2011/01/26

お茶に招く・招かれる (お茶の話②)

私は協力隊でマレーシアに派遣されたことがあり、今はキルギスに派遣されている。この両国の人々を接して思うのは、彼らは客人のもてなしがうまいこと。

他の国へ派遣されている(もしくは、されていた)協力隊仲間の話を聞くと、どうも多くの国でそういう印象を協力隊員は持っているようだ。

キルギスでよく経験するのは、一度目は招待されてお宅にお邪魔する。例えば職場の同僚が昼食時に家に招いてくれる。その時に「これからはいつでもうちに寄ってくれよな。オレがいない時でもいいんだよ」と言ってくれる。

私は日本人だから、当人から招待がかかっていない時に、事前の連絡もなしにいきなり訪問するなんてことはできない(と、思っている)。ゆえにその後は相手の家に行くこともなく何日かが過ぎるのだが、そうするとそのうちに「おい、何でうちに来ないんだ? いつでも来いっていっただろ」と言われる。

ここが日本人的感覚と大きく違うと、私が思うところだ。

実際、おそるおそる、連絡なしで知人宅を訪問したこともある。そういう時でも嫌な顔せず、家内にあげてくれお茶を出してくれる。いや、お茶だけではない。大抵は、パンなどの軽食がテーブルにあるからそれをもらう。

聞いたところでは、キルギス人は、訪問客にはパンを出すという民族的な風習があるそうだ。確かに、ちょっと伝言程度に寄った家でも「パンを食べてから帰って」と言われることが度々ある。訪問者にはパンを出すのが礼儀ということらしい。

一方、急いでいる場合(という状況はあんまりないと思うが)でも、皿の上のパンをひとちぎりして、それを食べるのが訪問者側の礼儀でもある。

この辺のやり取りは、形式的にやっているところも見て取れるのであるが、遊牧生活を主としていたキルギス人にとって、食料調達の店など何もない山岳・草原を移動する来訪者に食事と飲み物を与えるのは、相互扶助的な意味合いがあったのではないかと想像するのである。

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