2012/06/29

身近にあるブッダ・デザイン

キルギスと玄奘三蔵ついてブログに書いたことがあった。現在はイスラム教が主流となっているキルギスであるが、玄奘が唐からインドへと旅をした頃は、キルギスでは仏教寺院が数多くあったそうである。

イシククル湖の脇を玄奘は通った(シルクロードである)はずなのであるが、かつてイシククル湖の北側には仏教寺院が存在したそうで、玄奘も訪れたであろうということだ。湖の水位が上がったり、湖の位置がずれたりしたことで、それらの寺院は現在、湖底に沈んでいる。

湖底に沈んでいないものも含めて、キルギス国内にはまだまだ仏教関連の遺跡がたくさん眠っているはずなのであるが、限られた国家予算の中で、現在の自分たちの信仰とは別の宗教の遺跡を発掘するところまでは手が回らないのか、放置されてしまっている。日本の考古学調査隊とか、来てくれないものか…

さて、話は変わるが、(確か)昨年から売り出された「ISSYK ATA(イシック・アタ)」というガス入りのミネラルウォーターがある。イシック・アタというのはキルギス語で、直訳すれば「温かいお父さん」という地名である。たぶん、そこの水の質が良いので、それを銘柄にして売り出したのであろう。

このミネラルウォーターはペットボトルで売っているが、ボトルの色がエメラルドグリーンで爽やかな感じがする。そして、ラベルを見てみると、

issyk-ata

こんな絵がプリントされている。どう見ても仏(いや、詳しくないのだが、菩薩とかなのかも知れない)の絵である。このミネラルウォーター、よく売れているということも書き加えておく。

こういうものが許容されるキルギスって、不思議な感じがするのである。赤道に近いほうのイスラム教国で、こういう製品って売り出されることは私にはイメージしづらいのだ(勝手な思い込みなんだけどね)。

そういえば、ビシュケクには「Buddhist Cafe」というカフェもある(高級店らしいので、まだ行ったことがないが)。この辺もキルギスらしさと言えるかもしれない。

2012/06/28

中古のほうが高いのはなぜ?

Amazonで本をあれこれ見ていて気づいたのだが、その本の中古が出品されている中に、定価(新品の!)よりも高い値段で売られている物がある。

たとえば、

http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4344982487/ref=dp_olp_used?ie=UTF8&condition=used

http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4344982487/sr=/qid=/ref=olp_page_next?ie=UTF8&colid=&coliid=&condition=used&me=&qid=&shipPromoFilter=0&sort=sip&sr=&startIndex=15

http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4480062459/ref=dp_olp_used?ie=UTF8&condition=used

とか。探せば、まだまだいくらでも出てくると思う。

これらの本は、別に稀覯本というわけではなくて、実際、定価よりも安い出品している業者もある。そういう中にあって、定価よりも高い値段で出している業者いるというのは、どういうわけ?

想像だが、うっかりな人が、間違えてそういう業者のところをクリックして購入してしまうのを狙っているとか? だとしたら悪質。

まじめに値段設定をした結果がこれなのだとしたら、それはそれで中古本を扱う業者としては問題であろう。

2012/06/27

カレールーがなくても、カレーを作れた

私などは、市販のカレールーでしかカレーを作ったことがなく、インドカレーのようにスパイスを調合して作るカレーは憧れである。

マレーシア赴任、バザール(市場)でスパイスが売られていて、自分ではどのスパイスを買えばよいのかわからないので、店のおじさんにカレー用のスパイスを調合してもらって、それでカレー作りに挑戦してみたのだが、肉と野菜のスパイス煮込みみたいになってしまい、さんざんな出来であった。

キルギスに来た時も、カレーは食べたくなるのが分かっていたので、日本の家族から荷物を送ってもらう際に、カレールーを入れてもらった。ただ、カレールーがなくなるとカレーを作れなくなるという問題があった。

自分が村から首都に引っ越してから気づいたのだが、首都のバザールではカレーのスパイスが調合済みのパッケージで販売されている。

curry spice
(ビシュケクで見つけたカレースパイスのパック。ロシア製品のようだ)

ただ、これはスパイスを調合したものなので、日本のカレールーのように、入れれば美味しくでき上がるというものではない。店頭で見つけて、迷わず買ってみたものの、私にはマレーシア隊員時代にスパイスでカレー作りに挑んで失敗した記憶が甦った。

しかし、あれから約10年。独り暮らしの自炊生活を積んできたおかげか、今度は何とかなるという気がした。果たして、キルギスでのカレー作りは、まずまずのでき上がりになった。マレーシアで失敗した時と比べると、

  • 肉、野菜を炒めた後、小麦粉を加えて炒めた (これが後でカレーのとろみとなる)
  • 煮込む際、固形スープの素を加えた (スパイスだけではうま味は出ない)
  • 昔のCMを思い出し「りんご(を擦ったもの)とはちみつ(の代わりに砂糖)」を入れた (ありがとう、ヒデキ! 感激!)

これらのことを抜かして作ったのだから、マレーシアで作ったものが美味しくならなかったのは当然なのであるが、当時はどうして美味しくならないのかわからなかった。

ということで、将来、キルギスに協力隊員として、あるいは企業の駐在員として来るかも知れない人たちのために、カレースパイスのパッケージを使ってカレーを作る手順を掲載しておく。

  1. 切った肉、野菜を炒める。 (玉ねぎは弱火で時間をかけて炒めると甘みが出る、ってサ)
  2. カレースパイスを加えて炒める。 (辛味がほしい人は、別途、赤唐辛子の粉末を購入して加える)
  3. 小麦粉を加えて炒める。 (だまにならないように注意)
  4. 水を加え煮込む。その中に、固形スープの素を入れる。 (固形スープの素は、具材の量に応じて調整)
  5. 煮込みの途中で、すり下したりんご、はちみつを入れる。 (これらがなければ砂糖を少々)
  6. 具材に火が通ったら完成。

これ以外に、ウスターソースがあれば入れると味が複雑になってより美味しい。ワインを入れるというのもありかもね。あとは、ケチャップ、またはトマトピューレ、トマトのざく切りなんかを入れるのもよろしいかと。

こうして、カレールーがなくても、カレーを作れるようになり、私の独り暮らし食生活はかなり安定することになり、その後、しばらくは、遊びに来た隊員には必ずカレーを押しつけがましくふるまったのであった。

カレーがない!

とにもかくにも、日本人にとってカレーライスは欠かせない料理である。思い返してみると、今まで「カレーライスが嫌い。食べない」という人には会ったことがない。もしそんな人がいれば、絶対に記憶に残っているはずであるが、誰も思い出せないということは、私がそういう人にはまだ会ったことがないからであろう。「ジャガイモ入りのカレーは嫌い」とか「ナスとかピーマンは入れないでほしい」という好みは聞くが、カレー自体が嫌いという人はいないのである。

この類の話であれば、私なぞよりも熱く語れる人はたくさんいるのであって、私が駄文を付け加える必要はないのであるが、今回、私が言いたいのは、「協力隊にとってのカレー」あるいは「キルギスで生活をする日本人にとってのカレールー」っちゅうことなのだ。

日本の食文化の中で育った者の誰にとっても欠かせないカレーであるから、当然、協力隊に赴任している2年間でも食べたくなる。たとえば、インド、バングラディッシュなどのカレー発祥の地、本場に派遣される隊員であれば、現地でカレーを飽きるほど(って、言い方が悪いかな?)食べられるに違いない。実際、バングラディッシュでは朝昼晩の三食ともカレーで、それぞれが違った食材、違った味付けで出てくるので、そのバリエーションの豊富さに感動すると聞いたことがある。

私が前回赴任したマレーシアでも、インド系住民がカレーを伝播して、普通にマレーシア料理の一部となっていた。ダールカレーやマトンなど、日本ではあまり馴染みがなかったカレーも味わうことができた。美味かった。

では、インド料理が一般的でない地域ではどうか。キルギスなんかはそうである。協力隊での2年間、カレーが食べられないのはつらい。そこで、我々の頼みの綱は、日本から持って来たり、郵送してもらった日本製のカレールーとなる。

キルギス協力隊を見ても、日本から荷物を送ってもらう際、結構な割合でカレールーを頼んでいる。「やった~、カレールーが届いた。みんなでカレーパーティーをしようぜ~」と喜びのカレーパーティーが催されるのだ。しかし、一方でカレールーのストックがなくなりかける「これがなくなったら、カレーが食べられなくなる…」と不安にもなる。

と、まあ、カレーに関するキルギスでの切実な状況を書いたのだが、実のところ、首都のビシュケクにはインド系(パキスタンとかかもしれない)のレストランが何件かあり、そこでカレーを食べることができる。インド式カレーなので、日本人がカレールーで作るものとは食材や風味が異なるが、本式なのでやはり美味しい。

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(やった~、カレーだ! しかも本格的)

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(シタールも飾られて、インド風を演出)

インドカレーの店があるなんて、やっぱり首都だけのことはある。田舎の村では、メニューのどこにもカレー風味のものはなかった。でも、結構なお値段がするので、一度行ったきりなのだ。こことは別にとあるフードコート内にもインド料理屋があって、カレーが美味しかったのだが、値段は通常のキルギス料理に比べたら高かった。

カレーを安く食べることはできないのか… (続く)

2012/06/25

「あと一ヶ月」と言えば...

7月末に協力隊員としての任期が終わるので、任期の残りもあと1ヶ月である。この話は、ここ最近、何度か書いているので、「またか」というネタなのであるが、あと1ヶ月のものがもう一つあった。

ロンドンオリンピック。

これも約1ヶ月後に始まるのだ。

オリンピックって、4年に開かれる一度のビッグイベントのせいか、自分の人生のそれぞれの時期と重ね合わせて回想する人も多いのではないか。「ロサンジェルス五輪の時は、大学生だったな」とか「ソウル五輪の100m決勝は、△△と一緒にテレビで観たな。あの時は中学生だった」とか。

ロンドン大会の開幕は7月27日なので、私が日本に帰るその日である。ということは、競技の中継は日本で見ることになるんだな。帰国直後で、報告会やら健康診断やらでバタバタしていて、あんまり中継を見る時間もないかも知れない。それもまた思い出になるのだが…

開幕まで1ヶ月ということで、日本ではだんだんとオリンピック気分が高まってきているのではないかと予想する。ネットでニュースを見ていても、そういう話題が出ているし。

ただ、ここキルギスではさほどオリンピックが話題になっている雰囲気がない。一つには、参加する競技種目が少ないということがあるのかもしれない。キルギス選手が得意な競技は、レスリング、ボクシングといった格闘系の個人競技。サッカー、バレーボール、バスケットボールなどのボール競技、チーム競技は出場権を得られるほどのレベルではない。残念ながら。

他の国へ行った協力隊の人もそうだと思うが、自分の派遣された国の選手・チームが、こういう大きなスポーツ大会に出ているのを見ると、どこか身びいきみたいなものを感じて応援したくなる。私の場合なら、キルギスとマレーシアの選手たちを応援する。

日本の代表選手・チームたちも含めて、熱戦が見られることを期待している。

2012/06/24

般若心経を覚える…

そういえば、同期の隊員と「協力隊にいる間に『般若心経』を暗記しようじゃないか」と言って、「よ~し、言ったな、こいつぅ。じゃあ、来月までにどこまで覚えたか競争しようぜぇ」みたいなのりであったのだが、その後、一行たりとも覚えていない。

なんか、我々二人のそのいい加減さ自体が、ありがたいお経からは縁遠いことの象徴のような気もする…。アーメン(って、ひどいね、ホント)。

2012/06/23

【マルシュ百景】 荷物輸送としてのマルシュ

ずいぶんしばらくぶりのマルシュルトカ(маршрутка)の話。

マルシュルトカ(乗合いワゴン)は、自家用車がない人にとっては、国内移動をする際の一番の交通手段である。私も村に在住の頃は、首都と村の間を長距離マルシュ(日本人の中ではマルシュルトカを略してそう呼ぶ。地元の人は使っていない呼び方)で移動するが常であった。

マルシュの乗り場に行くと、本人は乗らずに荷物だけ預ける人を見かけることがあった。どうするのかと不思議に思って見ていると、運転手に電話番号を伝えている。そのままマルシュは出発。

何時間か走って、どこかの村に近づくと、運転手が誰かに電話をする。「もうじき○○に着くぞ。あんたどの辺にいんの?」みたいなことを話している。これは荷物の受取人と話しているのかと聞いていると、果たして、しばらくすると道端に人が立っていて、マルシュもそこで止まる。そして、預かってきた荷物を渡すのである。

ふ~ん、マルシュは荷物輸送の手段にもなるのだね。金を払えば「宅配」もしてくれるのかも知れない(あまりにも奥地は無理だろうけど)。

キルギスでは郵便局による小包の郵便サービスは整っていない。荷物を遠くの家族・知人に届けようとした時に、その方面に行く誰かに預けるか、そういう人がタイミングよく見つからなければマルシュの運転手に預けることになるようである。

日本国内に住んでいる人は気づきにくいことだと思うが、日本の郵便サービス、加えて民間の宅配サービスというのはすごくきめが細かく、かつ高い質である。そういうサービスがある国であることを日本人は誇ってよいと思う。

日本のような配達サービスが整っていないキルギスでは、マルシュのような人の移動手段に便乗させて荷物を届けるのだ。それも地元の人の知恵である。でも、携帯が普及するまでは、そういうのも思いつかなかったかも。あるいは、受取人が主要な停留所まで行ってまっておくとか、かな。

2012/06/22

Сезон арбузов!

スイカの季節が来た!

arbuz
(バザールの露店で)

値段は一玉150~200円。日本のスイカの値段と比べたら、信じられないくらい安い。上の写真で、スイカと一緒に並んでいる黄色っぽいフルーツはメロン。スイカとメロンは同じ時季に出回る。メロンのほうは一玉50~70円。やはり安い。

当たり外れはあるが、スイカもメロンもおおむね甘くておいしい。冷蔵庫があるなら、冷やして食べるのがよろしい。夏の暑さにほてった体にひんやりとしたのどごしと甘さがうれしいのだ。

キルギスの人がスイカを切るのを見ていると、まな板の上ではなく、皿の上、もしくは手の上で切っていく。スイカに限らず、キルギスではまな板を使うことは少ない。スイカをまず真っ二つにして、さらにその半分に。その時に食べる人数にもよるだろうが、今切った断面を横に切っていく。まあ、日本でも切り方は一緒だから想像しやすいだろう。

日本ではスイカに塩を付けて食べる人がいるが、こちらでも何度かそういう食べ方をする人を見たこがある。

種は、日本に比べて飲み込んでいる人が多い印象である。私は種を除いて食べる、または口に残った種は吐き出すが、これも慣れの問題みたいで、種ごと食べている人は、だからと言ってスイカをまずく感じることもないようだ。

湖畔に遊びに行った時や、人を招いての食事の時に、切られたスイカが出てきて、みんなが「わぁ、スイカだ~」と喜んでいる場面。あれの雰囲気がいい。

食事会、プレゼント…

任期が残り少なくなると、任地での仕事の関係者、プライベートでの友人などから、「帰る前に一度食事を」と招待を受けることが増える。

もちろん、そうやって声をかけてもらうのは大変うれしい。障害児の指導をして、親がそうやって招待をしてくれるのは、私の指導の結果を好意的に受け止めてくれているから、ということもあるだろうから、ホッとする気持ちもある。

そうは言っても、帰国前というのは荷物の片付けやら、JICAへの報告の準備やらで、バタバタするのが常で、そういう時期に食事会が入ると、なおさらバタバタするのである。しかも、ボランティア同士のお別れ会みたいなものもあったりするし。

そういうのを見越して、帰国の準備を早くから済ませておける人もいるようで、私などは一生涯かけてもその段取りを身に着けることはできないものと諦めているが、要は帰国前にバタつくかどうかは個人の問題と言えなくもないわけだ。

食事の招待とともに、帰国時に悩まされるのが記念品のプレゼントである。プレゼントをくれる人の好意を台無しにする、人情知らずのたわ言を承知で言えば、帰国間際に荷物が増えるのはすごく気が重い。相手が好意・厚意で用意してくれたことがわかるだけに、置いていくのも心苦しい。

特に「勘弁してくれ~」と思ってしまうのが、陶器の皿とかコップの類である。「どうやって日本に持って帰ろう、これ?」となってしまうのだ。関係者には、あらかじめ「プレゼントは不要です」のお知らせを出そうかと本気で悩んでいる。

これは自分が「もらう側」として困っているという話だが、逆に自分が誰かを送り出す時には「あげる側」の悩みに転じる。形あるもので、かさばって壊れやすい物は、自分がもらったら困るので、人にもあげたくない。そんなことを悩んでいるうちに、別れの記念品なんてもらう必要もなければ、あげる必要もないと割り切って、握手して「ありがとう、さようなら」で十分だと考えるに到っている。

図書券、ビール券みたいな選択肢もなくはないだろうけど…。そういえば、キルギスではそういう金券の類を見たことがないなぁ。

2012/06/20

ブログ更新、停滞気味

このブログはできる限り、一日一エントリー(記事)と思っているのだが、更新が思うようにできていない。

新しい配属先に移って、自分の専門の自閉症に関わる仕事ができるようになって、前の配属先にいた時と仕事の状況が一変した。

自閉症児の個別指導を、私一人がやっている状況、かつ新しく開設した指導教室なので、教材の開発・作成や、個別支援記録などの書式作成、またそれへの記入を、ほぼ独りでやらなければならない状況となっている。

これは忙しいからと愚痴っているわけではなく、本当のところ、協力隊員として仕事が忙しいということは、それだけでも大変ありがたいことなのだ。協力隊で現地に行ってみたものの、さまざまな理由で仕事がなかったり、職場の中で役割が見つからなかったり、やってみても周囲の反応が薄かったり、ということで行き詰って悩んでいる隊員は案外と多いのである。

私自身も、前の配属先は、ある意味ではそういう状況で、ただ自分自身がいい加減なので、「相手がやる気がないのなら、何を言ってもやっても伝わらないな」と見切りをつけて、勤務時間中にパソコンでDVDを見ている同僚たちには構わずに、センターに来る子供たちと関わるというような感じであった。

それに比べれば、やることがあれこれとあって忙しいというのはありがたい。語弊があるかもしれないが、忙しいということは、それだけでも充実感を得られることも多い。やっている中身が有意義かどうかは別にして、とりあえず忙しいというそれだけでも「なんかしら活動はしている」という感覚はもてる(つまり、私が忙しくしているからといって、中身のある隊員活動をしているという保証にはならんということ。それは自覚しておかねばね)。

そんな状況もあって、ブログが更新できない日も続いてしまっている。という言い訳を書きたかったのだ。

実は、このエントリーも、表示されている日付よりも後に書いている。投稿した日は、ページソースとかRSSとかのどこかに記録されているのかも知れないが、表示されている日とずれがあるのはそういうことである。ご勘弁を。

2012/06/19

夜9時まで明るい

緯度が高いせいだろうが、キルギスにおける夏場の日没時間は、(日本人的感覚からすると)すごく遅い。

ここ最近だと夜7時半ごろまで昼間のような明るさで、8時ごろから日が落ちてきたように感じ始める。で、夜9時ごろでもまだ薄明るい。

私は集合住宅の一室に住んでいるのだが、建物の前が公園になっているため、子供たちが遊んでいる声が夜9時過ぎでもまだ聞こえてくる。「こんな遅くまで子供を外で遊ばせておいて、親はどうなってるんだ」と思うこともあったが、外が明るいのだから「こんな遅く」という感覚でもないのだろう。

それに、子供がこんな感じで外で遊んでられるのは、キルギスの治安が良いということとも解釈できる。あと、日本と決定的に違うのは、子供の数が多いことである。少子化日本では昼間でも子供の喚声《かんせい》が聞こえることは珍しい。

夏は日没時間が遅いが、当然、冬はその逆で、日没時間は早くなる。夕方4時半くらいから薄暗くなって、5時半には真っ暗である。キルギスでの冬は2季とも、私は村で暮らしていたから、街灯もなく、真っ暗な道を職場から帰る日もあった。

2012/06/17

キルギス「ビッグベン」

イギリスには「ビッグベン」という時計台があって、それがイギリスを象徴する物の一つなのだそうだ。BCCの国際放送でも、正時の時報はビッグベンの鐘の音が流されていたように思うが、私の記憶違いだろうか。

この写真は、ビシュケクの中心部(Чуй-Советская,チュイ-ソビエツカヤ通り)にある、キルギス電話公社の建物。ここに時計台がある。

鐘が鳴るわけでもなく、キルギスの人にどれだけ認知されているのかは知らないが、まあ、それなりに立派にそびえ立っている。

周囲にだんだんと高い建物が建ってきているから、そのうち、それらの建物に隠れて見えづらくなる日が来るのかも知れない。

2012/06/16

都会の真ん中で野良犬たち

ビシュケクの中でも中心的な通りを歩いていたら4匹の犬の群(というほどの数ではないか…)と遭遇。


(首都の大通りでも野良犬がいる)

これまでも何度かキルギスの野良犬の話をブログに書いたが、 首都のこんな大通りにも野良犬がいることに、私はちょっとした感動をする。日本で、東京の、新宿のど真ん中で野良犬がいるだろうか?

ふと思ったのだが、日本でたまに見かける車にはね飛ばされて死んだ犬の遺体、あれは日本にも野良犬がいるっていうことなんだろう。

ビシュケクでは野良犬がたくさんいるが、車にはねられて死んだ犬はあまり見ない(村へ移動する途中ではたまに見かけた。おそらく、夜間、暗くてドライバーが気づくのが遅れたり、よけられなかったりしたためだろう)。

野良犬たちを見ていると、結構うまく道を渡るのに驚かされる。

日本も、もっと野良犬たちが暮らしやすい国にならんものかね…。あ~あ、つまんない。

2012/06/15

арпа(アルパ)ビール

ビシュケクのОш(オシュ)バザールに隣接して、арпа(アルパ)ビールの製造工場がある。

アルパビールはキルギスのオリジナルビール。協力隊仲間では、店でビールを注文するときに「俺、アルパ」と言うのがお約束になっている。これは、某先輩隊員がよくそう言っていた(らしい)ので、それを懐かしみながら言うのである。


(アルパビールの製造工場)

арпа(アルパ)はキルギス語で「麦」の意味。ビールは「麦酒」と書くように、麦を原料としているから、「アルパ(麦)」というネーミングはストレートで分かりやすい。

この工場の敷地内にアルパビールの直売酒場があって、1瓶39ソムで買える。通常、食堂でアルパビールを頼むと、60~70ソムだから、直売ならではの安さである。

先日、一人で行ってみたが、シャシリク(串焼き肉)やポテトチップス程度のつまみが売られていて、設置されているテーブルはすべて客で埋まっていた。席に着けなかった人は、適当に腰を掛けられる人を見つけて飲んでいた(私は腰掛けもせずに立ち飲みしていた)。

キルギスに旅行する人は、ぜひキルギスのオリジナルビール「アルパビール」を試してもらいたい。

2012/06/14

自動販売機

第2ビシュケク駅の構内で見つけた自動販売機。

自販機
(第2ビシュケク駅ロビーの自販機)

菓子と飲み物が買える自販機で、ためしに何か買ってみようと紙幣(50ソム札)を挿入しようとしてみたが、吸い込まれず、結局買うことはできなかった。

なぜに自販機などを紹介したかと言えば、自販機はキルギスでは珍しい物だからである。私が知っているのは、この第2ビシュケク駅と、ЦУМ(ツム)という百貨店の2階にある物しか知らない。

日本でなら自販機は珍しい物でもなんでもない(商品の取り出し方法が変わっていたりする「珍しい自販機」はあるけど)。ただ、私が旅行などで行った経験や、人から聞く話では、日本以外の国では自販機というのは一般的でないことがほとんどのようである(私は事情を知らないのだが、韓国なんかはどうなのであろうか?)。

「なんでだろ~、なんでだろ~?」と思うのだが、一つには、多くの国では自販機は盗難の対象になりやすいからだという。確かに、自販機の中には売上げと釣銭の金が入っているし、商品自体もあるわけだから、犯罪者にとっては狙う対象になることは考えられる。

だから、日本のように屋外に自販機が設置されているのを見ると、多くの外国人は驚くらしい。そんなふうに商品が販売されている姿は、お国では見たこともなければ、想像さえしたことがないのではないか。確かに、私がキルギスで見た自販機の2台ともが屋内に設置された物である。つまり、昼間は店員なり駅員なりの目が届き、夜間は鍵をかけて人が侵入できない場所に置かれている。

そんな話を聞くと、自販機というのは、(悪化しているとは言われるけれど)日本の治安の良さの象徴のような物とも言え、ちょっと違った意味合いで見えてくる。

Сорта Спортов(スポーツあれこれ)

国、地域によって人気のあるスポーツ、競技人口の多いスポーツは異なる。日本だったら、野球、サッカーが筆頭で、他にバスケットボール、バレーボール、テニス、ゴルフなどと続くだろうか。いや、日本で一番競技人口が多いと言ったらジョギングかも知れぬ。さらに幅を広く取れば、ラジオ体操なんてのもありかも。

世界で一番愛好者が多いスポーツはサッカーということになるのかな? まあ、単一のスポーツでとってみればたぶんそうだろう。野球なんてのは、世界全体で見れば、かなりマイナースポーツである。キルギス人は野球(ベースボール)をやっている人は見たことがない(キルギス在住の日本人、韓国人、アメリカ人で対抗戦をやっていたらしいけど)。

まあ、スポーツの愛好に地域差があるのは当然で、太平洋の真ん中の島国で、アイススケート選手が誕生するかと言えば、それは絶対にありえない。逆に、キルギスからサーフィンの名人が誕生することもなり(海がないからね)。

テレビを見ていて、映画、ドラマは登場人物の言っていることが分からず、いまひとつ楽しみ切れないことも多いが、スポーツはそれがないから楽である。ルールを知っている競技であればなお分かりやすいが、仮にルールを知らない競技でも、見ていればだいたいは分かってくる。そんなわけで、スポーツ番組を見る時間が多くなっている。

さて、スポーツ番組を見ていて、日本人である私にはちょっと違和感があるのだが、よくビリヤードの試合を中継しているのである。ビリヤードって、日本ではスポーツには入れないと思うが、海外ではスポーツ競技として扱われているようなのだ。

まあ、ビリヤードは棒で玉を突く動作が入るし、玉突きのコントロールの絶妙さは、かなりのトレーニングの積み重ねによるのは間違いないわけで、そういう点では身体的な動きの要素は大きく、スポーツと呼んでもいいのかもしれない。

しかし、チェスとなるとどうだろう。チェスもスポーツ競技として扱われていて、放送されるのはスポーツ専門チャンネルである。日本には囲碁・将棋といったチェスに類したゲーム(特に将棋)があるが、日本人で囲碁・将棋をスポーツだと思っている人は少ないのではないか。学校のクラブ活動でもそれらは「文科系クラブ」として分けられている。

IMG_2065
(チェスはスポーツチャンネルで中継されている)

もし、囲碁・将棋をスポーツとして捉えている人がいるとしたら、それはおそらくそれらのゲームをかなり本格的にやっている人(プレーヤー)自身ではないかと思う。囲碁・将棋のタイトル戦なんかでは、対戦は2日にまたがって、それぞれの持ち時間9時間をほぼ使い果たすような戦いをしている。これは体力がなければできることではない。しかもその間、頭はほぼ100%思考し続けているのだから、すごいことである。

そう考えれば、チェスも囲碁も将棋も、スポーツというカテゴリーに入れても間違いではないという気もするが、日本ではどういう経緯か、文科系(⇔体育系)としてカテゴライズされた。ずっと座っているからかね。

そういえば、中国では麻雀がスポーツ(体育)に入っているそうである。麻雀も日本人感覚ではテーブルゲームであって、スポーツではないと思うのだが、麻雀発祥地ではスポーツになるのだから面白い。

これらのことを見ていると、「文科系」だとか「体育系」だという区分自体が、そもそも恣意的なものであるのだと気づかされる。だって、思考を伴わない競技はないし、身体を使わない競技もない。だから、日本人にせよ、日本以外の各国・各地域の人たちが、何をもって「スポーツ」と「スポーツでないもの」を分けているのかは興味深い点である。

何らかの形で勝ち負けを決めるものであればスポーツとして認められるのかと思ったのだが、でもおそらく、ポーカーなどのトランプゲームやルーレットなんかはスポーツとは言われないんじゃないだろう。ダーツはスポーツっぽい感じがするけど。他にも、文化によってスポーツか否かが分かれるものってありそうだ。

う~ん、それぞれの文化において、何をスポーツと見なすかは面白いテーマだと思うが、今からそれを考える気力はなし。今日はここまで。

2012/06/12

改修で職場が埃っぽい

キルギスの学校は9月始まりで、5月に学年度が終了。6~8月は夏休みとなる。3ヶ月の夏休みって、うらやましいけど、3ヶ月も学校教育をしない期間を作って大丈夫なのかと、お節介的に心配をしたりしている(そもそも、初等教育の入学も7歳だから、日本と比べたら、高校を卒業するまでに2年分くらいの授業時間の差があることになる)。

療育センターは学校ではないから、学年度に合わせる必要はないと思うのだが、学校の夏休みに合わせて1ヶ月程度は休むようである。以前、村にいたときに配属されていたセンターも、今のセンターも休みを取っている。スタッフもそれを楽しみしているんだろうなぁ。

私個人は、任期の残り数ヶ月で職場を変わったことがあるので、自分が担当している自閉症クラスは夏休みにはせずに、仕事を継続している。現在、このあたりは自分の裁量で決められる部分が大きいのでやりやすい。一緒に指導をして、ノウハウを引き継ぐキルギス国の人(キルギス人またはロシア人)がいないのが課題であるが、現時点では自閉症児の親・家族へ家庭でできる療育方法を伝えることでよしとしている。

さて、療育センターのほうは、この夏休み期間を利用して、建物内の大がかりな改修を行っている。

まず、窓が、窓枠ごと新しいものに替わった。私が担当している自閉症クラスの、昼休みの間に「1時間で終わるから」と言って、業者が来て取り替え作業をしてくれた。

window
(新しくなった窓)

窓の後 は、トイレやキッチンを作り直しているようである。今まであったトイレの壁を、ガンガンと槌《つち》で叩き崩していた。やっているのは、センターの所持している送迎車の運転手である。そういう人が、内装工事をやれるところが、こういう国のすごいところである。

 remont

私が子供に指導をしている間も、別の部屋から大きな音が聞こえてくるのだが、子供たちは案外と平然と課題に取り組んでいる。頼もしいもんである。

こんな感じで改修工事をしているため、建物内がすごく埃っぽくなっている。職場にいると髪の毛もごわごわの手触りになっている。

それでちょっと心配になったのだが、これだけ埃っぽい中で過ごしているのは、体に悪いんじゃないだろうか。前の記事で、埃に対してアレルギー反応でくしゃみが出ると書いたが、職場で時折、鼻がムズムズするので困っている。

療育センターが間借りをしている建物は、おそらくソ連時代に建てられた物だと思う。埃を吸い込むだけでも体に悪いと思うのだが、ひょっとして、アスベスト(石綿)が使われているということはないんだろうか、とも心配になってくる。

いやいや、私なぞは別室で埃を気にしているだけなのだが、改修工事をやっているスタッフは直接埃を吸い込んでいる。マスクを着けているわけでもなく、このあたりの対策は何もしていないように思う(さらに、暑いから扇風機を回しながら作業している。埃が余計舞っていると思う)。

「途上国」と呼ばれるところでは、日本ではすでに当たり前になっている安全対策・健康対策が、まだまだ整っていないことが多い。人々の認識もまだそういうところに向いていないのが現実である。

すんごく風が強かった日

5月末、ビシュケクですごく強い風が吹いた。夕方6時ころだったのだが、キルギスでこんな強風を見たのは初めてであった。

木も風で倒れていたりして、万が一、電線が切れて自分の身に落ちてこないかと心配であった。と言いつつ、動画の撮影はしていたのだが…。

この時の強風で、細かいちりが舞い上がっていて、そのせいだと思うのだが、もともと花粉症もちの私に鼻水の症状が出始めた。なんか鼻の奥がムズムズする、あの感じもある。

こういう症状というのは、一度起き始めると、その次はちょっとしたきっかけでもすぐに反応が起きるから厄介である。ちょっと埃が立つとすぐに鼻がムズムズ、朝起きた時もくしゃみが出るようになった。

2012/06/11

あんずジャム

買ったあんずが食べきれないので、ジャムを作ることにしたという話を書いたが、できあがったジャムについての報告。

と言っても大したものができたわけではなく、自家用としては十分使用に耐えるできだったというところ。

キルギス人は、煮沸したガラス瓶に入れて、口を密封して、必要な時に瓶を開けて使うようだ。なにせ一本(あるいはそれ以上)のあんずの木から採れる分をジャムやジュースにするので、瓶の数も半端ではない。3リットルくらいの容積で、10本はゆうに超える数をあんず保存に使っている(あんず以外にもトマトソース、ピクルスなんかも保存している)。

私が作ったあんずジャムは1㎏足らずで、一人で食べる分だから、密閉容器に入れることもなく、タッパーに入れて冷蔵庫で保存。1ヶ月程度のうちに消費できれば、これで十分のようである。

できあがったジャムの写真も撮ったのだが、どうも写真での見た目はよろしくない…。見てみようという方にはリンクを貼っておくので、そちらに飛んでいただくことにしよう。

【写真】 自家製あんずジャム

パンにつけて、あるいは紅茶に溶かしておいしく使っているのだが、その際、口の中にあんずの繊維が残る。そうか、本当は実を裏ごししておかなければならなかったんだな…。ま、そのへんはテキトーでよしとする私であるが。

2012/06/09

あと2ヶ月、やっぱり健康第一

パソコンだの、デジカメだのが故障しないでほしいと書いたが、もちろん何よりも大事なのは命と健康。

ここまで大きなけがも病気もせずに過ごせた。マレーシアの時も2年間、体がもったのだが、、その時はそれが当たり前のように思っていたが、あれから10年経つと健康に対する意識というか、自分も歳をとったせいか、大けが・大病せずに過ごせたということがありがたい(漢字で書けば「有り難い」)ことだと感じる。

先日、隊員同士で外食した際、瓶ビールを頼んだら栓抜きがなかったので、どうしようかと話していて、歯で開けられる人がいないかということになったのだが、そんなことをしたら歯が欠けてしまうかも知れないという話になって、すると中の一人が「ukulele chanは、あと2ヶ月で日本に帰れるから、今、歯が欠けてもすぐ治せるからいいでしょ」と言った。

いやいや。あと2ヶ月だからこそ、こんな時期に歯が欠けると悔やみきれないことになるのだ。

任期開始直後に健康トラブルになるのも気が滅入るが、任期終了間際に健康トラブルのも「あ~あ、もったいない」という気になる。じゃあ、その中間だったら良いのかと問われれば、もちろんそれも歓迎できる話ではない。健康を害するのは、いつだって嫌なのに違いないのだ(なんという平凡な結論…)。

それにしても、この2年間を振り返ると、腹を下したことが二、三度、発熱もやはり二度くらいあったかというくらい。季節の変わり目(だと自分では思っているが)になると、咳が続くことがあるが、これは日本にいる時からだからそんなものだとあきらめている。

協力隊の中には、任期途中で健康問題で帰国せざるを得なくなる人もいるわけだから、大けが・大病をせずに来られたのは、やはりありがたいことだ。あ、ただし、私の場合、基礎体力はかなり落ちたという実感はある。ま、これも歳だから仕方がない。

2012/06/08

残り2ヶ月、もってほしい…

自分の協力隊員としての任期もあと2ヶ月を切った。「2年間も海外で、途上国で暮らすのか…」と不安も抱えつつ渡航してから、もうすぐ2年が経つ。

不安を感じていようがなんだろうが、過ぎてしまえば2年なんてあっと言う間。生活のペースはだいたい1週間単位で進んでいくから、2ヶ月と言うとあと8回分の週を過ごしたらおしまいということになる。ちなみに、22年度1次隊の同期隊員たちは6月中に任期終了になるので、彼らはもう1ヶ月を切っている。22年度1次隊のキルギス隊だけは、当時のキルギスの治安状況の問題で1ヶ月、出発が遅れたため、任期が終了する時期も1ヶ月遅れるのだ。

任期があとわずかになって思うのは、使っている物が「最後まで壊れずにもってくれ」ということである。特にパソコンはその最たるもので、メールをするのも、ネットを見るのも、写真データを保存するのも、文書を作成するのも、とにかくいろんなことをパソコンでやっているので、これが使えなくなるとダメージが大きい。

もう半年も前からパソコン、OSの動作があやしくなっていると感じていたが、先月、とうとう起動しなくなって、仕方なくOSの再インストールを実施。それで再び使えるようになったが、それまで入れていたフリーソフト類がまだ完全には復旧できていないので、不便は不便である。とにかくあと2ヶ月はトラブルなく頑張ってほしい(とは言うものの、やはりどこか動作が安定しない感じである…)。

デジカメもだいぶつらい状態になっている。どこへ行っても大抵は入手可能だという理由で、乾電池使用のデジカメにしているが、カメラのバッテリー格納部のふたが、閉まらなくなってしまっている。今は輪ゴムで縛ってふたが開かないようにしている。SDカードもときどき読み取りエラーが出る。

MP3プレーヤー、携帯電話のバッテリーは、蓄電量が前より下がっている気がする。これはどうしても仕方がないことだが、残り2ヶ月で新しいのを買う気はしないので、これも何とか持ちこたえてほしい。

パソコン関連機器ばかりを書いたが、それだけそういう物を使う生活に慣れてしまっているということであろう。ちょっと反省。それらの機器は、途上国では修理や交換がスムーズにいかない(売っていない、売っていてもどこにあるか知らない、見つけても純正品ではない、など)こともあって、帰国まで使用できる状態でいてほしいのである。

あんず、初もの

職場からの帰りに、路上であんずを売っているのを見つけ、その場で買った。

1kg50ソム。日本円だと約84円。信じられない安さ。

買ったは良いものの、1㎏なんて量を一人ではなかなか食べきれるものではない。で、昨年のあんずシーズンには村にいて、木になっているのを直接もいで食べていたから気づかなかったのだが、あんずは結構いたみが速い物のようである。

買った翌日には色が悪くなったのが出てきたので、どうしたものかと思案した結果、ジャムを作ることにした。

ネットで作り方を見てやってみた。材料はあんずの実と砂糖だけ。ネットではアクを取るように書かれていたのだが、どれがアクかが分からなかったので、構わずかき混ぜて終わり。はたして、どんな味に出来上がるか…。

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(種を抜いたあんずの実)

そういえば、路上であんずを買ったその日に、職場の庭でもあんずの実を見ていたのだった。こちらはまだ青い実で、サイズもまだ小さかった。

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ビシュケクのあんずはまだこの程度の育ち具合だから、路上で売られていたのはどこか別の地域から持ってきたものだったのかも知れない。

2012/06/03

ビシュケクの野良犬

ビシュケクの野良犬たちの動画。職場の前にあるごみの集積場所にたむろっていた。

2012/06/01

あざみ

職場の近くでこんな花が咲き始めている。

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誰かが、これは「あざみ」という花だと言っていたが、そうなのかな…。

独特の風貌の花である。バコンバエバ村近くの山でも、夏にたくさん見かけた。