々が生活の中で息づいていた時代にあっては、他の星々が見えなくなってもなおその輝きが失われない星々は、古代人にとっては一層の神秘性を帯びていたんじゃなかろうかとも想像される。
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