2011/05/31

輪禍

住居の前の通りの電柱が、車の衝突によって倒れ、通りに面した一帯の住宅が24時間近くに渡って停電になったと書いた。

停電の元になった事故で、車の運転手は酔っぱらっていたのだと聞いた。さもありなん、という話である。

実際、酒飲み運転をしているドライバーはよく見かける。一度、マルシュルートカ(ミニバス)の運転手が、客待ちの間に、ビールを買ってきて飲んでいるのを見たのには呆れたが、そんなことは日常茶飯であると心得るようになってしまった。

酔っぱらい運転で電柱にぶつかった話を聞いて思ったのだが、これはたまたまぶつかったのが電柱だったから、“停電くらい”で済んだが、場合によっては歩行者をはねる、人家に突っ込むということもあり得た訳だ。

そう想像してゾッとした。

酔っているのかは知らぬが、品のない運転をする車が歩いている人のスレスレを走り抜けていく光景はよく目にする。あれが酔って注意が散漫になっている、あるいは気が大きくなっている結果の運転だとしたら恐ろしい。酔ってないにせよ、アスファルトで整備されていない道でスピードを出せば、何かの弾みに車が跳ね上がってハンドルが取られることは起こる。

全員がそうではない。しかし、悪いことというのは、一つ・一人でも見れば印象に強く残ってしまう。

とりあえず、背後からのエンジン音がある時は、必ず振り返って確認することを、今まで以上に確実にしよう。

2011/05/30

プロ野球交流戦、今年もパが優勝か…

私のようなプロ野球ファンにとっては、海外にいて、野球の中継が見られないのは残念である。もちろん、協力隊に来る以上、そんなことは分かっているのだが、やはり野球を見たいと思う。たまにでいいんでね。ま、あと1年我慢か…。

野球の中継は見られないが、当今はインターネットがあるから、結果はチェックできる。

今はまさに交流戦の最中。って、ソフトバンク、強すぎではないか? 引き分けはあるものの、勝率10割って…。

プロ野球交流戦は2005年に始まって、これまですべてパ・リーグのチームが優勝している。今年はソフトバンクが圧倒的に強い印象であり、現時点ですでに交流戦の優勝マジックがついているかのようである。

現在2位は西武、3位に中日が入っているが、4,5位がパ・リーグチーム。セ・リーグの頼みは中日だけという感じで、このままだと今年もパ・リーグチームが交流戦優勝しそうな感じ。このままソフトバンクが勝率10割で終わるというのも見てみたい気がする。

去年なんて、上位6チームがすべてパ・リーグだったし、交流戦って、パ・リーグチームが白星を稼ぐボーナス期間みたいになっている。

あ、パ・リーグが強いと言うものの、私の応援するロッテは、パ・リーグチームの中では最下位の11位(5/29時点)。今年は6位以内に入るのも難しいか…。頼むよ~!

カウボーイが来た (3) ~ コンサート、聴衆のマナー ~

ロデオショーがあったその夜、村のコンサートホール、その名も「レーニン・クラブ」でカウボーイと地元ミュージシャンの音楽コンサートがあった(「クラブ」はロシア語でклуб。集会所、といった感じ)。

concert

「地元ミュージシャン」というのは、キルギスの民謡歌手と、おそらくその一座。アメリカとキルギスの音楽文化の交流といった趣旨であったろう。

カウボーイの歌は決して下手ではなかった。いや、人前で歌うのであるし、上手かったと思う。だが、この日はそれ以上にキルギス側のミュージシャンのほうが際だっていた。

一つには、カウボーイの歌った歌というのが、スローテンポの、馬がカッポカッポと歩くようなリズムの曲ばかりで、キルギス人にはノリが弱かったのに対し、地元ミュージシャンのほうはジャンジャカとリズム感のある曲が多かった。それに、英語の曲というのは、こちらの人には馴染みがないと思われるのに対し、キルギスの曲ならば、大抵の聴衆は知っているから、入れ込み方も違ってくる。

そういう事情があってか、地元ミュージシャンが歌う時は、みんな手拍子、指笛を吹いて盛り上がるのに対し、カウボーイが歌い始めると、子供はちょろちょろと動き回るは、大人は携帯電話をするは…。あまりにも子供が騒がしいので、オバチャンの一人が「コラ、何をごちゃごちゃ騒いでる! 静かにしなさい!」と、一喝。それはよかったのだが、その一喝も演奏中にしていたのであった。

歌・演奏は、聴き応えのあるものだったが、聴衆の鑑賞態度の悪さに、その場にいた私のほうが気分が悪くなった。こういう時、演奏者が嫌な思いをしているのではないかと、お節介な気遣いをしてしまうのだ。それは「日本人的」な感覚であろうか。

(実は、この数日後に、別のコンサートも見に行き、そこでも更に悪い鑑賞態度に、私はほんとにうんざりすることになるのであった。)

この日のコンサート、地元ミュージシャンの中の一人が弾いたコムズ(3弦楽器)のテクニックのすごさを見、聴けただけでも価値があった。

2011/05/29

停電の一夜

昨日夕方から、私が住む通り一帯は停電となった。一本、向こうの通りは普通に電気がついている。

どうしてこの通りの一帯だけ停電になったかと言うと、電信柱に車が激突して、電柱が倒れて送電ができなくなったのである。

broken_pole2
(電柱が傾いている)

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(ポッキリと折れた根本)

この電柱が中継している地域だけが停電になったというわけである。

昨日の夕方に送電が止まり、人が集まって穴を掘ったりして復旧作業をしているようだったので、いずれ送電再開となるだろうと思っていたが、そのまま日没になり作業終了。住民は電気のない夜を迎えることになった。

最近では日が長くなっているが、夜9時ともなればここでも真っ暗である。ホストマザーは「今日はもう寝るしかない」と宣言。確かにその通りである。電気がなければテレビも見られない、新聞も読めない。私のノートパソコンも充電が切れており、使うことができず、寝るくらいしかやることがない状態であった。

日が明けて今日、傾いた電柱を見に行ったが、誰も作業をしておらず、今日は日曜だからひょっとしたら復旧作業がされないのではないかと不安であったが、11時くらいから作業員が来て作業が始まった。

restore

こうしてなんとか15時近くに送電が再開され、パソコンも使えるし、お湯も沸かせるようになった。ほとんどまるまる一日にわたって電気がなかったことになる。

普段から、3~4時間程度の停電は月に一度程度は起こるから、慣れている面もあるが、24時間となると色々と影響が出る。何よりも、協力隊で途上国の片田舎に来ているにも係わらず、自分が結構電気製品を使用して生活していることを自覚させられ、我ながら呆れたのであった。

2011/05/28

カウボーイが来た (2) ~ ロデオショー ~

カウボーイイベントの2日目はロデオショー。

村のスタジアム(стадион)であった。スタジアムへは、3/22の「ノールズ(イスラム新年)」の時のイベント以来。

キルギス人も騎馬民族として培ってきた文化がある。そこには、馬を飼育するという以外にも、馬を使って遊ぶとか、「男を見せる」とか、食べるとか、色々とある。

この日は、ポールを立てて、そこを誰が一番速いタイムで回れるかの競争や、女の人が馬で先に走り出して、少し遅れて男が馬で追いかける遊びを披露していた。女が逃げ、男が追いかけるのは、どうやらこれで男のほうはいいところを見せるという文化があるようだ。「オレ、こんなに馬乗りが上手いぜ。どうだ、オレの嫁に来いや」みたいなノリではないかと想像した。

そして、上半身裸になった筋肉質の男同士が馬上で相手を落とし合う闘い。小中学校の運動会で、3人が下で櫓《やぐら》のように組み、その上に一人が乗って、紅白帽(または鉢巻)を奪い合う「騎馬戦」という種目があり、運動会の中でもリレーに次ぐ注目種目であった。この日行われたのは、まさに本当の騎馬戦。

 kibasen

これにカウボーイも参戦。シャツを着ていると可愛い顔をしたハンサムガイという印象だったカウボーイも、シャツを脱ぐとムキムキ。こりゃ、すぐに勝負が着くかと思ったが、対するキルギス人男性も負けずに応戦。引き分けであった。きっと、この人たち、子供の頃からこういう遊びをしてきているのであろう。

キルギス人の男たちの遊びに、2つのチームに別れて、屠《ほふ》った羊を馬上で奪い合い、自分の陣地に持っていくという遊びがある。ボールを羊に換え、馬に乗りながらするラグビーみたいなゲームである(だから、「自分の陣地」と書いたが、ひょっとすると「相手の陣地」という設定でゲームをしているかも知れぬ)。

game1

こんな感じでやり合う。これだけ画角を落としてしまうと、迫力がほとんど伝わらないと思うが、近くで見ていると凄いものである。争奪戦がどちらに向かうかは誰も分からない上、男たちは羊を奪うことに夢中になっているから、客席に行ってしまうのではないか、ひょっとしたら自分のほうになだれ込んで来はしないかという緊張感がある。

この遊び、まず馬を自由に乗りこなせなければならない。それに加えて、地面にある羊を拾い上げ、それを片手で抱え、さらに敵からの奪取を防ごうというのだから、相当の腕力を要するのは容易に想像できる。羊は牛ほどの大きさではないにせよ、70~80kgはあるだろうから、それを持ち上げるだけでも大変なことである。

上の写真をクローズアップすると、羊を抱えているのが分かる(中央の白い馬に乗った人の左手)。

game2

このゲームにもカウボーイが参加。観客も大いに盛り上がっていたのだが、とんだハプニングが起こった。羊の奪い合いに夢中になっている男たちが、競技場の中に立っている柱のほうに行ってしまい、競技者の一人がそこに激突、落馬。どうしてそんなところに柱を立てるかな~、となじったところで後の祭り。落馬した人は胸骨を折ったとかで、そのまま救急車で運ばれていった。

そしてロデオショーもそのまま終了。鷹匠の人がパフォーマンスをするために控えていたようだが、そのお披露目もお流れとなってしまった。見たかったけど、残念。

takasho

(なお、今回、掲載した写真は、同じ村の隊員からいただいたものである。当日、私はカメラを持参していなかったので…)

カウボーイが来た (1)

4月の某日、アメリカ・ワイオミング州からカウボーイの一団がバコンバエバ村に来ていた。なんでも在キルギス国アメリカ大使館の企画で呼び寄せて、国内数カ所を巡回していたらしい。私はカウボーイ来村のことを全く知らなかったが、同じ村で「観光振興」分野で活動している隊員から情報をもらって知った。同じ村に仲間がいると、自分が知らない情報を他の誰かが持っていることがある。

カウボーイ一行は、男性3名と女性(カウガール)2名、その他、コーディネーターや通訳、大使館からの同行者などで総勢10名ほどだった。

イベントは2日間開催され、1日目はカウボーイ流馬の調教方法のデモンストレーション。キルギス人の多くも農業、特に羊・牛・馬を飼育する仕事をしているので、自分たちのやり方との違いを見る機会にもなっていた。

丸太を組み、半径10mくらいの円形の柵を作り、その中に馬が1頭、カウボーイが1人。カウボーイはこの馬とは初対面で、おそらく馬自体もまだ調教されていないやつだったと思う。馬は、最初、カウボーイが近づくと恐れて逃げる(カウボーイはそういう動きも見越している)。

 cowboy (1)

そのうちに、少しずつ馬に近づくことを繰り返し、まず胴体、そして頭をなでても馬が逃げない所まで手懐《てなず》けていた。

cowboy (2)

私などは、こういうのを初めて見るので、ずいぶんと感心したのだが、キルギス人にはどうであったのだろうか? キルギス人の馬の調教というのも見てみたいものである。

カウボーイが言っていたことで印象に残ったのは、「私は、馬に強制はしたくない。どうすればよいか、馬を教育する」という言葉。無理矢理やらせてもダメっていうことですな。すごく地道な作業で、馬を追いかけ回すのが始まってから終わるまで2時間近く…。しかもこの日は馬に騎乗する所まではせずに終了。最初は100人くらいいたキルギス人観客も、終わる頃には20人くらいに。

カウボーイ氏、お疲れさまでござった。

2011/05/27

300日目

このブログに貼り付けている「経過時間カウント」ガジェットを見たら、本日で300日目である。たぶん正確だと思う。

まあ、300日目だからと言って、299日目と何かが変わるということはないのであって、大騒ぎする必要はない。十進法だと、100という数字が区切りに思われるだけであって、これが二進法とか十六進法だった、まったく別の数字が区切りに思われるだけである。

299日目と300日目で隊員活動の何かが変わることはない、と書いたが、しかし1日目と300日目であれば、これは大きく違うという自覚がある。キルギスの生活に対する慣れ度合いは増したし、この国に対する好悪の感情も、具体的なエピソードを伴って語ることができるようになっている。

不思議なもので、一日ごとの変化は感じられないのに、100日単位くらいで振り返ってみると、結構自分が変わっていることに気付くのである。

一日一日は、仕事に集中したり、サボったり、人と会って話したり、独りで無為に過ごしたり、そんなたわいもないことを繰り返しているのに、それが繰り返されるうちに、なにか自分の中に溜まっていくようなイメージだろうか…。

青年海外協力隊の任期は2年間 = 730日だから、残りは430日である。730日目の自分はどんな感じになっているのであろうかとぼんやり考えたりするのである。

マルシュルートカ百景 ~ 「マルシュルートカ」という乗り物 ~

キルギスの公共交通機関で、もっとも国民に使われているのはマルシュルートカ(маршрутка)と呼ばれるミニバスである。ミニバスというよりも、ワゴン車を大きくしたような車体である。

marush1

キルギスの協力隊員は「マルシュ」と省略して呼んでいる(ただし、ロシア語でマルシュ(марш)は「行進、マーチ」の意味になってしまうせいか、現地の人がそう言っているのは聞いたことがない)。マルシュルート(маршрут)は「進路、航路」といった意味の言葉で、そこから派生して「定路運行ミニバス」みたいな感じでマルシュルートカと呼ばれるようだ。

マルシュルートカは、市内を走る短距離のものと、町と町を結ぶ長距離のものとある。もっとも、市内にマルシュルートカが走っているのは大きな町(たとえば首都のビシュケク)だけで、私の住んでいる村の中には近距離マルシュは走っていない。村からは都市部へ行くための長距離便があるのみである。

ビシュケクだと、朝から晩までマルシュがひっきりなしに走り回っている。各マルシュには路線番号が書いてあり、それを見ればどこを通ってどこへ行くかが分かる。自分の乗りたいマルシュを待ち、来たら手を挙げて止めて、乗車する。目的地が近づいたら、「あの店の前で止めて」というふうに運転手に伝え、止めてもらう。

想像できると思うが、この乗降車の流れは、慣れないうちは非常に緊張する。いや、私などは今でもマルシュの乗り降りは緊張することが多い。

マルシュルートカという乗り物は、車体もそうだが、乗降車の仕方、乗車中の立ち居振る舞いなど、日本では見ることがないことだらけなのである。これからたまに「マルシュルートカ百景」と題して、マルシュルートカという乗り物について、私が見聞きし、体験したことを書いていくつもりである。

2011/05/24

【震災関連】他のブログの引用

東日本大震災という、文字通り日本人の生活を揺さぶる出来事が起こって2ヶ月以上が過ぎた。

地震発生直後に頭の中を駆けめぐっていた思いと、2ヶ月という時間が経過した現在思うことはテーマも質も変わってきている。

どれだけの被害が発生したのかと毎日気にしていた地震後2週間から、今は福島原発のメルトダウンがどうなっていくのか、日本という国自体がどういう方向へ進むべきなのか、といったことに私個人の注意は向いているように思う。

で、自分の浅知恵だけで考えていても思考の深まりは得られないのは分かっているので、震災がらみのコ記事がを書かれているいくつかのブログを読みながら、自分では気付かなかった視点・見解を得るようにしている。

そんなブログ記事のいくつかへリンクを貼っておく。

【内田樹の研究室】脱原発の理路
http://blog.tatsuru.com/2011/05/20_0900.php

【ホスピタリティの場所 (山本哲士公式ブログ)】「社会する」ことで、半数以上の子どもたちが死んだ:O小学校の津波被害
http://hospitality.jugem.jp/?eid=738

2011/05/23

夕焼け

夕焼け

私の任地で撮った夕焼けの写真。

この写真を撮ったのは、雨が降った日で、夕方に雨が降って、その後晴れて夕焼けとなったと記憶している。

私は夕焼けを見るのが好きで、30秒きざみくらいで色がどんどん変わっていくのを見るのが楽しい。

都市部だと建物に囲まれて、空自体を見ることが難しいので、夕焼けが出ていても見られないのである。それはキルギスでも同じ。首都だと夕焼けが見えない場所がある。

日本語には「夕焼け」と並んで「朝焼け」という言葉もあるが、私は朝焼けのほうは見ることが少ないのである。理由は、私が朝はギリギリまで布団に入っているという単純なことである。

2011/05/22

梅雨、のような日々

5月に入ってこのかた、二日と空けずに雨の日が続いている。なんとなく、日本の梅雨を思い出させる。

ガイドブック『地球の歩き方』にある首都ビシュケクの気候のグラフを見ると、4月が一番降水量が多く(月間降水量約75mm)、5月がそれに続く(約65mm)。ここ最近雨の日が多いのは、例年のことなのだと分かる。

ちなみに7,8,9月は月間降水量が15mm程度。昨年8月に来た時、キルギスは毎日ジリジリと暑かったが、雨が降らなかったからだろう。

雨が降っても、傘をささずに外を歩いている人が多い。傘をさしている人もいるが、10人に1人もいない印象。ほぼ100%の人が傘をさしている日本から考えると、「なんで傘をささないの?」と不思議な光景である。とは言うものの、私もすでにこの光景を見慣れてしまい、不思議とは思わなくなっているし、かく言う自分自身、傘は持っておらず、雨の日は濡れながら出歩いているのだ。

以前聞いた話だが、日本に来た外国人は、雨の日にみんなが傘をさしているのを見て驚く(感動する)らしい。そもそも、そんなに全員が傘を持っていることが、他国の人には信じられないことらしい。

この「梅雨」が終わると、--日本のように--、一気に夏になるんじゃないかという気がする。

お天気くるくる

イギリスのどこだかに、一日のうちで四季を味わえる土地があるそうである。

雪の降る寒さから、半袖で過ごせる夏まで、気温の変化・降水の有無など、天候状況がめまぐるしく変化するということらしい。

前のブログに、ここ最近雨が多いと書いた。雨は確かに多いのだが、一方で雨雲が切れ、陽が差すと、気温は一気に上がり暑くなる。まさにイギリスの何とか地方と同じに形容できるほど、天気がくるくると変わるのである。

そもそも、私がいるバコンバエバ村は標高1,700mにあるらしい。1,700mと言えば、かなり立派な山の高さではないか? 「山の天気は変わりやすい」と言うが、最近の天気が小刻みに変わるのは、標高が高いせいもあるのか、とも思ったりする。

こういう時季は、出がけの服装をどうするかに困る。「今日は肌寒いな」と思って、ジャンパーを1枚多く来て出ると、その1時間後にはかんかん照りとなって、ジャンパーを脱がざるを得なくなる。こういうのはまだよい。脱いだジャンパーは邪魔になるが、それだけのことである。それに、また寒くなることもしばしばであるから、ジャンパーが本当に必要なくなった訳でもない。

むしろ嫌なのは、「今日は暑そうだな」と思って薄着で出て、途中で雨が降り、気温が下がった場合である。こういう時、どんなに震えていても、さらに着込む服がないので、どうしようもなくなってしまう。

まさに本日がそういう日であった。

出勤時は快晴。「これなら暑くなるでしょ」と判断し、半袖にパーカーで出勤。ところが1時間、2時間と経つうちにどんどん肌寒くなってきて、気付けば大降りの雨である。さらに、10分ほど雹《ひょう》まで降っていた 。ほんと、寒くて寒くて弱り果てた。

rainy_day

あ、書いていて思ったのだが、こういう時季は、暑かろうが寒かろうが、両方に対応できる服装の準備をしておけばよいってことだね。

2011/05/21

タンポポは一日で咲き終わるのか?

タンポポの話を2~3回書いたと思うが、またしつこくタンポポ。今はタンポポの花が咲き乱れており、あの鮮やかな黄は、いやでも目に入って注意を引くのだ。

先日、日没の時間にタンポポを見たら、一斉にしぼみ始めていた。どうやら、タンポポは夜になるとしぼむ性質があるらしい(これはキルギスにあるタンポポだけなのかも知れぬが)。

sibomu_tanpopo

その後、注意して見てみると、朝はタンポポの花はあまり見かけないのである。気温なのだか、日照なのだか分からぬが、タンポポはそういう環境の要素に反応して、一日のうちで花を咲かせ、しぼませているのではないだろうか。もちろん、こんなのは素人考えの域を出ない仮説であるが。

今まで、こんなにタンポポを見ることはなかったが、見てみると、こんな当たり前のような花でも自分の知らない性質があるのだと気付く。

身近にあるものをきちんと見ず、知らずに、今の齢《よわい》に至ってしまったのかと、ハッとするのであった。

2011/05/18

youtube動画が使われるかも

書いてよいものかと判断がつきかねていたが、あと1週間くらいに迫ったので書いてもよいと判断して書く。

先月、日本から、テレビ製作会社のスタッフと名乗る方からメールがあり、私がyoutubeにアップしている動画を、番組製作で使ってもよいかとの問い合わせがあった。

そんな話を持ちかけられるのは初めてのことであるので、先方には失礼ながら詐欺まがいの話ではないかとも疑いつつ、どんな趣旨で使うのかと返信。向こうの方から、「これこれの番組(バラエティ系)で、これこれのシーンで使いたい」と返事があり、それならば使えそうなものがあればご自由にどうぞ、ということになった。

実際に私の撮った動画が使われるかは不明。製作会社の人とのやり取りから察するに、使われたとしても、ちょっとおつまみ程度に映る感じではないかと思う。

使われる(かも知れない)番組は、「仰天クイズ!マルチンルールSHOW!」(テレビ東京系、火曜日19:54~)で、来週5月24日の放送分の予定らしい。

この番組、この4月からの新番組らしく、私は見たことがないのだが、タカアンドトシの司会らしい。クイズバラエティということで、話を聞いた感じでは、ちょっと誇張してキルギスが紹介されるのではないかという危惧もあるのだが、果たしてどうなるであろうか…。

番組ホームページ
http://www.tv-tokyo.co.jp/ruleshow/

ここをちらっと見た感じでは、5/24放送予告には「キルギス」とは書いてないぞ? 今日、放送されてしまったか?

2011/05/16

Засадили картошки

Вчера я с семьей, в которых я живу, ехали в гору, чтобы засадить картошки.

У нас поле в горе. До поля 30 минут на машину. Там есть деревня.

 

Далее есть ещё деревни!!

110516mura

Засадили по человческой силе и по ложади.

110516potato 

110516horse

Будем собрать урожай в сентябре.

2011/05/15

聖地巡礼のビザ枠 (2)

書いていて気になったので、駐日サウジアラビア大使館サイトを覗いてみた。

ありましたぞ、巡礼ビザに関する情報(http://www.saudiembassy.or.jp/Jp/Visa/Visa.htm#1)。

サウジアラビア政府の認可を受けた旅行代理店を通してのみ申請可能
サウジアラビア大使館・領事部へお電話でお問い合わせください
(代表03-35xx-xxxx)

認可を与えた旅行代理店を通じて、駐日大使館でビザの発給数を管理している感じである(まあ、当然そうだよね)。

それはそうと、このページの一番上に、

サウジアラビア王国を訪問する人は、イスラムに基づく諸法律・規則を順守し、サウジアラビア社会の価値観と伝統を尊重しなければなりません。

と、注意が書かれている。巡礼に行く人は、もとよりイスラム教徒だからイスラム諸法・戒律を守り、サウジアラビアの文化に従うはずだから、この注意書きはイスラム教徒ではない旅行者に向けて書かれていると思われる。

確かに、我々日本人の多くにとっては「イスラムに基づく諸法律・規則」なんて馴染みが薄いもんなぁ。旅行するとなれば、それなりに下調べはするだろうけど。私もサウジアラビアの文化・風俗は知らんけど、日本人旅行者がやりそうな「ルール違反」としては、飲酒と女性の服装かな。

おそらく、ホテルなどのバーなら酒は飲めるだろうけど、どこでも酒が飲めるという訳にはいかないだろうから、イスラム教徒が行くような店にビールを持ち込んじゃうとか、そういうトラブルはあり得るのでは。女性旅行者が、肌の露出の多い服装で出歩くのも御法度であろう。

ところで、キルギス人は「イスラム教徒」と言う割には酒を飲むし、しかも酒にだらしない人が多い。日本人も仏教徒でありながら飲酒する人が多いから、他文化の人のことを悪く言えた義理ではないが、しかしそんなキルギス人が、全世界からイスラム教徒が集まる巡礼に行って大丈夫なんかいな? と心配になるのである。

イスラムの戒律遵守が緩いキルギス人の中にも、きちんとイスラム的な生活を貫いている人はいる。(別にイスラム教の肩を持つわけではないが)残念ながらそういうきちんとしたイスラム教徒は、キルギスの中では少数派な感じである。ただ、メッカ巡礼に行くのは、そういうきちんとしたイスラム教徒の人たちであろうと思う。だから、メッカに行って、「ああ、メッカに来たぞ。みんな、乾杯だ」という間違いは絶対にないだろうと、他人事《ひとごと》ながら心配したり安堵したりするのであった。

2011/05/14

ブロガーのエラー「bx- 94lnhf」への対処方法

このブログはGoogleのブロガー(blogger)というサービス内に設置している。

本日、投稿しようとしたら「bx- 94lnhf」というエラーが出て、投稿ができない状態になってしまった。何度やってもダメ。 13日の金曜日にセットされたウィルスなのかとも一瞬思いつつ…、ネット検索で対処法を探す。

Googleのヘルプ をみたら、英語だけだったが、翻訳サイトも使いながらなんとか対処方法が分かった。ひょっとしたら、日本語でヘルプを探す人がいるかも知れないので、以下に手順を訳しておく。(なお、この対処法の元は「karen v」というハンドルネームの方による。http://www.google.com/support/forum/p/blogger/user?userid=12595720436210545370&hl=en


1) 下書きを保存する。

2) 「投稿を編集」画面に移る。

3) 投稿したいポストのチェックを入れる。

4) 「選択した投稿を公開」をクリック。

5) 選択したポストが「予定」となる。


Thank "karen v".

アッと言う間に

dandelion
(640×480ピクセル)

前回タンポポの写真をアップして、2日後くらいに上のような綿毛になっていた。

綿毛の一つひとつがタンポポの種であるが、これが風に飛ばされてどこかに着地して、来年まで花を咲かせないというのは、すごく不思議なことに思われる。

聖地巡礼のビザ枠

キルギスのニュースサイトにあった記事。

◆Кыргызстану на хадж-2011 выделено 4 тысячи 500 виз(聖地巡礼ビザ、キルギスは4千500人分)
http://www.24.kg/community/99870-kyrgyzstanu-na-xadzh-2011-vydeleno-4-tysyachi-500.html

イスラム教徒にとっては、生涯に一度、聖地メッカ(サウジアラビア)へ巡礼いくことが宗教生活上の柱の一つであるそうだ。巡礼月というのがあって、その期間中に合わせて、多くのイスラム教徒たちがメッカを目指す。巡礼月の巡礼を「大巡礼(ハッジ)」と言う。

もちろん、全世界のイスラム教徒がメッカへ旅することができるわけではない。サウジアラビア国外に住むイスラム教徒にとっては、旅費がそれなりにかかるわけで、大変なことである。

大変なのは、行く人だけでなく、全世界からのイスラム教徒を迎えるサウジアラビアも、である。何しろ、数週間の間に、何百万という人が一箇所に集中するのだから、宿泊施設等含めて、受け入れるのは大変なんだろうと思う。

で、巡礼月に入国できる人を制限せざるを得ず、イスラム教国それぞれに、ビザ発給の制限枠を設けているのである(以上、すべてどこかで聞いたり読んだりした話)。

今年(厳密には、イスラム暦と西暦は一致しないので、西暦に基づいて「今年」というのは間違いであるが)、キルギスに割り当てられたのは4千500人分とのこと。

この人数が、毎年こんなものなのか、多いのか少ないのか、分からない(記事中に書いてあるのかも知れないと思い、google翻訳にかけて読んでみたが書かれていなかった)。

ところで、日本にも日本国籍のイスラム教徒がいるはずだが、そういう方々は大巡礼に行こうとした場合、ビザの問題はないのであろうか? 日本のイスラム教徒は少ないから、人数制限を設けるまでもなく、普通に参加できるのだろうか。それとも、どこかに代表事務局みたいのがあって、そこがサウジアラビア政府にビザの枠を申請しているのだろうか。駐日サウジアラビア大使館はあるだろうから、そこでビザの管理はできるはずだから、そこでやってるのかな?

2011/05/13

小沢センセイ、おめでとうございます

協力隊とはまったく関係のない話を続けて、もはや何のブログなんだか分からなくなっているが、あしからず。

小沢昭一の小沢昭一的こころ。本日を以て放送一万回を達成!!

多分、私が騒ぐ以上にすごいことなのであるが、ネット配信で聴いた本日分の放送は、気負うこともなく、リスナーに感謝を述べて、来週の予告をして、いつものように終わっていた(本放送では、東京音頭が流れた模様だが、ネット配信ではそれはカットされており聴けず)。小沢センセイらしく飄々と放送一万回を迎えられた感じである。

冒頭で「協力隊とは関係ないが…」と書いたが、私がこの番組を聴き始めたのは2003年頃、マレーシアにいた時であり、私個人としては、自分の協力隊経験とは切っても切れない思い出のある番組なのである。

当時は、もちろんネット版で聴いたのであるが、そもそもは、インターネットで日本語の情報が聴けるサイトはないかと探してたまたま行き着いたのであった(この番組の存在は知っていたが、日本では聴いたことはなかった)。だから、インターネットがない時代の隊員だったとしたら、私は「小沢昭一の小沢昭一的こころ」を聴くことなく人生を過ごしたかも知れないのである。

日本の芸能史に関する私の知識の多くは、小沢センセイから教えていただいたものである。いずれ小沢センセイも亡くなる時が来るのであるが、そうなるとあの膨大な、生き字引的な明治・大正・昭和にかけての日本の大衆芸能に関する知識もなくなってしまうのである。ああ、もったいない…(これと似たようなことを、淀川長治さんが亡くなった時に思った)。

いかんいかん、しんみりした話にしてしまった。とにかく、本日はめでたや放送一万回、おめでとうございます。

2011/05/12

いよいよ明日、一万回!

前に書いた通り、小沢昭一氏口演のラジオ番組、「小沢昭一の小沢昭一的こころ」が明日、放送一万回を迎える。

10,000回!

一年に約290回の放送だとして、10,000÷290≒34.5。34年半かかることになる。放送が休みになることもあっただろうし、実際には39年かかっているようである(放送開始は昭和47年1月から)。

最初の放送は小沢昭一センセイ、44歳の時だったとのこと。当年とって御歳83。

番組の中のネタとして、そろそろ冥途の旅につく話もちらほら出るが、番組ファンとしてはさらにお元気に口演を続けてもらうことを願っている。

日本で、地元のラジオ局がTBSラジオのネットに入っていたら、是非、この記念すべき放送を聴かれたし。ネット局がない地域、外国にいる方は、番組ホームページで音声配信あり(音楽は著作権の都合でカットされている)。

http://www.tbs.co.jp/954/ozawa/

そうそう、大阪圏ではこの番組はどこの放送局でもネットされていない(怒)! 小沢センセイの話芸は東京テイストなのは確かであるが、こういう文化遺産的な番組を、大阪のような大都市で放送していないとは情けない話である。実は、その昔には放送があったらしく、関西にいる知り合いにも「子供の頃によく聴いた」という人はいるのである。それがスポンサーが降りたために放送がなくなったらしい(Wikiに書いてあった)。

とにかく、明日は記念の日なのである。

「小沢昭一的こころ」について、明日も書くのこころだ~!

2011/05/11

コムズの弦、切れる…

前に書いたことがあるはずだが、キルギスの伝統民族楽器に「КОМУЗ(コムズ)」というのがある。3弦の楽器で、おそらく日本の三味線のご先祖にあたると思う。私は村の音楽学校で週2回のコムズのレッスンを受けている。

2日前、コムズを練習しようとしたら、3本のうちの真ん中の弦が切れていた。

コムズの弦は、基本的には麻糸のような素材で、人によってはナイロン弦を張っていることもある。糸のほうがコムズらしい音がするが、耐久性の問題があるので、ナイロン弦で代用しているのだと思う。ギターもクラシックスタイルだとナイロン弦である。クラシックギター用の弦として専用弦が売られているが、聞いたところでは、コムズに張っているのは釣り糸なんだとか。本当だろうか?

私のコムズの弦が切れたところは、弦を弾く時に指があたる部分。ちょっと前から糸が毛羽立ったような感じになっていたので、気になっていたのだが、やはりそこが弱まっていたのだ。

コムズの弾き過ぎで弦が切れたのだから、練習をたくさんやったということで、その意味では自己満足感はあるのだが、同時に思うのは、爪が長すぎたのではないかということ。爪があたれば、指の肉(皮)の部分で引くよりも弦の摩耗が多くなる。

私はギターを弾くので、それと同じような弾き方(爪ではじく)をしているが、コムズは爪弾きでないのかも知れない。

(この話、コムズを弾かない人にはまったく関心のない話だろうが、備忘録として自分用に書いておく。)

コムズの先生に相談した所、弦の交換をして下さるということで、コムズは預けてきた。今日、取りに行くようにいわれていたので、教室に行ってみたが、先生はお休み…。よくある展開である。

今日は何の日? (5月9日)

昨日5月9日は祝日だった。村では、8日に中心部でセレモニーが行われていた。

fes1

さて、5月9日って何の日だったか…? 日本にはない祝日である。

実は、この日は対独戦勝記念日である。私は、そんなことを知らずに祭があるというので見に行ったのであるが、高校生がきちっとしたユニフォームを着せられ(写真上)、そしてステージや来賓席には高齢のお爺さまがたの姿があった。

第二次大戦に従軍した人であれば、1945年に二十歳であったとしても、現在は80歳を超えている。キルギス社会においては、かなりの高齢者である。第二次大戦だけでなく、もっと若い世代の退役軍人、現役軍人も出席していた。皆、肩から胸にかけて、勲章バッジを付けていた。

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当時の日本は、ドイツと同盟国であったし、ソ連は敵対国であったので、5月9日が戦勝祝になるわけはなく、日本人である私にはこの日が戦勝記念日であることは思いもしなかった。おそらく、ドイツでは別の記念日になっていると思うが、一つの歴史的出来事に対しても、こちら側とあちら側で意味づけは変わるのである。

2011/05/09

ボンズ頭

前回髪を切ったのはいつだったか…。2ヶ月くらい既にたったように思う。

頭髪がだいぶ伸びてきたのと、春だと思っていた陽射しが、あっというまに夏のような強さになってきたのとで、頭がなんとなくムシムシするような感じになってきたので、数日前、床屋に行った。

今回は、バリカンで坊主頭にしてもらおうと思っていたので、床屋へ行く前に和露辞典で「坊主頭」をロシア語でどう言えばよいか調べることにした。

その時、まず見出しに「ぼうず【坊主】」が出てきて、そこには「бонза(ボンザ)」とあった。

日本語の「ぼうず」とロシア語の「ボンザ」は似ているではないか。

それで、今度は露和辞典で「бонза」を調べてみると、語源はフランス語の「bonze」だとある。手元に仏語辞典はないので、代わりに英語のほうを調べてみたら、やはり英語にも「bonze」というのがあった(発音は「バァンズ」となるようだ)。

そして、語源の説として「ポルトガル語のbonzo(仏僧)より。日本語「坊主」からか」と記されている(「ジーニアス英和辞典」)。

もし、フランス語、英語のbonze、ロシア語のбонзаがポルトガル語から伝わったとして、そのポルトガル語の元が日本語だとしたら、これはかなり古くに国際語になった日本語の例ではないか(あるいは、そんなことは既に多くの人が知っていることだろうか)。

そんなちょっとした発見をして喜んだのだが、もちろん、床屋の注文で「ボンズ頭でお願い」と言っても伝わらない。和露辞典の大見出し「ぼうず」の中に小見出しとして「ぼうずあたま」というのがあり、それは「剃った頭;短い髪の頭」という表現があてられていた。

そりゃそうだ。

2011/05/08

見た目と実年齢 (3)

マレーシアでもキルギスでも、青年海外協力隊の隊員は、大抵、実年齢よりも若く見られる。逆に、我々(日本人)から見ると、現地の人たちは実年齢よりも老けて見えることが多い。

これはどういう訳かと考えてみるに、これらの国人たちは、お肌の傷み・老化が日本人よりも多いのではないか。お肌の傷む原因としては、加齢によるもの以外に紫外線にあたることがあるだろう。

さらに、紫外線に多くあたる原因を考えると、

①陽射しの強さ
マレーシアのような赤道上の国だと、一年中、夏である。そのため、太陽からの照りつけも一年中厳しい。

②屋外労働の多さ
キルギスでは農業が主な産業であり、農業をしている人は多い。農業専門でない家でも、ちょっとした作物は庭で作っているし、家畜の世話もする。その他にも水汲みだの、家の修繕だの、自分たちでやるし、自家用車がないから買い物も徒歩である。これらの作業で外に出ている時間が多く、自ずと陽にあたる時間も長くなる。

③紫外線対策グッズの有無
日本なら、「UVカット」と銘打った化粧品、クリーム、サングラス等々、紫外線を避けるためのグッズが様々出回っているし、そう大した費用をかけずに購入できる。一方、途上国においては、そういうグッズはあまり売られていないようだし、あったとしても値段的においそれと買えるものではない。

あと、キルギスの場合で言えば、

④飲酒による肌荒れ
これまでにも当ブログで書いたが、キルギス人は酒を良く飲む(というか、飲み過ぎてアル中になっている人がたくさんいる)。酒の飲み過ぎも、肌の老化を進めるのではないかと思う。

キルギスでは、年長者に対しては「お兄さん」を意味する「байке(バイケ)」という呼称を付けるのが礼儀である。配属先の職場で、「○○バイケ」と呼んでいた相手が、ある時に生年を聞いたら、自分と同じだったことがあり、正直驚いた。見た目には私より5~6歳は上だと思っていた。職場以外でも、そんなことはよくある。

我々は、日本の中での、「○○歳といえば、大体こんな肌質、皺具合、髪の量」というイメージがあるから、それを基準に相手国の人を見ると、老けて見えるのである。

逆に、相手国の人のほうでも、自分たちの年齢イメージがあるだろうから、それを基準にして見ると、日本人は年若に見えるということである。

【お知らせ】写真展『ぼくらは繋がっている ~シルクロードの国キルギスの風景と人々~』

東京で、キルギスから被災地へ向けた写真展が開かれる。(以下、写真展サイトから転載)


写真展『ぼくらは繋がっている ~シルクロードの国キルギスの風景と人々~』

2011.05.03(火)-05.08.(日)

キルギスは「中央アジアのスイス」と呼ばれ、7,000m級のピークを含む天山山脈や琵琶湖の約9倍の大きさの山岳湖・イシククル湖等の大自然が非常に美しい国です。遊牧民族であるキルギス人を始めとする様々な民族が共生する多民族国家でもあります。この写真展では、この国で暮らす日本人が出会ったキルギスの美しい風景や印象的な人々など、キルギスの様々な魅力を一挙にご紹介いたします。
また、3月11日に日本で発生した東日本大震災について、キルギスに住む私たち日本人は沢山のキルギスの人々からお見舞いや温かい励ましの言葉を頂きました。この気持ちを日本の人々にも届けるため、キルギスの人々にそのメッセージをカードに書いてもらい、それを手にして撮影したメッセージ写真も同時に展示しています。

■会期期間 2011/05/3(火・祝)~5/8(日)

■各日の会期時間
3(火)4(水)5(木):11:30~18:00
6(金)7(土):11:30~15:30
8(日):11:30~16:00

■会場 カフェスロー
〒185-0022
東京都国分寺市東元町2-20-10
TEL : 042-401-8505
FAX : 042-401-8503

■ ホームページURL
http://event.cafeslow.com/?eid=1080218

2011/05/07

Одуванчик(タンポポ)

キルギスにもタンポポが咲いている。今、タンポポの花の最盛期。

tanpopo

2~3日前から、ホームステイ先の庭は「タンポポ畑」と呼びたくなるくらいに、一面のタンポポに覆われている。

dandelion

私のように詳しくない者は「タンポポ」と一括りにしてしまうが、そのタンポポの中でも種類は別れるらしい。西洋タンポポに、日本の自生種(「日本タンポポ」というんだろうか?)が生息地を奪われているとか聞くが、キルギスで見かけるのはやはり西洋のものに近いんだろうか。

ロシア語ではодуванчик(アドゥバーンチック)と言うらしい。

語源は「дуть:(風などが)吹く」という単語から来ていると辞書に書かれていたが、これはタンポポの種子である綿帽子が風に吹かれるところから連想された名前ではなかろうか。

2011/05/06

見た目と実年齢 (2) ~顔は作られる~

以前、年齢を訊かれて、「●●歳だ」と答えたら、相手が「いやぁ、18、9ぐらいにしか見えないよ」とお世辞ともつかないようなことを返し、それで「キャー、嬉しい~!」と歓喜している女性を見た(その方、20代後半だった)。

「男は四十になったら、自分の顔に責任を持て」と言うそうである。

責任を持たねばならないのかどうかは別にして、その人の生きて来た道程が顔に顕れるということはあると思っている。テレビのワイドショーで、元捜査第一課の刑事《デカ》だったというような人がコメンター席に座っていることがあるが、あの人たちの目つき・顔つきの鋭いこと。人を詮索し、ヤクザ者になめられないように振る舞い続けなければならない職業だからなのかと思う。あの仕事の一流になるためには、ある意味で、そういう顔を引き受けなければならないのであろう。

笑い皺《じわ》ができるのを嫌って、笑わないように努める人がいるらしい。また、頑固親爺・頑固上司で家族の前でも部下の前でも笑わずに通した男が、定年して、いざ笑おうという場面になっても、頬の筋肉がこわばって笑い顔が作れなかったという話を聞いたこともある。顔は歳月をかけて作られるものなのだ。

笑い皺の刻み込まれた顔、人と楽しく和やかに笑うための頬筋の柔らかさ。私にはそういう顔の持ち主のほうが好ましく思われる。

「おい、ではお前自身の顔はどうなのだ?」とお尋ねの向きもあろうか。

さあ、どんなもんだろうか。私は、髭剃りの時くらいしか鏡を見ることがない、というか、見ないようにしている。ショーウィンドーでも、車の窓ガラスでも、自分の影が映るたびに髪型だの、服装の傾きなどを気にする男がいるが、あれほど端から見てみっともないものはないと思うので、自分は鏡を見ないようにしている。

だから、「お前の顔つきはどうなのだ」と問われたら、「鏡を見ない者の顔」ということになる。

見た目と実年齢 (1) ~問い返すべからず~

私がメインで使っているポータルサイトの広告に、とある健康サプリメント(と思われる)のウェブ広告が載っていて、「あなたは実年齢より年上に見られてませんか?」みたいなコピーが書いてある。

こちら(キルギス)で、よく歳を訊かれる。マレーシアにいた時もそうであった。日本人同士では、いきなり歳を尋ねるのは失礼になりやすいから、これらの国の人たちは無遠慮な印象である。しかし、実際のところ、日本人だって、日本人同士では年齢は訊かないが、外国人には歳を訊くことがあるだろうから、同じようなものだ。

年齢を尋ねられて、「いくつみ見えますか?」と逆に訊き返す人をよく見かけるのだが、私はあれは好きでない。相手の推定した歳が実年齢よりも下であれば喜ぶらしい。では、逆に上だったらどうする? ムッとするに違いないのだ。

それが分かっているから、いくつに見えるかと答えるほうでも、相手の実年齢をまず予想しておいて、そこから5歳低くくらい言うというような、ごますりをしなければならくなる。そこまで気を回した挙げ句、相手の実年齢よりも上だったら、双方嫌な思いをする。

そんなお世辞合戦を毎度のごとくやっている人を見ると、よくまあ飽きないものだと、むしろ私のほうが呆れ疲れてしまうのである。

2011/05/04

Цветы Груш

Это - дерево груши в огород дома, в котором я живу.

 peer_tree

И эти – цветы груш.

 peer_flower

2011/05/03

GW

「GW」と書いて「ゴールデン・ウィーク」と理解するのは日本人くらいだろう。

思えば、日本は今GWであった。この連休中に、このブログをまとめて読んでくださる方もいるのだろうか…。

キルギスにいて、日本のGWを羨ましく思うところは少しあるが、そもそもこちらは休みが多い。この週末もメーデーがらみで3連休(土、日、振替休日)だったし、職場のほうは何かの理由で突然休みになったりする。

これでは生産性はなかなかあがらんだろう、とこの国における異邦人としては思う。みんな仕事が好きじゃないんだろうな、と感じる。

日本人の仕事好きは、外から内から揶揄されて、バッシングを受けたりすることもあるが、それは美徳という面もあるように思う。

一年に数度ある連休を楽しみにする。そのくらいが、ちょうどよろしいのかも知れぬ。

2011/05/02

メーデー

5月1日は全世界的にメーデー、労働者の日であった。

ソ連は労働者階級が尊しとされた国家だから、メーデーは特別だっただろうと思う。現在のキルギスで5月1日が祝日になっているのは、ソ連時代の名残ということか。

昼間、村の中心部に出かけたら、商店街に数カ所設置されたスピーカーから音楽とキルギス語のアナウンスが流れていた。村に来てから始めて見聞きした光景。訊いてみたら、「5月1日の特別な催し」だとのこと。

ところで、今年のメーデーは日曜日と重なった。うちの職場は、明日は振り替え休日に。この週末、首都ビシュケクから村に来ていた親戚は、「明日は仕事がある」といって日曜日のうちにビシュケクに帰っていったところを見ると、明日の休日は国の定めた休日ではない可能性あり。

うちの職場、休みが多過ぎちゃうか…?

そう言えば、私の小学生時代、5月1日は休まれている先生が多かった。おそらく、教員組合の集会なんかに出るためであったと思うが、あれは時代というのもあったんだろうか? 今もメーデーに教員は多いのだろうかなどと、昔のことを思い出しつつ、思うのであった。

2011/05/01

言語ごとの「指」 (2)

前から気になっていたのだが、日本語では「ゆび」と「さす」が同じ漢字である。だから「ゆびさす」を漢字で書くと「指指す」となる。某社の漢字変換では「指差す」と出るし、国語辞書でも「差す」は正字とされているが、「差す」は物の長さを測ったりする時の字(例:物差し)だから、「指す」と書いた方がいいんじゃないのか。おそらく「指指す」と書くと読みづらく(「ささす」とか「ゆびゆびす」とか)、変な感じがするので「差す」にしているんだろう。

漢字の「指」には、ある方向に向かっていく意味もある。指し示すことと、向かっていくことのイメージが近いのか。

私は残りの人生、「指指す」を指向し、他人にも「指指す」を指南する!

「指」の入った熟語の中に「将指《しょうし》」というのを見つけた。国語辞書には載っていないから漢語のみの単語であろう。もう、なんのブログか訳が分からなくなってきているのだが、ついでだから書いておく。

【将指】(ショウシ)
手の中指。足の親指。将は、大の意。(大修館書店『新漢語辞典』)

え? 「将は、大の意」ってことは、「中指」を「大きな指」と見ていることになる。確かに一番長い指であるから、それ自体はおかしくはないのだが、前回見たロシア語では「大きな指」とは「親指」を指していたから、ここでも言語によって別の意味になっている。

こういう基本的な単語だからこそ、言語ごとに微妙にニュアンスが違うところに、その言語を生み出した文化の認識の違いが表われてくる。

言語ごとの「指」 (1)

ロシア語の勉強をしていて、「палец(指)」という単語を辞書で調べていたら、日本語と共通していると思ったのでメモしておく。

 


日本語 ロシア語 (直訳)
親指 большой палец 大きな指
人差し指 указательный палец 指し示す指
中指 средний палец 真ん中の指
薬指 безымянный палец 名前のない指
小指 мизинец  

名称が日本語と共通しているのは「人差し指」と「中指」。「親指」も、「親=大人、大きい」と解すれば同じイメージであろう。

面白いのは「薬指」。ロシア語の原義では「無名の指」である。「名前がない」というのが名前になっているのだから、論理的には矛盾している。日本語で子供に「無名雄《むなお》」とか「無名子《むなこ》」と名付けるようなものだろうか…。どうして、こんな名前がついたのか、手持ちの露和辞書には書かれていないので、そのうちロシア語版ウィキにでもあたってみよう。

「小指」だけは、他の4指とは違って「~な指」という形式の名前ではなく、「мизинец」という固有名詞がある。日本語話者の感覚だと、親指を「大きな指」と言っているのだから、小指は「小さな指」と呼べばよさそうなものに思うのだが、どういう訳かそうなっていない。ロシア語学習者の不便を考えてほしいもんだ。(^^;

さて、ついでなので知っているようで知らなかった(か、忘れてしまった)英語で「指」をどういうかもチェック。

 


日本語 英語 (直訳)
親指 thumb 原義は「ふくれた指」
人差し指 the forefinger /
the index finger
(前方を)指し示す指
中指 the middle finger 真ん中の指
薬指 the third finger 3番目の指
小指 the little finger 小さな指

いやいや、ほんと面白いなぁ、言語比較って。

英語と日本語を比較した場合、「人差し指」「中指」「小指」が一緒。特に「人差し指」「中指」はロシア語とも一致している。この2本に関しては、日、英、露で認識の仕方が同じということだろう。

「小指」に関しては、日本語と英語は仲間。ロシア語は別。

不思議なのは、またまた「薬指」。「3番目の指」って、どういうこと? どうやら、「人差し指」を1番目の指として数えているようである。英和の「the forefinger(人差し指)」の項に「the first finger」と括弧書きされていたので気付いた。ギターの楽譜では、弦を押さえる左手指には人差し指から小指にかけて1→4と番号がついている。そう考えれば3番目というのも頷ける(ただし、ピアノでは親指から1番指だったはず)。

英語では「親指」にだけfingerがついておらず、「thumb」という固有名詞があてられている。ロシア語では「小指」が固有名詞になっているから反対という感じである。

こういう被災者支援も…

協力隊員の書くブログに載せる話じゃないが、個人的に面白かったのでリンクを貼り付け。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/504930/http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/504930/

「地震前は常連客と観光客が柱だった。いまは、観光客の代わりに、復興支援の作業員の来店が増えてます」という従業員談話と、「日中、被災者のために無料で浴室の開放も始めた」というのが良いなぁ。

そこで入浴する婦女子はどんな気分であろうか…。