2011/12/29

日本では会えない…?

あと1週間足らずのうちに、キルギスの21年度3次隊協力隊員たちが任期を終えて帰国する。

協力隊は2年の任期。1年に4期(隊次)に分けて派遣される。私は22年度1次隊だから、活動期間が重なる可能性があるのは19年度2次隊から23年度4次隊まで。しかし、19年度2~4次隊は派遣がなかったか、任期短縮で帰国してしまったようで、キルギスには隊員はおらず、一番古い先輩隊員は21年度1次隊であった。

一方、本来ならば24年度1次隊の隊員とは入れ違いになるはずなのだが、我々キルギス22年度1次隊は派遣日が1ヶ月ずれ込んだため、24年度1次隊も予定通りの日程で派遣されれば、約1ヶ月、赴任期間が重なる。

21年度3次隊とは約1年半(正確には1年5ヶ月間)、キルギスで協力隊員として共に過ごした。共に過ごすと言っても、普段は別々の町や村で生活していたわけで、たまにJICAの会議などで首都に集まる時、あるいは、誰かの呼びかけで旅行などに行く時に顔を合わせるという感じであった。

赴任時期の重なりが多かったこともあり、21-3次隊の人たちとはよく遊んだと思う。自分と同年輩の人から、10歳以上も若い人までいたが、そういう連中がほぼ同じ目線で(と年上の者が言うのはいやらしいとは思うが)遊べるというのは、なかなか日本の一般社会の中ではないのではないだろうか。たいていは上司-部下、先輩-後輩といった上下関係の中での付き合いになってしまうから。

半年くらい会わなかったと思えば、3週続けて会って飯を食うことがあったりと、1年半の付き合いの中での濃淡というのもあった。会えば「日本に帰ったら…」という話をすることも多かった。一緒に旅行をしたり、誰かの家に集まったりと、あれこれ帰国後の同窓会の話で盛り上がるのであった。

が、一度、協力隊に参加したことのある私の実体験から言うと、帰国後に日本で会うというのは、派遣国で会っていたようには、思うに任せなくなるものである。

帰国後、それぞれ出身県などに戻っていくのだが、日本の国土は狭いと言われるが、いざ県を2つ3つ越えて会おうとすれば、そこそこ難儀する距離である。会おうと思っても、なかなかその時間が取れない。人によっては日本以外の国へ、再び行ってしまうこともある(留学、就職)。

何よりも時間が合わなくなる。仕事、家庭生活など、日本に帰れば、皆、別々の環境で暮らし始める。今、キルギスという外国で暮らしてはいるのだが、JICAボランティアという共通項を持っているので、何かと集まる機会があるのだ。日本に帰ったらそれぞれは違う仕事・職場の所属となっていくので、会う機会が減るのである。

うん、それでもまた会いたいものだ。毎年は無理にしても、2年に一度くらいは集まれる連中でツーリングでもしようじゃないか、という話になっている。

そうそう、マレーシア時代の仲間達にもまた会いたいものである。消息が分からなくなっている奴もいるが‥。

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