8月1日からイスラム暦のラマダンに入ったそうである。
「ラマダン」という言葉は、日本人にも耳慣れてきたように思う。「今日からラマダンなんだって」「へぇ、そうなんだ」みたいに、いちいちラマダンが何かを説明しなくても会話が成り立つことが増えてきた。
ラマダンとは、そもそもイスラム暦の月の一つである。「ラマダン=断食」ではない。ラマダンの一ヶ月は、日の出から日の入りまで断食をするという決まりがあるのである。イスラム暦は太陰暦なので、太陽暦で見るとラマダンの時期は毎年異なる。ちなみに、ラマダンはイスラム暦の第9の月だそうだ。
ラマダンという言葉に日本人が多く耳にするようになったのは、湾岸戦争とか、9・11後のアフガニスタンでの軍事作戦の時だったのではないか。軍事作戦に影響するとかで、ニュースの解説にラマダンという言葉が出てきていた。
ラマダンに入ったとは言え、キルギスにおいてはあまり断食ムードを感じることはできない。そういえば、昨年この国に来た頃もラマダンだったが、人々が日中も普通に食事をしているので驚いた。
以前協力隊生活を送ったマレーシアは、断食月はかなり厳格にしていた(そのことは改めて書くことにする)ので、イスラム教徒はどこでもそのようなものかと思っていたが、この国に来てイスラム教徒も多様であることを目の当たりにした。
当初は「戒律に対してこんないい加減ではいかんだろう」と責めるような気持ちがあったが、イスラム教徒でない私が憤るのも筋が違うし、この問題についてはキルギス人、あるいはイスラム教徒の間で是非を問うなら問うだろうし、あるいは触れずにおくということなのかも知れない。
日本人も多くは仏教徒だけれど、肉・魚は普通に食うしね。その辺、どうなんだろう。本当にそういう戒律があるんだろうか? それすら曖昧である。肉・魚を食べているという現実があるから、そういう戒律があったとしても、あえてそれを引っ張り出してきて、「俺たちは仏教徒なんだから、肉食は慎もうぜ」という声は挙げないようにしているのか? 人間というのは、一度美味い物を味わってしまうと、堕落してしまうと言うが…。
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