今回の福島原発危機は、日本人に「快適・便利な生活だけど、放射能を浴びる危険も潜在している生活」と「放射能の危険を縮小する変わりに、生活も慎ましくしていく」という価値観のどちらを取るかと問いかけているのでは、と書いたが、日本でも当然それに関する議論が起きている。
- 「停止中原発のスイッチを入れろ」 こんな声まで出る電力供給巡るさまざまな議論http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110405-00000005-jct-soci
- 危ぶまれる定期検査後の再開 東日本、ほとんどの原発稼働せず
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110407-00000615-san-soci
1.の中で、「週刊現代4/16号」の記事として紹介されている、
「1億2000万人の国民が、今の生活レベルと社会の安定を維持するためには、原子力も含むエネルギーの最良の組み合わせ、ベストミックスしかない」(寺島実郎・日本総合研究所理事長)
「原発は安全ではないが、やむをえず必要なもの」(大槻義彦・早稲田大学名誉教授)
というお二人の意見を読んで、私はなんか虚しい気持ちになった。あくまでも記事の一部が紹介されているだけだし、元の週刊誌自体でもこれらの論者の発言の背景が詳細に説明されていないのかも知れない。その中で、論者の真意とは違う形で読んでしまっているかも知れないことを前置きしておいて、これらの意見には「どうして『今の生活レベルと社会の安定を維持する』必要があるのか?」とか、「どういう意味で『原発はやむを得ない』のか?」という問いが欠落している。なんか、今起きている事態に対して、皮相な議論なんじゃないのか、と思う。
同じネット記事の中で「風力発電を使えば電力供給をまかなえる」という主張も紹介されているが、これも現状の電力需要を前提にしている点では発想の枠組みは同じなのではなかろうか。
どれも「電気がなければ、経済活動が縮小して、日本経済が失速・後退するから電気供給を確保せよ」という枠組みの中での話に聞こえる。問題は「経済が失速させない(ために原発を使い続ける)」ことと「安全度の高い生活」と、我々にとってどちらが大切なのかと考えることであり、それを考えるための材料なり視点なりを集め、提示するほうがよほど大事な作業だと思うのだが…。
一つひとつの発言の正否がどうだのといったことは置いておくとして、それぞれの「識者」が何を発言していることは覚えておく必要はありそうだ。今後の事態の推移に合わせて発言を変える人もいよう。変えるのは悪いことではないが、なぜ変えたのかは明らかにした上で発言してほしいものだ。
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