お隣りウズベキスタンの同期隊員(看護師)のブログを読んでいたら、暖かくなったので病院敷地内に木を植える作業を(病院スタッフ総出で)した、という記事があって、こちらと似ているなと思った。
かさぶたぶたぶ@ウズベキスタン
http://hoshinotori422.blog129.fc2.com/blog-entry-205.html
うちの職場も、先週金曜日に同じようなことをした。
オフィスの敷地にごみを溜める大きなごみ箱(日本語でなんて呼ぶのだろう?)がある。普段は、オフィスのごみはそこにどんどこと投げ入れているが、それも一杯になり、処理をしなければならなくなった。
燃えそうな紙や木くずの類は燃やしていた。当然、ペットボトル、ビニールも火にくべる。石油製品が燃えるときの独特のにおいの煙が立ち上っていた。今、日本の都会じゃこんなにおいを嗅ぐのはできないが、昔は結構道ばたで、たき火をしている人がいて、ビニールごみなんかも一緒に燃やしていたものだった。そんなことを思い出しながら、私も一所懸命にペットボトルに火が回るように火の番をした。
燃やせない空き缶や廃電球はどうするかというと、オフィスの敷地を出た道路の脇に大きな穴を掘り、
そこにごみを放り込んで、土をかぶせる。
「ああ、途上国はやっぱひどいね~。ごみの処分もちゃんとしてないんだから…」と思いつつ手伝っていたが、いやちょっと待てよ、日本は余所様《よそさま》のことを言えるだろうか、と思い返してみた。
日本なら、大抵の所で自治体が決まった曜日にごみを回収してくれる。我々の「意識」も高くなっているから、生ごみ、プラスチック、ペットボトル、スチール、アルミ等々を分別して回収日に出す。家に溜まった紙くずやペットボトルをたき火にくべている人や、家の前の道に穴を掘ってごみを埋めている人はいない(まあ、そういう人もいなくはないけど…)。だから、我々の住む町は、キルギスと比べたら全然ごみが少ない。
しかし、その先の、私たちが見えない所では集められたごみ達が燃やされ、そのうちの燃え切らない物などは、さらに別の場所に積み上げられていく。そうして日本人は「夢の島」を作ったではないか。
キルギスのごみ処理の問題は確固としてある。それはそれで、この国が解決しなければ課題である(ごみ処理のシステム確立、住民の意識変革)。しかし、それはキルギスや発展途上国だけの問題ではない。
海外に行ってそこの生活様式を見ると、ついついその土地独特のやり方・問題だと錯覚してしまうが、大抵は自分の所でも同じようなことをやっているし、類似した問題も抱えている。生きるために食べ、食べれば出すのは、どこの人間だって同じようにするということだ。
「隣の芝生は青い」は、マイナス面のことについても当てはまる。言うなれば「隣家の出すごみは多く見える」というところか。
さて、この大掃除で屋外の大ごみ箱はきれいさっぱりとしたが、またごみを溜めていけば数ヶ月後には一杯になる。今度はどこに穴を掘ることやら…。