「水と安全」という記事の中で、キルギスでは男達が道にある給水所に水を汲みに行き、水場で集まった者同士がそこでおしゃべりをしていることを書いた。
書きながら、日本語の「井戸端会議」という言葉の背景について気づいた。
日本も昔は各家庭に水道なんてなく、井戸に水を汲みに行っていた。どこの家からも水は汲みに出るから、井戸には必然的に人が集まる。釣瓶《つるべ》は一つだから、誰かが水を組んでいる間は他の人は順番を待っている。その待っている間に、世間話が始まり、誰かの噂に及んでいく。
「井戸端会議」は、そんな情景の中で生まれた言葉なのだろう。水場というのは人が集まる所なのだ。いや、人だけではない。動物だって水場に集まる。動物は必ず水場を必要とする。
水商売の所に人が集まるのは、また別の理由だろうけど。
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