2011/04/28

地名に託された智恵

ちょっと前になるが、東日本大震災に関する次のようなネット記事が私の目を引いた。

東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず
http://www.mainichi.jp/select/wadai/news/20110419k0000e040095000c.html?inb=yt

江戸時代の宿場をつなぐ街道と、今回の大地震によって起きた津波で浸水した所を地図上で重ねると、江戸時代の街道は津波の浸水域を避けて整備されていたらしい、という話である。なるほど、そういうこともあってもおかしくないだろうな、と思う。

この研究をしている大学教授のコメントとして「先人は災害の歴史にめて謙虚だった」とある。江戸時代と現代では人口密度などの条件が違うから、単純な比較はできないだろうが、でも確かに古人と現代人に「謙虚である・ない」という点で差があるのは事実だろう。

私自身のことだが、「ここまで科学が発達した世の中だから、災害が起こっても、科学技術で何とかなるだろう」という科学や技術に対する過信があった。でも、どんな科学技術をもってしても、人間の都合の良いようにはできない事象・事態がこの世には存在する。そんなことをまざまざと突きつけられた、今回の大地震・大津波であった。

そういう「どうにもコントロールできないこと」に対して、古人がとった方策は、「そこに近寄らない」ことだったということか。数十年、数百年前の津波の記憶が、村の中で引き継がれて、どこそこは危ないから住むなよ、と言いながら村・町が作られていったのだろうか。

そういう伝承が途絶えた点も、その理由を推察してみると興味深い。今より情報伝達ツールの種類は少ない時代のほうが、必要な情報が厳選されて伝承されていたのだろうか? また、近現代は人の移動が容易になり、また人口も急激に増えたから、住処《すみか》を求めて外部から人が流入してきたのも、伝承が途絶える要因だったろうか? などなど。

今回の大地震の話ではないが、全国各地、それぞれの地名というのは、その土地の地理的特徴、歴史を表わしているものが多いのだとか。例えば「○○ヶ淵」「○○沼」みたいな地名のところは、その昔は沼地であったところである。今は埋め立てて、人が住んでいるかも知れないが、そういう所は、土地が湿気がちだったりするらしい。

1年前くらいまでNHKで放送されていた『ブラタモリ』という番組は、古地図愛好家でもあるタモリが、古地図を片手に東京の中をぶらつくという趣向で、とても面白かった。その番組の中でも、地名に託された(あるいは隠された)地理的特徴・歴史的事件の話が頻繁に出てきて興味深かった(と同時にタモリの博識にも感心した)。

かようにして、地名には、古人からの生活の智恵が託されていることもある(もちろん、「沼」と名付けたのは、そこが本当に沼だったからで、子孫に智恵を託そうと企図したのではないかも知れないが)。だから、地名というのは軽々に変えるべきではないと私は思っている。今現在の私たちにとっては活用されることがないかも知れないが、数十年後の人たちにとっては役に立つかも知れない。

漢字の地名を、わざわざひらがな表記にしたところがある。外国風の名前にしてカタカナ表記にしたところがある(ように誤って記憶してるだけか? 愛知県の某所…)。こういう愚かしいことが起こったのも、平成の大合併とかで市町村の再編成があったせいなのか。

400年後、500年後の日本人(その頃まで日本人、人類がいるとして)が、「21世紀の人たちは、よく知っていたんだねぇ」と感心するような智恵を我々は残せるのだろうかしらん?

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