2011/02/28

曜日の話あれこれ (キルギス語編)

前回はロシア語の話だったので、今回はキルギスの国語であるキルギス語である。こちらはロシア語よりも説明が簡潔に済む。

まず数詞(1,2,3…)があって、序数詞(1番目、2番目、3番目…)ができる。それに「日」を表わすкүнを合わせると曜日になる。

1 бир /ビル/ биринчи(1番目) биринчи күн(1番目の日)
2 эки /エキ/ экинчи(2番目) экинчи күн(2番目の日)
3 үч /ウチュ/ үчүнчү(3番目) үчүнчү күн(3番目の日)
4 төрт /トゥルト/ төртүнчү(4番目) төртүнчү күн(4番目の日)
5 беш /ベシ/ бешинчи(5番目) бешинчи күн(5番目の日)
6 алты /アルティ/ алтынчы(6番目) алтынчы күн(6番目の日)

以上、月曜から土曜まで順になっている。明瞭である。日曜日だけは「дем алыш(休息)күн(日)」と呼んでおり、「7番目の日」とは言わないようだ(俗語ではあるかも知れない)。

キルギス語の名誉(?)のために言っておくと、本来は正式な曜日名があるのである。私自身、意味は分からないののだが書いておくと、

月:дүйшөмбү /ドゥイショムブ/
火:шейшемби /シェイシェムビ/
水:шаршемби /シャルシェムビ/
木:бейшемби /ベイシェムビ/
金:жума  /ジュマ/
土:ишемби /イシェムビ/
日:жекшемби /ジェクシェムビ/

皆「~シェムビ」の語尾で終わっているのに、金曜日だけは「ジュマ」である。

ジュマと聞いて、私はすぐに思い出したことがある。私が前回協力隊で赴任したマレーシアの国語、マレー語でも金曜日は「hari Jumaat /ハリ ジュマアット/」と呼んでいるのである。ジュマ(キルギス語)とジュマアット(マレー語)は似ている。ちなみに、hariは「日」という意味。

これはアラビア語にルーツがある言葉であるはずだ。手元にある『イスラームの世界地図』(21世紀研究編、2002年、文春文庫)を参考にしてみると、アラビア語で金曜日は「ヤウム・アルジュムア」と呼ぶのだそうだ(28頁)。この呼称が、イスラム教の普及と共に各言語に伝わったのだろう。ちなみにアラビア語の意味は「第6曜日」だそうだ。これはユダヤ教の系統である影響か?

マレー語では、金曜以外の曜日もすべてアラビア語の音写が単語になっていた(例えば月曜のhari Ahadの「アハッド」)。キルギス語で金曜だけがアラビア語の音写で使っているのは、イスラム教では金曜日は集団礼拝の日と定められた重要な日であるからであろう。

曜日の呼称のような単純に思われることでも、その背景には宗教的な影響もあることがわかって面白い。

2011/02/27

曜日の話あれこれ (ロシア語編)

カレンダーの曜日の始まり(左端)は日曜日か月曜日か。茶のみ話でしばしば白熱するテーマである。

日本では、カレンダーや手帳の曜日は「日曜始まり」「月曜始まり」、どちらも見かける。私が百均で買って使っていたスケジュール帳は月曜始まりで、右端の土曜・日曜の横幅が広かった。子供が買うことが多いから、週末の予定が多く書き込めるようになっていたのかもしれない(そんな手帳で事足りていたんだね、私のスケジュールは)。

「日曜始まり、月曜始まりのどちらでも大差なかろう」と、日本人なら思うのだが、面白いことに、ロシア語やキルギス語では、カレンダーの曜日をどちらで始めるかは迷う余地がないのである。

日本語 ロシア語 キルギス語
月曜日 понедельник биринчи күн
火曜日 вторник экинчи күн
水曜日 среда үчүнчү күн
木曜日 четверг төртнчү күн
金曜日 пятница бешинчи күн
土曜日 суббота алтынчы күн
日曜日 воскресенье дем алыш күн

これだけではほとんどの方は分からないだろうから、まずロシア語から解説すると、понедельникは「по(始まり)」+「неделя(週)」で、「週の始まり」の日となる。名前そのものが週の始まりであることを表わしているのである。当然、カレンダーも月曜始まりのものしかない。

これで最初に挙げた疑問は解けたのであるが、ついでに以下の曜日も見てみよう。 

вторник второй(2番目)→ 2番目の日
среда среди(真ん中)→ 週の真ん中の日
четверг четвёртый(4番目)→ 4番目の日
пятница пятый(5番目)→ 5番目の日
суббота (アラム語かヘブライ語起源)
воскресенье воскресение(復活)→ 復活の日

火・木・金曜は、月曜を始まりとした時の順番が基準となっている。水曜を真ん中として扱うのも、日本人の感覚と同じで興味深い。月曜始まり、日曜終わりで見れば、週の真ん中は木曜になるはずなのに、水曜を真ん中だと思うのは、平日だけで考えているからだ。週休2日の職場なら、水曜日は「やっと週の真ん中だ」と思う人が多かろう。

土曜のсубботаは、辞書によればアラム語かヘブライ語に起源があるとのことだから、キリスト教の伝来と関係がありそうだ。

日曜の「復活」を見てピンと来た人も多いと思うが、もちろんこれはキリストの復活に関係づけられている。キリスト教では、イエスは金曜日に磔刑に処せられ、日曜日に復活したと信仰されている。聖書から引用してみよう。

さて、安息日が終わって、週の初めの日の夜明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見に来た。(マタイ福音書28:1)

処刑されたイエスの墓に、イエスの母マリヤたちが行ったという話である。この後、墓は空になっていて、イエスは復活した、と続いていく。

さて、気づかれた方もいるだろうが、引用した聖書によれば、イエスが復活した日(日曜日)は「週の初めの日」として書かれている。ちなみに「安息日」はユダヤ教の土曜日である。イエスが生きた時代、および聖書が書かれたのはユダヤ教信仰の時代であったから、こう書かれたのである。

詳しくは別に書くことにするが、ユダヤ教では週の始まりは日曜日、そして土曜日が休みの日である。休みというのは正確ではない。土曜は礼拝の日である。それが、キリスト教が興《おこ》って、ローマ帝国の国教となる歴史の過程で、イエスが復活した(と信じている)日曜が礼拝日になっていったのだろう。

このことから、ロシア語の曜日名には、キリスト教の影響が強く伺えるのである。キリスト教伝来以前にもロシア語の元となる言語(ロシア語はスラブ語系の言語である)はあったのはずで、その頃にはどのように曜日を扱っていたのか興味がわいてくる。

2011/02/26

Flowers in the last summer

flower_photo

This picture was taken in the last summer.

Kyrgyzstan places in high above sea level, and its climate is basically dry. Therefore in Kyrgyzstan there are not so many plants like in Malaysia which I had spended life for 2 years before.

But there are surelly plants, of course. Now the scene in my village is still color of ashes. When spring comes, I can see various colors in the scene again.

ジャガー横田のブログと女子プロレスの思い出

昨年12月に、キルギスに在住している日本人女性を取材した番組が放送されたそうだが、その時のレポーターだったジャガー横田さんのブログを発見。

キルギスで取材した時のことが書かれたブログのリンク。

【ジャガー横田ブログ「ジャガジャガジャーン!おもちゃ箱」】
ただいまぁー!\(^^)/ (2010/12/8)
http://ameblo.jp/jaguar-taishi/entry-10730221971.html

お疲れ様・・・(^o^;) (2010/12/12)
http://ameblo.jp/jaguar-taishi/entry-10734191952.html

キルギス共和国!(*^_^*)  (2010/12/20)
http://ameblo.jp/jaguar-taishi/entry-10742050794.html

キルギス協力隊隊員のブログにも、ジャガー横田さんのことが書かれた記事があった。

【wherever you are ~翔んでキルギス~】
http://ameblo.jp/tonde-kyrgyz/entry-10733129850.html

「ジャガー横田さん」と、「さん」付けで書いているのだが、かつて女子プロレス全盛時代を知っている者としては、「ジャガー横田」と呼びたいのが本音である。

1980年代~1990年代前半にかけてくらいだったと思うが、女子プロ(レス)の人気はすごかった。中心団体であった全女(全日本女子プロレスリング)で、クラッシュギャルズ、ダンプ松本、ブル中野などからアジャコング、北斗晶などへ中心選手が変わっていく中で、カリスマ的な位置づけをされていたのがジャガー横田だったと思う。そしてもう一人、私が思い出すのはデビル雅美。

ジャガーとデビルは、若手選手が2~3人束になっても敵わないような貫禄があった。ジャガー横田のほうは、その後、テレビタレントとなって、医者の夫とペアでよく出ている。デビル雅美はどうしているのだろうか。

いや、デビルだけではない。引退後テレビタレントに転身した選手は数多くいたが、今、テレビで見るのはジャガー横田と北斗晶くらいか。あ、ショッピングチャンネルでは一つ前のプロレスブーム期の選手であったマッハ文朱を見るな。テレビで見なくなった人たちはどうしているのだろう? (そういえば、ジャガー横田と北斗晶は、番組で共演することあるのかな?)

あんなに激しいスポーツに青春を捧げた彼女たちが、その後、それぞれに“普通の生活”に幸せを見出しているのだろうか。あれほど腹を蹴ったり殴ったりされていて、妊娠・出産の際に影響があったりしないのかと、無責任な立場ながら思うのである。プロレスには悲哀が潜在している。

たかが女子プロ、されど女子プロである。この先のことは予想できないのだが、80年代に我々が打ち興じたような女子プロ人気の時代はもう来ないのではないだろうか。その「たかがプロレス」に多くのファンが興じていた時代の空気を吸えたことを懐かしく、ありがたく思うのである。

2011/02/25

Ground views of Kyrgyzstan from the sky

These are pictres which I took, when I moved to Kyrgyzstan from Japan on July 2010.

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See these mountains. They seem just like bare ground, because there’re few greens on mountains. The picture above, I’m not really sure that I certainly took Kyrgyzstan’s ground or not. It might be Uzbekistan or Kazakhstan.

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This one might be Kyrgyzstan. Because, you see, the airplane already lowered its altitude close to the ground. These patterns are, I guess, farming areas.

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The airplane almost got landing to the Kyrgyz main enterance of sky, which is called "Manas International Airport”. The date that I came to Kyrgyzstan was in midsummer. "Midsummer” is “manatsu(まなつ)" in Japanese. It sounds like "Manas”, doesn’t it? (Only Japanese understands?)

Now it’s winter, not summer. So those views also changed into different colors.

2011/02/24

協力隊仲間のブログリンク集

青年海外協力隊の仲間が開設しているブログのリンク集を、私のブログ内にまとめた。

下の方にある「このブログのページ」の中にある「協力隊のブログリンク」からページに飛ぶ。なお「下の方」というのは、ページのデザインを変更した場合に変わる可能性もあるので、あしからず。

現キルギス隊員のブログのURLについては、当人たちから直接知らされたことはなく、「キルギス 協力隊 ブログ」のキーワードでネット検索をかけ、ヒットしたブログを一つずつ読んで現隊員かOB隊員かを判断しながらの作業だったので、結構時間がかかってしまった。

このリンク集には、これから来る新隊員のブログを加えることになるだろうし、任期を終えて帰国した隊員は別カテゴリーにしてまとめるつもりである。あと、前回協力隊参加(14年度1次隊)の頃の二本松訓練所(NTC)やマレーシアのOB/OGで、現在ブログを開設されている方は、どうかご一報を。

2011/02/23

ウォシュレットはなぜ日本で生まれたのだろうか?

ウォシュレット(自動洗浄式トイレ)が世の中に出回り始めた頃、私は学生だったと記憶しているが、あれで尻を洗ったことがあるかどうかみたいな話が仲間内で交わされたものである。

男同士でそういう話をしているとたいてい誰かが「”ビデ”ってボタンがあるけど、あれは何に使うの?」という疑問を呈《てい》するのであった。私もその場で回答できない自分の無知を恥じて、密かにその意味を調べた。調べてみれば、我々男子学生がなんのことか分からないのも無理はない物だとわかった。

さて、そのビデは元はヨーロッパで作られた物であったはずだ。一般庶民の家庭にまで設置されていたのかはわからないが、ずっと昔からあった物のはずである。今でも、海外のホテルに行くと、便器の横にもう一つ別の便器のような、さりとて形がちょっと違う物が並んでいる所を見ることがある。あれに付いている蛇口のような物が上向きになっている所から考察するに、あれは現代版ビデなのだろう。

ここで不思議なのは、昔からビデという器具を持っていたヨーロッパでウォシュレットの開発につながらなかったということである。だって、ビデからウォシュレットへ連想するのって、つながりやすいように思えてしまうのだもの。

これは決して、ウォシュレットを開発した日本のエンジニアを「二番煎じ」と卑下しているのではない! むしろ、ビデ文化がなかった日本人だからこそウォシュレットを連想できたのだとさえ思う。というのも、我々は今目の前にある物で暮らして不便を感じていなければ、そこから新しい利器を作ろうとは思わないものだと思うからである。

ビデで事足れりと思っている人に、細い管から一定の圧力で水を噴射して、排泄後の汚れを落とす自動機械を作ろうとは発想しづらかったはずなのだ。だからこそ、そこに新しい商品の可能性を発見し、開発した会社・エンジニアの努力に一種の感動を覚えるのである。

同時に、それを思いつかなかったヨーロッパの人々を笑うこともできない。どの道、我々だって同じようなものである。今の状況に不便を感じていなければ、それを改善しようとか、新しい道具・やり方を開発しようとは思わないのである。物事に飽き足りなくなるというのは、人類に進歩をもたらした最大の要因だったとさえ思うのである。

2011/02/22

「日本発」の物と言えば

日本で発祥して世界に広まったものと言えば、古くは浮世絵、最近ならなんと言ってもカラオケだ。私が海外旅行した所でもたいてい「KARAOKE」の看板を見た。もっとも、カラオケが日本から世界に広まってから20~30年くらいは経っているだろうから、「最近」とは言えない。

次に思いつくのはマンガ・アニメ。こちらも「MANGA」「ANIME」という綴りで流布しているようだ。たまに中国や韓国などで作られたマンガを目にすることがあるが、絵のタッチやコマ割りが日本のマンガを見ているのと同じようになっていて、それだけ日本のマンガが影響しているのだなと思う。

もっと最近ならば、自動洗浄式トイレ。「ウォシュレット」ってやつですな。ただし、「ウォシュレット」はTOTO製品の商標なのではなかったか。それでもその名称が製品全般の代名詞になっているのだから、これはTOTOのネーミング、広報戦略の勝利なんだろう(開発したのもこの会社なのかな?)。

余談だが、20年くらい前は、ヘッドホンステレオのことをみんな「ウォークマン」と呼んでいた。これもSONYの商標なのだが、類似製品全般の代名詞となっていた。ところが最近は「ウォークマン」と呼ぶ人は減って、その代わりに「iPod」と聞くことが多くなった。それでも「iPod」は特定の製品を連想させる力が強いから、依然として代名詞ならば「ウォークマン」ということか。

そういう意味ではSONYのネーミングも良かったし、Appleが自社製品に独自のイメージを持たせる戦略も成功したということなのだろう。

自動洗浄式トイレの話に戻ると、日本に旅行に来る外国人が驚き感動するのが、これなのだそうだ。今や便座の上げ下ろし機能、使用後に水を流す機能などまであるから、外国人が驚くのも当然という気がする。そのうち、便座に座るだけで血圧・心拍数・体脂肪率くらいは測れるようになるんじゃないのか。あくまでも勝手な想像だが。

最近まで「日本ガラパゴス論」なるものが隆盛で、国内市場向けの物を作るのは価値が低く見られているようであるが、いやいや、「ガラパゴス」だからこそ、日本人の感性に合う物に煮詰めて行った結果、世界に比類ない文化・技術・製品が生まれるということもある。

ここの所は、そういう論調でものを言う人が増えてきたようで嬉しい。消費者側も、安い(そして粗悪な)海外製品ではなく、ちょっと高くても質の高い国内製品を買うことで、日本の文化・技術の発展を支えることができるし、その務めがあるように思うのである。

2011/02/21

【動画】 シャシリク(串焼き肉)

キルギスの食べ物紹介。

シャシリクは、羊・牛・鳥などの肉を鉄の串に刺して、炭火で焼いたもの。味付けは塩こしょう。キルギス人のほとんどはムスリムだから豚肉は宗教的に食べない。店にあるのは、たいていは羊肉のシャシリクである。ロシア系の店なら、豚肉のシャシリクを出すところもある。

焼き方はこんな感じである。

団扇《うちわ》のようなもので煽《あお》ぎながら、15分くらいかけて火を通す。元はウズベキスタンの料理だと聞いたが、ロシア語のテキストにも「私はシャシリクを作ります」みたいな例文が載っていたから、旧ソ連圏では共通に食べられているものかも知れない。

日本人は羊肉を食べることが少ないので、あの独特のにおいを嫌がる人も多いのだが、私はキルギスに来てから羊肉が好物の一つになった。特に脂身。他の肉にはない甘みがあるのである。

美味しい美味しいこの脂身が問題で、食べ過ぎるのは血管が詰まる元になる。火から離した肉が、室温に置いているうちに、見る見る白く固まっていく様は、自分の血管の中で脂が詰まっていくのを見ているようである(体温のほうが高くはあるが)。

2011/02/20

エレベーターで停電、って怖い…

JICAの安全研修、健康管理研修などがあり、首都へ出た。

普段別々の場所にいる隊員が集まるので、何人かで食事をして、その後カラオケ店へ。カラオケに興じている途中で停電が起こった。

首都にいる間は、首都に在住している隊員仲間の家に泊めてもらうので、その隊員の家(団地)に行くと、エレベーターが故障で稼働していなかった(廊下の電気は点いていたから、これは停電のせいではなかったと思うが)。

仕方なく、階段で上がっていったのだが、なにせ家が8階にあるから、徒歩で上がるのはひと苦労であった。

息を切らしながら階段を上がりつつ思ったのは、エレベーターに乗っている最中に、停電なり故障が起こったら、それはさぞ怖いだろうなということ。

そういう場合、どうやって救出されるのだろう? また、救出までの待ち時間はどれくらいだろうか?

エレベーターに閉じこめられるというパニック映画もあったように思うが、案外とそういう恐怖が身近にあるように感じられた。

2011/02/18

赤道直下でない派遣国

青年海外協力隊について、多くの人が持っているイメージは「暑い国で、土にまみれながら現地の人と仕事をしている」というものではないだろうか。

協力隊隊歌で『若い力の歌』というのがある。その歌詞の2番は、

若い命がここにある
赤道直下 新天地
耕す道は遠くとも
見よわが技を わが意気を
若い 若い命に栄あれ
われら海外協力隊

という内容で、ここでも「赤道直下」という言葉が入っており、暑い国で活動する協力隊像が伺える。私自身、一度目の協力隊派遣はマレーシアだったから、この歌詞はドンピシャリの内容で、隊歌には親近感があった(今も好きである)。

実際の協力隊は、「協力隊 = 暑い国」だけではなく、寒い国・地域もたくさんある。私が今いるキルギス、隣のウズベキスタンは冬は毎日マイナス気温である。それから、任地が高地ある場合もある。ネパールのヒマラヤで同期が活動している。

個人的には寒いのは苦手なので、キルギスの冬はマイナス10度、20度だと聞いて、どうなることかと思って赴任したのであるが、部屋の中は暖房もあるし、何とか過ごせるものである。家によっては二重窓になっていて、これは学生時代を過ごした北海道でも見た。窓と窓の間に空気の層を作ることで、断熱効果が高まるのだ。

寒い国にも、寒いなりのメリットもある。例えばウィンタースポーツ。1月の週末に隊員がスキー場に集まって、滑ってきた。

gerende

スキーというより、なんか冬山登山みたいな写真だが…。

リフトの頂上まで、およそ15分。その間の寒いこと、寒いこと。それを耐えてたどり着いたら、

snow_view

イシククル湖と天山(テンシャン)山脈が一望できた(ちょっとガスった色合いだけど)。ちなみに、自分が写真を撮っている所も天山山脈。三蔵法師も超えたという山々。ありがたや。

赤道直下以外の国でも、それぞれの気候・風土に合わせて、隊員は活動し、楽しんでいる。

2011/02/17

たまには詩もいいものだ

日本にいる時は小説も読むことが少なく、詩集の類はちゃんと読んだことがない。
先日、同期隊員が私のいる村に来て、夜は私のホームステイ先に泊まっていった際、どういう話の流れだったかは忘れたのだが、それぞれの好きな詩、印象に残っている詩の話題になった。覚えているフレーズでネット検索をして、それを朗読し合った。
一人があげたのが、茨木のり子「自分の感受性くらい」。この詩は私も知っている。昔、ラジオで紹介されているのを聞いて知った。私より10歳以上離れたその隊員によれば、高校の教科書(国語の?)に載っていたそうである。
自分の感受性ぐらい
茨木のり子


ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを

近親のせいにするな

なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい

自分で守れ

ばかものよ

茨木のり子 詩集「自分の感受性ぐらい」(1977刊)所収
なお、この詩は次のサイトからコピーさせていただいた。複数のサイトでこの詩が掲載されていたが、著作権の問題はないのだろうかと気になりつつ、私もコピペしてしまった…。

http://www.matatabi.net/Poetry/ibaraki_01.html

現在のキルギス隊員の中で屈指の馬鹿者3人が、詩の最後の「ばかものよ」を気に入って、何か言うたび、するたびに「そんな分かり切ったことを訊くな、ばかものよ」「●●くらい自分でやれ、ばかものよ」と連発していた。ホントに馬鹿者である。

これ以外にも話題に上った出た詩もあったので、また別の時に紹介するつもりである。

2011/02/16

そう言えば、バレンタイン・デーだった

一昨日はバレンタイン・デーだった。

周知の通り、日本でバレンタイン・デーに女性から意中の男性にチョコレートを送る習慣ができたのは、チョコレート会社のキャンペーンの成果であった。今では、意中でない男にも送るのも習慣になっているから、チョコレートの売り上げは相当なものになる。

バレンタインチョコがもらえるかと馬鹿な期待をした頃もあったが、一年に一度、たかがチョコでドキドキハラハラすることが馬鹿らしくなって、ここ十数年はまったく意識することもなく来た。強いて「バレンタイン」に関係すること言えば、私がファンである千葉ロッテマリーンズの前監督の名前を口にするくらいだった。

2/14、バレンタインのことなどまったく忘れて出勤したら、職場の人たちが「聖バレンタインの日」と言って、お互い握手をしていた。特に男女関係はないようだった。

日本では女性から男性にチョコレートを渡す習慣があることを伝えると、キルギスでもプレゼントや、カードを渡すことはあると言っていた。

確かマレーシアでは、男性が女性(妻、恋人)に花束を渡していたと思う。2/14は花束を持った男性を多く見たし、道ばたの花売りも出ていた。

考えてみれば、キルギスもマレーシアもイスラム教が主要な宗教であるが、キリスト教(カトリック?)の聖人の日を祝うというのは、ちょっと不思議な気がしないでもない。まあ、仏教・神道がメインの日本でもやっているのだから、同じようなものか…。

ちょっと気が向いたので、昨日(2/15)は配属先の障害児・者センターに通ってくる子供たち(成人も含む)にチョコを買って配った。残りは職場のスタッフへ。

そうそう、今年は私もチョコをもらった。キルギスの協力隊の女性隊員から。もちろん「義理チョコ」であったことは言うまでもない。

2011/02/15

When a puppy comes to know that?

puppy

I don’t remember the exact day that I took this photo. I guess it was at the last September.

Don’t worry. This puppy was just sleeping, not dead.

He liked playing with pepole. He didn’t fear to human. All adult dogs that I see on streets seem fearing human. I wonder when and why they came to know that it’s better not to get too close with human.

dog (1)

Even though dogs fear human, they don’t go far away from us. They just live around human’s area. It is a history of dogs and us, isn’t it?

2011/02/14

手を動かすこととバーチャルなこと

「手が荒れるほど働く」ことを象徴的に捉えると、「実際に体を使って物事をする」ことの大切さが語られているように思う。

一時期「バーチャル●●」という言葉が隆盛で、昨今は言葉の新鮮さはなくなったものの、方向としてはそういうものが生活にさらに入り込んできている。

映画だって「3Dだ、立体だ」と宣伝されて、見に行ってみれば、確かに映像は立体的だが、ストーリーは平面的で薄っぺらかったり…。チャップリンの映画は3Dでないから今の映画よりも劣っているかというと、全く逆だ。まして、彼の映画には色だってないゾ。

いずれポルノ映画・AVの業界でも3Dものが登場することだろうが、どんな感じになるんだろうかね?(え、もう出てるの? …あってもおかしくはないね)。みんな、赤と青の眼鏡をかけて画面を見るんですかな?

バーチャル技術で便利になっていることもたくさんあるのは事実だと思う。しかし、最終的には「実際にやってみる」ことには敵わないのではなかろうか?

自動車の教習所ではバーチャル運転の講習をやらされたが、加速感、ブレーキングの減速感、人をはねた時の衝撃等、全然ない。あれはあくまでテレビゲームの延長だ(いや、テレビゲームのほうがスピード感はあるな)。二輪車の教習でも、テレビゲームみたいなのでバーチャル運転をしたが、加速感・減速感に加え、風圧・バランス感もなし。受講生達はしらけながらやっていた。あの状況で「二輪車の運転で気を付けることは…」と講義をする教習所の先生の仕事も大変だと思った。

躰《からだ》・脳の発達においては、実際に五感からの刺激が入ってくることが重要な役割をしている。視覚機能の正常な猫の視力を、あえてそれが機能しないように手術をし、その猫が成長してから視覚機能を元に戻しても、その猫は物を見て行動することが上手くできなくなってしまう。そんな実験の話を聞いたことがある。残酷な実験ではあるのだが、その示唆するところは興味深い。

人間で同じような実験をすることはもちろんできないが、テレビやテレビゲームに幼少のころから馴染み、バーチャルな刺激しか与えられない子供たちは、ある意味、件《くだん》の猫と似た実験をしているようなものかも知れない。生物には、ある時期にしか習得できないこと・学べないことっていうのがあるのだ。もちろん、テレビゲームから学べることもあるはずだから、テレビゲームを100%悪者にするつもりはない(でもテレビゲームって、視覚刺激が圧倒的に優位過ぎて、他の感覚刺激が乏しすぎるんだよね)。

自分の手先・感覚器を鍛錬して、その道での技を高めていく人。「職人気質《かたぎ》」なんて言葉もあるが、そういう人たちに一目二目置くというのが、日本人って割と強くあるのかも知れない。職人世界の修行話なんかでも、「親方・先輩の技は見て盗め」のような格言が好んで語られてると思う。

職人を大事にし、職人気質に尊敬を持つ文化。そんなところに日本の良さがある(あるいは「あった」)のではないかと、キルギスの地で思うのである。

我、じっと手を見る

以前の投稿「現地の人は年上に見える ③」で、村の人たちは家事や家畜の世話のような仕事が多いので、手肌があれやすい、またそれが彼らが仕事をしている証であると書いた。

先日、とある場所で会った男性から、「手を見せてほしい」と言われたので手を差し出すと、私の手を触って「ふぅん、これが日本人の手ね」と言われた。やや侮蔑的な言い方だったように感じたのだが、その彼が続けて「俺たちの手は仕事をしているからこうだよ」と、皮の分厚く、肌の荒れた手を私に見せたのだった。

まさに、自分が先のブログで引用した『イワンのばか』(トルストイ作)に出てきた話と同じなので、内心、自分で苦笑いしてしまった。

『イワンのばか』では、怠け者が食事の時だけ我先にテーブルにつくので、給仕の女が相手の手を見て、仕事をしているか判断するというものであった。土地を耕し、食べ物を作る。そういう労働が尊いのだよ、というトルストイの思いであろう。

キルギスもソビエト連邦の一員であったから、そういうトルストイの思想を受け継いでいるのだろうか? いや、そういう考え方は、どこの文化でも当たり前にあるものなんじゃないだろうか。日本語でも「働かざる者、食うべからず」と言うし(ひょっとしたら、これは外来の警句が訳されて定着したものかも知れないが)。

私など、「福祉サービス業」に従事していたような者にとっては、土地を耕す・魚を獲る・物を加工生産する仕事の人に対しては一種の憧れと畏敬の念があるが、サービス業もそれはそれで仕事としてやりがいのあるものだと思うので、「手が荒れている = 仕事をしている」という一つの図式だけでは、仕事の本質は語りつくせないと思う。

実際のところ、私も福祉施設に勤めている頃は、「入浴介助」という業務があって、一日に30人くらいの人の入浴のしていた。その結果、冬場は特に手が荒れて困ったものだ。同業の人に聞くと、結構みんなその悩みはあったようだ。

私に手を見せろと言った男性は、私の手を見た後、「これがキルギス人の手だ」と自分の手を私に示した。確かにがっちりと厚い皮の、肌は多少ひび割れがあり、爪のすき間には土が入って黒ずんでいる、立派な「働く手」であった。

「オレだって、働いてない訳じゃないゾよ」と思う部分もあったが、自分の手を誇らしげに見せるという彼の態度に、一種の清々《すがすが》しさを感じたのも事実である。

2011/02/12

パケット節約 (メールソフト編)

協力隊隊員でメールを使う人(おそらくほぼ100%)のうち、これまた全員に近い人がウェブメールを使っていると思う(海外で使うにはウェブメールは絶対に便利である)。

キルギス隊員がパソコンでメールをしているのを見てると、大抵の人はブラウザソフト上でメールの作成・送受信をしているようである(しかも画像表示はオンで…)。

パケット使用の点から見ると、これは無駄が多い(と私は考えている)。

メールの作成・送受信の作業をしている間、ネットはつなぎっぱなしにしているようであるが、使っている人は気づかないが、色々なソフトが勝手にネット通信をしてしまうのである。当然、パケットもどんどん使う。

例えばスカイプ(やってる人多いと思う。私も使ってるけどね)。このソフト、自分が登録している誰かさんがログインすると「●●がログインしました」みたいなメッセージを出す。つまり、常時、他のユーザーの情報が更新されていないか確認のための通信をしているのである(自分の状態も送信していることになる)。別に「●●さんがログイン」したかどうかなんて知らんでもいい場合がほとんどであるにも関わらず…。

そういう理由で、メールを書いているだけ・読んでいるだけの時間中もネット接続するのは無駄なのである。

「じゃあ、いちいち接続を切れっつぅのか? 面倒くせぇ、こちとら江戸っ子でぇ!」と短気を起こす必要はないのである。ちゃんと便利な方法がある。

最近のメールソフトは、ウェブメールのアドレスを読み込み、書いたメールをそのアドレスで送信することができるのようになっている。

実際に使うには、最初にメールソフトとウェブメールのそれぞれにちょっとした設定が必要である。詳しい手順は以下のページあたりを参考に。ちょっと面倒ではあるが、最初だけのことである。あとは便利&パケット節約となる。

Gmailの設定
https://mail.google.com/support/bin/topic.py?hl=ja&topic=12805

Yahoo!メールの設定
http://help.yahoo.co.jp/help/jp/mail/mailsoft/mailsoft-01.html

Hotmailの設定
http://support.microsoft.com/kb/220852/ja

2011/02/11

パケット節約 (ブログ閲覧編)

しつこく書き続けている「パケット節約」ねた。私と同様にネット接続の効率化の必要がある協力隊仲間を想定して書いている。日本でこのブログを読んでいる人には関心がないだろうことはわかっているが、協力隊が生活している場所でのネット利用の話としてお読みいただければと思う。

さて、このシリーズもこれで止めておこうと思うが、最後はブログの閲覧に関する節約技。

キルギスの協力隊隊員を見る限り、他国にいる仲間のブログを読む際、(ウェブメールをするのと同様)ネットをつないだまま読んでいる人がほとんどだ。これもパケットの無駄遣いである。

ブログに関しても、最近のメールソフトならば予め登録したブログの記事をダウンロードしてくれる機能がついている。

ブログのページを開くと上のほうに feed のマークがある。これをクリックするとそのブログのフィードというのが出てくるから、それをコピーして、自分が使っているメールソフトに登録すればよい(「フィードの登録」というのがあると思う)。

雑駁《ざっぱく》な説明で申し訳ないが、使われているメールソフトはたくさんで、バージョンの違いによっても操作が変わるから、とても一つひとつ調べて書く気にはならない。やってみたい方は、適宜、ネット検索で調べられたし。

メールソフトでブログをダウンロードするとネットに接続してなくてもブログが読めるので、ゆっくりと読めるようになるメリットもある。

しかし一つデメリットと言えば、メールソフトでダウンロードしてしまうと、そのブログへのアクセスがカウントされないことである。私自身、ブログにある程度のアクセスがあれば嬉しく思うし、他のブログ開設者も同様ではないかと察する。この点に難ありというところか。

2011/02/10

春めく中で雪祭り準備

2月に入ってから、日に日に暖かくなっているという実感がある。気温が上がっているのは、これまで張っていた氷がすっかり解けきったことでわかる。コートの下に2枚着ていたジャージも、日によっては1枚だけで大丈夫だ。

日没も、12月には17時には暗くなっていたのが、今は18時半でも薄明るい。日の出の時間も早くなっているはずだが、自分が日の出とは関係なくいつも同じ時間に起きているので、以前と比較することはできない。

キルギスの、ある地区の隊員が、冬場の観光イベントの試みとして、この週末に雪祭りを開催する予定で、私も少しばかり手伝いでその町に行ってきた。その町もここ2週間は暖かくなっていて、雪祭りでは肝心要《かんじんかなめ》となる雪がない状態であった。聞いた所では、昨年の2月はもっと寒かったそうで、それを当て込んでこの時期に雪祭りを設定したとのことであった。

氷の灯籠を作って、その中に蝋燭(←漢字で書くとおどろおどろしい感じだ…。「キャンドル」と言ったほうがオシャレっぽいかな)を入れて灯すという演出を考えているそうだ。バケツの水を天然の冷気で凍らせて氷灯籠を作るのだが、それも暖かいせいで水が凍らずに困っていた。

灯籠が予定の数だけ作れなかったらどうするか、という不安を抱えつつの準備。それでも、今ある氷を加工して「こんなやり方もあるんじゃない」と手伝いに来ていた別の隊員からアイデアが出ていた。アイデアはすぐに試しでやってみる。こういうノリがあるところが協力隊の魅力だと思う。

暖かくなって、過ごしやすくなったのは嬉しいが、この雪祭りに関してだけは暖かいのは困りものとなっている。しかし、その問題を克服するアイデアが生まれるのもまた面白い。

2011/02/09

IEの画像表示を止めると…

パケット節約のためにブラウザソフトの画像表示をオフにする話を書いたが、この設定をして思わぬ所に影響が出た。

Internet Explorerに限った話である。IEの画像表示をオフにすると、他のアプリケーションソフトのヘルプファイルを開いた際に、ヘルプ内に配置されている画像も表示されなくなってしまうのだ。

ヘルプファイルは「.chm」とか「.hlp」という拡張子のものが多いようだが、これらのファイルの実体はHTMLを変形させたものらしい。ファイルを開くソフトは、Windowsに組み込まれたもので、IEと機能を共通化させているんじゃないだろうか。あくまでも素人考えなのだが…。

私は、このブログを書くのにWindows Live Writerを使っているが、IEの画像表示オフはこちらにも影響が出る。Windows LiveもIEの機能を一部共有している。マイクロソフトは「Windows Live」という名で、いくつかのソフトをグループ化して扱っている。IEでブログのフィード登録をすると、Liveメールでも自動的にブログの閲覧登録がされる。このように複数のソフトをグループ化して扱うために、画像表示のオン・オフも連動してしまうようだ。

ヘルプファイルや、ブログ記述ソフトで画像が見られないのは不便なので、IEの画像表示はオンに戻している。元々、私はサイト閲覧にはIEは極力使わないようにしている。私がいつも使う別のソフトは画像オフである。

パケット節約法(ブラウザソフトの設定編)

ブロードバンドで、定額使い放題の環境でネットを利用している人にはおよそ関係のない話だろうが、現在、キルギスで私が使っているのは従量制(使った分だけ課金される)接続サービスなので、パケット使用料はできるだけ節約したいのである。

私がとっている対策の一つが、ブラウザソフトの設定で画像を表示させなくすることである。

画像データは、テキスト(文字)データよりもサイズが大きいので、表示させないことでかなりのパケット節約になっている。

サイト上にある画像の多くは広告の類であり、自分には見る必要がないものがほとんどである。ネットニュースを読む際でも、写真なしで十分である。もし見たい画像があるなら、その時だけ画像表示をオンにすればよいだけの話である。

画像なしだと、Googleやyahoo!のトップ画面はこんな感じになる(「画像表示をしない」というネタのブログで画像を使うのは矛盾しているが…)。「Google」「Yahoo!」といったロゴがない程度のことで、テキストは読めるから問題はないのがお分かりだろう。

google_top yahoo_top

「自分もやってみよう」という方のために、設定の方法を紹介。

【Internet Explorer(IE8)の場合】

    1. 「ツール」→「インターネットオプション」を選択。
    2. 「詳細設定」タブを選択。
    3. 下のほうにある「マルチメディア」という項目内の「画像を表示する」のチェックをはずす。

【Fire Fox(ver3.6)の場合】

    1. 「ツール」→「オプション」を選択。
    2. 「コンテンツ」というタブを選択。
    3. 「画像を自動的に読み込む」のチェックをはずす。

【Google Chrome(ver8.0)の場合】
(※このソフトは設定項目の場所を探すのが面倒くさい。もっとわかりやすいインターフェースにしてくれ!)

    1. アドレスバーの右側にあるスパナのアイコンをクリックし、「オプション」を選択。
    2. 「高度な設定」タブを選択。
    3. 一番上の「コンテンツの設定」を選択。
    4. リストの中の「画像」を選択。
    5. 「すべての画像を表示しない」をチェック。

このほかにも主要なブラウザソフトとしてOperaやSafariなど色々あるが、今、手元で操作が確認できるものについて手順を載せた。紹介はできなかったソフトでも、大抵は「ツール」から「オプション」と進んでいけば設定項目が見つかるはずである。

2011/02/08

キルギス インターネット事情

キルギスでインターネットを使う場合、多くの場合、従量制の料金設定(使った分に応じて料金がかかる)である。日本では今やブロードバンド回線で、一定料金で使い放題が当たり前なので、従量制で通信速度が遅いのには不満もあるが仕方がない。

キルギスでもブロードバンドを家に引くことは可能である。しかし、今はホームステイであるので、自分の都合で回線契約をして機器の設置をするというわけにはいかない。私の職場は、(田舎の村では珍しく)ブロードバンドが引かれている。通信速度は100mbpsと出ているので、数字上では日本とほとんど変わりはない。

家でのネット接続は、携帯端末をUSBでパソコンとつないで行なう。家電話でネット接続しなければならない可能性も想定して、フォンジャック接続の機器も日本から購入して持ってきたが、結果的にはその必要はなかった(10年前はどのノートパソコンにも必ずフォンジャック用端子があった。LANケーブル接続端子がついているパソコンのほうが少なかったが、今は逆でLAN端子は必ずついているが、フォンジャック端子はまったく見なくなった)。

海外の携帯電話はプリペイド方式が多いようで、キルギスも同様である。ネット接続するには、予め使用料を入金しておき、ネット接続するとそこから料金が引かれていく仕組みである。もし入金額が不足すると、接続できなくなる。

携帯電話での接続速度は、昔のISDNよりちょっと遅いくらいではなかろうか? 接続速度の設定を900kbpsにしても、20kbpsにしても実感速度は変わらない。

ひと昔前の日本ではダイヤル回線でネットをするしかなく、今キルギスで使っている接続よりも遅かったと思う。今やネットで映画が見られるのだから、ホント、想像もしなかったことだ。私が日本に帰る頃には、どうなっているだろうか。

2011/02/07

なるほど! 「井戸端会議」

「水と安全」という記事の中で、キルギスでは男達が道にある給水所に水を汲みに行き、水場で集まった者同士がそこでおしゃべりをしていることを書いた。

書きながら、日本語の「井戸端会議」という言葉の背景について気づいた。

日本も昔は各家庭に水道なんてなく、井戸に水を汲みに行っていた。どこの家からも水は汲みに出るから、井戸には必然的に人が集まる。釣瓶《つるべ》は一つだから、誰かが水を組んでいる間は他の人は順番を待っている。その待っている間に、世間話が始まり、誰かの噂に及んでいく。

「井戸端会議」は、そんな情景の中で生まれた言葉なのだろう。水場というのは人が集まる所なのだ。いや、人だけではない。動物だって水場に集まる。動物は必ず水場を必要とする。

水商売の所に人が集まるのは、また別の理由だろうけど。

2011/02/06

Introducing myself, my activities, and Kyrgyzstan.

For English readers, I’m going to write about my activities.

I’ve been in Kyrgyzstan since August of 2010. I’m dispatched by JICA, which stands for “Japan International Cooperate Agency”. JICA dispatches over 3,000 volunteers to developing countries every year.

The term of us, JICA volunteers, is 2 years. Which means I will work as a volunteer in Kyrgyzstan till July of 2012. A year and a half remains for me.

tamga

In Kyrgyzstan I work at NPO, “Shoola-Kol”. In russian letters “Шоола-Кол”. “Shoola” means dawn in Kyrgyz, and “Kol” is a lake. It’s a cool name, isn’t it?

Here I work for children and adults who are disabled or handicapped at our center. In Japan also I had worked for those people. But it’s hard to apply my experiences to the center. Now I’m trying to fine what I can do in the center.

In the village where I live people mainly speak in Kyrgyz. It’s also a problem for me. Because I’d been trained Russian. Even Russian, I’m not able to speak what I want to say. Off course people in the village can understand and speak in Russian, because Kyrgyzstan was a member of USSR. When I speak to them in Russian, they answer in Russian. Among them, they rarely speak in Russin, but always in Kyrgyz.

So I decided to study Kyrgyz and have started now.

2011/02/05

水と安全

昔から「日本人は水と安全はタダだと思ってる」と多少揶揄を込めて言われる。読んで字の如《ごと》く、日本では水は蛇口をひねれば簡単に手にできるし、諸外国に比べれば犯罪が少なく治安が良いことを指して言う言葉だ。

日本というのは、本当に水には恵まれている国だ。「水サミット」という国際会議が開かれて、全世界の人口が増大し、人間が生活していくための水の確保をどうすんべぇ、と各国の代表が集まって検討している。全世界の人口増加と環境破壊とで、世界では生活水が不足しており、これからはますます問題は深刻すると言われている。しかし、水に恵まれた日本にいると、そういう問題はなかなか実感されにくい。

キルギスも水には恵まれている国(隣国へ輸出もしている)だから、水不足はよその話だが、上水管設備は日本ほど整っていないから、家で蛇口をひねれば水が出るという訳ではない。

mizukumi

町育ちの私のような世代の日本人には経験がないが、やってみると水汲みは結構な重労働だとすぐに分かる。しかもほぼ毎日やらなくてはいけない。キルギスでは男がやることが多いようで、道に設置されている給水所には、ポリ容器を持った男達が水汲みに集まって、そのついでになにやらだべっているのは日常的な風景である。

このように、途上国と言われている国・地域では、日常生活の物資を手に入れるのにも、いちいち自分たちで何とかしなければならないことが多い。水しかり。暖房しかり(薪を斧で割る)。肉しかり(羊を屠《ほふ》る)。いちいちが肉体労働である。

こういう作業には必ず怪我の危険が伴っている。

水汲みは重い容器を運ぶので、腰を痛める可能性がある。薪割りは言わずもがな。一歩間違えれば自分の足に斧を振り落とすことだってある。動物の屠殺だって、生き物を刃物で扱うのだから、相手が暴れれば自分の手を切ってしまうかも知れない。そういえば、家電製品の修理も自分たちでやっている。

2年間限定の生活する外国人である私は、最終的には「買って済ます」という選択肢があるが、現地の人はずっとそういう作業をし続ける。日本での自分の生活と比較すると、彼らの生活にはずっと多くの危険がある。

そんなことに思い至ったのは、自分の身の回りに、指が一本なくなっているような人が数名いるのに気づいたからである。どういう経緯で指を失ったのかは訊けないのだが、一つの可能性として、生活に必要な労働での危険度が高いことがあるのではないかと思うのだ。

「水と安全」と言う時、「水」「安全」を別々に考えてしまって、水を調達すること自体が安全でない場合もあることには気づいていなかった。環境によっては、水と安全は一対となって存在しているのだ。

蛇口をひねれば簡単に飲用水が手に入る国、日本。それだけでも安全な国だと言える。

2011/02/04

ウェットティッシュはある!

そんなに力んでつけるほどのタイトルではないのだが、ティッシュペーパーを求めて村の商店を回っていた時、どの店にもティッシュペーパーはなかったが、「こういうのはあるよ」と見せられたのがウェットティッシュであった。

プラスチック製のポケットサイズのパッケージに10枚1セットで売られている。

私の認識としては「ティッシュペーパー → ウェットティッシュ」という順序で普及していくものだと思っていたので、ティッシュペーパーは皆無なのに、ウェットティッシュは売られているのは意外であった。

とは言っても、ティッシュペーパー同様、ウェットティッシュも使っている人を見たことはない。誰が買うのか? そしてどういう時に使うのか? これもまた謎なのである。

2011/02/03

ティッシュペーパーがない!

任地であるバコンバエバ村に来た当初、一つ驚いたのは、村の商店のどこを探してもティッシュペーパーが売っていなかったことだ。

そもそも、キルギスの人たちがティッシュペーパーを使っているのを見ることがほとんどない。日本だったら、大抵の人はポケットやかばんに入れているだろうし、家ならボックスティッシュが必ずある。

キルギスに入って最初の一ヶ月は首都ビシュケクで過ごした。首都には「НАРОДНЫЙ(ナロードニー、訳せば“国民の、大衆的な”)」というチェーンのスーパーマーケットがそこかしこにあって、ティッシュペーパーも何種類も置かれていたから、まさか村では売っていないとは予想もしていなかった。

手持ちのティッシュが少なくなったので、買おうと思って店を回ったが、どこにも置いていなかったときはあせった。鼻をかむ時はティッシュを半分に切って、残りのティッシュを節約するようにした(別の隊員は、重なっているティッシュを一枚一枚はがして使っていた)。涙なくして語れない話であるが、涙を拭くのにティッシュを使うのはもったいないので、ここはグッと涙をこらえて書き進めよう。

その後、健康診断やセミナーの手伝いなどでスーパーのある町に行く機会があれば、ティッシュを買い溜めするようにして、ティッシュ切れの事態に陥らないようにしている。ただし、相変わらず半分に切って使っている。今の私にとってはティッシュペーパーは貴重品なのである。

それにしても、現地の人たちは鼻をかみたい時はどうするんだろう? ということが、当然ながら疑問となる。

いくつかのパターンがあるようだ。一つは、トイレットペーパーを使う。ただ、こちらのトイレットペーパーは日本のに比べると固くてごわごわしてるので、それで鼻の中を掃除しようものなら、粘膜を傷つけ鼻血が出るのではないかと思う。

ペーパーナプキン(テーブルナプキンというのかな?)はどこでも売られているから、そちらのほうが汎用性は高いかもしれない。同期隊員の一人は、ティッシュは買わずにペーパーナプキンを使っているようだ。

トイレットペーパーにせよ、ペーパーナプキンにせよ、現地の人の感覚では高い物になってしまうのかもしれない。そうなると、ただで鼻をかむ方法を使うしかない。すなわち「手鼻をかむ」やり方である。

今の日本で手鼻をかんでいる人を路上で見かけることなんてないよなぁ…(風呂でやる人は多いだろうけど)。こちらでは割と頻繁に見る。ある日、たまたま道の先を歩いていた男性が手鼻をかむのを見て、これならティッシュは不要だということに気づいた。

手鼻は女性はめったにやらないと思うので、女性はペーパーナプキンを使っているんだろうか?

手鼻をかんでいるということで、ティッシュペーパーの代用をどうしているかという疑問は、私の中ではとりあえず解決したのであるが、同時に新たな疑問が起こってしまった。

一体、あの手はどこで洗うんだろ…?

2011/02/02

馬の放牧

撮影したのは昨夏なので、古いと言えば古いのだが、郊外に観光に行った際に、放牧している馬を移動させている所に遭遇した映像をアップする。

いかが? 画面からも迫力が伝わるのではないだろうか? 目の前で見たらもっとすごかった。その場にいたキルギス人たちも「おぉ~!」という感じで見入っていたくらいである。

2011/02/01

ブログを書くことについて (「ブログ=俳句」論)

前回協力隊に参加したのは8年前の2002年。当時はブログを書いていなかった。

なにせ、その頃はまだブログというのが出始めたあたりで、ブログへの認知度は高くなかったし、無料でブログ開設なんてできたのかどうかも私は知らない。できたとしても、多分、あの頃はやらなかったろうなと思う。

ウェブサイトを作って任国の状況を紹介している協力隊隊員もいたようだが、ウェブスペースは大抵は有料だったんじゃないかと思う。それに当時の私はウェブサイト作成のためのHTMLというコンピューター言語をほとんど使えなかったから、実現するのは難しかった(今は、当時よりはできるぞ、えへん!)。

あれからインターネットを巡る状況は変わって、今や誰でも無料でウェブサイトもブログも作れる時代だ。作るのも簡単。元々あるデザインの中から選んで、あとは文章を書いて送信すればよい。

キルギスに来てから、私もブログを開設し、体験したことや雑感を書いている。私がブログを書くのは、ひとつには自分の体験を記録として残すため。色々と珍しいことを体験・見聞していても、あとになると結構忘れていることが多い。ブログに投稿しておけばデータとして残る。

もうひとつは、友人・知人たち、特に日本にいる人たちに近況を伝えるため。メールでのやり取りもあるが、毎日のように十数人の人にメールを送るのは面倒であるし、先方にしても「今日はこんなことがありました」というメールを毎日送られるのは閉口するだろう(私宛にそういうメールがあったら、ちょっとストーカーではないかと疑う)。

そういう訳で、ブログのURLをお知らせして、興味のある方に、時間がある時に見てもらえれば、このブログを開設した目的の過半は果たせている。

日本にいた時も自分のブログを書いていた時期があった。携帯電話の付属サービスを使ってやっていたので、携帯を解約したら自動的にそのブログは消滅してしまった。

その頃にも感じたことであるが、ブログを書き始めると、周囲に対する自分の視野が変わるようである。というのも、毎日にせよ不定期にせよブログを更新するためには、書くためのネタ探しが必要になってくる。視野の変化の一つには「何かブログのネタになることはないかな?」という視点で周囲を見るようになる。そもそも言葉というのは、自然界の現象をどう切り取るかという役割をするものだから、切り取ろうと思えばなんだってネタになるものである。

もう一つは見聞したことについて「ブログに書くならどういう切り口、どういう表現で書こうか?」と考えるようになる。一つの現象についても、どこからどこまで切り取るか、どういう表現で書くかによって内容は変わる。ギャグ調、不満爆発調、事実記述のみと文体の問題もある。そんなことを頭の中で考えていると、その場で物事を為《な》している自分とは別に、それを観察している自分もいるようなものである。

これと同じようなことを俳句をやる人の話として聞いたことがある。確かラジオの企画で、俳句経験のない若者に定期的に句会に出てもらい、その間に作った句を発表するというものだったのだが、その若者が「俳句をやるようになって、周囲のものに『これは句にならないかな』と思いながら注意を向けるようになった」と感想を言っていた。俳句には「季語」という約束があるから、自分の周囲のものに季節を感じようとするアンテナが建ったのだろう。私にとってのブログも同じような機能を持っていると思う。

おそらく、ブログを書いていなければ、キルギス生活の記録は今の100分の1も残さなかっただろうし、もっとボーッとして日は過ぎていたはずだ。ブログがあればこそ、「ボーッと過ごした」ことさえもネタの一つになる。

友人・知人の何人かには、携帯で撮った写真を貼り付けるだけでもいいから、自分のブログを持つように勧めたことがあるのだが、「そのうち時間ができたらやるかも」という返事があっただけで、その後一向に彼らがブログを始めたという連絡はない。