昨日(10/30)行われたキルギス次期大統領選は即日開票作業が行われ、アタンバエフ候補の当選確実が報じられた。
事前の予想通り、アタンバエフ候補が強かった。1回目の投票で過半数の得票があるかが注目点だったが、それもクリアした。
2012~2014年、青年海外協力隊員としてキルギスに赴任。現地での活動・見聞したことを記録するためのブログ。 帰国後も、キルギス関連のネタがあればときどき更新してます。
昨日(10/30)行われたキルギス次期大統領選は即日開票作業が行われ、アタンバエフ候補の当選確実が報じられた。
事前の予想通り、アタンバエフ候補が強かった。1回目の投票で過半数の得票があるかが注目点だったが、それもクリアした。
短波放送でNHKの海外向け放送(NHKワールド)を聞いていたら、日本時間10月30日午後8時のニュースで、キルギスの大統領選挙について報じていた。これは日本国内でもラジオ第一で同時に放送されているもの。一応、この時間のトップ項目扱い。
A候補の優位を伝えていたが、今回の投票で有効投票数の過半数を得なければ、決選投票に持ち越しとなることと、選挙のよって大統領が決まれば、中央アジアでは初めて平和的なプロセスで大統領が決まることなどに言及していた。
こちらの時間で、あと30分ほどで投票は締め切られる(午後7時まで)。その後、開票作業に入る。
私のいる村はいつもと変わらぬ日曜日という感じで、道の並びの別の家では、結婚式があったようで人がワイワイと集まっていた。投票日だからといって、治安部隊が巡回し、厳戒態勢になるような状況のほうが怖いわけで、村人たちがいつも通りの生活をしていること自体、少なくともこの村では選挙が平和裡に行われている証だろう。
何度かこのブログで書いてきたように、本日10月30日はキルギスの次期大統領を選出する選挙の投票日。
前日から、選挙の情勢を伝える報道は禁止されたらしい。「○○候補が一歩リード」「○○候補は伸び悩む」などの報道が、有権者の投票行動に影響を与える(なんとか効果って名前があったと思うが、忘れた。「アナウンス効果」だったか?)ので、それを制限したということだろう。
日本ではどの程度報道されるか分からないが、テレビならNHKの日曜夕方に世界のニュースをかいつまんで流す番組があったような気がする。いつも日本でのキルギス報道について連絡をくださる方からは、NHK-BSの「World Wave」という番組でキルギス大統領選のことが触れられていたという情報もあった。
私はたまたま協力隊でキルギスに来たから、こんなふうにキルギスの大統領選のことを書いているわけで、もし違う国に行っていたら、キルギスのことなんて、一生、気にもならなかったかも知れない。
このブログを呼んでいる諸兄諸姉も、キルギスという国にはほとんど関心もないだろうが、まあ、このブログを読んだのも何かの縁、日本のニュースメディアでキルギスのことが報道されていないか探してみてはいかがだろうか。
時差で困るのがメールである。
メールは電話と違って、相手が都合の良い時間に読めるから、電話よりも迷惑がかからなくて便利、という面はあるが、最近は、携帯電話(今流行の「スマホ」ってやつは携帯電話には入るのかどうか?)でメールをする人も多く、ーー実際、私がメールを送る人のうちの何人かは携帯電話のメールアドレスしか知らないーー。
携帯でメール受信をするのは、着信があればすぐに気付けるので便利なのであるが、送信と同時に相手方の携帯がピロピロ鳴るので、電話と同じになってしまっている面もある。
そこで困るのが、こちらは普通に起きている時間でも、時差があるために、日本にいる先方にしてみれば深夜ということがある。例えば、私が深夜0時にメールを書いて送ろうと思うと、日本は午前3時である。メールアドレスが携帯メールであると、「この時間にメールをすると、起こしてしまうな。明朝にしよう」と思い、翌朝起きて8時にメールをする。それを受ける相手方は既に昼に近い11時である。
時間が7~8時間ずれるだけのことである。別に急ぎのメールをすることはないので、特に問題が発生したことも、(おそらく今後も)することもないのだが、そのちょっと待つのがストレスに感じられる時がある。
携帯電話の普及で、連絡の即時性は高まったが、一方で待つことの耐性が下がったと言われる。私自身にもその傾向があてはまるようだ。
日本とキルギスは時差が3時間ある。日付変更線を基準に見れば、日本が3時間早い。キルギスは夏時間はないので、一年中、3時間の時差は変わらない。
時差3時間なので、こちらで9時に職場に出勤する頃、日本で働く人たちは昼休みに入る頃である。こちらで仕事が終わって帰る夕方4~5時は、日本では風呂に入って夕食を食べている頃か。
私は相変わらず短波ラジオ受信でNHKの海外向け放送を聞くことが多いのだが、日本で放送されているものと同時に流れているものは、アナウンサーが「皆さん、おはようございます」と言う時間は、こちらはまだ未明だし、「こんにちは」という時間は、ぼちぼち職場に行きますか、と腰を上げる時間。その度に「日本はもう朝(昼、夜)なんだなぁ」と思う。
「今」という瞬間に、違う場所でそれぞれ生きているのは間違いない。それが証拠に、こちらから日本に電話をしても、3時間先の未来の人と話す訳ではない。日本から見れば、3時間後の過去の人と話している訳でもない。当然の話である。
しかし、生活場面としては、向こうは朝でこちらは未明、向こうは昼でこちらは朝、となっている。同じ瞬間に生きていながら、それぞれ生活場面は異なるのが、いつも不思議なように感じる。
先日、長距離マルシュ(乗り合いミニバス)に乗っていたら、「パーン」と音がしてガタガタと車の挙動がおかしくなった。すぐにパンクと分かる状態。右後部のタイヤから音がしたのだが、私はちょうどその真上の席に座っていた。
運転者は徐々にスピードを落とし、道端に停車。タイヤ交換が始まった。
やはり右後部のタイヤがパンクしていた。
乗客は、作業(ジャッキで車体を上げる)をしやすくするため、自主的に外に出て作業を見守っていた。タイヤ交換は15分程度で終わり、再出発。
マルシュの故障は多いと聞くし、実際、路肩で修理をしている車はよく見かけるのだが、自分が乗っているマルシュにトラブルが起こったのは初めて。事故につながるものでなくてよかった。
それにしても、交換したタイヤも溝が浅かったが、中古か何かで買ったのか…?
協力隊は、それぞれの国に渡航する前に、日本国内で約2ヶ月間の訓練を受ける。発展途上国という、現在の日本とは大きく生活環境の異なる国々で2年間生活するにあたっての、異文化適応の心構え・方法、犯罪や交通事故などのリスクを避けるための安全確保などなど。そういう講座もあるが、なんと言ってもメインは行き先で使う言葉の訓練である。私の場合はロシア語であった。
訓練は1年半前のことだから、今さら何をという感じもするのだが…。
キルギスの協力隊の場合、派遣地域・職場によって、訓練をする言語がロシア語とキルギス語に分かれていた。キルギスではその2つの言語が使われているので、それに合わせて隊員もクラス分けがされていた。
隊員が集まることがあると、現地語の決まり言葉(日本語で言うなら「すげぇ」「やべぇ」「オーケー」など)使ってやりとりすることがあるが、キルギスの場合、習得した言語が異なるので、これがいまいち盛り上がらない時がある。
そう思って思い返すと、マレーシア時代は、現地で使われている言語はキルギスよりもさらに多かった(マレー語、中国語、ヒンドゥー語、その他先住民族の言語。中国語はさらに北京・広東・福建などに分かれていた)が、協力隊が訓練を受けるのはマレー語ひとつであった。
ひょっとしたら1つの派遣国で2つ(以上)の言語に分かれて訓練をしている国は、協力隊全体の中でも珍しいのではないだろうか?
キルギスの隣国、ウズベキスタンもロシア語とウズベク語に隊員は分かれて訓練をしていた。ウズベキスタンも旧ソ連の一部であり、英語がほとんど通じない点がキルギスと似ている。同じ派遣国で、訓練言語が異なるのはこの2国しか私は知らないが、他にもあるのだろうか…
ここ数年の日本の政治は、ほぼ一年ごとに首相が変わっていて、国内外から批判を受けたりもしているのだが、それで独裁的な政治になりにくいメリットもあるという論もあるようだから、良いのか悪いのかは一概には決められるものではなさそうである。
首相・内閣が一年周期で変われば、政治方針も変わるから、政治は不安定になるように思う。だが、この「政治が不安定」というのは、そういうことを指す言葉なのだろうか? と、ふと疑問に思った。
日本では、選挙結果が自分の支持政党・候補者に有利なものでなかったといって、革命が起きるという話は考えられない。だが、選挙の度に治安状況が悪くなり、投票前から各陣営が一色触発、場合によっては内戦になりかねないという国のニュースはいくつも聞く。
今年は「アラブの春」と呼ばれる、北アフリカ・中東の複数の国で、独裁者が民衆に打倒される歴史的な事件が起きた。つい数日前も40年独裁を続けた支配者が反対勢力に殺害された。独裁者が排除されたので、これで国民は安寧な生活が始められるのかと思えば、既に政治・宗教の立場の異なるグループの勢力争いが始まっているという。独裁政権がなくなればすぐに平和・自由な社会になる訳でないところに、人間社会の難しさか。
そのような問題は、政治の安定性というよりも、社会の安定性の問題なのかも知れぬ。社会が安定しているから、政権が短期間に変わり、政治が多少不安定になっても大丈夫なのか。
キルギスも大統領選挙前後で、一応、治安情勢の悪化に注意はしなければならない(村で生活している限り、不穏な雰囲気は今のところないが)。選挙の度に、暴動などの危険度が高くなるというのも、日本では想像しがたいことなのだが、世界にはそういう国が多くあることも事実なのだ。
キルギスの映画が日本で公開されているようだ。
タイトルは『明かりを灯す人』。イシククル湖ほとりの村が舞台だというから、私の住んでいる村とも似ている風景かもしれない(私のいる村は湖のほとりではないが)。
ネットで紹介されているのをたまたま見つけた。そういえば、キルギスの協力隊の誰かが、キルギスの映画が上映されていると話していたような気もする。
全国どこでも上映館があるわけでないだろうが、もしチャンスがあったら見に行ってはいかがだろう。映画館のスクリーンで見たら、キルギスの自然の美しさを実感できることだろう(村の中は、路上にごみが散乱しているのだが…)。
10月30日の大統領選挙の投票日を控え、JICAキルギス事務所のほうから関係者に、大統領選挙の状況や投票日前後の注意事項の説明があった。
前に大統領選挙の候補者が30余名いることを当ブログで書いたが、現在は17名になっているそうである。その中で有力と目される候補は5名。
選挙で過半数を超える候補者が出なかった場合は、(上位2名による?)決戦投票が行われるそうである。
注意事項として、今回の選挙で、特に暴動等に結びつきそうな気配は今のところないが、開票結果に不満を持つ(支持した候補の得票が少ない等)一派が抗議行動をしないとも限らないので、開票作業のあたりは外出を控えるなどの注意をするように、とのことである。
候補者数が17名で、有力候補が5名ということだから、おそらく1回目(10月30日)の選挙では過半数を超える候補者はないのではないだろうか。そうすると決選投票にもつれるわけだが、先回書いた「大統領選挙が盛り上がっていないみたいだ」という印象はこのあたりに原因があるのかも。
どうせ1回目の選挙では大統領は決定できないから、今からヒートアップしても仕方ない、というような感じか。決戦投票の時には、必ず決着がつくから、その時には選挙キャンペーンも大規模にやるのだろうか。
いよいよ来週10月30日に迫っているキルギスの次期大統領選挙。
昨年の今頃は議会選挙があって、投票までの1ヶ月間は、各政党がキャンペーンで主要各地を回っていて、私の住んでいる村でも週末は必ずどこかの政党の集会があった。二つの政党が町の中心の両端でそれぞれの集会を開いていたこともあった。
村規模では党首が来ることはなかったが、幹部くらいのレベルは来て演説をしていたようである。キャンペーンでは政治演説だけでなく、歌手も来て、ステージ(選挙カーの上や村の広場)で歌を歌っていた。村人が選挙集会に行く目的はそうした歌手を見るほうが大きいのではないかと思うほどだった。
今回の大統領選挙でもそうした動きが入れ替わり立ち替わり見られるのかと思っていたのだが、これまでのところ、村ではただ一度あっただけである。
う~ん…
ひょっとして、大統領選挙は盛り上がっていないのだろうか? キャンペーンの華やかさと、有権者の選挙への関心はイコールではないだろうが、キャンペーンに関しては、昨年の選挙とは明らかに異なる。
残り1週間、選挙キャンペーンは行われなさそうな気がする。写真を撮っておきたかったのだが、それが残念である。
キルギス、特に首都ビシュケク市内では両替所を到る場所で見かける。
両替所は、両替レートのボードを出しているから、すぐにそれだと分かる。
両替で扱っている通過は、米ドル、ユーロ、ルーブル(ロシア)、テンゲ(カザフスタン)、ポンド、中国元である。場所によってはポンド、元はないこともある。残念ながら、日本円は扱っている店を見たことがない。
日本人の感覚では、こんなに両替所があるのは不思議である。それだけ外国人観光客が多いのか? いや、そんなに観光客がたくさんという訳でもないから、観光客向けに数が多いというのは正しくなさそうだ。
実は、利用するのはキルギス国民たちである。両替所に行くと、ドルやルーブル、ユーロなどの外貨を、ソム(キルギスの通貨)に替えている人を見る。
為替の変動を見極めて、ソム高の時に外貨を買い込んで、ソム安の時には売って差益で稼ごうとしている人もいるかも知れない。が、おそらくそういう人はほぼ間違いなくこういう町中の個人営業の両替所へは来ないだろう。
私の推測だが、人々は、貯金をする際は、ある程度の金額を外貨に替えて持っておくのではないか。つまり、自国通貨への信頼性が低いので、突発的な通貨価値の低下に備えて、信頼性の高い外貨に替えておき、必要な時に適宜、両替をしてソムにしているのではないだろうか。
日本では、そういう対策をしている人というのは、ごく少数の人ではなかろうか。それはつまり、日本国内において、日本円が一定の信頼性を持っているからで、外貨に両替する手間がなくてし済んでいるのである。
日本で「ワンカップ○関」という、コップ1杯分の量のガラス瓶で売られている酒があるが、ウォッカにも同じ様なワンカップ酒がある。
これ1杯で15ソム(25円)。ボトルのウォッカを買う金のない人が主に買うのではないかと思う。
先日ブログにアップした紅葉の写真を撮りに村の中を歩き回っていた時、こんな落書きを見つけ、ほくそ笑みながらシャッターを切った。
説明はしない。それぞれお好きに解釈をしてもらえばよい。
図柄が、日本もキルギスも同じ様なのが私にとっては発見であった。まあ、人種は違っても、そのあたりの構造は違いはないから、同じ様な図柄に落ち着くのが当然である。
こういうのを描くのは、大体、中学生くらいの男子だろう。その年頃の男子が考えることも、万国共通ってことか(マレーシアでもこの手の作品は見た。公園のベンチのあたりだったかな)。
10月30日にキルギスでは次期大統領を決める選挙が実施されるが、今は候補者が得票のための選挙運動をしている期間である。
村の中でも、あちらこちらに政党・候補者ごとのキャンペーン広告が出ている。
電信柱に貼り付けるような紙の広告もあるが、写真のように道路沿いの掲示板を使っても広告幕を出している。
上記写真の看板の裏も別の候補者の広告が出ている。
日本の選挙では、こんな大きな広告は見たことがない。規制されているはず(そもそも大統領選挙自体がない)。
この写真を撮りに行ってわかったのだが、いくつか別々の政党が「我々は○○を応援する」と広告を出していた。現地人の話でも、その「○○候補」がほぼ当選間違いないよう。いわゆる「相乗り候補」という状態になっているようだ。現政府の中でも要職についているし、安定感があるのだろう。
そのせいなのか? 昨年の議会選挙の時ほど、選挙運動が盛り上がっていない感じがするのだ。昨年の選挙では、広場に歌手が来て歌ったり、たまに政党の幹部が遊説に来ていたんだけれど、今年はまだ一度しか見ていない。昨年はカメラを向けたものか迷って、あまり写真が撮れなかったから、今回の選挙キャンペーンでは写真を撮ろうと思っていたのに…。
ロシア語の勉強をしていて、「トイレ」を表すтуалет(トゥアレェット)を辞書で調べたら、いわゆる「トイレ、便所」という意味以外に、「化粧、身支度」と「化粧着、晴れ着」というのがあって驚いた。
英語のtoiletを調べてみると、同じだった。ロシア語、英語ともに、辞書では「化粧」「晴れ着」のほうが「便所」よりも上に箇条書きされている。「トイレ」っていうのは、化粧というほうが元の意味のようだ。
それで日本語では「化粧室」という訳語が充てられている理由が分かった。
アメリカのハイスクール映画なんかで、ダンスパーティーの途中で、女子連中がトイレに行って、鏡の前で化粧直しをしながら、「キャシー、トニーはあんたに気があるわよ」「そんなの思い過ごしよ、スーザン」みたいな会話をしているシーンがある(ないか?)が、あれこそが化粧室としてのトイレの正しい使い方なんだな、きっと。
ちなみに、日本語でそれを表す言葉は「不浄」「はばかり」「厠《かわや》」「手水《ちょうず》」。「雪隠《せっちん》」など。化粧をするっていう発想はなさそうだ。
私の住むボコンバエバ村、秋から冬に向かうところで、木々の紅葉が進んでいる。
ちょっと分かりづらい写真か…。葉が黄色くなっているのを撮ったつもりだったが、いまいちよく写っていなかった。ただ、路上に落ちている葉が黄、オレンジ、赤っぽいのはお分かりいただけると思う。
これはどこかの家の道路沿いにあった木の葉。赤くなっていた。
現地の人は、木々が紅葉することには大して感心がないよう。話題にも出ない。ただ、私が路上で紅葉の写真を撮っていたら、通りがかりのおじさんが「何を撮ってるの?」と尋ねてきて、「葉の色が変わってきれいだから撮っている」と言うと、「そう、秋はきれいだよな」と返してきた。カメラがないから撮らないだけで、村の人達も葉の色が変わり始めていること、その色がきれいだというのは心に留めているのかも知れない。
私の任期は7月までだから、来年、もうキルギスでこういう紅葉は見ることはない。
以前のブログで、NHKラジオの外国語講座(英語以外)が9月から下半期のスタートをする、と書いたが、これは10月からの誤りであった。4~9月、10~3月がそれぞれ半年ですな。
キルギスの学校が9月に新年度の始まりであったから、それと勘違いしたかな…? 言い訳だけど。
キルギスで生活して1年以上経っているせいか、今では全然気にしていないのだが、渡航した直後は、キルギスで「ある物」を見かけないので気になっていた。
その後、1年以上が経った今も、一度も見ていない。たまに、何かの折に急に、「あ、そういえばあれはやっぱり見かけないなぁ」と思い出すこともある。
その物について、今日、久しぶりに思い出した。きっかけは、ロシア語のおべんきょーをしていて「ホットコーヒー」という単語が出てきた時。「ホットコーヒーがあるなら、アイスコーヒーもあるよな」と思っていて、「はて、キルギスではアイスコーヒーを見たことがないんだったな」と思い出した。
アイスコーヒーを見たことがないのという以前に、「氷」という物を見たことがないのである。
日本なら、ファミレス、ファーストフード、家庭、どこにでもある氷。それがキルギスにはないのである。カフェのメニューにもコーヒーはあるが、ホットであることが大前提。誰も「アイコー(今どき、だれもこんな略しかたせんだろうけど)ある?」とは店員に訊くことはない。
アイコー(しつこい?)だけなら、ホットで入れたコーヒーを冷蔵庫で冷やせば作れなくはない。ただ、そういう飲み方をあえてしている人も見ない。この国の人たちにとっては、氷がない生活が標準である。そんなの不便じゃないのか、と思うのだが、別に不便にはならない。現に私自身も、1年以上生活しているうちに氷のことなど忘れている。
マレーシアでは氷は絶対必要品だったなぁ。食堂とかの飲み物は氷入りで出てくるものが多かった(ホットドリンクもあったが、そういうのを飲むのは稀だった)。氷屋が食堂に氷を搬入しているのをよく目にした。また、東南アジアの国々には独特のかき氷もあって、これは今でも忘れられない。
氷なんて、どこにでもありそうな物だし、どこでも必要になりそうな物なのに、そういう物がない生活を普通にしている文化がある。これもまた現実。
今年のプロ野球。12球団中、一番にリーグ最下位が確定したのが千葉ロッテマリーンズ。
昨年のポストシーズンには、「伝説」のリーグ3位からの日本シリーズ進出、優勝をしたチームなのに…
どぼちて??
クライマックスシリーズ制の導入で、リーグ優勝チームが決まっても(パリーグは福岡ソフトバンクホークスが確定済み)、3位以内に入れば、日本シリーズ進出の可能性があるから、「なんとか3位に入ってくれ~」と応援が続けられるが、今年はそれもなし。
というか、最下位が決定したのは数試合前に負けた時だったけど、ゲーム差から考えれば、とっくにあきらめざるを得ない状況にはなっていたのだが…。
しかし、今年のマリーンズ、リードオフマンの大リーグへの移籍や、シーズン途中の不可解な4番打者のトレード放出(後になってオーナー代行が「本当は出したくなかった」って、おいおい)とか、その辺がチーム力低下の原因なんだろうか。
まあマリーンズについては来年に期待する(帰国したら応援観戦に行くぞ~)として、シーズン終盤になって、個人タイトル争いへの注目も高まる。特に、パリーグの投手部門はすごいことになっとりますな。
田中将大(楽天)、ダルビッシュ(日ハム)、ホールトン(ソフトバンク)の3選手が18勝で並んでいるって、近年ではかなりのハイレベル。統一球への変更で投手優位になると言われていたが、やっぱりその影響かしらん?
この中では特に田中がすごい。3冠(勝利数、防御率、勝率)の可能性大。勝利数は19勝あたりで複数選手にタイトルが行く可能性もあるが、個人的には田中マー君に20勝に到達して、単独でタイトルを取ってほしい。防御率もなんか、すごいことになってる…。田中、ダルビッシュはプロ選手の中でもレベルが違う。
セリーグは…あんまり注目してないのだけど、どうなんでしょ? すんまそん、コメントありまへん。
村の学校の前を通る道で白線を引く作業がされていた。
写真ではちょっと分かりづらいが、左に映っている人のあたりに、路面に凸型の構造物も設置された。これにより、車はここで一度減速せざるを得なくなった。この道は、村の中のメイン道路で車の往来が多かったから、学校の前にはこういう物が必要だと予算がついたのか。
そういえば、マレーシアではこういう凸型構造物がよく路上に設置されていた、と思い出した。日本ではあまり見ることはないように思う(病院などの駐車場とかにはある気がする)のだが、外国では結構あるのだろうか。
トランプのことをロシア語では「карта(カルタ)」という。カルタは他に「地図」などの意味もある。
さて、このカルタという言葉、すぐに日本語の「歌留多」と似ていると気付く。日本語の歌留多はポルトガル語から来ているが、この語源はギリシア語にある。そこからヨーロッパ諸語に入っていった。英語のcardも同じである。
英語でトランプをする時に「Let's play card.」と言って、「Let's play trump.」でないと知った時に、変な気分を味わった。trumpは「切り札」という意味になるらしい。
さて、キルギスで買ったトランプカードの話を前回書いたが、このトランプには6で始まる以外にも、日本人にとっては見慣れない点があった。
トランプの中で、日本人が普通「11」「12」「13」と置き換えて理解する絵札が、日本の物ならばそれぞれ「J(ジャック)」「Q(クイーン)」「K(キング)」であるのに、こちらで買ったトランプは「K」以外は別の文字である。ちなみにエースも「T」となっている。
これは以下のロシア語の単語の頭文字を使っているからである。
エース → туз
ジャック → валет
クイーン → дама
キング → король
全世界で英語表記のトランプを使っている訳ではないということだ。ちょっと気になったのだが、漢字文化の始祖である中国ではどんなトランプを使っているんだろうか? 漢字のトランプだったら面白いのだが。
勤め先の指導センターで使おうと思って、トランプを購入。確か1箱10ソム(約17円)だった。これを2箱(絵柄を合わせる遊びでは、2セット必要になる)購入。それで35円だから安い。
さて、箱を開けてみるとなんかカード全体のボリューム感が足りないような…。トランプカードってジョーカーを入れて53枚だし、どのトランプでも大体これくらいの高さになるという感覚があるが、それがない。カードを積んだ高さが低いのである。
カードを見てすぐに分かったのだが、
ご覧のように、カードが「6」から始まっているのである。「2」から「5」までのカード計16枚が入っていないのである(「1」にあたるエースは入っていた)。
これは不良品をつかまされたか、と苦笑をしつつ、一緒に買った別の箱を開けてみるとそちらも同じく6始まり。不良品ではなく、こうしてパッケージされているのだと分かる。
2から4が欠落していてトランプができるんかいな? と訝《いぶか》りながら、いくつかのカードゲームを思い出してみたが、実際のところ、各数字が4枚ずつ入っているなら、どのゲームをするにも支障はなさそうである。7並べ、ババ抜き、大富豪(大貧民)、ポーカー、などなど。ゲームのルールはほとんど13枚でやる時と同じでできる。カードの枚数が少ない分、駆け引きも単純化され、決着も早く着きそうだ。
そういえば、タクシー乗り場で客待ちをするタクシーの運転手連中が、よく車のボンネットや、あるいは車内の座席にカードを広げて、なにやら遊びをしているのを見るな。あれはどんなルールの遊びなんだろうか? 金も賭けていそうだが、その辺はどうだろう? そして、最大の疑問は、あの人達もやはり6始まりのカードのセットで遊んでいるんだろうか。
真っ昼間から酒を飲むのは、背徳的な喜びがあり、その分、なんだか酒が美味く感じる。という話はよく聞く。私もたまに昼間にビールを飲み、「お天道様の下で飲むビールはうめぇな」などと分かったようなことを言うのである。
さて、ここキルギスであるが、白昼から酒を飲んでいる男達をみるのは、珍しいことではない。私勝手に推測する感じでは、道行く成人男性の10人に1人くらいは赤ら顔である。
そして、路上で酒盛りをしている男達もよく見かける。道の端のほうで、小さな輪を作って、そこでウォッカを飲んでいる。
路上で飲む人の他に、道端に停めた乗用車の中で、前座席・後部座席に4~5人の男達が詰め合いながら酒を飲んでいるのもよく見かける。運転手が飲んでいるのも見る。
なんで路上で飲むのか、それが私には不思議である。食堂(カフェ)で飲むのは高いからか、とも思うのだが、キルギスでは大抵の場合、酒・ジュースの類を持ち込むのはOKである。まあ、食堂に入ったら、なんか注文はしなければいけないとは思うが。その出費を避けるために路上で飲酒するのか?
まあ、食堂は食堂で、男達が集まって昼間から酒を飲んでいるのはよく見る。食堂の数自体が少ないから、わざわざ食堂まで行くのが面倒だから、路上で飲むというのもあるだろう。中心街に近い連中は食堂で飲むのか。
店がだめなら、家の中で飲めばよかろうにと思うのだが…。実際のところ、屋内で集まっていても、外からは分からないから、大抵の人達はそうやって飲んでいるのかも知れない。
酒を飲む男達は、ほぼ決まって「俺たちは仕事がないから酒を飲むんだ」とか「収入がなくて、この先のことを考えると気持ちが塞《ふさ》ぐから、酒を飲んで忘れるのさ」ということを言う。その理屈は分かる。日本でだって、そういうことはあるし、私だってそうなるかも知れない。
しかし、そういう現実逃避の酒というのは、依存的になりやすく危険である。酔うことで一時的に陰鬱な気分は忘れることができても、実際には、酔うことで働く機会を遠ざけているので、「仕事がない」という状況は深刻になり、それを忘れるためにまた酒をあおる。依存症とか中毒というのは、(酒に限らず)、このような悪循環に陥り、社会生活に支障をきたすから問題なのである。
こういう光景を見て私が一番暗澹たる気持ちになるのは、父親・祖父達のこういう姿を見て、今の子供たちもまたいずれは同じように路上で酒をあおる一群に加わっていくようになるであろうことだ。みんな、子供の頃は水汲みだの子守だの、家の仕事をよくやっている(日本でこれだけ家事をさせて“もらえる”子供は稀だろう)。それが、大人になり「稼がなければならない」状況になると、稼ぐ宛がないと言って酒に向かってしまう。
もちろん、すべての人が酒浸りの生活をしている訳ではない。また、私は田舎の村にいるからこういう光景を多く目にするだけかも知れない。都市部だったらまた違った生活文化が形成されている可能性もある(オフィスで働く連中が、真っ昼間から路上で飲酒をすることはそもそも不可能だし)。
飲酒を全否定するものではないが、なにかもっと上手な飲み方はできないのかと、この国に一時《いっとき》居住する外国人としては思う。
世界人口の統計に関してのリンク。
◆ウィキペディア
世界人口◆統計局
世界の人口と日本の人口
私にとっては意外だったが、日本は約1億2600万人(2010年)で、世界全体の中では上位(10位)のほうに入っていることだ。ただし、1950年当時は世界で5番目で、それ以降段々と相対的な順位は落ちてきている。1950年頃と言えば、団塊の世代が生まれて人口がドッと増えていたのだろう。
人口の増加・爆発に関する問題について、以下のブログに詳しく解説と分析が載っていた。
◆山本敏晴のブログ
人口増加と国際協力そして最後は国際法妊産婦死亡率に関するツイート
一番目に挙げた記事(2006年12月19日付)で、人口抑制の取り組みがうまく行かない要因として、
国際協力を行いたい、という人は
人道精神にあふれている人が多く
「人間を助ける」ことには興味があっても
「人間を減らす」ことを自分でやろうとはしない。
と書かれていて興味深かった。
その他にも、アメリカ政府が支持母体である宗教グループの顔色をうかがって、避妊に関する知識・手段の普及に対立的な立場であることなども書かれていて、あの国の政策決定には常にそういう話がつきまとっていると実感した。(人口問題の話題から唐突に飛んでしまうが、欧米などの“捕鯨反対主義”にも同じ様な構造があると思う。)
前回、妊婦・出産の話題になったついでに、キルギスでの多児出産について書いておこう。
キルギスでは、子供を7人以上産んだ女性は政府から表彰されるそうである。
たまに、「この人は、子供を7人産んで表彰されたんだよ」とか「私はあと一人産んだら表彰されるの」という話を直接されることもある。もちろん、表彰されるほどのことだから、そう数は多い訳ではないが、子供を6人、7人と産む女性が周辺にいるところがすごい。
多産を政府が奨励するのは日本も同じか。出生率の低下、低止まりが続いている日本では、総人口も減り始めている。人口が減ることは、労働力・国内需要の縮小、税収の低下、社会保障費の負担の不公平性とか、様々な問題が派生してくる。人口の減少は、国際社会における相対的な国力の低下にもなる。そんなわけで、日本政府は「少子化対策」として、出産数が増えるための施策を考え、実施してきている。
キルギス政府が多産女性を表彰するのも、人口増加を促進することが目的であり、それによって国力を高めたいからであろうと推測する。きちんとした国勢調査はできていないようだが、推計でキルギスの人口は約500万人。日本の20分の1である。首都のビシュケクで人口100万人だったはずで、人口100万人以上の政令指定都市が各地にある日本と比べれば、経済力・産業の発展力の点で不利であることは簡単に想像が付く。
日本もキルギスも、政府が人口を殖《ふ》やそうとしている点で共通であるが、世界全体で見れば、現在(いや、すでに何十年も前から指摘され続けてきているのだが)は世界の総人口が増え続けていることのほうが問題と言われている。
資源(石油など)の枯渇と、資源(食料、水など)の争奪が現実のものになっている…。私が小学生くらいの頃、世界人口は50億人と言われていたが、いまや70億人である(!)。20億人も人が殖えるというのがどういうことなのか想像も付かない(なにせ日本では、人口減を食い止めようという話ばかりが聞こえている訳だし)。
7人(以上)の子供を産んで表彰されたという女性の話を聞く度に、そのバイタリティーに感心(実際、それだけの出産に耐えられるのだから、すごいエネルギッシュな女性が多い)しつつも、私の中ではどこか暗澹《あんたん》たる思いもしているのである。
私の配属先は、障害児者の指導・支援センターのようなところで、通ってくる子供・人に昼食も出している。その昼食を作るのは、指導員とは別に「まかない婦」のような人を雇っていて、その人が毎回作ってくれている。
その昼食作りの女性は、妊娠月数の見立てなどできない私にしても、かなり臨月が近いと分かる状態であった。その人が、つい先日出産したとのこと。今は当然のことだが、出勤していない。
私が驚くのは、出産をしたその週まで出勤していたこと。さらに、出産の2日前、その日は土曜日で仕事は休みであったが、おそらく家の買い物であろうが、村の中心街で買い物をする彼女に会っていたことだ。出産予定日の2日前というのは、日本だったらもうとっくに産休に入っているはず。買い物くらいは、日本で出産する場合でも「あり」なのだろうか? その辺、よく分かっていないのだが…
指導・支援センターとは別に、事務方のオフィスもあり、そこにも電話番や掃除を担当する女の人が置かれていたが、その人も出産ギリギリまで働いていた。本人も出産ギリギリまで出勤することを望んでいた(出勤日数で給料が決まるようだ)。
安定期に入っていればそんなに気にすることはないのかも知れないが、彼女たちの姿を見ていると、そんなギリギリまで出勤していて大丈夫なのかと思ってしまう。なんか、すごくタフな感じがした。
キルギスで売っているセーミチキ(ロシア語で「ひまわりの種」)は、前回ブログに写真を掲載したような普通のひまわりの種(白と濃い茶の縦縞、あるいは白色だけ)以外に、種を煎った物もある。
焙煎しているので殻が焦げて黒く、香ばしい風味が付いている。これは美味しいのだが、食べていると殻の炭が指の指紋・爪の間に入って、指が汚れる。
クアチ(マレー語の「ひまわりの種」)は、味付けがされていたと記憶している。塩味とか、バーベキュー味とか、なんか他にも変わった味のもあったと思う。殻が付いているので、味付けをしても中の実には味が付きづらいはずなのだが、食べる時に人間が自分の指に付いた塩とかスパイスを一緒に舐めるから味を感じるのか。
とにかくマレーシア隊員時代にはクアチはよく食べた。クアチ以外にも色々な植物の種が売っている店を見つけて、隊員仲間とあれこれ買い漁《あさ》って試食会をした。数種類あったはずだが、今でも覚えているのは南瓜の種である。それ以外は、買った当時でも何の種だかわからなかったから、記憶にも残っていない。でも、面白いもので、どこの町のどこの店で買ったかは覚えている。もし、その町に行って、今もその店がやっていれば、行けると思う。
キルギスでは、6×8cmくらいのチャック付きのプラスチック袋に詰め込んだものが、露店などで5ソム(8円くらい)で売られている。これは明らかに民家で採集して詰め込んだと思しき物。他に工場で詰めた製品もある。これはロシアから輸入されている。これは露店で売っているものの5倍くらいの分量で40ソム(70円くらい)。
それにしても不思議に思うのは、これだけひまわりの種が消費されているのに、ひまわり畑って見かけない。どこか別の地域で栽培されているのであろうか。日本人は食べないが、世界中でこれだけ食べられているセーミチキ、クアチだから、一面のひまわり畑というのが存在すると思うのだ。
これ、なんだかお分かり?
そう、ひまわりの種。キルギスではおなじみの「おやつ」。ロシア語で「семечки(セーミチキ)」。「種」の指小語(子供語のように言う愛称)で「おたねちゃん」とか「タネ坊」みたいな感じ。
「え~、ひまわりの種なんかを食べるの?」と言う向きもあるかも知れない。なにせ、日本人にとっては「ひまわりの種 = ハムスターの餌」というイメージが強い。
しかし、海外ではひまわりの種は人間様が普通に食べる物である。マレーシアでも食べていたぞな。マレー語では「kuaci(クアチ)」。私の場合、マレーシアでひまわりの種にはまったから、クアチという名前は忘れていないのだ。
日本にいたって、子供の頃にハムスターや栗鼠《りす》にやるひまわりの種をつまんで食べてみたことがある人はそこそこの数いるんではないか。ただ、それを食べ続けている人は皆無に近い。
セーミチキにせよクアチにせよ、ひまわりの種を食べる文化圏では、みんな手際よくそれを食べている。日本人がひまわりの種を食べようとすると、まず10人中、8~9人は両手で殻を剥こうとしてしまう。これでは時間がかかる。ひまわりの種を効率的に食べるには、片手の指で種をつまんで、歯で殻を割り、舌で実を掻き取って(あるいは唾液で粘着させて)食べる。慣れれば一粒5秒もかからずにポリポリといける。
日本人も木の実・ナッツの類は好きなはず(だって美味しいから)だが、ひまわりの種は食べないのは不思議だ。手頃で安いのに。昔、某コンビニチェーンで、ひまわりの種にチョコをコーティングした菓子が期間限定で販売されていた。マレーシアでのクアチ体験をした後だったので、そのひまわりの種&チョコの菓子はよく買っていた。だが、ひまわりの種はやはり殻を割るところから食べるのが良い。
2011年9月の村での買い物から。1ソム(キルギス通貨単位)≒1.75円。
【品名(重量)】 | 【現地価格】 | 【円換算】 | 【備考】 |
じゃがいも(1kg) | 30 | 53 | |
トマト(1kg) | 16 | 28 | |
砂糖(1kg) | 80 | 140 | |
魚の缶詰 | 45 | 79 | ロシア産 |
牛肉(600g) | 180 | 315 | 骨の重量込み |
プラまな板(小) | 25 | 44 | |
ビール(1L) | 50 | 88 | 銘柄:Наше |
ビール(1L) | 65 | 114 | 銘柄:Живое |
ウォッカ(750ml) | 130 | 228 | 銘柄:VIVAT |
飴(1kg) | 185 | 324 | バターミルク味、ヨーグルト味 |
ビスケット(1kg) | 100 | 175 | |
ピーラー | 25 | 44 | かなり使いづらい。粗悪。 |
電球 | 12 | 21 | 100w |
延長コード(5m) | 165 | 289 | |
延長コード(10m) | 300 | 525 | |
ボールペン | 12~25 | 21~44 | 粗悪品なら3ソムもあり。 |
マッチ(1箱) | 1 | 2 | 釣り銭代わりに渡される。 |
コピー代 | 2 | 4 | A4、1枚につき。A3は倍。 |
写真印刷(L版程度) | 5 | 9 | PC-プリンターによる印刷。 |
世界最高性能の電波望遠鏡が観測を開始したとニュースがあった。熱心な天文ファンという訳ではないが、宇宙の始まりだとか、地球に生物が発生した要因とかに関心があるので、こういうニュースも一応、私の関心にとまる。
この世界最高性能の電波望遠鏡の名前は「ALMA」と言うのだそうだ。ん? 「アルマ」って…。
キルギス語で「АЛМА(アルマ)」とは「りんご」のこと。ひょっとして、キルギス語にからネーミングしたのか、と気になった。キルギス語からだとしても、なんで「りんご」なのか?
それでもって、国立天文台のサイトのニュースリリースを見たら、やっぱり、当然、「ALMA」はキルギス語とはまったく関係がなかった。ALMAは「アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計:Atacama Large Millimeter/submillimeter Array」の頭文字を取ってネーミングしたんですな。アタカマというのは、電波望遠鏡が設置されているチリの場所の名前。
なんか、自分の頭ん中で、色々な単語が混乱して収まっている感じだ。アルマみたいなことが、他にも時々ある。
日本でKARA(カラ)という名のグループがいるらしいが、キルギス語を含む中央アジアでは「カラ」は「黒い,黒色」を表す。関係ないんだろうけどね。
日本の百均ショップに「Seria」というチェーン店があって、これはマレー語で「スリア」と読んで「陽気な,明るい」という意味の単語である。どうして日本の百均ショップでマレー語からネーミングしたのかと、ずっと気になっていたので、今日、アルマの話題のついでにSeriaのサイトで調べてみたら、会社名の由来はイタリア語の「seria」からで「まじめな」という意味だそう。読み方も「セリア」でちょっと違った。
天文の話から始めたけど、オチは言葉の話題となってしまった。
キルギスの墓地を動画で撮ったもの。
こういうものの写真・ビデオを撮るのは、文化によっては「けしからん」ことにあたるかも知れない。異文化を知るという関心でのみ撮らせてもらった。仏さん(? イスラム教徒だから仏さんはおかしいね)も遺族も怒らんといてね。
おそらくほとんどの文化でそうだと思うが、墓地というのは集落の外れに設けられている。墓というのは、そもそも何らかの宗教観に基づいて作られていると言えるから、死んだ者は「あの世へ行く」とか「生まれ変わる」存在として位置づけられる。この世と別の(次の)世界を結ぶ存在。
内(この世)と外(あの世)を結ぶ存在として、集落の内と外の境界線近くに死者の場所は作られる。
以上、文化人類学の話で読んだか聞いたことの受け売り。
キルギスの墓地も、ことごとく村の外れに作られている。すべてではないが、山の側に墓地があることが多いような気がする。キルギスは山が多いから、村外れに場所を求めると必然的に山の近くになってしまうのか、それとも死者と山と何か結びつけて捉えているのか。
イスラム教徒であるため土葬である。こちらでは、墓碑に故人の顔のレリーフみたいのが埋め込まれているのが多い。日本人は墓に生前の姿を刻むことはないように思う。日本人は遺影を仏壇とかに置くから、墓のほうには故人の姿を現すものは入れたくないのだろうか。
三日月のマークが入っているのも、イスラム教の印である。
墓の形、大きさは色々あるが、中にはモスクか礼拝所みたいなのもある。実際、私は最初それは墓参りの人が礼拝をする場所みたいな共同使用する建物なのかと思ったのだが、個人の墓だと聞いて驚いた。
あんまり勘ぐるのも良くないが、墓の大きさとか装飾は、生前の故人、あるいは遺族が他人に見せたいという思いで決めているところもあるんではないか、と…。「宅ではこんな墓を建てたんざます」というのが、なきにしもあらずというところでは。そういうのは、どこの文化でもついて回る人間の心理だ。
墓の話でふと思ったのだが、キルギスで幽霊とかお化けの類の話は聞かない。いや、ひょっとしたら私の語学力で聞き取れていないだけで、そういう話は結構しているのかも知れない(←この問題は常につきまとう…)が、マレーシアの隊員時代を思い返すと、何度もその話題をされた(「日本の幽霊はどんなのがいる?」という質問)のが、キルギスではまだ一度もない。
その辺、どうなんだろう?
過日、キルギスの民族楽器コムズを習っている先生から電話で呼び出しがあって、オフィスを抜け出して音楽学校へ(歩いて5分、すぐ近くである)。
何事かと話を伺うと、3日後にコムズのコンテストがあるから、出場してみてはどうかとのこと。
コンテストで演奏できそうな手持ちの曲は3曲ほど。これを仕上げるのに残り3日。どうしようかと迷ったが、一度、そういうものには出てみたいと思っていたので、職場から休みの許可がもらえたら参加するということにした。
ただ、コンテストの日は職場ではカンファレンス開催を予定している日で、私にもビデオの記録係として役割が振られており、結局、休みは取れず。残念であった。と同時に、少しホッともしたのではあるが…。
そもそも、そういう話はもうちょっと早く伝えてほしいんだけどねぇ。だいたい、キルギスにおいてはすべてがこんな感じ。予定はもっと前から決まっていたであろうけれど、それを関係者に伝えるのは直前である。だから準備がバタバタとする。
コムズコンテストのほうは、またチャンスがあるかは分からないが、あれば出るつもりで練習をしていこうと思っている。
今月は日本で台風が連続して接近・通過して、各地で被害が出たニュースをネット、あるいは短波ラジオのニュースで知って、3・11のことがあったからなおさらなのだが、つくづく日本って地震・台風災害の多い土地なんだと思った。
台風を協力隊の仲間内で話題にしていた時、台風に名前が付いていることを知らない人がいた。日本だと「台風15号」と、その年に発生した順に付けられる番号で報道されるが、台風の名前はこれらの番号とは別にある。
日本を含む14ヶ国がそれぞれ10個ずつ、各国語の名前を出して(計140個)リストを作り、台風には発生した順にそのリストの名前を付けていくことになっているそうだ。
(詳しくは気象庁の「台風の番号と名前」というサイトに説明がある。)
ちなみに大きな被害をもたらした台風15号は「Roke(ロウキー)」(米国)。16号が「Sonca(ソンカ)」(ベトナム)、以下順番に名前が割り振られていく。
2000(平成12)年からこうやって名前を付けることが始まったと説明があるが、各国が提出した名前を見るとその国・地域ならではの食べ物や地形を使っているが、中には「なんでそれを?」というのも多い。
「ばら」が3つ(マレーシア、韓国、タイ)あるのは、どの国でもこの花は人気があるということか。
「なまず」も2つ(マレーシア、韓国)あるのだが、なんでその生き物を選んだのか? 日本ではなまずと地震は関係があると言われるが、他の国でもなまずは自然現象と関係が深い生き物とされているのだろうか。
アジアの国々の中になぜかアメリカも入っているが、これは領土の島がこのあたりにあるからだろうか。アメリカが提出している名前には、先住民族の言葉に由来していそうなものがたくさんある。
フィリピンの出している名前は他とは明からに系統が異なる。翻訳の問題もあるのかも知れないが、「経験すること」って、なんで台風にそんな名前を…? 「むち打つこと」はさらにクエスチョンマーク付きの名前。「強い」って名詞ではなく形容詞みたいなんだが、ほんとに原語でもそのまんまなのか?
日本はすべて星座に由来する名前。なんでこれらの星座を選んだのだろう? 季節の順番という訳でもなさそう。
こうやって各国から名前を出すなら、「鳥」「花」「川」「星」とか単語を10個決めて、それに対応する各言語の単語を出せば面白いのに、と思ったのだが、それはダメ、うまくいかないのであった。韓国・北朝鮮、それにたぶん中国・香港・たぶんマカオも、これらの国は言語が同じだから、同じ名前が出てきてしまうのだ。
日本国内のニュースでは「台風○号」と呼ばれているが、yahoo!の台風情報サイトには台風のアジア名も掲載されている。それに短波放送では「台風○号、アジア名△△…」とニュースを読んでいた。この辺は海外向けを意識して原稿を作っているようだ。