2011/02/05

水と安全

昔から「日本人は水と安全はタダだと思ってる」と多少揶揄を込めて言われる。読んで字の如《ごと》く、日本では水は蛇口をひねれば簡単に手にできるし、諸外国に比べれば犯罪が少なく治安が良いことを指して言う言葉だ。

日本というのは、本当に水には恵まれている国だ。「水サミット」という国際会議が開かれて、全世界の人口が増大し、人間が生活していくための水の確保をどうすんべぇ、と各国の代表が集まって検討している。全世界の人口増加と環境破壊とで、世界では生活水が不足しており、これからはますます問題は深刻すると言われている。しかし、水に恵まれた日本にいると、そういう問題はなかなか実感されにくい。

キルギスも水には恵まれている国(隣国へ輸出もしている)だから、水不足はよその話だが、上水管設備は日本ほど整っていないから、家で蛇口をひねれば水が出るという訳ではない。

mizukumi

町育ちの私のような世代の日本人には経験がないが、やってみると水汲みは結構な重労働だとすぐに分かる。しかもほぼ毎日やらなくてはいけない。キルギスでは男がやることが多いようで、道に設置されている給水所には、ポリ容器を持った男達が水汲みに集まって、そのついでになにやらだべっているのは日常的な風景である。

このように、途上国と言われている国・地域では、日常生活の物資を手に入れるのにも、いちいち自分たちで何とかしなければならないことが多い。水しかり。暖房しかり(薪を斧で割る)。肉しかり(羊を屠《ほふ》る)。いちいちが肉体労働である。

こういう作業には必ず怪我の危険が伴っている。

水汲みは重い容器を運ぶので、腰を痛める可能性がある。薪割りは言わずもがな。一歩間違えれば自分の足に斧を振り落とすことだってある。動物の屠殺だって、生き物を刃物で扱うのだから、相手が暴れれば自分の手を切ってしまうかも知れない。そういえば、家電製品の修理も自分たちでやっている。

2年間限定の生活する外国人である私は、最終的には「買って済ます」という選択肢があるが、現地の人はずっとそういう作業をし続ける。日本での自分の生活と比較すると、彼らの生活にはずっと多くの危険がある。

そんなことに思い至ったのは、自分の身の回りに、指が一本なくなっているような人が数名いるのに気づいたからである。どういう経緯で指を失ったのかは訊けないのだが、一つの可能性として、生活に必要な労働での危険度が高いことがあるのではないかと思うのだ。

「水と安全」と言う時、「水」「安全」を別々に考えてしまって、水を調達すること自体が安全でない場合もあることには気づいていなかった。環境によっては、水と安全は一対となって存在しているのだ。

蛇口をひねれば簡単に飲用水が手に入る国、日本。それだけでも安全な国だと言える。

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