キルギスでテレビの歌番組を見ていると、どうやら出演している歌手は音源に合わせて歌っているふりをしているようなのである。いわゆる「口パク」というやつだ。
マジ歌(という言葉があるのか知らぬが)の番組も見たことがあるが、それは「素人のど自慢」的な番組だったと思う(普通は「マジ歌」ではなく「生歌」と言うかな)。
口パクと言えば、北京オリンピックの開会式に出演した少女とは別の少女が歌っていたので騒がれた。あれが世界的な騒動になったということは、日本以外にも口パクを良しとしない文化圏があるのだと思った。
映画『雨に唄えば』では、地声に難のある小生意気な女優と、その女優のアテレコを担当する清廉《せいれん》なヒロインが出てきて、最後に衆人の眼前で、口パクであることをばらし、小生意気な女優に一泡吹かせて「痛快、痛快」となる話だったと記憶している。これも口パクを悪者と見なす一例と言えようか(それにしても、今思えば、ああいう形でその人の弱点を暴露するというのは、随分意地悪なやり方である)。
日本の歌番組で口パクをやったら即バッシングを受けるはずだが、こちらでは、ことごとくどの歌手も口パク(疑惑)で出演しているところから考えるに、口パクであっても「お咎《とが》め」はないのだろう。
ここまで堂々と口パクの歌番組が放送されていて、視聴者もそれで不満がない(まったくないのかは知らないが)ようだから、この国では口パクは悪者扱いされていないのだと言えるだろう。逆に、口パクを悪者扱いする日本(人)のほうがおかしいのかもと疑ってみてもよいかも知れない。
口パクは、歌っているように見せながら、実は既成の音源(CDとか)を流しているだけだから、生の歌声を期待している聴衆に対する詐欺だというのが、口パク=悪者論の言い分だろうか。
しかし、生歌の歌番組などで、実際の歌声がCDとかけ離れていてガッカリすることもある(特に懐メロ番組などでは、30年も40年も前のヒット曲を、その分だけ歳を重ねた歌手が歌うから、声量の衰えや声質の変化は致し方ない)。
口パクで歌えば詐欺だと言い、生歌ならCDと違うと落胆し、こちらも勝手なことを言っているものだ。だが、プロと称する以上、それだけの期待に応えてこそ、とも思う。
まあ、口パクでも、聴衆側がそれを含めても喜んで聴いているなら、それはそれでショーとして成立していることになるのかも知れない。第一、口パクであると気付いているかも疑わしい。とあるコンサートで、これは間違いなく口パクだと思ったから、同伴のキルギス人に「この歌手は本当には歌ってないよね?」と尋ねると、「いや、歌ってる」と答えたのでビックリした。いやいや、だって息継ぎとか合ってないじゃん、と思ったのであるが、口パクと思って見て(聴いて)いないから、そんなことは疑いもしないのだろう。