キルギスの日本語学習者の日本語コンテストの話題をこのブログに書いた。コンテストに参加しない学習者もいる(そのほうが多い)から、キルギスでの日本語学習者はもっといる。
全世界での日本語学習者の数は300万人とのこと(ウィキペディア)。日本語学習者の多い国は韓国(96万人)、中国(82万人)、インドネシア(71万人)などとなっている(外務省)。
「300万人」という数字が客観的に見て多いと言えるのか、そうでないのかは分からない。もちろん、英語、中国語などに比べれば、圧倒的に少数であるのは間違いない。それにしても、である。300万人の人が、(そしてかつて学習したことのある人を含めればさらに多くの人が)、日本語を学んでいることに、私はある種の感謝の念を抱くのである。
「彼らは何で、何のために日本語を学ぶのだろう?」と、日本語を学習する人に会うたび、頭の片隅で疑問に思う。
かつての、日本が世界一の経済力を持っていた頃であれば、「日本語でビジネスをするため」という理由もあっただろうが、すでに斜陽化し始めており、相対的な経済力はますます衰退していくのは間違いない日本にあって、わざわざビジネスのために日本語を学ぶメリットは少ないはずだ。
それに、300万人の日本語学習者すべてが、ビジネスで通用するほどの日本語習得レベルに達することはまずあり得ない。我々日本人の英語力を考えれば分かることだ。
ただし、インドネシアの71万人という数字は、日本との労働者市場の協定で、一部職種(看護士など)での出稼ぎの機会があるために、そこに期待して学習していると読めなくない。これはビジネス(仕事)目的の学習と言える。
日本のオタク文化に憧れて、原語で日本のアニメ、マンガ、ゲームを理解したいから、という者もいるそうである。確かに、海外の日本語学習者の中には、アニメキャラのグッズを集めたり、自らマンガを描く者も見かける。趣味が高じて外国語習得まで到るならば、それは立派なものだと感心してしまう。オタク文化と言わないでも、日本文化全般に関心を寄せて、日本語を学ぶ者もいることだろう。
他にも色々と日本語を学習しはじめたきっかけはあるだろう。きっかけは千差万別だとして、我々の母語である日本語に関心を持ち、学んでくれる人々がいることをありがたく思う。
旅行などで海外に行って、現地で多少でも日本語ができる人と会った時の、いわく言い難い安堵感というのを感じたことがある人はいるだろう。「バス停、あそこ。近いです」みたいな言葉でも、自分の馴染んだ言葉で言われると嬉しいし、なぜか安心するものである。英語が得意でなく、まして現地語なんてまるで分からぬならば、なおさらそうである。
英語、中国語に比すれば、全然少数派に過ぎないのではあるが、世界の各地に、日本語でやりとりができる人たちが存在してくれていることを、私はありがたく思う。
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