2012/05/04

アテレコとか、字幕とか、副音声とか (1)

今、借りている部屋で有料チャンネルのテレビ番組をあれこれ見ているが、英語は某ニュース専門チャンネルのみ。ほとんどがロシア語である。

ロシア語の番組といっても、アメリカやイギリスで制作されたものもたくさん(動物専門チャンネル、ハリウッド映画など)あり、それらはロシア語に吹き替えされているのである。

ロシア語番組を見ていても、聞き取れる率は大して進歩していないのであるが、それはさておき、見ていて気づいたのは、ロシア語以外で制作された番組・映画を放送する際、ほぼ100%、字幕をつけることはせずに、ロシア語に吹き替えていることである。

多分、この国でそれらの有料チャンネルを見ている人たち、また、おそらくロシアでも同様だと思うのだが、ロシアで外国からの番組を見ている人たちも、外国語がロシア語に吹き替えられていることに、違和感を持つことはないのだろうと想像する。

私がそのことに「気づいた」のは、日本の状況とは違うと思ったからにほかならない。日本でも吹き替え番組はたくさんあるが、100%ではない。音声は原語を残したまま、日本語字幕を入れている番組も多い。また、日本語に吹き替えてある番組でも、副音声では原語(たいていは英語)を聴けるようになっている。

そんなことを思ったものだから、家にあるテレビで副音声の切り替えができないものかリモコンをごちゃごちゃと操作してみたが、どうやら副音声という仕組み自体がないようであった。

こうしたことを考えてみると、日本人が外国からのテレビ番組・映画を見る際の形式には、日本、日本人を取り巻く言語環境や、そこで醸成されたわれわれの外国語受容の態度が背景にあるのだと思う。戦後の日本人が一番意識した外国語は英語であるはずで、いわゆる「英語学習熱」や「英語コンプレックス」なんかが、副音声での原語放送を要請したのかも知れぬ。

映画ファンの中ではたびたび交わされる議論のテーマの一つだと思うが、外国語映画を観る際、「①原語+日本語字幕」で観るか、「②日本語吹き替え」で観るかという問題がある。①の立場は、出演者本人の声を聞きたい、原作のイメージをそのまま見たい、という主張。②の立場は、字幕を読むことで画面全体の雰囲気が把握できない、したがって日本語で聞いて画面のほうに集中したい、という主張。もちろん、個人の好みの領域の話であって、どちらが優れているかという議論ではないだろう。

(ちなみに、私は「字幕」派である。特に、DVD(昔はビデオ)で映画などは、せっかちな私は倍速で観ることも多いので、字幕があったほうがストーリーを把握しやすい。DVD時代になって、日本語映画でも日本語の字幕表示ができるので、私のような観賞方法を取る人には便利である。)

すべてがロシア語に吹き替えられているそのこと自体も、ロシア語圏での言語感覚、言語使用の政治的な面が見て取れるのではないか、とも思ったりもする。米ソ対立という時代の頃は、東側の雄としての意地もあって英語学習は疎んじていたのだと思うが、実際のところ、旧ソ連の影響下にあった地域でのロシア語の普及率は、日本人が思う以上のものがある。ソ連から独立した国々でも、いまだにロシア語は公用語(国語ではないが)として使用されている。そういう状況があるならば、どの国の言葉でもロシア語に吹き替えて放送するのも、不合理ではないということだろう。だって視聴者のほとんどがロシア語で理解しているのだから。

テレビ番組の制作方法なんて、どこに行っても同じようなもののように思いがちだが、そこにはそこの地域が持っている歴史的・文化的・民族的なあれこれが影響しているようなのである。

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