唐突な話と受け止められるかも知れないが、これまでの配属先を辞め、首都の障害児療育センターへ移動する。明日27日に引っ越し。1年半ちょっとのバコンバエバ村での生活にもお別れということになる。
任期の残りも5ヶ月で、夏休みシーズンや帰国準備の日程も考えると、実際には活動期間は5ヶ月もないのではあるが、今の配属先で過ごすよりも、別の所でやれることがあるならばと思い選択したことである。
年が明けてから、これまでやっていた障害児者の通所センターを突如閉鎖。もちろん、私にだけ言っていなかったことで、配属先のトップや現場スタッフはそのつもりで予定していたのかも知れないが。
その後、何かやる様子も見えず、私も以前から家庭訪問に行っていた子の所へ行くくらいが活動らしい活動で1ヶ月半を過ごしていた。担当の調整員が相談にのってくれ、その中で、残り任期が数ヶ月であっても、自分がこれまで得てきた知識・経験を多少でも必要としてくれる団体が他にあるならば、そちらでやらせてもらおうと思った。
いざ、私が「ここは辞めます」と伝えたら、今の配属先の人たちは不快感を示しており、まあ色々と言われた。言い争っても、向こうもこちらも納得することはできぬだろう。そもそも、ここの団体・スタッフたちに、障害児者の支援をするというモチベーションがどこまであったのか、私はずっと疑問であった。
協力隊のブログを開設するにあたっては、「任国、配属先、JICA等について、業務上知り得た個別の情報は書かない」「ネガティブな話題は控える」というのが、ルールとして確認されている。協力隊という立場でその国、その団体に赴任している以上、当然のルールだと思う(実際には、結構、書いている隊員のブログもある。ただ、その隊員にとっては書かざるを得ない事情というのもあるので、私自身はそれを糾弾するとかいう気持ちはない)。
で、これまでいた配属先についても、まあ色々と見たこと、思うことはあったのだが、それは協力隊ブログには適さない(ルールから逸脱する)と思うので書かずに来ている。個人的には、もっと活動先のことについて書きたいと願っていたが、月日が経つにつれ、「ありゃりゃ?」ということが重なってしまっていた。
その「ありゃりゃ」なことも、読者には関心のあることかも知れないし、私も自分の体験談としては伝えたい思いもなくはないのだが、当面はブログには書くことはしない。それに、新しい配属先の団体も、(これまでに何度かやり取りをしており、スタッフのモチベーションが高いことは感じてはいるものの)、実際に内側から見たらこれまでの配属先と大差ないという可能性も無くはないわけで、今、これまでの配属先への不満をここで吐き出すことは、後々、天に唾を吐くというのか、また同じ問題が自分に降りかかるかも知れない、と思うのである。
バコンバエバという村での生活自体は、気に入っていた。私を助けてくれた多くの人に感謝、感謝。
思い出の村を離れるにあたり、何十年ぶりかで雪が降り積もった村で、雪の帽子をかぶったレーニンさんの写真を載せておこう(昨日たまたま撮影したから載せるだけなんだけどね…)。
(この帽子が溶ける頃には、私は村にはいない)
移動先はどこかというと、首都ビシュケクである。これまで田舎村暮らしをしていた私にとっては、いきなりの都会暮らしとなる。
村生活と都会生活の比較も、ブログで書ければと思っているので、まあ少しは期待していただこう。