2011/01/03

キルギスの年越し②

(キルギスの年越し①の続き)

大晦日の夕食は「マントゥ」という、餃子の皮で羊肉・玉ねぎ・じゃがいも・にんにくの具を包んで蒸すまんじゅうを食べた。

さて、夕食を終えたら、Эже(「エジェ」、キルギス語で年上の女性に対しての呼称。私のホームステイ先のお母さんのこともこう呼ぶ)の友人宅へお邪魔した。そこは先輩隊員のホームステイ先で、今度はそこで「ラグマン」(うどんに野菜・肉の煮込んだあんをかける)をいただいた。この時点で腹は90%くらいの状態になっていたのではないか?

こういう席では乾杯の酒を飲むのが通例。この日も乾杯があった。こちらは度数の強い酒(主にウォッカ、アルコール40°)を飲むためなのか、杯はショットグラスである。この日はワインを注いでもらって乾杯。

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一人ずつ祝詞を述べるのもキルギスの習慣。最近覚えたロシア語の祝詞の決まり口上を述べる。

そのお宅に暇(いとま)をつげて、帰宅したのは22時頃。0時にさらに祝いがあるというので、それまで部屋で本でも読んでいようと思ってソファに横になったら、そのまま居眠りしていた。

起こされて居間に行ってみると、時刻は年が替わる5分前。テレビのカウントダウンを見ながら0時を待つ。ロシアのテレビ局のチャンネルにしていたのだが、0時の2分前くらいにメドベージェフ大統領が登場し(録画と思われる)、クレムリンをバック(合成)にメッセージを送っている。

モスクワとは時差が3時間あるので、あちらはまだ0時ではないはずだ。理由を訊いてみたのだが、説明が理解できなかった。私の推測だが、ロシアは広くて地域の時差も相当あるので、キルギスと同じ時間を使っている地域もあるはずだ。東のほうから、0時を迎える順に、予め録画してあった大統領のメッセージを放送しているということではないかしらん?

そしていよいよ0時。2011年1月1日となったタイミングで、家族でシャンパンの乾杯。シャンパンを飲み終わると、今度は外へ。(続く)

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