以前、年齢を訊かれて、「●●歳だ」と答えたら、相手が「いやぁ、18、9ぐらいにしか見えないよ」とお世辞ともつかないようなことを返し、それで「キャー、嬉しい~!」と歓喜している女性を見た(その方、20代後半だった)。
「男は四十になったら、自分の顔に責任を持て」と言うそうである。
責任を持たねばならないのかどうかは別にして、その人の生きて来た道程が顔に顕れるということはあると思っている。テレビのワイドショーで、元捜査第一課の刑事《デカ》だったというような人がコメンター席に座っていることがあるが、あの人たちの目つき・顔つきの鋭いこと。人を詮索し、ヤクザ者になめられないように振る舞い続けなければならない職業だからなのかと思う。あの仕事の一流になるためには、ある意味で、そういう顔を引き受けなければならないのであろう。
笑い皺《じわ》ができるのを嫌って、笑わないように努める人がいるらしい。また、頑固親爺・頑固上司で家族の前でも部下の前でも笑わずに通した男が、定年して、いざ笑おうという場面になっても、頬の筋肉がこわばって笑い顔が作れなかったという話を聞いたこともある。顔は歳月をかけて作られるものなのだ。
笑い皺の刻み込まれた顔、人と楽しく和やかに笑うための頬筋の柔らかさ。私にはそういう顔の持ち主のほうが好ましく思われる。
「おい、ではお前自身の顔はどうなのだ?」とお尋ねの向きもあろうか。
さあ、どんなもんだろうか。私は、髭剃りの時くらいしか鏡を見ることがない、というか、見ないようにしている。ショーウィンドーでも、車の窓ガラスでも、自分の影が映るたびに髪型だの、服装の傾きなどを気にする男がいるが、あれほど端から見てみっともないものはないと思うので、自分は鏡を見ないようにしている。
だから、「お前の顔つきはどうなのだ」と問われたら、「鏡を見ない者の顔」ということになる。
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