2011/06/30

マルシュルトカ百景 ~ 揺れる道中 ~

キルギスの移動といえばマルシュルトカ。自分の任地の村から首都へ移動する時も、マルシュルトカを利用する。

移動時間は約4時間。この間の道中、マルシュルトカは揺れ続ける。これはマルシュルトカの問題ではなく、路面の問題であるから、実際にはマルシュルトカ以外のタクシーでも、一般の車でも条件は同じである。

車が縦にガクンガクンと揺れると、乗客も揺れるのだが、居眠りをしていると首を痛める危険がある(というか、実際に首が痛くなったことは何度もある)。

マルシュルトカは通常15~20人の乗客を乗せるが、その中には、2~3歳くらいの幼児の姿を見ることもある。彼らを見ると、マルシュルトカの縦揺れで怪我をしないだろうかと心配になる。それくらいの子供ならば、4時間のうちの半分は寝てしまうから、車が揺れると首も揺れているのだが、あれは危なくないのだろうか…?

自家用車を持っていない人がほとんどの国だから、まだ首のすわっていないような乳児を車に乗せて、長距離移動することもあるのだろうか? そんなことをして、乳児の首は大丈夫なのか。

マルシュルトカで揺られながら、そんなことを心配している。

2011/06/29

Ласточки покинули гнездо.

Я приехал в селе, который называется "Кемин".

Дом, в которым я останавливаюсь, есть гнездо ласточк. На гнезде 5 птенец были.

tsubame2

tsubame

На следующий день, я с детьми погулял в селе. Когда мы домой пришли, мы нашли, что ласточк нет в гнезде.

Они уже покинули гнездо. И гнездо теперь стало пустое.

nest

2011/06/28

新隊員赴任

21年度1次隊の先輩隊員が帰国したことをブログに書いた

帰る隊員あれば、来る隊員あり。入れ替わりで23年度1次隊の隊員がキルギスに赴任した。

先輩隊員に貸与されていた携帯電話が、そのまま新隊員に貸与されたようで、新隊員の携帯番号は以前の先輩隊員が使っていた番号である。

今回、たまたまだが、帰国した先輩の一人と、赴任した新隊員の一人が同姓であった。そのまま電話番号を引き継いでくれたら、私の携帯のアドレス帳の名前を書き換える必要がなかったのだが、そのようにはなっておらず、名前を書き換えなくてはならなかった。

これまでの隊員の名前を消して、新隊員の名前に書き換える。これも協力隊員として、季節が移り変わりを感じる“風物詩”のような気がする。

歓迎会も行われたが、こちらも1年前、私たちの隊次の歓迎会の時とは、違う顔ぶれになっている。顔ぶれが変われば、パーティーの雰囲気も変わる。こうして3ヶ月ごとに顔ぶれが変わっていく。

2011/06/27

日本語っぽいキルギス語

キルギス語のお勉強をしていて、辞書を調べようとしていて、目的の単語とは別に目に入ってきたもので、面白いのがあったので、メモしておく(//は発音)。

атама /アタマ/ …表題、称号

баба /ババ/ …おじいさん (日本語の「ばば」は婆さんにつながる)

мөмө /モモ/ …くだもの

ун /ウン/ …粉、小麦粉 (これは漢語の「粉 /フン/」から来たのか?)

「アタマ」だとか「ババ」だとか、たまたま共通の発音の単語があるだけだと思うが、こういう単語を見つけるとちょっと楽しい気分になる。

мөмөの発音は「モモ」したが、実際には「o」とは異なる発音なので、日本語表記は難しい。

このブログを読んでいただいているほとんどの人にはまったく関わりのない話だとは思うが…

2011/06/26

帰国後の再会

前回協力隊参加した時の思い出話だが、協力隊は帰国後にJICAの本部に活動を報告しに行くことになっている(その時に、健康診断とかもある)。

指定された場所に行くと、「あっ!」と知った顔に会う。そう、2年前、訓練所で共に過ごし、それぞれの国に別れた同期の隊員たちも、皆、報告と健診のために集まっているのである。実際には、帰国日は派遣国によって前後するので、同じ日に帰ってきた国の隊員たち(厳密には、この時点では任期が終わっているので、もう「隊員OB」になる)と出会うのである。

懐かしい顔ぶれ。2年前、訓練所の時には大して交流がなかった人でも、話したくなってしまう。向こうも同じ心境なのだろう、自然と会話が始まる。

「お疲れさ~ん。どこの国に行ってたんだっけ? へぇ、■■といえば、アフリカだね。え、俺? 俺はマレーシア。■■はどうだった? 飯はうまかった? 暑かったでしょ。お互い様だね、それは。」

「なんか、2年前よりも痩せたんじゃない? 肌も焼けた感じだし」

みたいなことで、互いにそれぞれの任国で過ごした2年の痕跡を確かめながらの会話が続き、再び日本で会えたこと、すなわち自分たちの2年間の協力隊生活が終わったこともジワジワと感じるのであった。

「この後、どうすんの? 時間あんの? じゃあ、どっかで飯食おうぜ」と、当然、そういう流れになる。まして、せっかく帰国したのに、健康診断前日は酒を控え、採血までは断食をしているから、居酒屋メニューへの渇望は抑えられるはずがない。すぐそこには新宿のネオン街(ふ、ふるい表現!)が。

帰国報告会には、そういうお楽しみがあるのだ。

が、

今回、キルギス22年度1次隊は、任国の情勢が一時不安定になったため、出発が1ヶ月遅れ、すなわち帰国日も1ヶ月ずれている。あちゃ~。ということは、帰国報告会も、我々5名だけ、ってか? NTC(二本松訓練所)とか、任期延長、短期ボランティアなんかの人はいるかも知れないけど、知らない顔だし…。

まあ、キルギス同期の仲間とも、それぞれの地方に別れて、当分はみんなで集まることもないから、5人で帰国祝いになるだろう。というか、今から焼き鳥にするだの、焼き肉だの、いやそれは二次会で最初は回転寿司だ、だのと虚しい議論を白熱させるウマシカ者の私たちなのである。

2011/06/25

日本との季節ギャップ (2)

協力隊が行く国には、南半球の国々も含まれている。南半球の緯度の高い所に行く隊員も、--私は経験したことがないが--、季節のギャップの大変さを経験するのではなかろうか。

日本を夏に出発すれば、現地は冬。日本が冬なら、現地は夏。先輩隊員たちも通った道であるし、自然条件は変えることはできないから、文句をいう人は隊員はいないけれど、衣類の準備とか体の適応は苦労しているのではないかしらん?

ただ、そういう苦労も一つの話の種になるし、日本にいるだけでは経験することのなかった話というのを好きな人が、協力隊員には総じて多い。

2011/06/24

日本との季節ギャップ (1)

どの時季に任国に赴任するかで、見る景色、受ける印象が異なる話を書いたが、季節がらみの話としては、日本とのギャップも結構大きな要素となる。

私は、前回(マレーシア)の時も、今回(キルギス)も、1次隊で夏に日本を出発した。

マレーシアは常夏の国だから、「夏→夏」の移動だったし、キルギスも7月は夏ど真ん中なので「夏→夏」の移動であった。

かわいそうだったのは、冬の日本を発って、マレーシアのような常夏の国へ行く隊次であった。「冬→夏」移動となる彼らは、成田空港まではコートを着て、手袋をして、と十分な防寒装備であるが、派遣国で飛行機のタラップを降りた瞬間から、いっさいの防寒着は2年間スーツケースの中でお役ご免となるのである。

防寒着の類はかさばるから場所を取るし、亜熱帯の国だと衣類も気を付けないとすぐに黴《かび》が付くから、2年間使わない物を保管するというのは、面倒なことである。この点「夏→夏」移動だと、身軽なのである。

キルギスの場合、日本を冬に出発しても、現地も冬であるから「冬→冬」移動となって、ギャップは少ない(沖縄出身の人とかにはギャップだろうが)。ただ、冬場移動の隊員は先に述べたように防寒着が荷物の場所を取るので、その分、書籍やらの必要荷物がスーツケースに入らなかったりして気の毒である。どうしても必要な物品は、別便で送るとかするだろうから、冬場移動の隊員はその分経費がかかっているような気がする。

2011/06/23

くしゃみをしたら何て言う?

くしゃみは生理現象だから、どの民族、どの文化であろうと、みんなする。

さて、みんながするくしゃみなのであるが、それへの対処というか、応対の仕方はそれぞれ違うようである。

キルギスだと、誰かがくしゃみをすると、周りの人が「アク チュッチュ」(←スペルわからず)と言う。「お大事に」というニュアンスだと思う。これはキルギス語。

ロシア語でも「Здоровые!(ズダローヴィエ)」と、周りの人がくしゃみをした人に声をかける。これも「お大事に」という感じ。

そのように声をかけてもらった人(=くしゃみをした人)は「ありがとう」と返す。

このやりとりの流れが、私にはなんとなく違和を感じるところがあって、日本だとまず、くしゃみをした本人が「すみません」とか「ごめんなさい」と謝るのではないかという感じがする。家ごと、地域ごとの習慣の違いもあるかも知れないが…。

そんなことが気になったので、久~しぶりにアンケートガジェットを登場させる。皆さんの習慣・日常感覚として、以下のどれにあてはまるだろうか? ちなみに、シチュエーションは「日本で」ということにする。

  1. くしゃみをした人から先に「すみません」と言う
  2. 周りの人が先に、くしゃみをした人に「お大事に」と言う
  3. お互い何も言わない
  4. 定まったやりとりは特にない(そのときどき)

てな感じの項目を考えてみた。2週間くらい、貼り付けておくことにしよう。

2011/06/22

派遣国の印象それぞれ

青年海外協力隊は、年に4回に時期を分けて派遣が行われる。これを「隊次」と呼んでいる。以前は、1年に3隊次だったが、現在は4隊次になっている。

3ヶ月ごとに新隊次が出発していく。3ヶ月ごとということは、日本だとほぼ春夏秋冬のそれぞれ四季にあたる。一方、派遣先の国は、緯度・標高などの関係もあって、四季がない国もあれば、ある国もある。

前回派遣されたマレーシアは、赤道近くに位置するために一年中夏のようなところで、季節といえば雨季と乾季の区別があるくらいだった。雨季はやや涼しくなる感じだった。

キルギスの場合は四季がある(春と秋は短く、夏・冬が長い印象である)。協力隊員にとっては、どの季節に赴任するかで、見る景色、感じる気温・陽射しはかなり異なる。特にキルギス(おそらく隣国のウズベキスタンも)は冬の寒さと夏の暑さのギャップが大きいので、隊次によって到着直後の印象はだいぶ異なる。

例えば、これは私が自分のホームステイ先を撮影したものだが、

winter_yard 
庭の景色(冬)

であるのに対して、同じところが夏になると

summer_yard
庭の景色(夏)

となるのである(別に冬は草刈りをしたわけではない。念のため)。これだけ見ても印象は全然異なる。

私は1次隊で夏に赴任したので、「暑ぃ~!」と毎日ぼやいていた。一方、冬に到着する3次隊の人たちは、寒さとともに、山が雪に覆われていることが印象に強く残るようなのである。

もちろん、一年を暮らせば四季が一巡するし、季節の変化は日々移ろいでいくから、生活していくうちにどの季節の風景も「こんなものかな」と、いつの間にか当たり前になって行き、到着直後の印象というのは固定的なものではなくなっていく。

2011/06/21

先輩隊員帰国

21年度1次隊の先輩隊員たちが任期を終えて帰国した(まだ航路途中かな…?)。

なにはさておき、「2年間お疲れさまでした」と伝えたい。

キルギスは、21年度1次隊の前は隊員がおらず、私がキルギスに来て約1年経つが、先輩隊員を送り出すのはこれが初めて。この後は21年度2次隊、3次隊、4次隊と続いている。その次が私たちの22年度1次隊である。

3ヶ月おきに先輩隊員が帰って、また入れ替えで新しい隊員が来る。「お疲れさまでした~」「ようこそキルギスへ~」などと言っているうちに、すぐに次の3ヶ月が経っていく。早いな、と思う。不思議な感じもある。

普通の会社なら、1年といえばまだ新人期間である。ところが、協力隊の場合、3ヶ月ごとにどんどん後輩隊員がやって来るので、「新人」期間はあっと言う間に終わる。

任国にいる間は、「早く日本に帰りてぇなぁ~」と思っている隊員も、いざ帰国の段になると、あと1ヶ月くらい任国でのんびりしたかったと思って、名残惜しくなるものである。仕事の面でも、遊びの面でも、買い物の面でも、もうちょっと時間があればと最後は思う。

でも、帰国された先輩隊員皆さん、何よりも2年間をまっとうして無事な体で帰れるのがなにより。それに、この2年間、いつも恋い焦がれた日本の食べ物にありつけるではないか!!

嗚呼、生牡蠣喰いたい~ッ! (夏場は食べちゃダメだけどね)

2011/06/20

ジサノサジ加減

(語呂合わせの利いたタイトルのつもりであったが、どうもねぇ…。)

キルギスと日本の時差はマイナス3時間。キルギスのほうが3時間遅い。

時差が-3時間だから、短波放送で「夜7時のニュース」を聴くのは夕方4時。日本でこのニュース番組を聴く時は、「もう夜だな」という感じがあったが、こちらでは夕方になりかけくらい。特に夏季は陽が長いから、夕方4時でもまだまだ真っ昼間という感覚のほうが近い(4時というと、仕事のある時は聴けないことも多い)。

NHKラジオの「ラジオ深夜便」なんかもたまに聴くが、アナウンサーが「夜1時台のコーナーは…」と番組を進めている時も、こちらはまだ夜10時。日本で聴いている人たちは、深夜の雰囲気の中にいるのだろが、こちらはまだ深夜と呼べる時間ではない。

短波放送の聴取感覚の違いは、別にどうという話ではないが、困るのが日本にいる相手と電話をするような時だ。例えば夜9時なら、親しい者同士ならまだ電話をかけても許される(と思う)時間であるが、時差のことを考えると日本は深夜0時で、そんな時間に電話を鳴らすのは不躾である。

電話をかけるのは実家くらいであるが、ふと何かを思いついて「あ、電話しようかな」と思うのだが、日本の現地時間を考えると電話を躊躇することもある。

このことは電話だけではなく、メールでも同じだ。「メールなんて好きな時間に読めるから、構わないだろう」と思いがちだが、やり取りのある友人・知人の中には、携帯メールを連絡先にしている人も多くいるので、そういう相手には、こちらがメールを送信した時に、ほぼ時間差なしで向こうの携帯の着メール音が鳴ってしまう。

相手が深夜族だと分かっているならさほど罪悪感はないが、殊に乳幼児の育児中という相手には気を遣う。やっと子供を寝かしつけたところに、着メール音が鳴って起こしてしまっては…。いつ電話をするか、メールを送るかは、さじ加減が必要なのである。

ちなみに、前回派遣国のマレーシアと日本の時差は-1時間。これだと、あまりずれた感じはなかった。いや、考えてみれば3時間だって、時差としては少ないほうだ。アフリカ、中南米に行っている協力隊員は、時差10時間とか12時間とかも普通だ。日本とは昼夜がまったく逆になる。もっとも、時差が-22時間みたいなことだと、それは+2時間と同じことになるが。

2011/06/19

裏日本語教師の発見

本職ではないが、村の子供たちに日本語を教えていることを書いた。

日本語を教える時に、その訳文をつけて教えている。ちなみに、外国語教授の方法としては、例えば日本語を教えるなら、最初から日本語のみで教えるというやり方もあるそうであるが、その方法でやるには、知識・経験も必要なのではないか。私は、ロシア語(たまにキルギス語も混じる)を介して教えている。

さて、最近気付いて、自分で一人含み笑いをしてしまった日本語があった。

例えば、会話の中で、

A: お母さんは どこにいますか?
B: お母さんは 病院です。

とか、

A: 君の弟は りんごと バナナの どちらが好きですか?
B: 弟は バナナです。

という文があって、日本語としてはちゃんと意味が通る(はず)。

しかし、この会話のBの台詞を、皆さんの知っている外国語に訳すとしたらどうなるであろう? 例えば英語で直訳すると、”My mother is a hospital.”、”My brother is a banana.”となってしまう。いや、外国語に訳さなくても、その台詞だけを取り上げたら、Bの台詞は日本語としてもちょっと奇妙な文である。

もちろん、言語学では文脈とか、語の省略とかいう切り口で分析をするのだろうが、自分ではそこの説明は分からぬ。日本語独自の文法構造ということなのかも知れない。自分の母語である日本語を、外国人に教えようとすると、通常の日本語使用では気付かなかった日本語の「変な」ところを発見することがあって面白い。

病院の姿をした母親。バナナになってしまった弟。そのイメージを思い浮かべて、一人笑ってしまったのであった。

2011/06/18

「目と鼻の先」

もうすぐそこに近づいている事・物を表現する時に、「●●は目と鼻の先だ」という慣用句があるが、ロシア語でも"на носу(鼻の所に)"で「間近な」を表現することを知った(辞書の説明では口語表現とされている)。

ただ、日本語で「鼻の先、鼻先」と言えば、「目の前」のことを指す(なんか、ややこしいな!)。

辞書によれば、「目と鼻の先」は、顔の部分である目と鼻のように距離が近いことから派生した慣用句で、「目と鼻の間」でも同じ意味になるとのこと。確かにどちらも使う表現だ。

毎度のことで、英語でも調べてみたら、なんとビックリ! 英語では”cheek by jowl(頬と顎)"がそれにあたるようなのだ。「ぴったりくっついている」ということで、目と鼻ではなく、頬と顎で表現されている。

鼻(nose)でも調べてみたが、「目と鼻の先」に相当するような慣用句はなし。ただし、"nose to tail"は「車間距離が近い状態」を指すとのことで、「鼻先」に近い感じか。そういえば、この言葉、F1のレース中継なんかでよく聞いた憶えがあるぞ。ただ、私の記憶違いなのか、「テール・トゥ・ノーズの激しいバトル!」という言い回しが耳に残っているのだが、あれはレース用語なんだろうか?

こんなふうに脱線ばかりしているから、私のロシア語学習がはかどらないことは言うまでもないのである…

2011/06/17

月食、見忘れた…

6月16日の夕方に、皆既月食が起こったそうである。

日本では、観測できる緯度のところでも、わずか5分程度で月が地平に隠れてしまうような条件だったらしく、天文ファンにしてみたら残念ではなかったかと思う。

皆既月食のことを聞いていたので、よし、キルギスで見られるか観測してみようと思っていたのに、昨日のその時間はすっかり忘れていた。

そもそも、日本との時差は-3時間なので、こちらはまだ明るい時間だったと思う。明るくても月が出ていれば見られたはずだが、実際はどうだったんだろう…。

昨日は雲が多かったから見られなかったことにしよう。「きつねとブドウ」のような感じだナ。

2011/06/16

ポプラの種

キルギスでは、町でも村でも、ポプラの木をよく見かける。私などは一言で「ポプラ」と呼んでいるが、樹木に詳しい人から見ると、同じように見えるポプラでも、その中でもまた種類が分かれているそうである。

5月末頃から、村の中を綿のような物体がフワフワと飛んでいて、最初は、その少し前に咲き乱れていたタンポポの綿毛かと思っていたら、それよりも全然大きい綿なのである。それはポプラから出てきているのであった。

風が強い時などは、綿が一斉に飛び出して、村の中を漂っている。それはまるで雪のようにも見える。

poplar2

ポプラの枝を見上げてみると、それはそれは綿の大売りバーゲンのような有り様…。

poplar1

ポプラの種の形状がこんなだとは知らなかったし、こんなに過剰なほどに綿をまき散らす樹だとも知らなかった。

日本だと、北海道大学のポプラ並木が有名だが、あそこでも時季になるとこんな綿毛が飛散しているのだろうか?

コスト見積もりに環境倫理学の視点を

6/14のNHKラジオ「夜7時のニュース」を短波放送で聴いていたら、トップでイタリアの国民投票のことを報じ、最後に付け加えで、「イタリアの発電は約80%が水力で、10何%が火力。それで供給できない分は他国から購入している。そのため、イタリアの電気料金は、周辺国よりも1.6倍ほど高くなっている」という解説を入れていた。

これって、「原発を使ったら電力が安くなるよ~」っていう刷り込みじゃないのか? と疑ってしまった。「自然エネルギー発電だと高くつくよ、どうする、どうする?」みたいな。(そこまでのプロパガンダではないと信じたいところだが、何とも不自然な印象はあった)

電気は日常的に使うものだから、高いよりは安いほうが嬉しい。しかし、現在、自分が支払う電気料金の話をしているだけで良いのか? 福島原発事故が起こるまで、正直なところ、見て見ぬふりをしてしまっていたが、放射性廃棄物の処理にかかる歳月・費用はどれくらいなのか、再び大事故が起こった時の緊急処理費用とか、そこに住めなくなった人たちの生活の保障とか、そういうことも含めて話さなければ、「●●発電だと電気代が安くなりますよ~」という話はできない。

昔読んだ、加藤尚武『環境倫理学のすすめ』に環境問題を考える上で柱となることの一つに「世代間倫理」があると書かれていた(問題の柱は三つあって、「世代間倫理」のほかに、「自然の生存権の問題」「地球全体主義」である。ほかの二つを忘れていたので、Amazonレビューで思い出して書かせてもらった。ちなみにこの本の改訂版『新・環境倫理学のすすめ』が出ていたのも、今回知った)。

世代間倫理とは、通常、我々の世界において加害者と被害者がいれば、現在において賠償が行われる。AがBに貸したデジカメを、Bが壊してしまった、ということであれば、BはAにそのデジカメを弁償する。

しかし、環境問題においては、そのようなリアルタイムな関係を超えて、未来世代が被害者になる。例えば、今の世代が、地球にある石油をあと10年で全部使い切ったとする。そうすると、11年後、20年後の世代は、石油資源を使うことで得られる快適な生活、知的活動、その他諸々を享受することは不可能になる。100年後の人々が「ちくしょう! 100年前の奴らが使い切りやがったから、俺たちはこんな惨めな生活を強いられるんだ! う~、寒い、ブルブル」と言ったところで、恨む相手はもうこの世にいないから、賠償してもらうことは不可能である。

だから、今の世代に対して「●●発電だと、電気代が安価でっせぇ」という話は、私は眉唾だと思うのである。現世代が安く電気を使った代償として、未来世代が現世代の10倍の料金を払うことになるとしたら、あるいは電気そのものが使えなくなるとしたら、それは不公平だと思う。多分、これは電気だけの話ではない。水とか、空気とか、食べ物とか、どれをとっても潜在している問題である。それに「●●発電」というのは、原発だけのことではないはずでもある。

村上春樹のカタルニア演説でも、「私たちは『効率』を優先させて、ノーと言うべき原発にノーと言わずにいた」とあったと思うが、我々が「効率」的だと思ってきたもののスパンを変えなければいけないのかも知れない。今は効率的に思えても、将来的には非効率・被害甚大ということがあるからである。

2011/06/15

イタリアの原発国民投票に関連して

イタリアで行なわれた原発再開を問う国民投票は、94%という圧倒的反対という結果に終わった。

福島原発事故で、世界に醜態を晒《さら》してしまった日本だが、それが他の国の人たちの教訓になったのだとしたら、大きな犠牲ではあったが、人類全体にとっては資するものもあったのだと信じたい。

ネット記事の中から、いくつかリンク。

【ローマ発】 「東電福島」と共に崩れ去ったイタリア原発政策の虚構
原発業界っていうものの体質が垣間見える気がするレポートだった。議員自ら「国民投票に行くな」っていうのは、すごい話だ。民主主義って、投票が基本なんではなかった?

<イタリア>国民原発拒否…専門家「技術また後退していく」
原発稼働を止めると、原発関連の技術が衰退すると懸念する専門家がいる。まあ、使わなければ技術は衰える当然だが、今、人々が考えているのは「そもそも原発関連技術は開発してまで使う必要があるのか?」ということなんではなかろうか?
でも、記事の中の「原発関連技術の中から、医療に応用されたものもある」という話は考えなくてはならないと思った。確かに、レントゲンとかも放射能を使っている。我々は、そこから恩恵も受けているのだ。でも、原発に反対することと、レントゲン撮影を否定することは同じなんだろうか? もしそうだとしたら、我々はそういう技術に対しても、どう向き合うかを反省しなくてはならないことになる。

菅原文太吠えた!反原発三国同盟じゃ!!
若い俳優が、政府の福島原発事故後の避難対策を批判したら、たちまちドラマの出演予定が取り消されたとか…。文太の兄ぃレベルだと、そういうこともないのかも知れないが。
記事の中に、かつては太陽光発電パネルのCMに出ていたとあるのを読んで、思い出した。そうそう「朝●ソーラーじゃけぇ」っていうCMあった。というか、私くらいの世代だと、『仁義なき闘い』『トラック野郎』はリアルタイムじゃないから、菅原文太と言えばこのCMのイメージが強かったんだっけ。あと、宮崎映画の『千と千尋の神隠し』の、薬湯を煎じている爺さん(←キャラの名前が思い出せない…)の声が文太兄ぃだった。

2011/06/14

【引用】村上春樹の発言

村上春樹が、スペイン・バルセロナで賞を受けたようで、その時のスピーチで東日本大震災と原発に関する意見を表明していたと、ネットニュースで知った。以下、スピーチ全文の中から一部を引用する。

(このニュースサイトでは、「芸能」ページにこのニュースが掲載されていて、サイト名が「アイドル、芸能見張り隊」となっている。なんか、ちょっと違和感はあるが…)

村上春樹、原発政策を批判!核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった。

【一部抜粋】

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

裏日本語教師物語

協力隊の職種の一つに「日本語教師」というのがある。派遣国で、日本語を学ぶ学生に指導をする仕事で、大学に配属されることが多いようである。もちろん、日本語教師は協力隊だけの仕事ではないし、民間で派遣される人、生徒と個人契約で教える人もいる。さらに、外国で教えるだけでなく、日本国内で仕事をしている人も多い(この辺りについては、荒川洋平『もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら 』など参照)。

教える場が大学となると、たいていはその国の首都かそれに準ずる規模の町となるのが通常である。

さて、所かわって、とある協力隊員が配属された村。外国人を見るのはちょっと珍しい。まして村に住み着く外国人となるとなおさらである。

村の子供たちは、面白半分に「ハロー」とか、相手が東アジアっぽい顔つきであれば「ニーハオー」「コニチワ」とか言ってみたりする。こういう子供たちのほとんどは、からかいというのでもないが、外国人と見ると何かちょっと気になるところがあって、聞きかじった外国語を言っているだけである。

しかし、中には日本語に興味があって、あるいはなんでもいいから外国語に興味があって、その外国人からその人の国の言葉を習ってみたいと思う子供も現われる。「日本語を教えてくれる?」と外国人である協力隊員に話しかけてくる。

買い物に行った店番の子に、食事に行ったカフェのウェイトレスの子に、あるいは道ですれ違いざまに声をかけられるから、声をかけられた協力隊員のほうはいささか意表を突かれた感は否めない(しかし、そういうことを何度も経験すううちに、彼もそういう子供たちのあしらいを覚えたようである)。

そんな中から、先着順というか、無作為というか、日本語レッスンを願い出たうちの何人かに日本語を教え始める展開に…。ある隊員は高校生に教えている。またある隊員は小学生に教えているらしい。繰り返しになるが、これらの隊員は「日本語教師」が本職ではない。別の仕事をするために、その村に来ているのだ。そうではあるが、行きがかり上、村で日本語を教えることになったのである。

本職の日本語教師には到底及ばぬ日本語指導。彼らは皆、「自分ごときが日本語を教えてよいのかしらん?」という責めを感じつつ、村の子供たちの要望に応えるうちに「日本語の先生」になってしまったのである。聞くところによると、K国ではそんな行きがかり日本語教師が、本職日本語教師の目を逃れるかのように「裏日本語教師会」なるものを作っていると言う…。

2011/06/12

釣りがない!

途上国だけの話ではないかも知れないのだが…

日本以外の国で、商店で買い物をした際、「今、お釣りがない」と言われることがよくある。キルギスの村でしょっちゅう遭遇するし、マレーシアでもそういうことがよくあった。

村での買い物は、50ソム、100ソム、多くて200ソム程度の金額(※「ソム」はキルギスの通貨単位)であるから、1000ソム紙幣を出して釣り銭がないというのは、まあ仕方がないと思う。こちらも、そういう事情は分かっているから、1000ソム紙幣をくずしたい時は、ちょっと大きめの店でまとまった買い物をするようにする。

あと、朝、店が開店した直後は釣り銭がないというのも、事情としては理解できる。もちろん、日本でなら、そういう商店はまずないのではないと思う(私は町暮らししかしたことがないから、ひょっとしたら山間部の小さな店なら、午前中は釣り銭がないような店もあるのかも知れないが)。

冒頭で「途上国だけの話ではないかも」と書いたのは、どこかヨーロッパのほうの国でも同じような体験をしたという話を聞いたことがあるように思うからで、開店の時に釣り銭を用意しておくという日本のような商売スタイルは、世界の中では少数派なのかも知れぬ。

商売なんて毎日のことなんだから、朝に釣り銭が必要なことくらいは簡単に見越せるし、どうしたらよいか策を講じることも容易であるはずなのだが、そういう風に発想しない文化が、この世界にはたくさんあるようなのである。

日本人が綿密・律儀なのか、神経質過ぎるのか…。

「それ古いよ」

村の商店でソーセージとか、サラミの類を買いに行って、「これ下さい」とショーケースの中の商品を指すと、店員から「それ古いよ」と言われて、売ってもらえないことがある。ケーキを買おうとして、同じことを言われたこともあった。

「これ、お店の良心なんだろうか?」と、いつも苦笑しつつ、買うのをあきらめて店を出る。

古いから売れないというなら、陳列しなければ良いのにと思うのだが、そういうことにもならないようなのである。この点については、店側も客側も鷹揚さがあるような気がして、感心してしまうのだ。

2011/06/10

最下位

またプロ野球交流戦がらみの話になってしまうが、私が応援するマリーンズは大不調。交流戦単独最下位。パリーグでの順位も最下位になっている(6/9現在)。

昨年の日本シリーズ優勝チームなのだが…。

ブログへのアクセスと検索ワード

自分のブログの管理画面では、一日、週間、月間でどれくらいの人が閲覧したかの数字や、どの国からアクセスされたかなどが見られるようになっている。その中に、どういう検索ワードを経由して来たかのデータも表示されるようになっている。

ここ最近、「プロ野球交流戦」が検索ワードに入っていることが多く、確かに少し前にそういうネタでブログを投稿したので、その記事が引っかかるのだろう。

思うに、「プロ野球交流戦」での検索は、青年海外協力隊とはまったく無関係であろうと思う。にも関わらず、私が、協力隊とは無関係な記事を書いたので、検索エンジンにひっかかってしまったことになる。

祝宴のホスト

キルギスでは、祝い事の宴席は、祝いの当事者が催すことになっている。

例えば誕生日だと、誕生日を迎える人が、友人・知人・職場の同僚などを招待する形でパーティーが開かれる。日本なら、友人がパーティーを「開催してあげる」のが一般的だと思うが、こちらでは当人がパーティーを開いて「みんなに来てもらう」ということになる。

最初、そういう仕組みになっていることを知らなかったから、「●●さんの誕生日パーティー」と言って、職場で(勤務時間中に!)パーティーが開かれた時、会費はどうなっているのか、プレゼントを用意していなくて大丈夫なのかと心配したが、それらは必要はないそうなのである。

party (食事、飲み物は当人が用意する)

お祝いということで、客のほうがお金を渡すところも見たことがある。日本で言えば「心付け」みたいなものか? ただ、それを渡す時に、みんなの前で、現金を見せながらホストにあげるので、日本人の感覚からすると、すごく露骨でいやらしい感じがしてしまった。もちろん、それは私が勝手に感じたことで、こちらの人たちはそれを当たり前のこととして、(いや、むしろ隠れて渡すのはいやらしいこととして思うのかも知れない)、やっているだけのことである。

この「祝いの当事者がパーティーを開く」という方式には感心しており、日本人がやっているパーティーもこういうやり方にしてもらいたいと願う。この方式なら、行きたくもないパーティーに会費を払ってまで行く憂鬱感が少ないように思う。

ただ、すでにお気づきだと思うが、この方式では、「誰かの誕生日パーティーでごちそうになった以上、自分の誕生日パーティーも開いて、相手を招待しなければならない」という束縛を生んでいるのも当然考えられるのである。そうすると、私もやりたくもない自分の誕生日パーティーを開かなければならぬ、ということか…。

2011/06/09

ウォッカ → うたた寝 → 風邪

タイトルの通り。

配属先の同僚女性が出産をし、子供のお披露目式(?)みたいなことで、職場の人たちがそろってその家を訪問。

こういう席では、必ずウォッカで乾杯となる。これまでも何度か書いたと思うが、お猪口《ちょこ》ほどの透明グラスでにウォッカを注ぎ、誰かが祝辞を述べてから一気に飲み干す。祝辞を順番に言っていくから、その度にウォッカを飲むことになる。

私はこれがどうも嫌で、というのも、酒なんて飲みたい者が好きなように飲めばよろしいと思うところを、「酒を飲まなければ祝いにならない」だの「男だから飲め」だのという、私にとってはまったくどうでもよい理屈(あ、自分もそういう理屈を日本で後輩とかに言っていなかったかな? ヒヤヒヤ…)を付けて次がれるのが嫌で、できるだけ断ることにしている。

ウォッカの代わりにジュースで茶を濁して(←なんか変な表現ですなぁ)済む時はジュースで乾杯にしているが、どうしても一杯は付き合えみたいな雰囲気になって、固辞しすぎると座が白けそうだと感じれば、その時は飲むことになる。

そうして、飲んだら寝る。寝てしまえば、それ以上飲めということもないからである。狸寝入りみたいなもので、こちらで身につけた知恵(?)であるが、本当に寝てしまうこともある。

先週の、子供のお披露目祝いの時も、ウォッカを飲む羽目になり、「酔ったから寝る」と言ってその場で横にならせてもらい、そのまま小半時寝ていただろうか。起きると、鼻が詰まったような感じになっていて、その夜から咳がでるし、熱っぽくもなった。あぁ、うたた寝で風邪をひいたな、と思い、早めのパブ●ンを服用して休んだが、それ以降、一週間経ったが風邪っぽいのが抜けない。

“うたた寝作戦”も使い方を誤ると、被害が大きい…。

2011/06/07

【リンク】 災害と情報に関する書籍

災害時の情報管理に関する著作の一部がネットで公開(PDF形式)されているのを見つけた。2006年に出版された本だが、今回の震災発生に際し、個人・行政などに参考にしてもらえたらと、無料公開しているとのこと。

山田肇 編著『みんなの命を救う:災害と情報アクセシビリティ』(2006年,NTT出版)

http://www.nttpub.co.jp/pr/pdf_dl_1723/ (Amazonへのリンク)

2011/06/06

小数点は万国共通でないのか?

ロシア語の研修を受けていた時に、ロシア人の先生が数字を書く際に、小数点を「,」とカンマまで書かれていたので驚いた。

こちらに来てから、キルギス人も小数点をカンマで書いているので、どうやら旧ソ連圏、あるいはロシア語圏では、小数点はカンマで表すのが通例らしい。日本で「1.4142」と書くところを、ロシア語では「1,4142」と書いている。

日本でのカンマの使い方は、整数部分に3桁ごとに打つものと決まっている(「整数部分」という言い方が正しいのかどうか、分からぬ…)。そのカンマが小数点として使われているから、日本人としては違和感を覚える。

「じゃあ、日本人が使うような3桁の区切りはどうするのだ?」と疑問に思った人もいると思う。どうするだろうか、ちょっと想像してみていただきたい。

私がこれまで見たのは、桁の間にちょっと間を空ける表記である。4桁と3桁の間にスペースを入れる。「1 234」こんな感じである。日本流なら「1,234」である。

これはややこしい。だって、「1,414」という数字を見た時に、小数点以下第3位までの数字なのか、整数を表している数字なのか、分からない。いや、こっちの人には判然としているのかも知れないが、日本人は混乱してしまう。困ったものだ。

数学の世界では、小数点の書き方は世界統一ルールがあるはずで、おそらく日本式の「.」のほうが採用されていると思う。「,」で書くのは、ロシア語圏の慣習なのではないかと思う。ロシア語の数学の教科書はどうなっているか、いずれ機会があったら確認しておこう。

2011/06/05

口パク考 (2) ~ 口パクも芸のうち? ~

今はどうか知らないが、昔、アメリカの音楽賞の授賞式なんかで、歌手が出てきて歌っているのを見て、これは口パクなんではないかと疑わしいのがほとんどだった。あれは、「そういう場ではテープ(って今は言わないか…)に合わせて歌うのが当然」という通念があって、許されていたんだろうか?

来日コンサートをする外国人歌手の中にも、「あいつは口パクでコンサートをしている」と言われている人がいた。それは日本の客をなめていたのか、それとも、そんなことも気にせず、当然のごとくテープに合わせて口パクをしていたのか?

テレビなどで見ていて、これは口パクであろうと8~9割方思うのであるが、どうも最後の1~2割で「いや、ひょっとしたら本当に歌っているかも」と思わせる歌手もいる。これは、口の動きと、音声とがピッタリ一致しているからで、なかなか見分け・聞き分けがつかないためである。

安っぽいプロモーションビデオなんかで、なんでそうなるかと言いたくなるほど、音声と口の動きがバラバラのやつがある。何度でもやり直しがきくはずのプロモでさえ、その体《てい》たらくなのだから、音声と口の動きを一致させるのは結構難しい芸当だとも考えられる(プロモで声・動きが合わないのは、予算の都合で、安直な作業で作っているからだろうが)。

だとすれば、コンサートなど、生の現場で、口パクだとばれずにすることも、それはそれで一つの完成された芸だと言えなくもない。まず、歌詞は絶対に間違えられない。さ●まさしは、ライブで歌詞を間違えて、そこから即興で歌詞をつけて歌い、ファンもそれを承知で楽しむらしい。生ならばそういうことも可能なのだ。

なんだか、口パクのほうが難しい芸当である気さえしてきた。完成された口パクは、それも一つの芸であると確信した。

生で歌わず、口パクも中途半端。キルギスの音楽番組でイライラするのは、その辺りなのか…。

口パク考 (1) ~ 「口パク」って悪いのかしらん? ~

キルギスでテレビの歌番組を見ていると、どうやら出演している歌手は音源に合わせて歌っているふりをしているようなのである。いわゆる「口パク」というやつだ。

マジ歌(という言葉があるのか知らぬが)の番組も見たことがあるが、それは「素人のど自慢」的な番組だったと思う(普通は「マジ歌」ではなく「生歌」と言うかな)。

口パクと言えば、北京オリンピックの開会式に出演した少女とは別の少女が歌っていたので騒がれた。あれが世界的な騒動になったということは、日本以外にも口パクを良しとしない文化圏があるのだと思った。

映画『雨に唄えば』では、地声に難のある小生意気な女優と、その女優のアテレコを担当する清廉《せいれん》なヒロインが出てきて、最後に衆人の眼前で、口パクであることをばらし、小生意気な女優に一泡吹かせて「痛快、痛快」となる話だったと記憶している。これも口パクを悪者と見なす一例と言えようか(それにしても、今思えば、ああいう形でその人の弱点を暴露するというのは、随分意地悪なやり方である)。

日本の歌番組で口パクをやったら即バッシングを受けるはずだが、こちらでは、ことごとくどの歌手も口パク(疑惑)で出演しているところから考えるに、口パクであっても「お咎《とが》め」はないのだろう。

ここまで堂々と口パクの歌番組が放送されていて、視聴者もそれで不満がない(まったくないのかは知らないが)ようだから、この国では口パクは悪者扱いされていないのだと言えるだろう。逆に、口パクを悪者扱いする日本(人)のほうがおかしいのかもと疑ってみてもよいかも知れない。

口パクは、歌っているように見せながら、実は既成の音源(CDとか)を流しているだけだから、生の歌声を期待している聴衆に対する詐欺だというのが、口パク=悪者論の言い分だろうか。

しかし、生歌の歌番組などで、実際の歌声がCDとかけ離れていてガッカリすることもある(特に懐メロ番組などでは、30年も40年も前のヒット曲を、その分だけ歳を重ねた歌手が歌うから、声量の衰えや声質の変化は致し方ない)。

口パクで歌えば詐欺だと言い、生歌ならCDと違うと落胆し、こちらも勝手なことを言っているものだ。だが、プロと称する以上、それだけの期待に応えてこそ、とも思う。

まあ、口パクでも、聴衆側がそれを含めても喜んで聴いているなら、それはそれでショーとして成立していることになるのかも知れない。第一、口パクであると気付いているかも疑わしい。とあるコンサートで、これは間違いなく口パクだと思ったから、同伴のキルギス人に「この歌手は本当には歌ってないよね?」と尋ねると、「いや、歌ってる」と答えたのでビックリした。いやいや、だって息継ぎとか合ってないじゃん、と思ったのであるが、口パクと思って見て(聴いて)いないから、そんなことは疑いもしないのだろう。

2011/06/04

親も出動、卒業試験。

6月から夏休みに入ったことを書いたが、最終学年の生徒たちは、卒業前に最終試験があったようである。

試験は2日間に渡って行われ、最終学年以外の生徒は登校していなかった(校庭に遊びに来ている子はいたが)。

この日、いつもと明らかにいつもと違うと感じたのは、学校の前の道に車が何台も止まり、大人たちがたむろしていた点である。最初、私は、学校の前の家で葬式が出たのだと思った。葬式の時も、そんな感じで、葬式のある家の前に人が集まるからである。

しかし、実際は、子供の試験のために付き添ってきた親、または兄弟(字面では「弟」と書くが、弟とが付き添うことはないはず)たちである。おやおや、試験に保護者の付き添いとは、随分過保護だと思うかも知れないが、彼らは学校から遠方に家があるために、車で学校まで送ってきているのである。

試験は昼食をはさんで、午前から午後にかけて行われていたが、保護者たちはその間、学校の前で待機しているのである。家が遠いので、一度家に帰ってまた来るよりも手間が少ないのだろうし、また、燃料費がかかるから、往復の回数を減らすためもあるのだろう。

そういう訳で、トータルでどれだけの待ち時間なのかは知らぬが、保護者たちもご苦労様な2日間なのであった。

2011/06/03

夏休み開始

キルギスの学校は、5月で年度が終了。6~8月は夏休み。3ヶ月間もある…!

私の配属先は学校ではないが、ほぼそれに準じて休みを設定している。まあ、子供が来ないだけで、出勤はすることになるようだが。まあ、スタッフの様子を見る限り、これからの3ヶ月間は、業務よりも各々の夏休み計画のほうが関心の的であるようだ。

長期休みとなれば、国・民族が変わっても、楽しみであるのは同じである。冬は寒さが厳しく、屋外レジャーが楽しめるのは、この2~3ヶ月の間だけだから、旅行もこの時期に集中するようである。

私が住むイシククル州には、イシククル湖(「イシク・クル」は「熱い湖」の意味)があり、ロシア、カザフスタンなどの富裕層も避暑にやって来て、夏季の間はにぎわう。とは言っても、観光客が集まるのはイシククル湖の北岸側が主で、私の住む南岸側は客は少ないし、宿泊施設・レジャー施設も北岸に比べて全然少ない。それでも、5月下旬くらいから、この村でも欧米系と見られる観光客が週に1~2組は見かけるようになっている。

私は、昨年8月にキルギスに渡航し、最初の1ヶ月間は研修であったから、夏季のレジャーはほとんどできずに終わった。もっとも、研修がなかったとしても、この国に渡航した直後で、どこでどう遊ぼうかという見当もつかなかったのではあるが。

今年は、キルギスの観光地・レジャーの情報もたまってきているから、何カ所かは訪れてみたいと思っている。

2011/06/02

日本とキルギス、インフラ不足はどちら?

日本でも、洗濯を手洗いに切り替えたら、節電になるし、肉体労働だから運動にもなって、一石二鳥ではと書いた。ひょっとしたら、3・11大震災後の電気供給不足への不安からそういう話は既にあるのかも知れない。

個人的には大いに結構と思うのだが、それは今、キルギスで手洗いが基本の生活をしているからそう思うだけであって、日本にいたらやはり洗濯機に放り込んでしまうだろうとは思う…。

さて、仮に洗濯を手洗いにするとして、その他のことも途上国を見習って取り入れてみてはどうかと考えてみたが、途上国でできているから先進国でもできるとは限らないのだと気付いた。

例えば東京で、各家庭への上水の供給を止め、家庭ごとに水を汲みに行ってもらうというのは、あり得ないことであるが、もしそういう生活様式になったと空想すると、そもそも水を汲む場所・設備がない。せいぜい思い浮かぶのは、断水の時に自衛隊の給水車が来て、住民が容器を持って並ぶという光景である。

だが、昔は東京だって上水道なんてなかったのだから、住民は水を汲みに行っていたはずである。井戸、汲み上げポンプなんかが、町・村にあったはずだ(これは今のキルギスの村生活を念頭において想像している話である。かつて、アフリカに行った協力隊仲間に聞いたのは、アフリカでは泉のような所まで水を汲みに行くそうである。キルギスの村に汲み上げポンプがあるのは、ソ連時代の恩恵であろう)。

「家の外に水を汲みに行く」ということを取ってみれば、日本はキルギスよりもインフラが整っていないと言える。インフラとは「産業基盤・生活基盤を形成する構造物の総称」(『明鏡国語辞典』、「インフラストラクチャー」の項)のことである。先進国のインフラのほうが高等とは限らない。上水道がない地域には、上水道がなくても生活できるためのインフラがある(公共の水汲み場、用水路など)。

蛇口をひねれば飲用水が手に入る生活は、便利さで勝るのは事実だが、ではそれがない所は「インフラが整っていない」のかと言うと、否、「別のインフラがある」と表現したほうがいいように思う。

生活是肉体鍛錬《セイカツコレキントレ》

キルギスのように、「発展途上国」と呼ばれる国の生活では、日本での生活ではないような手間が色々とある。

例えば、水汲み。上水道が各家庭まで行き届いている訳ではないから、辻にあるポンプまで行って水を汲む家が多い。水は生命活動には欠かせないから、「面倒くさいから要らない」と言っていられない作業である。

一度にできるだけ多く運んだほうが、往復の手間が減らせるから、子供でもバケツを両手に持って水を運んでいる。さらに小さい子なら、ペットボトルとかを抱えて、自分の持てるだけの手伝いをしている。その子らもいずれはバケツで運ぶ日が来る。

例えば、洗濯。洗濯機は高級品だから、どの家にもある訳ではない。当然、手洗いになる。私のホームステイ先には二槽式洗濯機があるので、月に一度くらい、洗濯槽を回して機械で洗濯する。しかし、すすぎは手でやっている。それは手間だが、洗いからすべて手でやることに比べたらかなり楽である。洗濯機がない家ならば、洗濯の手間はいかほどか。

例えば、野菜の栽培。村では、面積の大小はあるが、ほぼすべての家庭がじゃがいも、にんじんなどを自分たちで栽培している。土を耕し、苗・種を植え付けていく過程も手作業が多い。一度、“手伝い”と称して、作業に参加させてもらったが、しんどかった。こういう作業にも、一家総出であり、子供も5~6歳ともなれば、それなりの戦力として数えられている。

私の観察眼が及ばぬだけで、日本人の生活と比べたら、ほかにもまだまだ手間がかかることがあるのは間違いない。上に見たように、それらの手間は肉体労働そのものである。

キルギス人たちを見ると、がっちりした体格の人が、男も女も多い印象である。酒と油の摂取過剰でぶくぶくの体型の持ち主も多いが、そういう人でも骨格はがっちりしているように見える(あくまでも主観的な観察に過ぎないが)。元々の、遺伝的にがっちりした骨格ということはあるかも知れないが、子供の頃から、水汲みなどの家事手伝いで作り上げられた面も大きいのではないか。思うに、彼らの生活は、生活そのものが筋トレみたいなことになっているのである。

翻って、どこかの国では、スポーツジムに金を払ってベルトコンベアの上を足踏みして、体力維持・増進だと言うのである。それなら、いっそ自宅で洗濯物を手洗いしたら、節電にもなるし、よほど合理的なような気がしないでもない。

今から、日本で、洗濯板で洗濯をする生活はできるかなぁ…

・生活そのものが筋トレになっている。
それを幼少の頃から積み重ねている

・日本…スポーツジムに金を払って行く

2011/06/01

停電の影響

東日本大震災で、東北・関東の多くの地域で停電になったという。最近の状況はわからないのだが、今も送電復旧していない・計画停電している地域があるのかも知れない。

今回の大震災の停電は別にして、日本で停電に遭うことはほとんどなかった。今、数日に一度は停電が起こる場所にいると、電気が24時間365日供給されている環境では思いもしなかった停電の影響があることに気付く。

前に書いたことだが、自分の日常生活が電気製品に囲まれていることが、停電になるとよく分かる。パソコン、携帯電話、テレビの類は、まあ我慢するとなれば我慢できるものである。

が、冷蔵庫となるとそうはいかない。特に冷凍庫にとっては、長時間の停電は大問題である。村の家々にも冷蔵庫は見かけるが、冷凍庫を利用している家庭はあまり見かけない気がしていた。これは、どうも、停電が関係あるのかも知れない(冷凍・解凍を繰り返すと、食品の傷みが速いのではなかったか?)。

冷凍庫問題は家庭よりも商店のほうが深刻である。多くの店は冷凍庫があって、肉・魚などを売っている。長時間の停電はこうした食品も傷めることになる。そして、何よりも影響が大きいのはアイスクリームである。もう言わなくてもお分かりいただいていると思う(書きながら、あるカタカナ単語が頭に浮かんだが、時局柄、洒落になりそうにないので控える…)。

商店でアイスクリームを買って、袋を開けてみると変形してしまっているのがよくある。当初、冷凍庫の冷凍温度が高いために、あるいは客が扉・蓋をちゃんと閉めないために、アイスクリームが溶けてしまうのだろうと予想していたが、そんなことよりも停電の影響のほうが大きいはず。

そんなふうに変形してしまったアイスクリーム。日本なら売らない(売ったら客が文句を言うに決まっているから)だろうが、こちらではそのままである。これもまたカルチャーギャップである。

新月。暗闇の恐怖。

これを書いている今は、日が替わって6月1日深夜。今日あたりが新月にあたっているようである。

村には街灯が少ないから、月明かりがないと外はほんとうに真っ暗である。夜、何も見えないというのを、日本の町で暮らしている者には分からないかも知れないが、本当に真っ暗である。

こういう時に一番嫌なのが、夜のトイレである。こちらではトイレは外にあるのが普通だから、用を足すためには暗闇の中を行かなければならない。もちろんライトはあてながら行くが、ライトで照らす所以外は何も見えず、うっすらと見える木の枝などが、かえって不気味さを増す。

こういう暗闇に身を置くと、「その木の陰に、不審者が斧でも持って潜んでいるんではないか」などと余計な想像をしてしまう。ホラー映画のせいで、そういう想像をしてしまうのか…。

用を足している時も、後ろから襲ってくる奴がいるかもと心配で、背後を気にして、半身になりながらである。書いていると笑えるが、その際中はハラハラしているのであるから、笑わずにいただきたい。

さて、便所への往復の間、家の近く・遠くから犬たちの吠える声が絶え間なく聞こえてくる。これは新月の夜に限ったことではなく、どんな時でも犬の吠え声が聞こえぬ夜はない。日本の都会では、犬は室内飼いするのが一般的になっているように思うから、夜中に犬が吠えるのも昔ほど耳にしなくなった。しかし、ここでは室内飼いなどする家はないから、犬たちは外で「番犬」としての務めを果たして吠えるのである。

ま、犬ならば正体も分かっているから、そう怯えることもないが、もしこれが他の動物の鳴き声であったら、さぞ不気味であろう。その時、私は、かつて火の利用方法も知らなかった我らのご先祖の人類を思う。彼らにとって、夜は恐怖以外の何ものでもなかったはずだ。

牙も爪も、際だって武器といえるほどではなく人類にとって、暗闇に響く他の肉食獣たちのうなり声・吠え声は、ホラー映画の恐怖どころではなかったと思うのだ。

たかが便所への用便であるが、こんな深い(?)思索に到る、新月の闇夜である。