首都で独り暮らしを始めて、自分で料理をしてみて発見することも色々ある。
前にキルギスの肉についてブログに書いた。村では推定99%はキルギス人(あとの1%はロシア系住人)だったので、村内の肉屋で売られているのは牛、羊の肉だけであった(キルギス人はほとんどがイスラム教徒で豚肉食はタブーである)が、首都は人種構成がかなり異なってロシア系住人が多いので、バザール(市場)の肉売り場にも豚肉のコーナーが設けられている。
今、手元にバザールの肉売り場の写真データがないのだが、ビシュケクのバザールでは動物の種類によって売り場コーナーが分かれている。牛、羊、豚と分かれている。特に豚肉は、イスラム教徒であるキルギス人たちにとっては不浄のものだから、牛、羊とははっきりと離して売り場が設けられている。
私がビシュケクで一番よく買い出しに行くのがОш /オシュ/というバザールだが、ここの肉売り場では馬のコーナーもあることに気付いた。私はまだ馬肉は買ったことも調理したこともないが、そのうち使ってみたい食材である。
さて、村にいる時は入手さえ不可能だった豚肉が、ビシュケクであればいつでも買うことができる。日本人の料理レパートリーの中には、豚肉でなければ美味しくないというものもたくさんある(生姜焼きとか酢豚とか)。そういう料理をしたい時は豚肉を買い求めるわけだが、バザールで売っている肉というのは、(豚肉に限らないが)日本でスーパーで買うように薄切りに加工されているのではなく、部位ごとにブロック(塊)でド~ンと置かれているのである。そのうち写真を撮りたいと思っているが、これ、なかなかすごい光景なのである。
肉のことなんて、正直なところ何も分からないので、ブロック肉の脂肪の量とか骨の形とかを見て、バラだのリブだの、あるいはヒレだのと勝手に想像するのである。あるいは、売り手のおばちゃんに身振り手振りで、豚のどの部分かを訊いてみるとかもする。
そうして買って来たブロックの豚肉であるが、料理に使うには薄切り、細切れにするところから始めなければならないのである。こういう作業をしていると、日本の肉屋、スーパーというのが、いかに親切なのかというのが痛感される。だって、日本なら「カレー・シチュー用」とか「とんかつ用」「生姜焼き用」とか、用途別に切られている上に、それが書かれたシールまで貼ってあるのだから(大阪では「お好み焼き用」というラベルも一般的なので驚いた。関東では見たことがないと思う)。
豚肉を切っていて、日本の肉と違うと気付くことがあるのだが、それは「皮」がついているということなのである。いや、日本で流通している豚肉だって、元々は皮が付いているはずなのだが、店頭に出る過程で皮は切り落とされているから、ほとんどの消費者は皮付きの豚肉なんて見たことがないのではなかろうか。
表現・分析が間違っているかも知れないが、豚の皮というのは硬いゼラチン質である。皮を付けたまま肉を切って、たとえば豚肉と野菜の炒め物なんかを作ったとすると、食べる時にこのゼラチン質部分が口に残る。だから不味いというものではない。ただ、日本の豚肉を食べ慣れた私にとっては違和感があるだけのことだ。慣れれば「そんなものか」となってくる。それでも自分の食べ慣れた食感というのはあるので、基本的に私は調理の際には皮は落として使う。
落とした皮は、それだけをカリカリになるまで炒める(揚げるといったほうがいいかも)。すると、これが香ばしくなって、酒のつまみにはピッタリという感じになる。
豚肉の皮は、実はマレーシアにいた時も体験していた。マレー人もイスラム教徒だから豚肉は食べないが、マレーシアには中国系の住民も3割くらいはいて、中華料理屋もたくさんある。そういうところで豚料理を食べると、口に残るものがあり、それが豚の皮なのであった。
日本人は豚の皮を食べない食文化を形成してしまったが、日本以外では豚の皮は普通に食されているのではないかと思う(少なくともロシア人、中国人は食べている)。日本で、流通過程で切り落とされた皮はどうなっているんだろう。
それにしても、肉をブロックで買ってきて、自分で切り分けていくというのも、面倒ではあるが楽しい作業である。帰国してからも、馴染みの肉屋さんを作って、ブロックで肉を売ってもらおうかと思うほどである。豚肉も皮付きのままで売ってもらう。