昨年(2011年)の12月に、キルギスで日本語を学習する生徒・学生たちの2つの日本語コンテストがあった。一つは首都ビシュケクの大学生を対象にしたもの。もう一つは地方で協力隊員から日本語を学んでいる子供たちのもの。
この2つのコンテストは成り立ちも主催者も別々のものであったが、キルギス協力隊員たちが深く関与していた。私は運営にはまったく関わっていなかったのだが、たまたまどちらも開催日に現地にいたので陪席することができた。
首都のコンテストは、日本語学科がある複数の大学の共同開催で、「作文」と「朗読」の2つの部門が設けられていた。出場していたのは日本語学科の学生たちで、作文部門の入賞者の作文はしっかりとした内容だったし、朗読部門も結構長い文章を読み上げていた。
会場は大学の講堂を使っており、参加者・聴衆を含め250人くらい入っていたのではないだろうか。
ビシュケクのコンテストは10回目を迎えたとのことで、過去の最優秀賞受賞者からは日本企業等との交渉での通訳として活躍している人もいるようである(その人は今回、審査員の一人として参加していた)。キルギスにおいてこのコンテストが、日本語分野での職業キャリアを積むための登竜門の一つになっていると考えられる。
地方で開催されたコンテストのほうは、町庁舎の講堂を会場にして行われ、50~60人くらいの人が入っていた。こちらは協力隊の一人が企画したものだった。
こちらのコンテストの参加者は、5つくらいの村から集まった、それぞれの村に派遣されている協力隊員から日本語を教わっている子供たちである。もちろん、日本語コンテストなどというものに参加すること自体が初体験である。
首都の日本語学科の学生たちと比べれば、当然のことながら格段に日本語習得のレベルは下であるが、それぞれの実力に見合った発表で、味わいのあるコンテストだった。
普段、「日本語教師」として村の子供たちに日本語を教えている隊員からは、「他の村の学習者の熱意を見て、子供たちが触発されたようだ」とか、「練習を十分にしないでも大丈夫と高をくくっていた子が、他の子たちの発表を聞いて、『次回はもっとちゃんと準備をしなければいけない』と言っていた」など、子供たちに刺激を与える場となったようだ。
日本語の学習目的も習得レベルも大きく異なる、首都と地方それぞれの日本語コンテストの参加者たち。この中で日本語を生業とする者は1%にもなるまい。しかし単に日本語に留まらず、参加した個々人が何らかの知的な刺激を受けたのだとしたら、この2つのコンテストはその意義を果たしたと言えると思う。
日本語コンテスト、いいですね。ほかの言語の習得意欲は年齢を問わずあるのでは、と思っています。
返信削除ところでパラオ語は日本語由来のパラオ語が850語以上、全パラオ単語の25パーセントを占めているといわれています。そんな国、パラオで「日本語コンテスト」は成立するのか?一度見てみたいです・・・。