職場の昼食で、インスタントラーメンが出たことがあった。キルギスでは、食事作りは女の仕事と決まっている。その日も女性スタッフの一人が、買ってきたインスタントラーメンを作ってくれていたのだが、作り始めてから「随分、時間が経つなぁ」と内心思っていたら、しばらくしてできあがったので食べようと呼ばれた。
机の上に、人数分のどんぶり(これは普段、スープやキルギスのうどんを食べるために使われる器)が並んでいて、上に皿で蓋がされている。この日使われたインスタントラーメンは、カップ麺ではなく袋に入った物であったが、なるほど、インスタント麺をふやかすために蓋をしているのだな、と理解。このやり方はカップ麺にお湯を注ぐのと同じ効果がある。私自身は、袋入りのインスタント麺は鍋で煮るのを常としているが、他人(日本人)がこのやり方でインスタント麺を調理しているのを見たことがあった。
蓋を取り、フォーク(キルギス人は箸は使わない)ですくって一口食べて驚いた。ぬるいのである。それに、ひどく麺が軟らかくなっている…。「うひゃ!」と思わず言いそうになったが、作った本人も同席していたこともあり、私は心中の動揺を表さぬように、そして自分自身を落ち着かせながら食べ続けた。
食べながら、一緒に食べているキルギス人スタッフたちの反応も目の端で観察していた。ひょっとしたら、彼らもこの麺を不味いと思っているのではなかろうか? いくらなんでも、こんなに麺がのびるまで冷めてしまったラーメンを美味いと思うわけがないだろう。
と思って見ていたが、誰も、この日のラーメンの出来具合に「これはちょっと麺がのびすぎだよ」と言っている様子ではないのである。つまり、彼らにしてみると、インスタントラーメンの出来上がりはこのくらいで普通なのだ。
ふ~む。「ラーメンのスープは熱々で、麺はコシがなければ美味しくない」というのは、万国共通の美食基準ではないということらしい。「熱々でコシ強」という“ラーメン像”も、ひとつの思い込みなのか…。そうであるなら、ぬるくなり、ふやけきったこのラーメンも、ひとつの調理スタイルとして食べることができる。そう思い直して、私は自分の器のラーメンを完食した。
でも、やはり、ラーメンは熱々・コシ強でお願いしたいというのが、個人的願望である。
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