(現地の人が、実際は自分より年下なのに、年上に見えてしまう話の続き)
こちらの男子であれば、小学高学年くらいまでには、当たり前に薪を割る、羊を追う(牧場に連れて行き、また戻す)ができるようになっているし、成人男性であれば羊を屠《ほふ》ることもできる。
私はどれも満足にできない。薪割りは「お手伝い体験」程度にはやったが、羊追い、屠殺に関してはやったことがない。屠殺は宗教的儀礼の一つだから、私がイスラム教徒にならない限り、やることはないだろう。
現地の人から見れば「あんた、いい歳こいて、そんなこともできんのかぁ」となるんではなかろうか?
立場が逆になることもある。例えばパソコン操作。こっちの人で、Amazonで本を注文して買うなんてできる人はほとんどいないはずだ。そもそもAmazonがキルギスではサービスをしていないという悲しい現実がある。 Windowsの基本的な操作でも、私に尋ねてくることがある。
食洗機(=食器洗浄器)の操作はどうだ? これもできないだろう。食洗機自体がないから、経験する機会がない。他にもあるだろうか。にわかには思いつかないのだが、結構意外なところで、「え、こんなことができないの?」ということがあるはずだ。これはお互いにそうなのだ。
異文化で育った者同士の接触時には、自分の文化では成人ができて然るべきことが、相手の文化の成人ができないと、相手の文化を幼く感じてしまうそうだ。以前、異文化コミュニケーションに関する本で読んだことだ。
薪割りなんかは技術的なことだが、それ以外に社会ルール的なことなんかもある。例えば、日本では電車を待つ際はホームに列を作って並ぶのが「当たり前」である。守らぬ輩もいるが、日本という文化圏において、そのルールを体得できていないというのは(そのルールが不合理なものでない限り)、社会生活を送る上では問題ありの人物である。銀行などの窓口でも順番を守るのは、日本なら当たり前のこととしてみんなやっている(※)。
社会ルールだけではない。人生の主要なイベントの経験時期というのも、文化によってことなる。例えば初性交の経験年齢。「え~、○○歳なのにまだなのぉ~、ウソ~」みたいに言うあれである。仮にA文化での初性交の平均年齢が20歳だとして、そこにB文化からきた人が25歳で性交経験がなかったとしたら、「遅れてる」とか「かわいそう」(?)みたいな反応になるのじゃないか。
結婚なんていうのも同様だ。日本では「晩婚化」で、30代で結婚していない人はいくらでもいて珍しくもないが、協力隊が派遣されている国・地域のほとんどすべてで人々は「早婚」である。女性であれば18歳あたりで結婚するのは珍しくない。私くらいの年齢なら、孫がいてもおかしくない。
そんなわけだから、「結婚していない」という一点においても、こちらの人たちにしてみれば「独身と言うんだから20代、行っていたとしても30歳くらいだろう」と先入観をもって私を見る。私にしても「孫がいるんだから50半ばくらいだろう」と先入観を持つ。そして、互いに同《おな》い年だと知って驚くのである。(このネタ、さらに続く)
※ ついでだから書いておくが、「列を作って待つ」というのは日本人の美徳の一つだと確信をもって私は言う。日本を訪れる多くの外国人が、駅のホームで、銀行窓口で、エレベーターで、列を作り順番を守る日本人の行動を見て感動するのである。そしてこのことだけでも日本人は尊敬されているのであることを忘れるべきではない。(本文に戻る)
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