2011/03/28

単位のマジックと錯覚 (2)

単位が変わると言えば、海外生活では必ずついて回るのが現地の通貨単位である。

キルギスの通過単位は「сом(ソム)」と言う。お隣りのウズベキスタンは「сум(スム)」だったはずで、語源的に同じなのだろうと推測できる。最近の為替レートでは、1米ドル=47KGS(キルギス・ソム)で推移している。計算してみると、1ソムは大体1.75円くらいになる。

カフェ(日本で言うレストラン)で1回食事をすると、70ソム程度だから120円ちょっとである。日本円で考えると、とても安く食事ができていると分かる。キルギスに来た当初は「安い、美味い」と言ってはしゃいで食べていたものである。

ところが、現地に来て2~3ヶ月も経つと、その120円が高く感じられるようになってくる。いや、「120円」と聞けば安く感じるのだが、「70ソム」と聞くと高く感じるのである。1食120円なら、3食とも外食でも良いくらいだが、現地の人の生活を見てると、70ソムの食事をするのも贅沢に思われてくる。

文房具やらお菓子やらを買う中で、段々とその国の物価事情が分かってくる。そうすると、どのくらいの金額までは日常的に取り交わされていて、どれくらいからは買うかどうか躊躇する額だというのが感覚的に入ってくる。逆に、そういう感覚が入ってこないと、平気で高価な買い物ばかりをして、村の中ではちょっと目立ってしまうことになる(それは防犯の観点からは危険なことだ)。

そもそも、村では金を使うような場所がそれほどない。その反動とも思わないが、所用で首都に行ったときは、村で買えないような物を買ったり、カフェでの食事も平気でしてしまう。2,000ソムくらいの金が、3日くらいで消えてしまうから信じられない話だ(酒を飲むのが一番金を食ってるな。反省……しません!)。

首都にいると市内をタクシーで移動することもままある。こちらはメータータクシーは普及していなくて、毎度値段交渉をしなければならず、正直、私にとっては気が重いのである。「○○まで70ソムで行ってくれる?」と尋ねると、「おいおい、○○まで70ソムで行ける訳がないだろう。150ソムだね」、みたいなところからスタートし、100ソムあたりで手を打つという感じである。

こういう交渉において、私のような弱腰の人間にとっては、「円で考えれば、10円、20円の違いだ。この辺りで妥協しても構わないな」という判断でもって、値段を決めることになる。ところが、同じ協力隊仲間の中には、頑として最後の10ソム、5ソムのところまで交渉し切る人もいる。

そういう人と一緒にタクシーに乗る時は、値段交渉は向こうに任せることにしているが、端から見ていても喧嘩になるんじゃないかと思うくらいのやり取りをするのである。「ああ、自分には到底ああいう値段交渉はできない」と尊敬(?)のまなざしを向けると共に、私の脳裏をかすめているのは、「でも、10円多く払うかどうかの話なんだよなぁ…」ということである。

 

それを言っちゃあ、おしめぇよ。(寅次郎)

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