2011/01/30

テレビに砂嵐が吹いていた頃(嗚呼、アナログ放送!)

今年(2011年)は、日本のテレビ放送が完全地上デジタル化される。確か7月だったはず。あいにく私の帰国予定は来年なので、その日を日本で迎えることができない。残念である。何が残念かというと、完全デジタル化になる瞬間、つまりアナログ放送が終了する瞬間に、アナログ放送がどうなるかを見られないからだ。いずこの誰かが、その模様をYoutubeにでもアップしてくれるのを期待しよう。

つい10年前、いやひょっとしたら5~6年前までは、アナログ放送が当たり前だった。デジタル放送なんていうのは実験的に放送されているだけで、受信機能のついたテレビは高かったから、どの家でもあるというものではなかった。

アナログ放送とデジタル放送で大きく違うと思うのは、電波が弱い時の画面の映り方である。アナログ電波の場合、電波が弱いと画面にノイズが入ったり、あるいは「ゴースト」と呼ばれるように映像がダブって見えたりする。ノイズやゴーストはあっても、画面には何かが映っていた。デジタルの場合、一定以上の電波強度がないと「信号を受信できません」みたいなメッセージが出て、それ以外に面には何も映らない。

今、私がホームステイでお世話になっている家にもテレビがあり、たまに家族の人たちと一緒にテレビを見ることがあるが、キルギスは(当然といえば当然な気がするが)まだアナログ放送である。しかもここは田舎村なので、チャンネルによっては電波が弱くてノイズがたくさん入っている。

それでも、ここの人たちはそういう番組を見ている。時には、ザァザァの白黒状態の画像でも、1時間半程度の映画をそれで見ている。いやぁ、ちょっと私には考えられない忍耐力。

昔のテレビ放送では、放送時間が終了すると、(おそらく電波出力がなくなって)画面は灰色のなかに黒や白の粒子がうごめくものになったものだ。私の周りではこれを「砂嵐」と呼んでいた。多分、全国的にそういう呼び方だったんではないか?

キルギスのテレビを見ていると、そういう昔の日本のテレビ放送が思い出される。別に、『夕日の三丁目』というほどの昭和の昔の話ではないのである。平成の世の話なのだが、もう昔話に変わっている。

砂嵐の中にかろうじて映る番組も、それはそれで忍耐試しのような楽しさがあった(当時はそんなことは思わなかったけど)。室内アンテナを回したり、持ち上げたり…。完全地デジ化になるとそんな話はなくなるんだねぇ…。

念のために付記しておくと、デジタル化することで、使用する電波帯域をアナログ放送よりも節約でき、その余剰分を他の目的に使えるのだというから、デジタル化自体は結構な話だと思っている(総務省の宣伝を鵜呑みにし過ぎかしら?)。

村の人たちは、今日も砂嵐に遭いつつも番組を楽しんでいる。

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