あれから1年が経ったのか。
1年という時間が経って、自分の中で東日本大震災の衝撃とか緊張の感覚は薄らいでいる。時間の経過で体験に対する記憶が変わっていくことは当然であるが、日本国外にいるから尚更であるのかと思うのと、日本にいたとしても自分はどれほど震災や原発の問題に向き合っていただろうか。
1周年の3・11当日は、各地で行われた慰霊祭・鎮魂祭の模様がこちらのテレビニュースでも伝えられていた。その1週間前くらいから、3・11に向けて、現在の被災地の状況や復興の取り組みが特集されているのもテレビでやっていた。
この1年、ほとんど被災地の映像を見ることがなかったのだが、ニュース映像を見ると1年が経ったとは信じられないほど、崩れたままになった建物、津波で流された船などがそのままになっている状況に驚いた。原発事故で立ち入り禁止区域になっているために、倒壊建物の処理が進まないなどの事情があるのだろうか。ロシア語で聞いているので、ニュースの10分の1も理解できておらず、とんちんかんな疑問であるが…
2011年を表す漢字かなにかが「絆」だったということで、大震災を経験し、その後の被災者・被災地支援の動きや人々の気持ちを代表する言葉には違いなかったのだろうが、ひとたびその言葉が定置されると、何をやるにしても「絆プロジェクト」「絆○○」となって、それは「絆」というキーワードが置かれる前に人々が動いていた気分とは、少しずれたところにあるのかもなぁ、などとも思う。「絆」というキーワードを置いたことを非難するつもりで言っているのではなく、ある状況にネーミングをすると、今度はその名前が状況を限定するようになる不思議を思う。
あの震災で露わになった一番のものは原発を巡る諸問題だったと思うが、これについては地球資源の利用方法や経済活動のあり方など、議論を深めている人たちがいるようである。私などは、当然、そのように深めていく力はないので、そういう議論を端で見ながら多少は自分でも考えてみるという感じになる。書評サイト(?)の「松岡正剛の千夜千冊」で、松岡氏がそういう議論を俯瞰しているのが参考になっている。
あと、西條剛央という人の「ふんばろう東日本プロジェクト」というのも最近知ったのだが、この西條氏というのは構成構造主義という学問(というか研究方法?)を紹介している人で、自分の仕事の関係で関心を持っている人であった。被災者・被災地の支援と、構成構造主義というのは結び付かないように思ったのだが、西條氏曰く、復興支援に構成構造主義の方法論はすごく有効なのだそうだ。自分の研究テーマを、被災者・被災地支援に応用しているということになるようだ。
と、とりとめのない内容になってしまったが、3・11の1周年の雑感を記しておく。
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