ノールズ(イスラム新年)のフェスティバルでは、村の有志グループ(?)による歌・ダンスの披露の他に、キルギスの結婚式をデモンストレーションする出し物もあった。
他の村から花嫁がやって来るという設定のようで、花嫁が風船とリボンで飾った車で連れてこられる所から始まった。車の後ろには、-遊牧民らしく-、馬が伴走して隊列を作っている。
おばちゃんたち(「おばあちゃん」と呼んでもよさそうな年輩のお姉様がた)が、「花嫁が来たよ~。みんな、飲んで、食べて、お祝いしましょ~」みたいな感じで呼びかける。すべてお芝居なのだが、観客の子供たちも呼びかけられていると勘違いしたのか、どんどん寄ってきて、ごちゃごちゃした感じになっていた(ほどなくして、会場整理にあたっていた警察官が「こら、下がれ!」と叱りつけていたが、そもそも子供たちが中に入れてしまう程度にしか制御していなかったんだから、会場整備係である自分たちの落ち度であろうに…)。
(白い布をかぶっているのが、デモンストレーションのおばちゃんたち。どんどん子供が寄ってくる。)
言葉を理解しきれていないので、本当の趣旨は分からないのだが、私の理解としては、こういう大きな祭の時に、自分たちの伝統的な風習を再現して、若い世代にも「ああ、こんな感じでやるんですね」ということを伝える意味があるのではないか。
それは私の深読みで、やっている村民たちは、祭の出し物の一つとして楽しんでいるだけなのかも知れない。しかし、彼らが意図しているしていないに関わらず、こういう形で風習・習俗を再現しておくことは、大切なことだと思う。
どこの文化においても、昔は当たり前にやっていたことが、様々な事情(過疎、政治的な禁圧、価値観の変化等々)で行われなくなり、廃れてしまうものがある。その文化集団の知識・技術は進歩していくから、何百年前のやり方をいつまでも継承するのは不合理なのは当然である。古来のやり方が廃れていくのは、仕方がない面はある。
しかし、時が経てば何でも進歩するかというと、必ずしもそうではない。関西に住んでいた頃、何度か、奈良国立博物館で行われる正倉院展に行った。正倉院の宝物《ほうもつ》は天皇に献上された物だから、当時の最高級品である。当時の最高級品であるだけでなく、現在でも最高の素材・技巧として通用する物だ。
資料を読むと、どのように製作したのか分からない物も多々あるとのことだった。1300年前の人に作れた物が、現在の技術では再現できないことがある。宮大工の世界でも、そういう話がたくさんある。ある時代から、技術が継承されなくなったために、どういう技術でそれを行なったのか、今では分か風習というのも同様で、らなくなってしまったのである。
すべての技術を継承し続けるのは現実的には無理だし、意味はない。それでも、昔の技術がいつか役に立つこともあるかも知れないから、何らかの形で技術が再現できるようにしておくべきだと私は思う。結婚式などの儀式も同様で、どこかで継承が中断されると、あとの世代はそれを再現するのが難しくなる。儀式には宗教的な意味や、集落の結束を促すような機能が込められていることがあるから、細々とでも継承しておくのが望ましいと思う。
フェスティバルの出し物の一つであったが、結婚式の様子が再現されているのを見て、そんなことを考えていた。
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