昔の映像は、今よりもコマ数を少なくして撮影しているので、それを再生すると人物などの動きが実際よりも速くなり、せせこましく見えてしまう。
1秒あたりのコマ数を撮影した時と同じにして再生すれば、あのようなちょこまかとした動きにはならないはずなのだが、それをやらないのは、おそらく、コマとコマの間の時間が長すぎると、人間はそれを動画として認識できないからだろう。
例えば、人間が歩いている所を6枚程度の連続写真で撮影する。それを0.5秒間隔くらいで表示すれば、何となく動いているように見える。しかし、1枚の写真を5秒ずつ表示すると、1枚ずつの写真として見えてしまう。
現在の撮影機器は、1秒ごとのコマ数が増えているから、きれいに動いているように見える。ところが面白いもので、現在でも、昔風の映像っぽく演出したい時に、あえて再生スピードを速めているものを見かけることがある。Windowsに付属して入っているMovie Makerという動画編集ソフトにも「スピードアップ」というエフェクトが入っており、これに「グレースケール」「フィルム時代」というエフェクトを合わせると、誰でも簡単に昔風の映像が作れる。
「ちょこまかとした動き」「白黒」「画面上のノイズ」というのは、昔の撮影機器にとっては制約であり、どんなに逆立ちしたところでそれ以上の映画は撮れなかったのである。しかし、現在においてはそれらが一つの“イメージ、符号”となっていて、最新の機器、ソフトを使って、あえてそういう風合《テイスト》の映像を作るのである。
これは一種の倒錯なのだが、イメージ(この場合は「ちょこまか動き」「白黒」「ノイズ」)というのは、一旦意味を持つと、それが人間の思考を縛るものだということがよく分かる。人間はイメージによる制約から逃れられない。
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