村の隊員だった時は、健康診断やその他の行事に合わせて首都のビシュケクに来ていた。3~4ヶ月に一度くらいの割合だったろうか。そうやってたまに首都に来てみると、村とは全然違った生活風景に毎回驚いたものであった。
キルギスの総人口が約550万人なのだそうだが、その内、首都の人口が100万人。総人口の5分の1程度の人が一つの市に集中していることになる。100万人の人口規模となれば、色々な商売が成り立ってくる。売られている物や立ち並ぶ店を見ても、ある程度までは日本と同じ様な物は揃っているという印象である(とは言っても、いざという時にほしい物が手に入らないということはままあるのだが)。
そういうキルギス唯一の大都会では、歩いている人のファッションを見ても、道を行く車を見ても、「いやぁ、ビシュケクは違うべな」と思わずにはいられなかった。「おのぼりさん」とは田舎者が都会の光景を見て舞い上がるようなことを揶揄する言葉だが、まさ自分もそういうおのぼりさんの一人であった。(逆に、田舎に行って田園や山川、家畜などを見てはしゃぐ都会の者は「おさがりさん」とは呼ばないのであろうか?)
たまに来るビシュケクというのは、人も車もごった返している感じで、市場《バザール》で買い物するのにもバスに乗るのにも、人混みに揉まれるのに耐えられないほどであった。まさか自分が首都で暮らすことになるとは思っていなかったのだが、首都への引っ越しが決まった時にまず思ったのは、「自分は、あの人混みの中で、毎日生活をしていてけるのだろうか」という心配であった。
ビシュケクでの生活が始まって2週間が過ぎて、最初はやはりマルシュルトカに乗るだけでも、おしくらまんじゅう状態にうんざり辟易していたが、通勤のために朝夕乗らざるを得なければ乗るだけの話で、毎日乗っていれば、いずれおしくらまんじゅう状態の中でもどう処すればより楽かは分かってくる。
市場の人混みも人疲れするのは以前と変わりはないが、どこに何が売っているのか見当を付けて、必要な物だけを手早く買って終わりにしてしまえば良いだけだと思うようになった(村から首都に来ていた頃は、物珍しさに、買う物がないのにウロウロと歩き回っていたものだから疲れたのだ)。
怖れていた首都暮らしも、始まってみれば慣れるものである。私が特別に適応力があるわけではない。たいていの人はこうやってどこの場所でも適応するものだ。むしろ、日本では町育ち・町生活をしてきた私が、まったく村人と同じとは言わないが、村で生活していたことのほうが特異なことだったとも言える(生活だけを比較するなら、バコンバエバ村でのほうが好きだったけどね)。
昔から「美人は3日で飽きる、ブスは3日で慣れる」と言うそうだが(私が言ったわけではないよ!)、同様に、都会の人混みも満員のバスも3日で慣れるということか。
そういえば、村からたまにビシュケクに来ていた頃は、首都の女性たちの華やかさに心躍らせていたものだが、こちらも毎日見ているうちにそうでもなくなってきた。これは「3日で飽きる」ほうの適用だろうか、あるいは私が若くなくなった証拠だろうか…
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