8月31日である。
私の出身地は9月から二学期が始まっていたので、8月31日は夏休み最後の日であった。憂鬱な気分だったと記憶している。
何よりも、夏の絵日記のような宿題が溜まっているのが憂鬱のタネであある。毎年、そのパターンを繰り返していて、我ながらどうかと思うのだが、考えてみると、あれから何十年経った今も、基本的なパターンは変わっていない。
開き直る訳ではないが、「三つ子の魂百まで」で、個人の根本的な性質は、小学生に上がるまでにはおおよそ顕れており、生涯に渡ってその性質はずっと伏流しているように思う。
就職すれば、外部圧力が高くなるから、良くも悪くも自分の性質を押し通し続ける訳にはいかなくなる。そういう意味では、就職というのは第二の人格形成の時期だと思う(特に最初の2,3年)。それでも、外部圧力の受け止める時に、それ以前からある性質がフィルター、バイアスをかけるから、そこにその人らしさが自ずと出る。
そういう自分の性質というのは、違う環境に身を置くと自覚しやすくなる。
同じ環境にいると、人間関係にせよ、物事の段取りにせよ、一定の均衡状態に収束していくから、そこに新しいことを発見・感知するのはなかなか難しい。従来と違う環境に身を置く(旅行、引っ越し、転職など)と、慣れないことに出会い、スムーズにいかないこと(土地勘、言葉、食事など)に対処しなければならず、そこに自分の「地」が顕れる。
何度かそんなことを繰り返しているうちに、自分の行動パターンというか、物事への対処の仕方の傾向が見えてくる。内田樹が「自分が失敗する時のパターンを学ぶ」みたいなことを書いていたと思うが、その話を聞いて納得したものだ。
30年前の自分は、よもや30年後にこんな人間になっているとは思っていなかった(と思う)が、その頃の「彼」の中に、すでに30年後の「私」がいたのである。